写真:南極の宇宙。わたしにとっての南極、宇宙の中の惑星地球を全身で感じる場所。心の中で一番宇宙に近い場所。(2016/1/06のツイートより)
第四回 南極で、宇宙の一部になる。
世界のいろんな場所から撮られた星景写真の数々には「宝石箱をひっくり返したような星空」、「私もオリオンを追って赤道を越え、南の果てへと旅したい」、「KAGAYAさんが伝えてくれる星はいつだってはっきりと迷いがなくて強い」といったコメントが寄せられ、そのフォロワー数は約18万人です。子どもの頃から、星空を見上げては絵に描くのが好きだったというKAGAYAさん。彼は自分の思い描いた想像の世界に、カメラを持って出かけてゆきます。
富士山から南極に至るまで、星空を追いかけるKAGAYAさんのさまざまなエピソードを、小山宙哉公式サイトでは毎月コラムでお届けします!
南極の氷と、メロン味の夢
毎日新しい感動がある旅を楽しみながら、私は12年前に南極を訪れたときのことを思い出していました。
私が作品制作をするときにインスピレーションの源になるものはいつも、子供の頃からの夢です。イルカといっしょに海を泳いでみたい、オーロラを見てみたい、銀河鉄道に乗ってみたい…それら、子供の頃から胸に秘めてきた夢をひとつひとつ叶えようとすることを通して、私は作品をつくっています。
はじめて南極へ行った12年前の旅は、子供の頃からの夢を叶えることのできた、とても印象的な体験でした。
あのとき、南極大陸へは空路で行きました。ヨーロッパを経由して、南アフリカのケープタウンへ行き、南極大陸へ渡る飛行機に乗ります。南極の天候が悪ければ、飛行機は降り立つことができないため、欠航となります。私は数日の予備日をもうけ、ケープタウンで飛行機が飛び立てる日を待っていました。
しかし運悪く天気は悪化する一方でした。私は一向に良くならない気象状況と欠航続きの飛行機に不安を感じながら、予備日を次々に消費していきました。天気が回復し、飛び立つことができたのは「今日を逃したら南極行きは諦めなければならない」という最終日でした。目指すはノボラザレフスカヤ、南極大陸にあるロシアの基地です。
飛行機には窓がなく、まるで貨物機のようでした。南極には空港がないため、飛行機はブルドーザーでつくった氷の滑走路へと降り立ちます。
ドアを開け、飛行機から降りると、そこには真っ白な光に包まれた南極がありました。平均2000メートルもある南極の氷床を今自分は踏みしめている。足元の氷を一欠片とってみると、中にたくさんの泡粒が入っているのが見えます。何万年も前に氷といっしょに封じ込められた、当時の空気です。私にはこの氷をつかってやってみたいことがあったのです。
私はすぐに自分の足につけているアイゼン(登山道具。氷上の滑り止めとして使う。金属製の鋭い爪がついている)を使って氷をガリガリ削り始めました。細かくなった氷をカップに盛りつけ、準備完了。あとは、メロン味のシロップをかければ、南極の氷でつくったかき氷のできあがりです。
「南極の氷でかき氷」これが私の子供の頃からの夢でした。かき氷を前にした私は心がふるえ、夢中で食べました。一口ごとにこみあげてくる感動が抑えきれず、気づけば6杯もおかわりをしてしまいました。どんなかき氷もこの味には敵いません。私は地球の時間を食べたのですから。
人類初、南極の皆既日食を見る
この南極の旅のもっとも大きな目的は皆既日食でした。おそらく人類が初めて見る、南極の皆既日食をこの眼で見るのです。南極の時期はちょうど夏。太陽が沈まない白夜の中での皆既日食でした。
皆既日食は太陽と月と地球が一直線に並んだときに起こります。このとき、地球にできた月の影の中から太陽を見ると、月が太陽をすっぽりと覆い隠している姿が見えるのです。
太陽と月と地球が一直線に並ぶことがあり、その時に月の影が落ちる場所で皆既日食や金環日食が起こります。
皆既日食では月が太陽を完全に覆い隠すので周囲のコロナを肉眼で見ることができます。 pic.twitter.com/LA2yszqH58— KAGAYA (@KAGAYA_11949) 2016年3月9日
南極での皆既日食は真夜中に起きました。
月が太陽を左から覆い隠していきます。オレンジに輝き、地平線に近く低い高度にある太陽は大きく歪んでいました。
そのときの気温はマイナス18度。氷の大地を覆っている、水晶を砕いて作った粉末のような雪が、綿毛のように軽く空中を舞い、オレンジ色の太陽の光を受けてキラキラと輝きながら足下を流れていきます。
