【Brothers#2 ヘラルボニー兄弟】きょうだいは、無条件に信頼できる「神」のような存在。
この世には、ありとあらゆる「関係性」を表す言葉がある。
友達、恋人、ライバル、同僚──。「きょうだい」もまたそのひとつ。『宇宙兄弟』でも、ムッタとヒビトをはじめとした、様々な「きょうだい」たちの関係性が描かれている。
でも、きょうだいって、果たしていったい何なのだろう?
一般的には、同じ親から生まれたという血縁関係を指す言葉だが、どうにもこの言葉には、血の繋がりだけではない何かが潜んでいるような気がする。血が繋がっていなくても「きょうだいっぽさ」を感じることはあるし、逆に、実のきょうだいであったとしても、その実感を得られないことはあるからだ。
いろんな「きょうだい=Brothers」を紐解いて、その関係性について考える連載。第2回は、株式会社へラルボニーを営む双子、松田崇弥さんと文登さんです。
※宇宙兄弟から取って連載名を「Brothers」としていますが、本連載では、ありとあらゆる性別における「きょうだい」を取り上げます。
■今回の「Brothers」
松田文登さん(兄)・崇弥さん(弟)
1991年岩手県生まれ。高校卒業までを岩手で共に過ごす。2016年に、知的障害のあるアーティストが日本の職人と共にプロダクトを生み出すブランド「MUKU」を立ち上げ、プロデュースを始める。2018年、新しい福祉領域を拡張したいという思いから株式会社ヘラルボニーを設立。
「死ぬ覚悟なんていらねえぞ 必要なのは“生きる覚悟”だ」
幼い頃から、「絵に描いたような仲良し兄弟」だったと思う
── 松田さんは、双子の文登さんと崇弥さん、そして4歳年上の翔太さんの3人兄弟だと思いますが、幼い頃はどんな兄弟だったのでしょうか?
崇弥:とにかく仲良しでしたね。兄が4歳の頃にぼくたち双子が生まれて、ずっと男3人で楽しく過ごすという感じで、ごく一般的な幸せな兄弟だったのかなと思います。どうだろう、文登さん?
文登:たしかに、常に「一緒にいる」兄弟だった気がします。
4歳上の兄は先天性の知的障害を伴う自閉症なんですが、そんなことは関係なく、小学校で私たちが友人と遊びに行くときも、兄もついてきて一緒にゲームをするといったことが当たり前の環境でした。
ぼくたち双子も兄も、「別々のクラスだから別々の友だちと遊ぶ」のではなく、友だちも含めて常に一緒に遊んでいましたね。
── お友だちもまるっと一緒に! すごいですね。
崇弥:ずっと一緒にいたのは家族環境も影響していると思います。ぼくたちが6歳の頃から父親が単身赴任をしていたので、いま思うと母親がめちゃくちゃ大変だったんですよ。ひとりで子ども3人を育てなくちゃいけなくて、兄貴が重度の知的障害で、さらには男ふたりの双子で……。けっこうパンチがありますよね(笑)。
だから週末は、福祉関連の会合に母と兄弟みんなで参加するのが恒例でした。知的障害のある人の家族同士でキャンプに行くとか、スキー場に行くとか、県民センターに集まってみんなでわいわい遊ぶとか。
外の人たちからも、絵に描いたような仲良し兄弟って思われていたんじゃないかな。
中学生になって感じた、兄との距離感のむずかしさ
── 今に至るまで、変わらずずっと仲良しなんですか?
