デニール・ヤング | 『宇宙兄弟』公式サイト
でにーる・やんぐ デニール・ヤング Denier Young
所属
"元NASA職員
主任教官パイロット(2027年6月20日引退)"
誕生日
1958/11/1
出身地
アメリカ
アメリカ
初登場
#57~

words言葉

「キャンディなめるか?お?」

「ウハハハッ。打ち上げはまだ終わってねーぞワンコ。もうちょい待ってやれ。“余韻”てヤツだ。あの“ロケットロード”が流れるまでの余韻――それを含めて“打ち上げ”って言うんだ」

「『空』は誰のもんでもない。『人生』は自分のもんだ。人生はコントロールが効く」

「飛行前のチェック作業は気を抜くなムッタ。事故った時整備士に責任を押し付けるのは パイロットの恥っちゅうもんだ。今のは“心のノート”にメモっとけ」

「ワシらは死ぬまで 生きるだけだ。コントロールが出来る限り 自由に飛び回るだけだ」

「フワフワして ハンモックみてえだ。最後の生徒が お前で良かったぜムッタ」

「思ってた以上に 格別だなオイ!最後の教え子の“ロケットロード”ってのは!」

profileプロフィール

"ヒビトの打ち上げの際行方不明になってしまったアポを探してムッタが出会った、怪しさ満載の爺さん。サングラス、NASA帽、ロラックスの腕時計を付けた歯抜けのちょび髭オヤジ。ふくよか。ムッタの第一印象はあやしい雰囲気。愛称は「ヤンじい」。
ホットドッグが大好きで、ホットドッグのお供はミルク。マスタードは付けない派の様子(※宇宙兄弟メシ第6回参照)。
ホットドッグを食べていない時は30秒しかウマくないキャンディや、20秒しかウマくない天国ガムを食べている。

自分のホットドッグにつられて付いてきた迷子のアポを車に乗せ、とっておきの場所で打ち上げを見る為に移動しているところ、アポを探していたムッタと出会う。
初対面ではムッタを「アレクサンダー」と呼ぶが、後にムッタと同じもじゃもじゃ頭のアレクサンダーが登場しており、ヤンじいが適当に言ったのではないことが判明した。ちなみにギリシャ人の知り合い「ニコラス」もムッタと似たような風貌らしい(ニコラスは未登場)。
運転は超荒い。「NASAにスピード違反はないのか」とムッタが驚くくらい猛烈なスピードでセンター内を走り抜ける。

昔のロケットの発射管制塔で打ち上げを見るのを楽しみにしており、ムッタと出会った際にも管制塔へ到着。
ちなみに実写映画版ではなんとバズ・オルドリンその人がヤンじいのポジションで本人役で出演、管制塔も実際に使用されていたものが使われた。

ヒビトの打ち上げ時ムッタはまだ宇宙飛行士選抜試験の途中であり、自分より先を行く“弟”に対し複雑な気持ちを抱えていた。打ち上げ当日は曇りで打ち上げられるか否かは五分五分、ムッタの心の中も嫉妬などの感情が渦巻き曇っていた。
ヤンじいに“仕方なく”連れて来られたムッタだったが、管制塔でヒビトの打ち上げを見守った時には空と同じように気持ちが晴れやかになっていた。

打ち上げ後、一緒にホットドッグを食べた際にヤンじいが何者であるのかわかる。怪しさ満載のヤンじいだったが、実はNASAの主任教官パイロットであり、ヒビトに操縦を教えたのも彼だった。驚愕の事実を知ったムッタ。宇宙飛行士に選ばれたら次は操縦場で会おうと告げた。

その“言葉”は現実となる。
宇宙飛行士候補生となりヒューストンに渡ったムッタは、T-38の飛行訓練でヤンじいとの再会を果たした。
その頃ヤンじいは車イスに乗っており、乗り物が何になろうと爆走。車イスでもあり得ない程の速さで建物内を走っていた。再会時ムッタとヤンじいはぶつかりそうになり、ヤンじいがかわそうとした方向によけてきたムッタと見事に激突。再びアレクサンダーと間違える。

