南波 長介

なんば ちょうすけ
南波 長介
出身地

日本

家族構成

父、母、息子2人

略歴

真弓と結婚し、ムッタとヒビトの父となる

初登場
#1~

言葉

「ケーキの角度は日頃の働きに比例する」
「俺の子があそこにいるぜオンザムーン」
「どうだ六太。このロープのそっち側は。」
「男なら親父より楽しめ」
「ちゃんとお別れすることが大事だ」
「私たちにとって大事なのはそういうことです
“優しさ”に気付くのもまた“優しさ”
世界的な注目があろうとなかろうと
“足元をそっと照らしてやり”“さり気なく速度を揃えてやる”
あの夏の兄弟の姿勢のままで 何かを成し遂げてくれれば
親としては 何も言うことはない」
「日々人よ “故郷”ってのは――増えてもいいし 変わってもいいんだ 日本に帰って来たとき 父さんと母さんのいる場所こそが お前たちの帰る家だ」

プロフィール

一見厳格そうで無口だが、ダジャレやモノマネが大好き。

息子たちに会うたびに何か披露し、言い終わった後はドヤ顔をする。時折俳句も口ずさむ。アメリカに行ってもうどんを注文しようとするほど うどん好き。酸っぱすぎる梅干しは少々苦手らしい。

ヒビトの遺書の話を聞いても動じないなど、宇宙飛行士の子を持つ親としての覚悟を持っている。息子たちの打ち上げ・帰還やイベントは夫婦ともに必ず見守り、ガッツポーズをしたり涙ぐんでいる熱い父である。

妻 真弓とは大体どこに行くにも一緒。

普段は俳句やギャグなどのセリフが多いが、ここ一番で口にする言葉はムッタやヒビトの心にしっかりと刻まれる。

兄弟が子ども時代に飼っていたハムスターが死んだ際は喪服を着てお葬式をし、『死』んだものとの別れ方を教えた(本エピソードはアニメ映画『宇宙兄弟#0』による)。

「パパ」ということでいつも「P」から始まるTシャツを着ている。
場面場面でどんなTシャツを着ているのかも読者の楽しみの一つである。

ムッタがヒューストンに行ってしばらく後、長介はムッタの部屋を『南波工房』に改装、かねてより興味のあった陶芸に精を出す。

自身の陶芸作品で食事することも、昔からの夢だったらしい。

ムッタが月面にいる間、夫婦そろってアニメ『デメネコ』に大ハマり。通信時にはデメネコおめんを被り登場。その日の夕飯は“小籠包うどん”であった。

南波兄弟がまだ小学生だった頃、自転車だけで京都に行きたいと言い出したことがある。2人だけで行かせるわけにはいかないが、反抗期が顔に出だした息子たち。そういう時期であると理解している長介は5秒考え、“父の従兄弟高倉レオン(※詳細はこちら)”として同行することにした。

宇宙飛行士南波兄弟を育て両親としてテレビに出演した際、当時のエピソードを語る。月面にいるムッタをヒビトが助けに行くという史上初の出来事に世間は大騒ぎだが、長介はこんなことを語っている。

兄弟が子どもの頃、京都まで自転車で旅をしたことを思い出した。

「なにかを成し遂げたい」

その時ムッタはそういった。
兄弟は自転車の旅を成し遂げた。
2人そろって何かを成し遂げようとしているのはそれ以来ということになる。

父は続ける。

途中でヒビトの自転車のライトが電池切れになったこと。
それに気づいたムッタが自分のライトを前方に向けて、ヒビトの足元を照らしてやったこと。
そのことに気づいたであろうヒビトが、兄がついてこられるスピードに合わせて走っていたこと。

私たちにとって大事なのはそういうことです
“優しさ”に気付くのもまた“優しさ”
世界的な注目があろうとなかろうと
“足元をそっと照らしてやり”“さり気なく速度を揃えてやる”
あの夏の兄弟の姿勢のままで 何かを成し遂げてくれれば
親としては 何も言うことはない

「大切なこと」を教え、見守ってきた父 長介。

夫婦は今たけのこニュータウンから車で1時間ほどの田舎寄りへ引っ越し、セカンドライフをスタートさせた。

本格的に陶芸をやりたい。

父の夢が、新しくスタートした。

ロシアで過ごす打ち上げ前のヒビトに、長介はこんなことも語っている。

「日々人よ “故郷”ってのは――増えてもいいし 変わってもいいんだ 日本に帰って来たとき 父さんと母さんのいる場所こそが お前たちの帰る家だ」

夫婦は新しい家で、息子たちを見守る。