私の名前は酒井ひとみですーALSと生きるー

私の名前は酒井ひとみですーALSと生きるー

ALS(筋萎縮性側索硬化症) の患者である酒井ひとみさんの、日常と病気との向き合う様子が綴られたエッセイ

【第二回 私の名前は酒井ひとみですーALSと生きるー】ALS発症と、最初の受診

【第二回 私の名前は酒井ひとみですーALSと生きるー】ALS発症と、最初の受診
「普通のどこにでもいる主婦だった。」
歯科衛生士として働きながら、家族のためにご飯を作ったり、子供たちと遊ぶ時間が何よりも幸せだった酒井さん。
しかし、日常生活でのちょっとした左足の違和感から、何かがおかしいことに気付き始めます。階段の昇り降りや運動が出来なくなっていくのに、何が原因なのか分からない…少しずつALSが酒井さんに忍び寄ってきます。
発症前から本格的な検査をしに神経内科に行くまでの出来事を、酒井さんの気持ちとともに綴った、「私の名前は酒井ひとみですーALSと生きるー」第二回です。

私自身のブログなどでは、自分の発症時期を2007年の6月頃だと説明している。しかしそれは、明らかにおかしいと気づいて、初めてドクターに説明したのが6月頃だった、というだけであり、あとから考えるとその年の冬位からおかしいと思う事はあった。

その当時、私は歯科衛生士であり、妻であり、そして5歳の女児(年長)と3歳になって間もない男児(年中)の母であった。下の子が生まれたと同時に、住み慣れた自分の故郷である東京都から離れ、茨城県と福島県の県境の町に引っ越してから3年が経っていた。まだ“友人”と呼べる人はいなかったが、主人の両親がすぐそばに住んでいて、何かとかわいがってくれたので、全く苦を感じることはなかったし、海も山もあり、自分の実家まで車で高速道路に乗ってしまえば3時間かからずに帰れるその町を、私は気に入っていた。

そして幸いな事に、私達家族の住んでいた団地(東京と違い、集合住宅地はそう呼ばれていた)は通り抜ける道がないため、クルマ社会の町であっても通るのは住民の車がほとんど。そこまでスピードを出すわけでもなく、よく近所の子どもが家の前で遊んでいるのを見かけていた。うちも例外ではなく、よく子どもだけで家の前で遊んでいた。普通、交通量が多い場所で、5歳と3歳の子を大人の目が離れた所で遊ばせるなんてもっての他だし、なんて親だ!と言われてしまうだろうが、ここの団地では無縁のことだった。

平日の仕事が休みの日は、子どもを迎えに行く時間までの時間に夕飯の支度を済ませてお風呂も沸かし、主人が帰って来るまでのわずかな時間ではあったが、迎えに行った子供たちと、縄跳びなど外で遊ぶことが幸せだと感じる、普通のどこにでもいる主婦だった。

001

息子が生まれて5ヶ月くらいの頃 

ある日、子供に二重跳びを教えようと、子供から縄を借りて久しぶりに飛ぼうと試みたことがあった。しかし、何度飛ぼうとしても飛べない。。。その時は、運動不足かな?くらいの軽い気持ちで、気にもとめていなかった。

しかし、自宅の二階に上がる時に、最後まで手を使わずに階段を昇れたはずなのに、手すりを使わないと昇れなくなった。

一番おかしいと思ったのは、後に色々なドクターへの説明に使うことになったこの出来事だ。

その日は、梅雨の合間のある晴れた日だった。息子にどうしても歩いて迎えに来てほしいと言われ、 “仕方なく”迎えに行った。というのも、冒頭で話したように、私の住んでいた町は海も山もあり、景色は最高なのだが、そのおかげで大抵の団地は丘のような少し高いところにある。歩いて10分、車だったら5分もかからないような所でも、軽く30分かかるのはざらであり、子供達を迎えに行く時は、車を使うのが普通だったのだ。それでも、かわいい我が子の頼みだったので歩いて迎えに行き、帰りは親子3人で、当時子供たちが大好きだった映画のエンディングテーマ曲を大合唱しながら帰ってきた。しかし、歩いている途中で左足の動きが明らかにおかしいと感じた。

その違和感がきっかけで、昔のように少しでも普通に体が動くようになる事を信じて、会社の同僚とエアロビに通い始めた。

しかし、やればやるほど、動かなくなる足。

例えるなら、筋トレをしていて、もうこれ以上動かないのに、そこからもっと動かさなくてはいけない感じ、といえば、分かりやすいだろうか。しばらく休むと、またいつものように足は動き出すのだ。50代の人ができることが、なぜ自分にはできないのだろう。。。

005ALSに蝕まれ始めた頃

それは少しずつ、本当に少しずつ、私の体に忍び寄ってきた。周りから見ていても、進行しているようには見えなかっただろう。しかし、病院に行った方がいいよ、とエアロビ仲間達の強い勧めもあり、彼らに紹介された、評判がよくてわりかし勤務地にも近い整形外科を受診した。そこで色々と検査してもらったが、整形外科的には問題なさそうだと言われた。その病院で、ふたつ隣りの町にある神経内科を受診するように勧められ、行ってみた。お恥ずかしい話、神経内科という科がある事を、その時初めて知ったのだった。

その時点で、2007年のお盆休みに入るくらいだったと思う。そして、お盆休みが終わった頃に、本格的な検査が始まった。

第三回は7月6日更新予定。
神経内科に通院する事になった酒井さん。
検査結果に異常はないのに、日に日に足に力が入らなくなっていきます。「きっと、何も分からないと思うよ。」というドクターの一言で、自分でこの病気が何なのか探してやる!と、東京の大学病院に通う事を決意します。

<著者プロフィール>
酒井ひとみ
東京都出身。2007年6月頃にALSを発症。”ALSはきっといつか治る病気だ”という強い意志をもちながら、ALSの理解を深める為の啓蒙活動に取り組んでいる。仕事や子育てをしながら、夫と2人の子供と楽しく生活している。