《第7回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士の採用 〜本当の宇宙飛行士は、試験中から宇宙船に乗っている〜
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。
書類選考を通過した230人は、第一次選抜へ進みます。ここもセレクト・アウトの段階です。内容は一般教養試験(人文科学、社会科学)、基礎的専門試験(数学、化学、物理、生物、地学、宇宙開発関連)、心理検査(筆記式)、そして一次医学検査です。
一般教養試験と基礎的専門試験はいわゆるペーパーの筆記試験です。セレクト・アウトの試験ですが、少しやり方が変わってきます。
●宇宙飛行士の「センター試験」、第一次選抜
たとえば基礎的専門試験は科目数も多く、中でもJAXA職員が出題する宇宙開発関連は難しいと評判です。しかし、これらの科目については私たちも100点満点に近い点数をまんべんなく取るような高いレベルは求めていません。もちろん高ければ高いほうがいいですが、それが何かのアドバンテージになることはありません。まんべんなく70点程度を取れていれば通します。ただし、どれかひとつでも0点があればすぐにセレクト・アウトの対象になります。あるいは、数学は20点だけれど、化学から宇宙開発関連に至るまで全て100点という場合でもあっさりセレクト・アウトです。
この試験は「まんべんなく平均点を取れること」が条件のセレクト・アウトなのです。これらの科目のうち、どれかひとつが極端に低いと、その苦手な科目の訓練についていけないために落第してしまうかもしれません。また、宇宙に行った時にそれが致命傷になって事故を引き起こしてしまう可能性があるからです。
続く心理検査では複数のものを使用します。たとえば市販の多面的人格検査「MMPI」は、世界各国の選抜試験でよく用いられている検査のひとつです。
宇宙飛行士として不適格な精神疾患を持っている人はここでセレクト・アウトです。しかし、多少不安定な要素があっても、総合して一般的な範囲に入っていれば通過です。
医学検査は健康状態の検査ですので、何かの病気が見つかれば、ここでセレクト・アウトとなります。
この一次選抜は
大きな会議室で受験風景を見ていると、いろんな人がいます。試験の途中で、ぱたっと寝てしまう人もいて、「なんのために来たんだろう?」と首を傾げてしまうこともあります。きっと記念受験ですね。
その中で、ずっと姿勢がよく、ひたすらずっと書き続けている人がいました。書き終わっても、見なおして、また手を入れて……緊張感と
さがこちらにも伝わってきました。「あのいい姿勢は一体何なんだろう?」と思って見ていると、それはまだ受験者だった頃の油井宇宙飛行士でした。その他にも、すらっとして、立ち居振る舞いが
その一方で、金井宇宙飛行士については、油井、大西宇宙飛行士のような強い印象はありませんでした。こうした面もまた、宇宙飛行士の適格者とは何かを如実に表しています。
審査員から見た彼のイメージは「そつなくこなしている」というものでした。何かずばぬけて得意なものがあるわけでもありませんでした。しかし彼には大きな強みがあったのです。それは「苦手がない」ということです。つまり、すべてにおいて欠点がないのです。
どんなに優れた能力を発揮できたとしても、宇宙ではたったひとつの失敗が命取りになります。つまり「欠点が無い」というのはある意味、宇宙飛行士の理想なのです。それゆえ、一般教養試験と基礎的専門試験では、ひとつでも基準点を満たさなければその時点でセレクト・アウトなのです。
目立たないところで確実に高評価を得ていた金井宇宙飛行士は、まさに、選ばれるべくして選ばれたと言えるのかもしれません。
●ライト・スタッフの尻尾をつかむ、第二次選抜
続いて第二次選抜です。48人が残りました。ここでは主に面接が中心となるセレクト・アウトを行います。一般・専門面接、心理専門家による面接、ネイティブ・スピーカーによる英語面接、二次医学検査があります。
まず一般・専門面接は、JAXAの部長・課長級との面接です。最初に「宇宙飛行士への志望動機を5分間で話してください」という質問をします。志望動機の明確さ・強さについて確認するためです。
宇宙飛行士になりたいと言って応募しているのに、自分がなぜ宇宙飛行士になりたいのかを5分間で簡潔にまとめられないというのは、動機が不明確で弱いと判断されます。一般の企業でも同じですね。「どうしてこの会社を受けたんですか?」と聞かれて、なんだか上の空だったら「どうぞお帰りください」ということになります。宇宙飛行士の選抜試験でも同じです。不明確で弱い動機であればそこでセレクト・アウトです。
制限時間の5分が経つとチャイムを鳴らします。だらだら話していたら途中で終わりです。話し続けることはできません。与えられた時間をいかに有効に使うことができるかも、ここでは同時に評価しています。その他にも、人事的な側面と専門知識、仕事能力、ストレス耐性、チーム行動力、コミュニケーション能力などについて様々なことを評価します。
