宇宙飛行士の採用基準ー宇宙のオフィスの作り方-宇宙兄弟

《第4回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙のオフィスの作り方

2016.03.23
text by:編集部コルク
アイコン:X アイコン:Facebook
第4回
宇宙のオフィスの作り方
宇宙飛行士選抜試験は言わずと知れた宇宙飛行士の登竜門。その倍率は178倍から572倍です。しかし、この超難関の試験をパスすれば、誰でも晴れて宇宙飛行士! というわけではありません。
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。

国際宇宙ステーションの「きぼう」日本実験棟は、今までお話ししてきたような、心理学的な知見を活かしてデザインされています。「きぼう」は、いわば宇宙飛行士たちのオフィスです。その設計には彼らが最大限のパフォーマンスを発揮できるように様々な工夫がされています。今回はその一部をご紹介していきましょう。

●国際宇宙ステーションの心理学

「きぼう」の開発は、どんな設計をすれば人が使いやすく生活しやすいか、あるいは、圧迫感がないか等を考慮した心理学的な技術要求を明確にすることから始まりました。また、実際の人間の気持ちを定量的に評価して数値化する工夫を行っています。アンケート形式の「質問紙法」や、多くのデータを処理する統計解析の手法等に、心理学的なアプローチを活用しています。
たとえば「きぼう」内部の船内実験室の壁面の色には、わずかに灰色または黄色を帯びた白色の「オフホワイト」が採用されていますが、この色を決めるために100人程度の被験者を集め、「きぼう」のミニチュアモデルを使った実験が行われています。
せいぜい壁の色を決めるだけで、なぜそこまで? と思われるかもしれません。しかし、「きぼう」は一度軌道上に打ち上げてしまうと色を塗り替えることができません。もしも宇宙飛行士にとってストレスのかかる色を採用してしまうと、それだけで長期にわたる悪影響を与えることになってしまうため、気を遣う必要があるのです。
そうしたストレスには、文化的な差異も影響します。私たち日本人は水色を「さわやか」だと感じます。青空や海などを思い浮かべる人もいるかもしれませんね。しかし、アメリカ人の一部では薬品をイメージするといいます。色のイメージは、国や人種、所属する文化によって大きく変わります。
それに加えて、「きぼう」内に持ち込まれる様々な機器とうまく調和しなければなりません。たとえば、壁の色を黄色にして、そこに赤色の機材を持ち込まなければならないとしたら、目がチカチカして、いてもたってもいられないでしょう。おまけに将来、どんな色の機材が持ち込まれるかは予測できません。つまり壁面は、内部の変化に寛容な色彩である必要があります。
こうした条件を考えた時、もっともニュートラルな色だとして採用されたのがオフホワイトでした。国や人種によって、大きな拒否反応を起こす要因もなく、後にいろんな機材を持ち込んでも、見やすく調和しやすいことが、設計担当に提案する際にも決め手になりました。

照明の導入にも心理学的な知見が生かされています。「きぼう」内部の船内実験室は、高さ、幅ともに約2.2m、長さ11.2mの直方体をしています。当初は明るいほうがいいだろうということと、宇宙は無重量なので上下左右の別はないため、四面全てに照明をつけようと考えていました。
しかし実際に実験してみると、問題が起きました。「どこを向いても天井のように見えて、不快感がある」という結果が出ました。人間には、照明がある方向を〝天〟だと認識する心理的な〝刷り込み〟があったのです。そして、地球の重力下では耳石等の感覚器が働くため、自分が立っているか座っているか、逆さになっているかが知覚できますが、無重量環境ではそれらの感覚器が働かなくなります。つまり、無重量環境では視覚的な情報がないと自分の状態がわからなくなってしまうのです。よって、四面からの照明に囲まれてしまうと、四面すべてを天井であると認識してしまうため、自分がどちらを向いているかがわからなくなり、不快感ばかりではなく、宇宙酔いの原因になるのです。
さっそく対策として、照明は一面のみにし、その反対の壁面にはブルーのラインを引き、視覚的に上下を判断できるようにしました。こうして、オフホワイトの壁面にブルーのラインが映える、今の「きぼう」船内実験室の姿は生まれました。

また、ひとり一部屋与えられている個室の設計にも社会心理学的な知見が生かされています。国際宇宙ステーションでは、だいたい電話ボックス程度の大きさの個室が確保されています。本当はひとり一部屋なので、もう少し狭くてもいいのですが、2名入れるように、少し大きめに設計されているのです。どうしてでしょう?
人生には、どうしようもない出来事が起こります。それはたとえ宇宙にいても同じです。その時にひとりになれること、そして、その状況を打開するために、一対一の関係性が必要なこともあります。
たとえば仕事で大きなミスをした時などに、コマンダーが部下を注意することがあるかもしれません。その時、他のクルーが見ている目の前で注意することは、注意するほうもされるほうもつらいですし、後述しますが、組織運営やチームワークにいい影響を与えません。そうしたことを避けるために、2人きりになれる個室を使います。
また、クルーに対処しようのない辛いことがあった場合、たとえば地上の自分の家族が亡くなるなどの出来事が起こった時などに、みんなの前で感情的に泣いてしまうのはいろいろと不都合があります。そこで、個室に入って泣かせてあげるとともに、慰めの言葉をかけに行けるように、2人入れる設計にもなっているのです。
このように、国際宇宙ステーションには宇宙飛行士のメンタル面を熟考した設計が施されているのです。

