宇宙飛行士の採用基準

宇宙飛行士の採用基準

JAXAの山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語ります。

《第5回》宇宙飛行士の採用基準ー「“褒めない”組織は脆い」宇宙開発会社・JAXAの心理学

《第5回》宇宙飛行士の採用基準ー「“褒めない”組織は脆い」宇宙開発会社・JAXAの心理学
第5回
「“褒めない”組織は脆い」宇宙開発会社・JAXAの心理学
宇宙飛行士選抜試験は言わずと知れた宇宙飛行士の登竜門。その倍率は178倍から572倍です。しかし、この超難関の試験をパスすれば、誰でも晴れて宇宙飛行士! というわけではありません。
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。

宇宙飛行士と地上管制要員は「クルーリソースマネジメント」という航空界で用いられている手法を宇宙に適応させた「スペースフライトリソースマネジメント」によって組織運営を行っています。その中でも心理学的な要素は重要視されています。褒め方ひとつをとっても組織運営は大きく変わります。

●「褒めない」組織は脆くなる

たとえば職場の人間関係を想像してみてください。新入社員Aさんがある日、同じ職場の鬼部長Bさんに「こないだの報告書見たけど、あんなミスしちゃだめじゃないか! ちゃんと仕事しろよ!」と、他の社員の目の前で怒られたとします。Aさんは「すみません」と謝って、落ち込みました。
とはいえ一度や二度、怒られたところでAさんはへこたれません。「きっとBさんは自分のためを思って言ってくれているんだ。私は新人だし、アドバイスは大事にしなければ」と、指摘されたミスを改め、再び同じミスをしないように報告書を書き、がんばっていきました。

しかしAさんは、この後も新しい欠点が見つかればすぐにBさんに指摘され、叱責しっせきされ続けました。
「訪問先に持っていく資料はきちんと全部クリップで留めろ。古いクリアファイルを使いまわすな」「経費のまとめ方、いつになったら覚えるんだよ」「自分の机の上はいつもきれいにしておけ」……このように、一度も褒められることはなく、叱責されることが三度四度、五度六度と続くうち、だんだんとAさんは、Bさんのことが嫌になり、指摘に耳を貸さなくなります。そして自分の行動を改めようと努力することすらもしなくなります。すると、どんどんパフォーマンスも成績も落ちていき、Aさんはいつの間にかその会社を去りました。
Aさんはいわゆる「仕事ができない人」になってしまったのです。しかし、報告書のミスなんて、誰でも新人の頃はあるものです。どうしてBさんからきちんと学んで成長できなかったのでしょうか? Aさんはどうして、会社を去らなければならなくなるほどに、仕事ができなくなってしまったのでしょう?

実はAさんはBさんからの指摘を学習できなかったのではなく、無気力を学習してしまっていたのです。これを「学習性無気力」と言います。
無気力を学習するというのは一見奇妙ですね。学習性無気力はアメリカの心理学者マーティン・セリグマンが1967年に発表した概念です。人間は、抵抗・回避が非常に困難なストレスに長期間さらされると、そもそもストレスから逃げようとする自発的行動を起こすことができなくなります。「どうせ何も変わらないんだ」という無気力を、体験から学習してしまうのです。
つまり、いつでも怒られてばかりいると、どんなに優秀な人でも「どうせ自分はだめなんだ」と思ってどんどんパフォーマンスが下がってしまうのです。
母親と子どもの関係も同じです。母親が子どもにいつも「だめな子ね」と言い続けると、本当にだめな子になるのです。
さきほどのBさんのように、会社でいつも怒っていて、周囲にストレスを与えている上司は、実在するものです。そして、こうした「ストレッサー」には、どんなに優秀な人材を預けても、どんどんダメにしてしまうのです。
最悪なのは、Aさんだけではなく、他の部下にも同じような言動をとっていた場合です。そうなると部全体が「学習性無気力」に陥ってしまい、組織が崩壊してしまいます。
もちろん人材の中にはストレッサーのスパルタに屈せずにやる気を出して結果を出す人もいるでしょう。しかし、それは少数の突然変異です。一般的には、学習性無気力を与えてしまうストレッサーによって、その組織の人材は適切に機能しなくなってしまいます。こうした状況が長く続いた場合に何が起こるかと言えば、事故が起こります。一般企業では不祥事や事業の失敗です。そして、宇宙開発の現場で起こる最悪の事故は、宇宙飛行士の死なのです。