月が太陽のほとんどを覆い隠すと、数秒間の「ダイヤモンドリング」と呼ばれる状態になります。太陽の光が月の縁から漏れ出て、ダイヤモンドをつけた指輪のように見えるため、そう名づけられました。
あたりはいっきに暗さを増し、何ヶ月も続く南極の明るい白夜の中に、一瞬だけの夜がやってきます。地平はどの方向も夕映えのように黄色やオレンジ色に染まっています。真夜中なのに太陽があって、それが月に隠されて夜のようになっている。月に隠された太陽を見ると、周囲に広がるガスの「コロナ」が巨大な花びらを広げたように咲いていました。それはまるで、他の惑星にいるかのような風景で「なにかとんでもないものを見てしまった」そんな気持ちが体中を撃ち抜きました。
カメラのシャッターを切り、皆既日食を見つめながら、自分は今、広い宇宙の中で太陽と月と地球と一直線に並んでいることを感じていました。まるで自分が宇宙の一部になったかのような気持ちでした。
地平線スレスレの皆既日食。僅か80秒の奇跡の時間。
(http://www.kagayastudio.com/now/antarctic/ より転載。)
南極での皆既日食とかき氷の思い出を胸に帰国すると「NASAのWebサイトにあの南極の皆既日食のすごい写真があるぞ!」と耳にしました。さっそく見てみると、皆既日食と人がいっしょに写っている写真がありました。
撮影者はアメリカの日食観測隊員のフレッドさんという人でした。皆既日食は、撮るのが難しい。広い宇宙の中で太陽と月と地球が完全に一直線に並ぶ瞬間に、皆既日食が見られる場所にいなければならないからです。このフレッドさんの写真はさらに難しく、太陽と月と地球と人が完全に一直線に並んでいなければ撮れません。これが大変話題を呼び、NASAのWebサイトにも掲載されたのです。
「すごいなあ」とその写真を見ながら、私は自分の南極の旅を振り返っていました。寒く、美しい夜、そしてあのかき氷…。思い出を胸に満たしていると、ふとその人物の傍に写った荷物に目がとまりました。折りたたみイスの上にシュラフをのせたシルエット。そしてバッグ、カメラの位置、人物の背格好、そのすべてに覚えがありました。
なんとこの写真に写っている人は、他の誰でもない、私自身だったのです。
驚いた私はさっそくフレッドさんに「あの写真に写っているのは私です」と連絡を取りました。フレッドさんもおおいに驚き、そして喜んでくださいました。さらに彼は写真もビデオも送ってくれたのです。見てみると、そこには、この広い宇宙の中で太陽と月と地球と私、そして撮影者のフレッドさんが完全に一直線に並んだことによって映しだされた奇跡的なドラマがありました。
フレッドさんの写真。奇跡の時間の中にいる私が写っている。
(http://www.kagayastudio.com/now/antarctic/ より転載。)
子供の頃から憧れてきた、自分の夢の中の出来事を誰かが撮影してくれていた。本当に忘れられない、最高の思い出になりました。
この出来事から私は、「何かが起こりそうなところには、とにかく自分の足で行ってみる」ことを大切にするようになりました。
天体現象では、それぞれの一瞬が、とても貴重な瞬間です。人間の一生は宇宙の時間に比べればあまりにも短い。宇宙の時間で過ぎ去ってしまった一瞬の出来事は、人間の自分が生きているうちには二度と訪れない一瞬なのです。見逃してしまえばもう二度と見られない。その瞬間に出会うためには、出会える場所に自分の足でいくしかありません。
私が南極で見た皆既日食も、あまりに太陽高度が低いため、見ることが非常に難しいと言われていました。少しでも雲があればすぐに隠れてしまうからです。しかし実際に自分の足で行ってみたら、皆既日食が見られただけでなく、皆既日食の撮影をしていた自分の写真を撮ってくれていた人とすらも出会うことができた。
大きなチャンスをいつも手に入れるのは難しい。でも、そもそもチャンスを手に入れることのできる場所に自分がいなければ、それは遠い出来事のままに終わってしまう。
まず自分の足でチャンスのある場所まで行くこと。そして少しでも確率を上げるためにいろんな工夫をすること。そうすれば、想像すらできないほどの面白いことと出会えるのではないか。私は今もずっとそう信じて、星を求めて、この世界中を飛び回っているのです。
(南極から南米へ向かう時の)最後の氷山。南極の夕日は時間をかけてゆっくりと沈んでいきます。(2016/1/05のツイートより)
(つづく)
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