宇宙兄弟リアル

宇宙兄弟リアル

『宇宙兄弟』に登場する個性溢れるキャラクターたち!そのモデルとなったリアル(実在)な人々を宇宙開発最前線の現場『JAXA』の中で探し出しリアルな話を聞く!

〈宇宙兄弟リアル〉上垣内茂樹/宇宙飛行士・運用管制ユニット長 ~宇宙飛行士の支援業務と『きぼう』管制を統括する責任者~(前半)

〈宇宙兄弟リアル〉上垣内茂樹/宇宙飛行士・運用管制ユニット長 ~宇宙飛行士の支援業務と『きぼう』管制を統括する責任者~(前半)
Credit:JAXA

日本の有人宇宙開発の生き字引
宇宙飛行士の支援業務に注ぐ情熱

大学院で機械工学を修めてから、JAXAの前身であるNASDA(日本宇宙開発事業団)に入社。長年に渡って有人宇宙開発の現場一筋に歩んできた上垣内茂樹。

その間、宇宙飛行士の訓練担当、実験管制、ISS計画の国際調整、宇宙利用推進室長、宇宙飛行士支援室長、宇宙飛行士・運用管制ユニット長など、肩書は変われど、有人宇宙開発を推進していく仕事には変わりなく、数多くの宇宙飛行士と共に仕事をし、また有形無形問わず、さまざまな形で宇宙飛行士たちの活動を支援することに情熱を注いできた。

その情熱の裏には、宇宙開発とは『人類の進化』という熱い想いがあるのだ。

Credit:JAXA
星出彰彦宇宙飛行士の国際宇宙ステーション長期滞在搭乗員(2020年5月から約半年間の予定)の決定に関する記者会見に挑む上垣内さん。

 

Comic Character

星加正

「俺の心はずっと躍りっぱなしなんだ!」

【職業】   有人宇宙技術部副部長

【出身地】  日本

【略歴】
宇宙センターに足繁く通う幼き頃の六太と日々人の兄弟を密かに見守り続けていた星加正。「あーいう奴が将来、宇宙飛行士になる」との予感は的中。過去、自身も宇宙飛行士選抜試験を受けたが夢は果たせず、その夢を若い宇宙飛行士に託してサポートを続けている。宇宙飛行士を想い、情と冷静さで常により良い道を探る。

Real Character

Credit:JAXA

上垣内茂樹

「何でもそうですけど、大切なのは結局『想像力』です」

【職業】   宇宙飛行士・運用管制ユニット長
(現在、きぼう利用センター特任担当役)

【生年月日】 1957年

【出身地】  日本 広島県

【略歴】
1980年3月 東京大学大学院機械工学専門課程修士課程修了
1982年4月 NASDA(宇宙開発事業団、現在のJAXA)入社。東京本社および宮城県角田ロケット開発センターにてロケットエンジンや人工衛星のスラスタの開発等を担当
1985年4月 毛利・向井・土井宇宙飛行士の計画訓練、健康管理計画、宇宙実験の手順書を作成し、日本人初の宇宙飛行士たちの訓練を担当
1992年 毛利宇宙飛行士が搭乗したスペースシャトルでの「ふわっと92」ミッションにおいて、地上管制官としてNASA管制室から宇宙実験を指揮。この貢献を評価され、NASA宇宙飛行士室より「シルバー・スヌーピー・アワード」を受賞
1994年 向井宇宙飛行士が搭乗したスペースシャトルでの「第2回国際微小重力実験室(IML‐2」ミッションにおいて、宇宙飛行士の訓練と宇宙実験を指揮
1998年 向井宇宙飛行士の2度目のフライトとなったSTS‐95において、宇宙飛行士の訓練と宇宙実験を指揮。当時77歳で最年長の宇宙飛行を行ったジョン・グレンの訓練も担当。そのミッション後は、国際宇宙ステーション計画の実験準備や計画の国際調整を担当。その間、文部科学省に宇宙利用推進室長としても出向。NASDAにおいては宇宙飛行士支援室長として宇宙飛行士の活動の支援も行う
2009年 宇宙飛行士候補者選抜において審査員を務める
2014年 JAXA広報部長を務める
2016年 宇宙飛行士・運用管制ユニット長として、宇宙飛行士の訓練、健康管理、宇宙医学研究の実施、および「きぼう」の地上管制官活動の責任者を務める
2018年 きぼう利用センター特任担当役として「きぼう」での宇宙実験の推進に従事

Credit:JAXA

日本で初めて宇宙飛行士の訓練をプランニング

●上垣内さんはNASDA(現在のJAXA)に新卒で入社した生え抜きで、その後ずっと有人宇宙開発の現場一筋でやってこられたんですよね

上垣内「そうです。大学は機械工学専攻で、大学院を出てからすぐNASDAに入りました。その間、有人宇宙開発分野のいろいろなポジションで働いてきました。かれこれ36年目になりますね」

●今までどんな歩みだったんでしょうか?