●他国にも人気の「きぼう」開発舞台裏

「きぼう」は「きれい」「広い」「静か」と、他国の宇宙飛行士にも人気です。人気のポイントは、やはり大きな2つの窓です。

「山口さん、『きぼう』には窓いらないよね?」──「きぼう」の開発を行っていたある日、構造担当者が私のところにやってきました。

rs004

「きぼう」開発初期段階において、窓は船外のロボットアーム操作補助のために作られる予定でした。ひとりが船内でディスプレイを見ながらロボットアームを操作し、もうひとりがバックアップとしてロボットアームの動きを肉眼で見るために窓が必要だ、ということで設置される予定になっていました。しかし、ロボットアームが想定以上に高性能で、窓を見なくても、ディスプレイだけでロボットアームの操作ができてしまいました。よって、ロボットアームの動きを見るために設置されるはずの窓の必要性が疑問視されだしたのです。窓がなくなると、構造計算も試験も楽になるので、担当者は「山口さん、『きぼう』には窓いらないよね」と、少し上機嫌で言ってきたのでした。

おそらく私が心理学を学んでいなければ「そうだね」と片付けていたと思います。他にも考えることは山のようにありましたから、窓をなくすほうが効率的です。
しかし私は「でも、大型バス1台分のスペースに窓がひとつもなかったら、どうですか? 宇宙飛行士になったつもりで考えてください。外を見られない環境で仕事がしたいと思いますか?」と異論を唱えました。
「でも窓さえなければ、構造計算が楽ですし、試験も楽ですよ。お金も安くなりますけど……?」
「そうはいっても、半年あるいは1年もの間そこにいる人間のことを考えると、窓がないと、仕事のパフォーマンスは下がります。私は窓を残すべきだと思います」
議論を重ねた結果、最終的には窓が現在の形で設置されることになりました。これに気を良くした私は調子に乗ってしまい、「どうせなら、これ、〝顔〟にしません?」と提案しました。
「きぼう」の窓は2つあり、エアロックの部分を鼻に見立てると、どことなくミッキーマウスのような愛らしい顔に見えます。「ここに目を描いて口をつけると、顔に見えますよね。宇宙飛行士が和んでいいんじゃないですかね?」と、ひとりで真面目に盛り上がりました。すると上司に「ばかなこと言うな。そんなことしたら国民の笑い者になるぞ」と真面目に注意され、窓の顔化計画はなくなりました。
ちなみに、「きぼう」の隣のヨーロッパの実験棟には窓がありません。理屈で考えれば当然の答えでしょう。しかしそれは〝地上の計算〟の結果だったのかもしれません。事実、多くの宇宙飛行士は「きぼう」の窓にやって来て、地球を眺めて気持ちをリフレッシュさせているといいます。やはり人間は、数字やデータだけでは計算しきれない面を持っているのです。

また、「きぼう」名物の静かさには、日本人ならではのエピソードがあります。実は国際宇宙ステーションというのは、騒音の塊なのです。ポンプやファン、そしてエアダクトなど、宇宙飛行士の生命維持に必要な機械類が絶えず動作しているのがその原因です。
これらの騒音があまりに大きくなってしまうと、宇宙飛行士が難聴になることがあります。そこで国際宇宙ステーションには、計画段階から騒音の上限を規定する騒音基準があります。しかし、国際宇宙ステーションの建設が完了してみると、この基準を正しく満たしているのは、実は「きぼう」だけだったことがわかりました。

「きぼう」の開発現場では、JAXAや開発メーカーの技術者たちが深夜に作業をしていました。昼間は周囲の騒音の影響で、正確な騒音源を特定できないため、騒音試験は静かな深夜に行われるのです。そして作業服に身を包んだ技術者たちは、使い慣れない聴診器を身につけていました。

「騒音値が下がらないなあ、どうしてだろう?」
「こっちかな、ちょっと聴いてみよう」

夜な夜な技術者たちは地上の「きぼう」の機体のあちこちに聴診器を押し当て、騒音基準との戦いを繰り広げていたのです。ポンプのように、機器そのものが音を出している場合はわかりやすいのですが、空気ダクトを伝わってくる音などの騒音源はなかなか突き止めることができないため、聴診器を使って調べるわけです。そして騒音の場所がわかると、設計をやり直してその部分に制振処置をしたり、断熱材を巻いたりして騒音を抑制します。
断熱材を巻く等の対策を施すと重量も上昇するため、今度は重量管理の担当者に指摘され、場合によっては再度設計をやり直して対策をとるということの繰り返しになります。

そんな苦労を経てようやく「きぼう」が完成した時、「こんなに厳しい基準を満たさないといけないなんて、本当に大変だね。でも、みんなでやりとげたね!」と自信満々でした。しかし実際には、どこの国のモジュールも騒音基準を満たしていないまま、宇宙へと打ち上げられていたのです。
アメリカもロシアもコスト面を考慮してか、「騒音対策は耳栓で行えばいいだろう」といったソフト面での工夫を講じた上で、騒音基準にはある程度妥協して打ち上げていたのです。そのことを知った私たちは複雑な気持ちでした。私たちは「あの苦労は何だったんだ」と脱力してしまいましたが、「きぼう」の静けさは私たちの誇りです。
実に「きぼう」の人気は、几帳面きちょうめんな日本人のエンジニアリングが生み出した賜物たまものだったのです。

***

この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。41fO7W2PoTL._SX312_BO1,204,203,200_

<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。