ストレッサーのいる組織にはどのような改善策が必要かというと、ストレッサーを排除することです。
怒ってばかりで組織の人材を機能不全に追い込む人、つまりBさんを異動させるのが一番良いのです。なぜならBさんは、自分が組織のストレッサーだということに気づけないからです。自分ではなく、部下が悪いとしか考えられないのです。
よって、Bさんをどれだけ諭してもムダなのです。むしろより一層、部下を変えようとして、組織を機能不全に追い込んでしまいます。

では、学習性無気力を抑止するためにはどんな会社文化が必要でしょうか? それは単純に、「褒める」ことです。人は褒められるとうれしくなって、次もがんばることができます。もっとも、重要なミスは指摘しなければいけませんが、それも強い言葉で叱責するのではなく、その人を尊敬しながら、最適なタイミングで諭すようにします。そうすると、人は伸びていきます。
それでは、褒め上手になるにはどうしたらよいのでしょうか。ひとつの方法としては、部下の長所だけを見て、欠点には目をつぶることです。人の能力は欠点を直すことよりも、長所を伸ばすほうが、より簡単で効果的なことが多いと言えます。長所が大きく伸びれば、全体的なパフォーマンスが上がり、多少の欠点はカバーされます。
だからNASAやJAXA職員は、宇宙飛行士や部下に対しては、常に褒めてその人の長所を伸ばすようにしています。そして強い言葉で叱責することはありません。それは、学習性無気力が組織を脆くすることを知っているからです。
そして、学習性無気力のことを知っている組織こそが、強くしなやかなのです。

●コロンビア号事故に見る権威勾配の危険性

2003年、アメリカの宇宙船スペースシャトル「コロンビア号」が、地球に帰還するために大気圏へ再突入した際、テキサス州とルイジアナ州上空で空中分解し、7名の宇宙飛行士の尊い命が失われました。
コロンビア号の事故の引き金となったのは、発射時にがれ落ちた断熱材が機体の左翼前縁部に激突したことで生まれた裂け目でした。この裂け目によって機体が大気圏再突入時の極高温状態に耐え切れず、空中分解しました。
この事故に対し、コロンビア号事故対策委員会(Columbia Accident Investigation Board〔CAIB〕)の独立調査が、約7ヶ月間行われました。その中で問題となったひとつの事例は、スケジュールや予算などスペースシャトル計画全体を束ねる管理部門が、専門家の集まりである技術部門を見下すような態度を取ったことでした。特に、管理部門の幹部に組織的な上下関係の意識が強く、「下位の者は自分たちの指示に従っていれば良い」といった言動が目立ったようです。つまり、NASA内の組織構造は、「権威勾配こうばいが異常に大きい」ということです。「権威勾配」とは、組織内での権威の高い(ある)人から、権威の低い(無い)人へ、権威の高低差を示す線を結んだときにできる勾配(傾き)を示す言葉です。一般的にはこの勾配が急であるほど、その組織には柔軟性がなく、脆弱ぜいじゃく性が増える傾向があると言われています。
一部の技術者は、断熱材の衝突が機体に与える影響を問題視していました。衝突した部位によっては非常に危険な状態が予想されたからです。この懸念は、「更なる調査を要する」といった意見具申とともに、上層部にメールや会議で報告されました。しかしながら、管理部門の幹部たちは、過去の断熱材落下の事例を引き合いに出して、「これまでもスペースシャトルは安全に帰還してきたのだから安全に問題はない。これ以上の調査は不要」として、技術者からの提案を受け入れようとはしませんでした。この時の言動が非常に高圧的だったようで、技術者はそれ以上何も言えませんでした。しかし、この時すでにコロンビア号は致命的なダメージを受けた状態で軌道上へと打ち上げられ、通常通り帰還することを予定されていました。
では、もしこの権威勾配が緩やかで、組織内の上・下層間のコミュニケーションがスムーズになっていればコロンビア号事故が防げたでしょうか? 私の見解は「No」です。
確かに管理部門の幹部たちの誤った組織階層意識(エリート意識と言ったほうがわかりやすいかもしれません)を、重要な事故誘発因子のひとつに捉えることができるかもしれません。しかし私は、技術者の報告の仕方にも問題があったと考えています。非常に重要な伝達事項であるにもかかわらず、報告の仕方は、どことなく切迫性に欠けるようなところがあったようです。もし技術者たちにより高い言語能力が備わっており「本当に危ない」ということが伝えられていれば、いかに権威勾配が急だったにせよ、管理部門の幹部が危険性に気づいた可能性は十分にあります。技術者といえども、簡潔かつ適切な文章を書く勉強や、相手に自分の意見を聞いてもらえるような話し方を学ぶ努力を惜しんではいけませんね。

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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。41fO7W2PoTL._SX312_BO1,204,203,200_

<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。