上垣内「入社後、最初の3年間はロケットエンジンとか人工衛星のスラスターの開発を担当してました。その後、1985年に日本で初めて、毛利・向井・土井という3人の宇宙飛行士が誕生しました。そのタイミングで宇宙飛行士の訓練を担当する仕事に移りました」

●日本で初めての宇宙飛行士ということは、その訓練を担当するのも上垣内さんが初めてということになりますよね

上垣内「そうです。宇宙飛行士たちをどう訓練するのか、その計画を立案しなければなりませんでした。つまり訓練をお膳立てする役割ですね。ただ私のキャリアの中で「何が一番大変でしたか?」と聞かれたら、一番苦労したのはまさにこの時期ですね。結局、日本で宇宙飛行士の訓練なんて誰もやったことがないわけです。それを考えろと言われても、自分も専門家じゃないわけだし…」

Credit:JAXA/NASA
日本人初の宇宙飛行士として選ばれた、(左から)毛利衛、向井千秋、土井隆雄の3人。JEM(『きぼう』の計画時の呼称)モックアップ内にて。

 

●もちろん上垣内さんを見込んでの人選だったとは思いますが、ちょっと無茶ぶりですよね

上垣内「ですから当然、NASAを訪ねてどうやっているのか指導を乞いに行くわけです。ただそもそも訓練というのは教育と似たようなもので、形としてあるようで無いようなぼんやりした部分もあって、NASAには、『お前らが自分たちで考えてやればいいんだ』と言われて帰ってきました」

●NASA、意外と冷たいんですね

上垣内「まぁ当時はスペースシャトルが飛び始めて4、5年くらいしか経ってなかった頃です。アポロ計画までの宇宙飛行士の訓練に関してはノウハウはあっても、スペースシャトルのミッションではNASAも手探りしながら進めているわけです。宇宙船が違えば宇宙飛行士がやることも違うし、訓練内容も違ってくる。彼らも訓練を完全にマニュアル化しているわけじゃなかったんです」

●本家のNASAがそうなら、こっちはもっと大変ですよね

上垣内「確かに。健康管理の計画書をお医者さんと一緒に作ったりもしましたが、一番大変だったのは宇宙実験の訓練計画や手順書を作ることでしたね」

●毛利さんと向井さんが最初に飛行したときは、宇宙実験を専門に担当するペイロード・スペシャリスト(スペースシャトルのミッションにおける搭乗科学技術者)という肩書の宇宙飛行士でしたよね

上垣内「毛利さんの場合は、初めての宇宙飛行にもかかわらず、34の実験を1週間という短いフライト期間中に行う計画でした」

●1週間で34の実験をこなすというのは、かなりタイトな事なんですか?

上垣内「タイトですね。当時のスペースシャトルのミッションでは、夜は宇宙飛行士がみんな睡眠する今の宇宙ステーションとは違って、12時間交代のシフトでした。1日12時間勤務で一週間ぶっ続けで実験をするんです。作業スケジュールは5分単位で組まれているんですが、1つの実験を始めから終わりまで順序立ててこなすわけではないんです。大量の実験を効率良く進めるために、この実験の作業をしたら一旦それは置いておいて、今度は次の実験の準備をして…、といった具合に別々の作業が入れ子状態になってタイムスケジュールがびっしり組まれているんです」

●短期ミッションなので、短期集中型なんですね

上垣内「当然、軌道上では上手くいかないことも出てくるわけで、何かトラブルがあればその都度、解決するための時間を取って、また緻密に組まれたタイムスケジュールも随時変更していかなくてはなりません」

●そんなことを考えていると、頭こんがらがっちゃいますね

上垣内「スケジュールの変更の調整などは、宇宙飛行士も地上の管制官も何度もシミュレーションをして訓練をすることになっていました。その前にとにかく、34の実験を宇宙飛行士に訓練させなきゃいけない。しかも毛利さんだけでなく、NASAの宇宙飛行士も参加する実験があったので、彼らにも指導しなくてはならないわけです。その訓練計画を練るのに骨が折れましたね」

●たぶん「訓練をお膳立てする」という生易しい言葉では言い表せない苦労があったんじゃ…

上垣内「34の実験があるということは、それぞれの実験がどういう実験なのか、宇宙飛行士に一つ一つ理解してもらわなければなりません。材料、流体物理、生命科学、医学まで多種多様なジャンルの実験があったんですが、その実験がどういうバックグラウンドを持って計画され、どういう科学的な意味と意義があるのかを知ってもらいます。また実験素材も装置もそれぞれ違うわけですから、その仕組みや組み立て方も伝えなくてはなりません。最後にその実験装置を実際に使いながら手順を覚える訓練をやってもらうわけです」

●宇宙実験を含め、そういった宇宙飛行士の訓練計画をお一人でやられたんですか?

