宇宙飛行士の採用基準

宇宙飛行士の採用基準

JAXAの山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語ります。

《第3回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙船という「職場のストレス」

《第3回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙船という「職場のストレス」
第3回
宇宙船という「職場のストレス」
宇宙飛行士選抜試験は言わずと知れた宇宙飛行士の登竜門。その倍率は178倍から572倍です。しかし、この超難関の試験をパスすれば、誰でも晴れて宇宙飛行士! というわけではありません。
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。

みなさんの職場等にもストレスがあるように、宇宙飛行士の職場環境にもストレスがあります。今回は、正しい訓練を受けていない人が、何も知らずに宇宙へ行った場合に想定されるストレスの、最悪のシナリオ(実際にそのようなことはありませんが)を描いてみようと思います。

●宇宙にはストレスがいっぱい

まず、職場である宇宙へ行くと、人によっては吐き気をもよおすほどのひどい宇宙酔いに悩まされることがあります。続いて、鼻がつまって、顔がむくみはじめます。ひどい花粉症のような症状かもしれません。ある時、身体の部位を測ってみると、足の筋肉がかなり細くなっていることに気づきます。
一体何なんだ?──と思って不安になっても、なかなかひとりになれない上に仕事も多く、リフレッシュしようと外に出たくても、外は温度が120℃~マイナス150℃の真空状態に宇宙放射線が降り注いでいます。そして、それらを防いでいるのは厚さ4.8㎜の外板だけだということを考えるだけでゾッとします。
そんな毎日が続く中で、仲間が「大丈夫か?」と気を遣ってくれて、とにかく休もうと思って寝室に行くと、なんだか目の奥がチカッと光ります。目を閉じてもチカチカします。そうするうちに、ウウウウウン……という機械音が気になり始め、うまく眠れません。
寝不足で起きてきても、仕事はたくさんやってきます。それらの仕事はみな、何十億円単位のお金がかかっているものであったり、ミスをすると職場である国際宇宙ステーション自体が消失してしまうような危険を伴う場合がありますので、失敗は許されません。
イライラしてしまい、逃げ場のない閉ざされた狭い職場の中でも、不器用なりに優しい仲間と距離を置こうとしてしまいます。しかし、唯一の心の支えである息子や娘の笑顔もなかなか見られない上、食事もあまり美味おいしくありません。これが約半年間続きます。

かなりひどい職場だと思われたでしょう? もっとも、かなり非現実的な最悪のシナリオではありますが、ストレスに対応するための訓練をほとんど行わない状態で宇宙に行くと、こういった状況で適切な対処ができず、任務の遂行に支障をきたしてしまうこともあるかもしれません。
JAXAは宇宙飛行士が快適に仕事ができるように、宇宙という職場がどんな場所であり、人間にどんな影響を及ぼすかを徹底的に研究しています。そして、宇宙飛行士がどんなストレス状態にさらされるかを、生理的、精神心理的、対人関係、作業性の面から分析し、訓練プログラムを作って提供しているのです。

●宇宙飛行士のストレスをマネジメントする

「作業が終わりません」──それは毎日、遅くまで作業していた軌道上の宇宙飛行士からの連絡でした。作業のスケジュールを組んだタイムラインにはじわじわと遅れが出ていました。
「なぜ終わらない? タイムラインは適切に考えられたもののはずだ」──地上管制要員は、なぜ終わらないのかと宇宙飛行士を責め立てました。
「このタイムラインはタイトすぎます。終わりません」「いや、余裕を持ってやってもできるはずだ」
軌道上と地上でこんな言い争いが続いた後、疲れ果てた宇宙飛行士たちは通信を切りました。軌道上で無言の抗議を行ったのです。

これは40年以上も前のNASAのスカイラブ計画において、実際に起こった出来事です。このトラブルの原因は複雑です。たとえば、地上から送られてきた作業手順書がわかりにくかったり、無重量によって作業が緩慢になることが地上管制要員によるタイムラインの計算に盛り込まれていなかったりといった、様々な要因が重なっていたことが推定されます。しかし確実なことは、このミッションにおいて宇宙飛行士はストレスに押しつぶされそうになっていたということです。
作業が忙しくなり、ストレスが増大すると、注意力が低下して仕事のエラーが起こります。すると予定通りに作業が完了しないばかりか、さらに重大な問題が起こることも想定されます。最悪の場合、小さなエラーの積み重ねによって国際宇宙ステーションの緊急事態を招くこともあります。それはすなわち、宇宙飛行士の死を意味します。
つまり宇宙飛行士のストレスをマネジメントすることは、宇宙飛行士の生命そのものに直結しているのです。ここでは、宇宙飛行士のストレスマネジメントについて、心理学的側面からの対策をいくつかお話ししようと思います。