崇弥:小学校6年生くらいの頃までは本当に仲が良かったですね。でも、中学生になってから、少し兄との付き合い方が難しくなった時期があって。
文登:あったね。
崇弥:中学生になってすぐの頃、知的障害をバカにする同級生が出てきたんです。多感な時期でもあるし、次は自分がターゲットになってしまうんじゃないかという恐怖心なども相まって、兄のことを避けてしまった時期がありました。
決して、兄のことが嫌いになったわけじゃないんです。家ではすっごく仲良しだけど、外で一緒に歩くかと言われれば一緒に歩かない、みたいな……。「兄貴と一緒にいるところを見られないようにしよう」と思ってしまった時期はありましたね。
文登:そうだね。中学の時に、「スペ」っていう言葉がクラスですごく流行って。「自閉症スペクトラム」という言葉を略しての「スペ」なんですが、どういうときに使うかというと、誰かが何かをミスしたり、変な言動を言ったりしたときに使うんですよ。「お前スペじゃん、特別支援学級行けよ」みたいな。
それで、兄の存在そのものを隠したいと思ってしまったんですよね。ぼくも兄のことは大好きだったんだけれど……。
家と外では、まったく違う人格で兄に接していました。そのことを兄がストレスに感じてしまい、特にぼくのことを拒否するようになってしまって。中学生の頃は、家庭内別居みたいな感じになっていました。ぼくを見ると兄がパニックになって叩きに来てしまうようになったので。
── なんと……。それはいつごろまで続いて、どうやって解消されたんですか?
文登:中学生の頃はずっとそんな状態でした。でも、ぼくたち双子が、200キロ離れた高校に進学したんです。3年間下宿生活で、兄とほとんど会わなかった。その3年のあいだに、自分の考えも変わって障害のある兄について堂々と話せるようになったこともありますし、会う頻度もかなり減ったので、時間が解決してくれたのかなと思います。
崇弥:いまはすごく仲良しです。そもそも、ぼくたちが兄を嫌いになってそうなったわけではなかったので。むしろその経験が、「障害に対する社会の目を変えたい」と思うようになったきっかけでもある気がします。
携帯電話も「シェア」して使うほど、双子はずっと一緒だった
── 「双子」というのは、年齢の離れた兄弟とはまた違った感覚があるのかなと思うのですが、おふたりの関係性はどんなものでしたか?
崇弥:もう、本当にずーーっと一緒でしたね。
文登:保育園から高校まで、崇弥は常に隣にいました。友人関係、部活、通学路から家まで……。何から何まですべて一緒なので、寝る時間以外、離れることがほとんどなかったですね。大学と就職先は別なんですけど、それ以外はほぼ一緒です。
文登:高校生になって、崇弥が黙って彼女と付き合いだしたときくらいですかね、別々だったのは。
崇弥:たしかに、恋愛はむずかしかったね。
文登:崇弥、隠れて付き合ってさ(笑)。
崇弥:ありましたね。中学校の頃は、なぜかひとつの携帯をふたりでシェアしてて、プライベートがだだ漏れなんですよ。「何時から何時はメールを送ってきちゃだめだよ」っていうのを彼女に言わなきゃいけなかった(笑)。
文登:そうそう。特殊だったな〜。新しい携帯の使い方してた。
崇弥:時間制でね。
── すごいです(笑)。おふたりは、性格や役割の違いなどはあるんですか?
文登:まあ、いつも俺がリードしてるかなあ。
崇弥:いやいや、してないでしょ(笑)。どちらかというと、ぼくは本当にやさしい子だったみたいです。
文登:それじゃ俺がやさしくないみたいじゃん(笑)。
崇弥:まじめな話をすると、小さい頃から、文登の方が負けず嫌いでしたね。小学生の頃、マラソン大会の前日まで、ひとりで朝練習して走ってたりして。
文登:健気だ……。
崇弥:テレビの『伊藤家の食卓』で、「輪ゴムを足につけると早くなる」という裏技を見て、輪ゴムを足にたくさんつけてうっ血してたり(笑)。ぼくは、そんな文登が勝つと喜んでいたらしいです。
文登:それ、母さんが言ってたね。
崇弥:あとは、どちらかというと文登は運動が好きで、ぼくは絵を描いたりするのが好き。似ているけれど、違う部分はもちろんたくさんあります。
── 学生の頃、そんなおたがいの存在をどう感じていましたか?