上垣内「まだ30代前半で若かったんですね。結局、ドラフトは全部自分が書き上げました。もちろん組織としての承認を取らなくちゃいけないんだけれど、ただこれがなかなか合格をもらえない」

●「お前に任せると言ってたはずなのに~」って思っちゃいますよね

上垣内「宇宙飛行士の訓練なんて日本に誰も専門家はいないし、皆それぞれ『こうあるべきじゃないのか』というイメージや理想がぼんやりあるわけです。自分が作ったものを上にあげると、そういう意見があちこちからどんどん出てくるんですね。それが一人ひとり違うわけで…。当時はワープロがない時代で、手書きで分厚いドラフトを作っては、「これダメだから全部やり直し」と、また分厚い書類の束を突き返されるといったことを何度も繰り返しました」

●手書きで全部やり直しというのは、背筋が凍る話です(笑)

上垣内「実際に相当悩んで、上司になかなか了解をもらえない日々が続きました。でも面白いもので、人間って進退極まると意外な突破口が開けるものなんです」

●どんな突破口だったんでしょう?

上垣内「ひとつ上に上司がいたんですが、日頃からその上司にいろいろと相談していたんです。ある意味、精神的に頼っていたんですね。ただある日突然、その方が転勤してしまったんですよ。唯一頼りにしていた人だったんですが、突然目の前からいなくなるわけです。そうなると人間ケツまくるもので、結局『わかっているのはもう俺しかいない』」、『このまま自分が作ったプランを信じてやるしかない』と腹が据わるわけです。その後は紆余曲折ありましたが、結局は自分が立案した訓練プランを社内で承認させることできました」

●ピンチが来て、逆に道が拓けたんですね

上垣内「ただプランはあくまでもプランなので、実際に試してみないとわかりません。だから私が宇宙飛行士の役になって、訓練のリハーサルを何度もやりました。やはり実際やってみることで、もうちょっとこうした方がいいんじゃないか、ということがたくさんでてきます」

●『訓練』のための訓練をして課題を洗い出したわけですね

上垣内「当時、スペースシャトルのペイロード・ベイ(貨物室)に積む実験室があったんですが、そのモックアップを作り、中には実際に宇宙飛行する時と同じ配置に実験装置を並べたシュミレーターを用意しました。そこで私が宇宙飛行士を演じながら、トレーニングのコンダクター、記録を取る人、指示を出す人と共に、訓練内容を精査していきました」

Credit:JAXA/NASA
訓練用のスペースラブ(スペースシャトルのペイロード・ベイに積み込む宇宙実験室)で実験操作訓練中の毛利さん。

 

Credit:NASA
宇宙ステーションにドッキング中のスペースシャトルが、ペイロード・ベイ(貨物室)の扉を開放中の写真。ペイロード・ベイは長さ18.3m、直径4.6mで、実験室や衛星などを積み込むことができた。

 

●もうこれで完璧だという段階で、宇宙飛行士に訓練を実施したわけですね

上垣内「そのつもりなんですが。やはり実際に宇宙飛行士が来て訓練を始めると、そこでまたいっぱいダメ出しがありますからね(笑)。最初の毛利・土井・向井の3人と我々というのは、我々が彼らを訓練したというよりは、我々が彼らにも訓練を受けたというか…。一緒になってより良い訓練を作っていった、そういう感じでしたね」

●3人の方とはフィードバックし合いながら、より良い訓練内容を詰めていったんですね。でもそのご苦労のお蔭で、今の宇宙飛行士たちの効果的な訓練体系にも繋がっていくわけですね

Credit:JAXA/NASA
航空機による無重力訓練中の土井さん。その後方で楽しそうに浮かぶのは、若かりし頃の髭のない上垣内さん 。

 