管制要員を含む、地上にいる私たちはミッションに関連する作業、そしてどんなストレスが付随し得るかまでをサポートします。そのサポートが不十分だと、先の例のような想定外の事態が起こったとき、適切な対応ができなくなるからです。
私たちは「想定外」という言い訳はできません。想定できなかったということが私たちにとって「負け」なのです。想定外の事が起こった時、一番困るのは軌道上の宇宙飛行士たちだからです。
そうした事態を避けるため、宇宙飛行士たちには宇宙でどんなストレス状態が発現するかを想定した上でつくられた訓練・対策が施されています。だから若田宇宙飛行士や古川宇宙飛行士も、カメラに向かってにっこりと微笑むことができるのです。
たとえばチーム能力・技量向上対策としてはクルー構成についても熟考します。軌道上での心理的なストレスには次のようなものが挙げられます。

・高真空の死の世界に包まれた職場環境に関連する、定常的な危険や危機感
・チーム内の対立
・社会からの隔離/疎外感
・社会的な圧力(過度な期待など)
・異文化

これらに地上から対応するのは限界があるため、軌道上での宇宙飛行士間のチームワークが重要になってきます。そこでまずクルー構成として、夫婦関係にある人は同じチームには入れないようにしています。夫婦というのは結束性が強い半面、喧嘩けんかになると誰も止められないくらい激しいものになる可能性が高く、月や火星など、長時間の閉鎖環境が続くミッションには不向きだといわれています。
また、軌道上でのストレスを軽減するために、あえて国際宇宙ステーションでは「自動化」を抑制したりもしています。現代の科学技術があれば、宇宙ではもっと作業の自動化を図ることができるかもしれません。しかし、過度の自動化によって宇宙飛行士の作業が単調化することは、宇宙飛行士のパフォーマンスとメンタルを低下させてしまうのです。作業の自動化と宇宙飛行士の人間としてのパフォーマンスのバランスをとることが、全体としての最大の成果を発揮すると考えているのです。
少し面白い対策として、チームの凝集性(結束力)を上げるために、わざと敵をつくる方法もあります。チームの結束力を高めるのにもっとも簡単で効果のある方法は共通の敵をつくることです。ビジネス社会でも時々みられますね。もっとも、軌道上の宇宙飛行士のチーム内にはつくらせません。意図的に敵をつくらせる場合、敵となるのは地上の職員、つまり私たちです。
もちろん、自らあからさまに敵になるような行動はとりません。宇宙飛行士から私たちに向けられたネガティブな感情を、反論をせずに受け入れるようにするのです。それだけで敵をつくるのと同等の効果があります。
時として、宇宙飛行士のチームワークを上げるために、私たちはえて敵になる覚悟が求められます。敵として振る舞いながらも、彼らのチームワークがどうなっているか、凝集性が上がっているかを冷静に確認します。
それもすべて、宇宙飛行士のストレスを軽減し、彼らの生命を守るため、ひいてはミッションの遂行のためなのです。

今後の課題としては、効果的な支援ツール(音声、ビデオによる通信装置など)をクルーに提供することも大切です。とくに、近い将来に実現するであろう火星探査等では、地球からの支援をタイムリーに受けることは困難になるため、クルーによる自律的なチーム活動をサポートする支援ツールの活用がより重要になります。
そしてこれは永遠の課題ではありますが、チーム活動をリアルタイムで評価し、その結果を適宜クルーにフィードバックする体制を構築する必要性もあります。
というのも、チーム活動の問題は、対応が遅れるほど事態を悪化させてしまうからです。たとえば宇宙飛行士に「今あなたにはストレスがかかっています」と連絡し、即座にアドバイスを提供すれば、その後に起こり得る重篤な事態を回避できます。こうした手順についても、より具体的に考え出されるべきだと私は考えています。
国際宇宙ステーションの場合、問題が深刻化すれば帰ってくることも可能ですが、月面・火星の場合は容易には帰れません。チーム能力を評価し、アドバイスする体制の構築は重要です。