続いて心理専門家による面接です。いかに筆記でごまかせたとしても、ここで非常に洗練された知識を持つ専門家を相手に切り抜けることはできません。性格的に問題のある人はここでセレクト・アウトです。
そして受験者にとって頭の痛い、ネイティブ・スピーカーとの英語面接があります。とはいっても、面接官にジョークを飛ばしたかと思えばさらに感動させて、おまけに時間内で完結させるようなハイレベルな英語を求めているわけではありません。「NASAに送って勉強させれば、自然と身につくだろう」という英語レベルであれば通過です。つまり単なる英語能力ではなくて、自分を英語で表現できる素養があるかどうかを見ているのです。その上でネイティブ・スピーカーから見て、「この人はアメリカに行っても、きっと英語が上達しない」「この人とは感情の交流が確認できなかった」といった人はセレクト・アウトです。他人と対話する手段として英語を使うための、コミュニケーション力を持っていない人を採用するわけにはいきません。
二次医学検査は2泊3日で、一般的な人間ドックよりも
この医学検査では、「やっぱり油井さんだな」という印象的なエピソードがありました。医学検査は一般的な病院施設で行います。また、ひとつの病院だけで全ての検査を実施することはできないため、受験者たちはいくつかのチームに分かれ、複数の病院を移動することになります。
私は油井さんのいるチームを引率し、タクシーでA病院に向かいました。ここからが少しややこしく、受診場所はそのA病院と、徒歩数分で行けるもうひとつのB病院の、計2ヶ所あり、応募者たちはこれらの病院間を徒歩で移動することになります。A病院に到着し、私はチームの一番手であった油井さんが無事に検査室に入ったのを見届けて、先にB病院に向かいました。検査の受付や受験者が受診する順番などを確認するためです。
しかし、ここで私は重大なミスを犯してしまったことに気づいたのです。
「あっ、油井さんにだけB病院の場所を伝えていない!」
そう気づいても、すでにどうすることもできませんでした。次の検査の準備があるため、私はA病院にいる油井さんのもとに駆けつける時間がなかったのです。
検査が行われている病院は、油井さんにとって初めての場所であり、土地勘などあるはずもありません。チームとはいえ、医学検査では個別行動です。お互いに確認し合ってB病院に行くことも指示されていません。もし、油井さんが道に迷ってしまって次の検査が予定通り終了しなかったら、大変なことになります。また、そのことで油井さんが動揺すれば、心身にストレスがかかってその後の検査に悪影響があることも考えられます。
「ああ……失敗したなあ……」私は一人、冷や汗をかいていました。
しかしB病院での集合の定刻になり、私が最高潮に焦っているところに、油井さんは何事もなかったかのように現れました。私は胸をなでおろすと当時に、「一体どうやって?」と、ただただ驚きました。
病院の名前も場所もわからなければ地図もない状況で、どうやってたどり着いたのでしょうか? おそらく油井さんは、私の言動や周囲の状況から次に自分が行くべき病院を推測できたのでしょう。そして自ら情報収集をし、次の病院へとたどり着いたのです。非常に柔軟で、優れた観察能力と推理能力です。
もうひとつ、油井さんの印象的なエピソードがあります。それは、また別の病院へ向かうためにタクシーに乗り込む時でした。
病院から外に出たとき、ぽつりぽつりと雨が降り出しました。私は、「傘がないけど、まあ、いいか」と思って外に飛び出しました。すると、雨が降っているはずなのに、雨粒が落ちてきません。「あれ?」と思って上を見ると、傘がありました。そして振り返ると、なんとそこには油井さんがいて、私に傘をさしてくれていたのです。私は「ありがとう」とお礼を言ってタクシーの中へ入りました。そして、油井さんは、またまた何事もなかったかのようにタクシーへ乗り込みました。
病院では、慣れない、しかも通常では受けないような特殊な医学検査の連続です。ただでさえ緊張して自分のことで精一杯なはずなのに「この人、良く周囲を見ているなあ」と感心しました。また、油井さんの行動があまりにも自然なので、「この人は点数なんかのためではなく、いつもこうした行動をしている人なんだろうな」とも思いました。
さりげないエピソードではありますが、私の中では忘れられない出来事でした。その後も、油井さんの心遣いのある言動を目の当たりにするたび、私は「この人、ぜひ受かって、宇宙飛行士になって欲しいな」と思っていました。何よりも彼といっしょに働きたいと思い始めていたのです。
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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。
<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。