Credit:JAXA
左から、訓練中の土井さん、向井さん、毛利さん。そして右端にはそれを見守る上垣内さん。

NASA宇宙飛行士室長からの呼び出し

上垣内「もうひとつ大変だったのが、日本の宇宙飛行士も訓練するけれど、NASAの宇宙飛行士も訓練しなくちゃならなかったんです。我々も34も実験あるし、初めてだし、ちゃんと教えたいからと思い、『6か月間は訓練したいから、日本に6か月来い』と要求を出したんですよ。そうしたらNASAから『そんなにNASAの宇宙飛行士を来日させられない』という話になったんです」

●NASA,意外と協力的じゃないですね

上垣内「それで喧々諤々やっている時に、ある日ジョンソン宇宙センターで会議中にNASAの宇宙飛行士室長から呼び出しがかかったんですよ。当時の室長はボニー・ダンバーさんと言って、シャトルで5回の宇宙飛行を経験している女性宇宙飛行士なんですが、とっても怖いと評判の人だったんです。彼女の秘書が会議室に呼びに来たんですが、『室長が上垣内に会いたいと言っている』と。でも明らかに顔が引きつっているいるのが分かるわけです(笑)」

Credit:NASA
ボニー・ダンバーNASA宇宙飛行士室長の現役時代の写真。5回の宇宙飛行を経験している。

 

●こ、怖い。なんか担任を飛び越して、校長先生に呼び出しを食らった心持ちに…

上垣内「でも別に自分の上司じゃないし、会いたいと言うならと思ってひょこひょこ彼女の執務室に行ったんです。それで『私が訓練のコーディネーターだけど、何か?』と挨拶したら、彼女が『なぜ日本は、このシャトルミッションにアメリカの宇宙飛行士を6か月も訓練に来いと言っているのか?』と聞いてきたんですね。ですから私は『それは日本の最先端の34の実験を、材料から生命科学に至るさまざまなテーマでやるんだから、半年は来てもらわないとしっかり訓練はできない』と言ったんです」

●校長先生に歯向かったわけですね

上垣内「でもその後は水掛け論ですよね。『じゃぁその訓練って一体何をやるのか示しなさい』と彼女が言うので、『わかりました。後で資料を送るから』と一旦引き下がりました。実はちょうどその頃、訓練用の教材ができてたんですね。それも段ボール4箱分くらいあるわけです。それを帰国後、彼女に送りつけました」

●その教材は上垣内さんの汗と涙の結晶ですよね

上垣内「まぁ今思えばやり過ぎくらいの量だったかもしれませんけど。最終的には全部は使わなかったので。ただ彼女もそれを見て、これだけ訓練があるのかとわかってくれたと思います。その後は何も言ってこなくなって」

●校長を黙らせたわけですね

上垣内「ただ最終的な落としどころは、結局2か月半くらいでしたけどね。その間はNASAの宇宙飛行士も日本に来て、しっかり訓練を受けてくれました。宇宙開発の歴史やレベルではあちらが先輩ですが、言うべきことは言って勝ち取らなくちゃいけないというのは、そういうところで感じましたね」

●武勇伝ですね。でもNASAから見ても短期間のミッションに、これほどの実験をやるというのは初めての経験だったのでしょうか?

上垣内「実験の数としては圧倒的に多かったと思います。この頃スペースシャトルでやっている宇宙実験というのは、1週間の宇宙飛行だと全部で20くらいの実験をやるかやらないかくらいで。でもこの時は短いスケジュールの中で、日本側だけで34の実験をぎゅうぎゅうに押し込んでたので」

Credit:JAXA
来日したNASA宇宙飛行士と訓練中の毛利さん。左奥には髭を生やし始めた上垣内さんが見守る。

 

スヌーピーの銀バッチ

●そのシャトルミッションでの宇宙実験は上手く行ったんですか?

上垣内「毛利さんが宇宙にいる間、私はNASANの地上管制室に入って日本の実験チームを取りまとめる役目をやっていました。宇宙実験中はトラブルもありましたが、全部こなしてシャトルも無事に帰還しましたから大成功でしたね。苦労も多かったですが、報われました。お蔭様で光栄にもシルバー・スヌーピー・アワードも頂きました」

●NASAの有人宇宙飛行ミッションの成功に大きく貢献した人に与えられる賞ですよね。宇宙服を着たスヌーピーの銀製ピンバッチがもらえるという

上垣内「ミッションが終わって半年後、NASAの宇宙飛行士たちが来日してミッション報告会をした時に、彼らがサプライズで表彰してくれました。NASAの宇宙飛行士室からの授与ということで」

●呼び出しを食らった宇宙飛行士室からですか?