教官の中でもランクがあり、ヤンじいはその操縦に誰もついて行けないことから最低ランクらしい。他のパイロットは一流だが、自分は超一流。自分についてこられれば他の奴の1.5倍早く仕上げてやる、という言葉通り、他の教官ではありえない方法でムッタを鍛えていく。
初回のムッタにGスーツを着させ、アクロバット飛行を始める。訓練後吐いたムッタだったが、ヒビトは吐いた後嬉しそうにもう一回と言ったとムッタを焚きつけた。
他にも視界を隠し計器を見て飛ぶ“目隠し飛行”、背面飛行、飛行中数々の会話や質問を繰り出す負荷を与えるなど、ハードに叩きこむ。

シャロンのALSがわかり、 “歩けるのに車イスに乗っている”ヤンじいのことをふざけているように感じたムッタは、質問をする。
ホットドッグ大好き、自分と同じ身長体格で飛行機好きな父・祖父が二人とも晩年脚を悪くしたこと、遺伝で同じようになるだろうと感じたヤンじいは、今のうちに訓練するのだと答えた。その一言でムッタは訓練に対し感覚が一段変わったようである。

飛行場に置かれていた穴の開いたT-38。いつものように空を飛んでいたが突如現れぶつかった鳥によって空いたものだった。避けられなかった事故。
“ワシらは死ぬまで生きるだけだ――”。シャロンのことを想うムッタの心に刻まれた言葉だった。

難易度の高い飛行をしながら会話やジョークを繰り広げるなどマルチタスクの技量を試されて訓練するムッタだったが、いまひとつうまくいかずにいた。
宇宙飛行士になるのに一流のパイロットである必要はないと思うというムッタにヤンじいは答える。一流の宇宙飛行士になってもらいたい、しかしその方法は知らない。しかし一流のパイロットになる方法なら教えられる。どうせならその道の一流を目指そうぜ、と。

その言葉を聞いたムッタは「意中の女に披露したらイチコロ」というハートマークを描こうとするなど、挑戦していこうとする。そして休みの日にも技を教えてもらいたいと頼むが、ヤンじいは「それは約束できない」と返す。次の教え子が宇宙飛行士に認定されたら引退する、と決めていた。
直後、ムッタは視界が鮮明に見えるようになった。頭上には地球があり、足元には宇宙が広がった。

ムッタは訓練に対する感覚や姿勢が研ぎ澄まされていく。
ヤンじいがいつも敬礼していた場所に飾られていた事故で殉職した人々(うち4人が宇宙飛行士)、彼らにあいさつをしてからアスキャンに操縦を教えていた。
ムッタの心に深く刻まれたヤンじいとの訓練の日々は、宇宙飛行士南波ムッタの大きな成長となったことだろう。

2028年68歳の誕生日にはムッタから丸いグラサンをプレゼント。その風貌は、まるで「飛べない豚は――何とやら」という雰囲気であった。

ラストフライトでは規約違反になるものの、“自信をもって育てた教え子”であるムッタに最初から最後まで操縦を託す。ハンモックに揺られているような余裕のフライトを楽しんだ。
引退式では盛大に水をぶっかけるというセレモニーがあり、“水の勢い”は“退く者への感謝に比例する”と教えられたムッタは、目頭を熱くしながらヤンじいにエンリョなきフルスイングで思い切り水をぶっかけた。

ムッタの打ち上げの際にはかつてムッタと共にヒビトを見送り、数々の教え子の打ち上げを見てきたであろう旧管制塔から見守る。
最後の教え子であるムッタの打ち上げは、ヤンじいにとって格別で興奮気味に“ロケットロード”を見つめていた。
ヤンじいにとってもムッタとの日々は“心のノート”に深く刻まれるものだったに違いない。

“最後の教え子”の活躍を、これからも楽しみに見守っていくだろう。"

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