●宇宙飛行士の「恐怖のマネジメント」

宇宙飛行士がミッションを遂行してゆくためには、「恐怖」と「不安」のマネジメントが重要です。
恐怖と不安はどちらも脅威から生まれる感情の一種ですが、一番大きな違いは脅威の所在にあります。恐怖というものは、原因となる脅威が明確です。「飛行機が怖い」「高いところが怖い」「先がとがっているものが怖い」といったように、恐怖は生まれる原因が明確です。
一方で不安は、原因が曖昧あいまいで漠然としています。たとえば「将来に不安がある」という人の相談に乗っている時のことを想像してみてください。原因は何なのかと尋ねてみても、いろいろと理由は挙がるものの、核心的なものが何なのかわからないことが多いですよね。不安という感情は「何か嫌な予感がする」といった、理由がなく漠然とした心の不具合なのです。
恐怖や不安は、他人の目に見えないところで宇宙飛行士のパフォーマンスを奪うため、ミッションにおいてはこれらも事前に想定され、管理下に置かれる必要があります。また、こういった感情の原因となる脅威をマネジメントすることを「スレット・アラート・マネジメント(Threat Alert Management)」といいます。

宇宙飛行士の場合、基本的には宇宙飛行に関連する脅威をシナリオ化し、訓練するという形をとります。脅威に対してどう対応するべきかを徹底的に体に覚えこませるということです。
こうした訓練を作るにはまず、脅威を特定します。死亡事故とはどんな条件が揃えば起こるのか、怪我をする時の必須条件とは何か、事故に直結するエラーがあるとしたら、どんなエラーが考えられるか……想定されるものを全て列挙していきます。そしてそれぞれの脅威をカテゴライズ(分類)し、シナリオを考え、宇宙飛行士に訓練として提供します。脅威の心理学的なメカニズムを訓練で体得することで、彼らは脅威が生み出す恐怖・不安への免疫をつくるのです。つまりワクチン注射のようなものです。
心理的なストレスも宇宙飛行士にとって防御すべき脅威のひとつです。たとえば、冒頭でお話しした「人に近づいて来られると、理由もなく腹が立つことがある」という現象は、人は自分の体の周囲に、他人に侵入されると不快に感じる領域を持っているという心理学的な背景に由来します。これは誰でも持っているものですが、気持ちが高ぶったり、緊張したりしていると、この領域の有効範囲が広がり、濃密化します。つまり、人が少し近寄っただけで腹が立ったりする時は、この領域が広く・濃くなっているということです。自分の領域というものは、その時の自分の気分によって広くなったり狭くなったりしているのです。
こうした心理学的なメカニズムを知っていれば、誰かが近づいてきて腹が立った時に、自分が今、どんな心理状態にあるかを客観的に捉え、冷静な行動を取ることができるようになります。それによって、クルーとの喧嘩やチームワークの欠損などの脅威を未然に防ぐことが可能になるのです。

しかし全ての病気に対応できるワクチンがないのと同様に、全ての脅威に訓練で備えられるかといえば、決してそうではありません。そうした意味で、私たちが一番対処に困るのが、不安という感情なのです。
恐怖への対処は比較的簡単です。宇宙飛行士の訓練としては、恐怖感を呼び起こす脅威となるものに対し、どう対応すればいいかを教え込めば事足りるわけです。よって、あとは想定するケースの質と量を向上させる努力がものを言います。

しかし、漠然とした心の不具合である不安は、そもそも本人も原因がわからないことが多いため、想定することが難しく、抑えることができないばかりか、緩和することも難しいのです。つまり、シナリオを作って訓練するのが難しい感情なのです。
社会生活はもちろん、一般企業における人材マネジメントにおいても、不安に対して明確な対処ができれば、メンタル面の病気が生まれない環境が構築できる可能性があると言います。つまり、不安をコントロールするということは、組織にとっての大きな課題のひとつなのです。
宇宙では、宇宙飛行士の恐怖や不安も「個人の問題」で済ますことはできません。国際宇宙ステーションで高い成果を上げ、彼らを地球に無事にかえすために、それらをマネジメントする方法を絶えず考え続けるのも、私たちの重要な仕事なのです。

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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。41fO7W2PoTL._SX312_BO1,204,203,200_

<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。