崇弥:文登は「いてあたりまえ」という感じでしたね。何かを始めるときも、「一緒にやろうよ」ではなく「一緒にやるもんだ」と思っていました。
たとえば部活についても、小学生の頃はソフトボール部に入っていたんですが、その部活は全国ベスト16に入るようなところで、努力しても努力してもチームメイトに敵わないと感じていたから、文登と「卓球だったら天下取れるんじゃないか」とディスカッションして中学校からは卓球部に入ることにしたり。
片方は卓球部で、もう片方は野球部に入るといった、「別々の道を選ぶ」ことは前提としてありませんでした。やるんだったら、同じことをやる。それが当たり前に前提にある存在だと思っていました。
(左)崇弥さん、(右)文登さん。高校では卓球でインターハイを目指していた
大学で場所が離れても、関係性は変わらなかった
── 高校までずっと一緒だったおふたりは、大学ではじめて別々の環境になったと思います。距離が離れたことで、おふたりの関係に変化はありましたか? 崇弥さんは山形、文登さんは仙台に進学されたんですよね。
文登:離れたと言っても車で1時間くらいで、まあ近いので、頻繁に会っていました。
崇弥:そうですね。はじめて「別々の友だち」ができたので、双子なりの遊びを楽しんだりしましたね。文登が新しく友達になった人の家に、文登として行って、30分バレなかったり(笑)。
文登:あったね〜!
崇弥:友だちに突然すごい見つめられて、「お前、本当に文登……?」って言われて(笑)。
文登:俺は押し入れに隠れてて。崇弥の大学にはじめて行った時も、めちゃくちゃ人に話しかけられました。「髪切ったじゃん!」「おう、崇弥!」とか言われて。そういうのも楽しかった。
── 相変わらず仲は良かったんですね。これまで、ふたりのあいだには仲の良いエピソードしか出てこなくてすごいなと思うのですが、関係性が悪くなった時期などはなかったんですか?
崇弥:仲が悪くなった時期はないんじゃないかな。
文登:ないですね。ケンカはめちゃめちゃ多いんですけど。
崇弥:たしかに、ケンカは多い。そして激しいです。一度、文登を失神させたこともあるくらい(笑)。
文登:戦い終わったと思ったら、最後に後ろからぶん殴られて(笑)。もう試合は終わったはずだと思ってたのに……。
崇弥:「これ、他の人たちだったら修復不可能レベルのケンカじゃないか?」と思うようなケンカもあります。理由は本当に些細なことだけど、最悪な罵詈雑言が飛び交う、みたいな。でも次の日には、不思議と全然許せてるんですよね。
社会人になっても毎日電話。会社を一緒にはじめたのも自然なこと
── 社会人になってからは、文登さんは岩手のゼネコン会社に、崇弥さんは東京の企画会社に就職。社会人になって、距離がさらに離れたと思いますが……。
文登:会う機会はさすがに減りましたけど、めちゃめちゃ電話していましたね。
ぼくたち、大学の時からそうなんですけど、基本的に毎日電話してるんです。暇さえあれば、とりあえず崇弥に電話をする。特別な瞬間に電話しようという感覚ではなくて。
崇弥:「一件受注したぞ!」みたいな、おたがいにとってはどうでもいいわ、みたいなことも話し合う(笑)。
── オフィスで隣の人に話しかけるみたいな感覚?
