《第8回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士の採用 〜第三次選抜「あなた以外を2名選べ」〜
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。
最終の第三次選抜からは明確にセレクト・インに切り替えます。つまり不適格者を排除するのではなく、母集団の中から宇宙飛行士の資質のある適格者を選び出していきます。第三次選抜に残ったのは10人。第5回の募集では、この中から「3名以内」が宇宙飛行士に選ばれることになります。
●あなた以外を2名選べ
まず受験者たちは、国際宇宙ステーションを模してつくられた大型バス1台分の部屋が2つ並んでいる閉鎖環境の中に入れられ、「閉鎖試験」が行われます。閉鎖環境は作業場と寝室エリアによって形成されたモジュールになっており、宇宙環境と同様に、一度中に入ると外部との物理的接触はできません。そして実際の国際宇宙ステーションと同様に、外部とはカメラによる映像と音声で通信します。受験者たちは閉鎖環境で過ごす7日間、毎日24時間、どんな行動・言動をしているかを全て監視されます。そしてこの閉鎖試験では、受験者の精神的な安定性、情緒的安定性、自己管理能力を評価していきます。そのため、資質を審査する委員は、朝から晩までの行動を別室のモニタールームでチェックしています。ビデオに録画された受験者たちの膨大な時間の映像も、適宜チェックします。
閉鎖試験では、いくつか課題も出題されます。有名なのは真っ白な「ホワイトジグソーパズル」ですが、第5回の募集では様々なセンサーやモーター、小型コンピュータを搭載できるレゴのロボット開発キットをつかったロボット製作の課題が代表的です。
第三次選抜の閉鎖試験では「受験者相互評価」という印象的な評価があります。これはつまり「あなたは、あなた以外の2人といっしょに宇宙に行けます。誰と行きたいですか? 応募者の中から選び、その理由を述べてください」というものです。閉鎖試験の後で実施するものですが、それまでの閉鎖試験をいっしょに切り抜けてきた仲間のうち、2人しか選べないという点では少し残酷な評価方法かもしれません。ある意味ストレス耐性を評価する心理試験のひとつです。しかし、ここからいろいろなことが見えてきます。
まず、きちんと周囲を見ているか。そして、選んだ理由の内容によって、コミュニケーションと人物評価を観察しています。閉鎖試験では、受験者が全体の中でどういう位置にいるかを捉えていきます。誰が誰と親密か、あるいは誰と遠い関係にあるか、チームの中で支持が高い人、低い人は誰かといった相関関係が見えてきます。閉鎖試験の最中でも、10名全員の集団内における人間関係の構造を示す「ソシオグラム」を描いてもらいました。これはアメリカの心理学者モレノとその学派によって体系化された、集団における人間関係の量化測定を行う方法と理論「ソシオメトリー」によるものです。
閉鎖試験が終われば、次には「運用技量」を試験します。装置を直したり、実験したりといった手先の器用さなどの「一般運用能力」、無重量状態を再現した船外活動用の訓練装置などを使った「船外活動能力」、実際のパイロット選抜用の装置を使った「ロボティックス操作能力」をそれぞれ評価していきます。
ここで、受験者のバックグラウンドによって得意・不得意が出てきますので、公平を期すために、それぞれに評価軸を変えていきます。たとえば「ロボティックス操作能力」は、パイロットの受験者にとっては当然、得意分野です。よって、まず実際のパイロットが非パイロットの受験者よりもパフォーマンスが低ければ当然セレクト・アウトです。しかし、パイロットのみなさんは全員高得点でした。
非パイロットの受験者に関しては、どれだけ短時間で操作能力を獲得するかを見て評価しています。中には途中から急に上達して、パイロットとほぼ同等の操作技量を獲得する受験者もいました。
また、T-38ジェット練習機などに乗る訓練では、海に不時着した際には泳力が必要となるため、75m(25mプールを3回)を水着・着衣で泳いでもらう試験をします。この試験はただ単純に泳げればいいのですが、受験者は気合い十分ですので、25mプールをまずはバタフライ、次はクロール……といったいろんな泳ぎを、見事なフォームで見せてくれる人がいます。こちらとしては「普通に泳げればいいのに……」と思わず微笑んでしまいました。
また、10分間の立ち泳ぎ試験もあります。もし9分間しかもたなければ、そこでセレクト・アウトです。油井さんはパイロットで訓練されていたので余裕でしたが、あまり泳ぎが得意でない人は、ほとんど根性で10分間を乗り切っていました。
続いて、受験者たちはNASAのあるヒューストンに移動して、さまざまな試験を受けます。そのひとつに「面接試験」があります。この面接では、NASAおよびJAXAで宇宙飛行士との面談があります。宇宙飛行士から見て「宇宙飛行士としての資質はあるか」「この人と宇宙に行きたいか」を評価してもらいます。ここは受験者にとっては緊張の瞬間です。なんといっても、今まで憧れて、目標にしてきた人が目の前に現れることもあるのですから。
その後、宇宙飛行士たちを交えて、気楽なパーティを開くことがあります。とはいえ、これも試験のひとつです。試験という枠を外した場での振る舞いを見て、社交性を評価するためです。第三次選抜に残る10人ですから、大抵の社交性は持ち合わせています。
その後、日本に戻っても面接は続きます。航空会社の元機長や一流メーカーの人事担当らの外部有識者による面接、さらにはJAXAの役員面接があります。
こうした評価を総合し、私たちは宇宙飛行士候補者として2名をセレクト・インしました。それが大西卓哉宇宙飛行士、油井亀美也宇宙飛行士でした。3人目となる金井宣茂宇宙飛行士は候補者決定の段階では補欠でしたが、その後正式に宇宙飛行士候補者として決定されました。
最初からこのセレクト・インができれば本当に理想なのです。しかし、これだけの試験を、応募者963名全員に行うには費用対効果を考えた時、あまりに難しいと結論せざるを得ないのです。
***
この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。
<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。