文登:ああ、そんな感じです。しかも、「相手は今忙しいんじゃないかな」っていうことすら気にかけずに話しかける感じです。
崇弥:相手が切ろうとすると、「あと10分で家に着くから、もう少しだけ待て!」みたいに、完全に自分都合(笑)。社会人になっても、コミュニケーション量はそんなに減らなかったです。距離は離れてるけど、心理的距離が離れたことが一度もなかった。
文登:崇弥に話せないことはないかもしれない。人間って隠さなきゃいけないことがひとつくらいはあると思うんですけど、崇弥に対してはないですね。
崇弥:だから、ふたりで今の活動を始めたのも自然なことなんですよ。毎日コミュニケーションを取る地続きの中で、ヘラルボニーの前身となった「MUKU」というブランドが生まれたので。その延長線上で会社もできて……という感じなんです。
文登:崇弥が「るんびにい美術館」に行って、作品を見て感動してぼくに電話をかけたところから「MUKU」がスタートした、という風にメディアでは取り上げられることが多くて、それはもちろん事実なんですが、実際は毎日電話していましたから、ぼくたちにとっては全然特別な電話じゃなかったんです(笑)。日常のひとつみたいな感じだった。
だから、「その時の会話を覚えてますか?」って取材などで聞かれても、本当に覚えていない(笑)。それくらい、自然なことでした。
健康と愛。高い山を目指すための「土台」を一緒につくる存在になれたら
── おふたりは、これから先どんな兄弟でいたいと思いますか?
崇弥:『宇宙兄弟』を読んでいると、ヒビトとムッタは「高め合う関係」なんだなと思いました。「ムッタこいよ、宇宙飛行士になろう」というふうに、ヒビトが吹っかけたりして。
そういう兄弟の形っていうのもあるんだなって思ったんですけど、ぼくたち双子は、高め合いたいとはあんまり思っていないんです。それよりは、楽しく過ごしたい。
文登:崇弥、その言葉、普通すぎてやばいよ(笑)。
崇弥:(笑)。
文登:でもまあ、幸せでありたいですよね。
崇弥:そうそう。ハッピーでありたい。ぼくにも文登にもここ数年で子どもが生まれ、家族ができ、価値観が変わった部分はあると思います。
今までは、「高い山を目指そう!」「登ることが幸せなことだ」と思っていた。けれど、その土台として、健康であること、家族から愛されること、そういった「幸せ」が欠かせないことに気がつきました。
人生の土台となる「健康」と「愛」を、文登と一緒に作っていけたらいいなと思いますね。それがあって、へラルボニーは高い山に登っていける。それを担保しあえる関係であれたらいいなと思います。
──文登さんはどうですか?
文登:ぼくたち双子は「ずっと一緒にいる」ところが強みだと思います。へラルボニーという船が、今後もっと大きくなる可能性はあるし、会社として別の領域にチャレンジするかもしれない。10年後、20年後、30年後の世界はまだわかりかねるんですけど、どんな選択をするにしても、「崇弥と一緒にはやってるんだろうな」と頭の中で容易に想像できるのは、ありがたいことです。
何かチャレンジする時には、必ず隣にいる存在。今後もそういう関係性で、共にいろんなことを選択していけたらおもしろいだろうなと思っています。
きょうだいって、「神」みたいな存在だなって思う
── 最後に、おふたりにとって「きょうだい」とはどういう存在かを教えてください。
崇弥:なんだか、「神」みたいな存在なのかもしれません。神さまって概念的なものだから、願えばそこにあるものじゃないですか。消えないもの。なくなるという感覚がないから、そこに当たり前に存在してくれていて、いつでも頼ることができる。
だから、もし兄弟という存在がなくなってしまった時は、そうとう意気消沈するだろうなと思いますね。
文登:ぼくもその感覚にすごく近いです。横にあり続けるものというか。経営者のメンタルヘルスが大事だと今すごく言われていると思うんですけど、ぼくたちはおたがいに辛いことや思っていることを言い合えるので、その存在が、心理的な部分でもすごく助けになっていますね。本当に崇弥には気を遣わないから。
崇弥:たしかにそうだよね。ぼくもひとりだったら会社はやっていけないと思う。
ぼくたちは一緒に経営もしているから、同志でもあるけれど、仲の良い親友でもあるし、血がつながった兄弟でもある。そこをぴょんぴょんと行き来できるのは、本当に稀有なことなんだと思っています。