上垣内「この賞はNASAの宇宙飛行士室が選定して出しているもので、宇宙飛行士たちからの感謝の証でもあるんです。ですからピンバッジを胸に付けてNASAの宇宙飛行士に会うと、彼らはそれに気付いたら一言「おめでとう」と言うのが義務なんです。NASAの長官も元宇宙飛行士だったら『お前、これいつ貰ったんだ?』とちゃんと聞いてくれるわけです。というか宇宙飛行士は必ず聞くことになっているんですね。スヌーピーのピンバッジを着けている人に会ったら必ず声を掛けて敬意を示すという習わしになっている。その価値や感謝を忘れないために」

●そうゆうところ、NASAっぽくてとてもカッコイイですね

Credit:JAXA
シルバー・スヌーピー・アワードの受賞者に贈られる銀製のスヌーピーピンバッジ。スペースシャトルのミッションにおいて、宇宙飛行士の飛行ミッションに貢献した人物をNASA宇宙飛行士室が表彰するもの。贈呈されるバッジは、そのミッションで実際に宇宙飛行をしたもの。表彰者は関係者の1パーセント未満とする審査基準が設けられている。

 

Credit:JAXA
バッジと共に贈られた感謝状。上垣内さん宛てに、NASA宇宙飛行士のサインと贈呈日が記されている。

 

伝説の宇宙飛行士の訓練

●その後はどんな仕事に携わったんですか?

上垣内「すぐ2年後の94年には向井さんのシャトルミッションがありまして、その時も宇宙飛行士の訓練と、宇宙飛行中はNASAの管制室から実験管制のリーダーを務めました。その4年後の98年にも向井さんの2回目のフライトがあって同じ役回りを担当したんですが、その時のクルーの中にはジョン・グレンもいまして」

●当時、御年77歳で最年長の宇宙飛行をした方ですね。マーキュリー計画でアメリカ初の地球周回軌道を飛行した伝説の宇宙飛行士。アメリカのヒーローですよね。

Credit:NASA
NASAが1959年にスタートさせた有人宇宙飛行「マーキュリー計画」に選出した、7人の宇宙飛行士「マーキュリー・セブン」の1人。1962年にアメリカ人として初めて地球の周回軌道の単独飛行に成功。またスペースシャトルに搭乗し、史上最高齢の77歳で9日間の宇宙飛行をした。晩年は上院議員として活躍。(2016年に95歳で死去)

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「フレンドシップ7」宇宙船に乗り込むジョン・グレン。4時間55分の飛行中、地球を3周した。

Credit:NASA
先端にマーキュリー宇宙カプセルを装着した打ち上げロケット「アトラス」。左端がジョン・グレン。

上垣内「その彼にも訓練をしました。余談ですけど、彼は77歳だから普通に訓練をしていると、もう普通のお爺さんなんですよね」

●…だって、お爺さんですから

Credit:JAXA
訓練のために来日したスぺースシャトルのクルー。中央に向井さん。その左隣がジョン・グレン。

上垣内「当時、我々が彼にお願いしていたのは、ハンディカムのビデオカメラで宇宙実験の様子を撮ってくれということだけなんです。そんな大した作業じゃないんです。でもハンディカムでも高性能だからスイッチがいっぱい付いているんですよ、当時のカメラだから特に。そしたらそれを見ながら『これ、どうやって操作したらいいんだろう』と、途方に暮れたお爺さんみたいな顔をしているんですよ」

●…いや、お爺さんですから。でもその年齢で宇宙に行くというのが、もう立派なミッションですよね

上垣内「ところがそうやって訓練しているところに、『ちょっと取材が入るから』と伝えてテレビ局のカメラが来るとガラッと変わるんですよ。当時、彼の身分は政治家でしたから、テレビカメラの前に立った瞬間、もうスイッチが入って、かくしゃくとして喋るんですよ。『政治家というのはこういうもんなんだ。凄いな』と思って見てましたけど」

Credit:JAXA/NASA
オレンジスーツ(スペースシャトル用の船内与圧服)を着た向井さんとジョン・グレン。

Credit:JAXA/NASA
宇宙飛行中のスペースシャトルの船内で実験作業中のジョン・グレンと向井さん。

 

「コロンビア墜落事故で感じたこと

上垣内「向井さんの2回目のシャトルフライトを終えてからは、国際宇宙ステーションの仕事に移りました。それまではスペースシャトルの短期の宇宙実験とその宇宙飛行士の訓練だったのですが、ISSでの宇宙実験の準備だとか国際調整を担当しました。その間、文部科学省に2年くらい出向して、宇宙利用推進室長という立場でISS計画の推進を政府内で担当しました」

●現場からお役所での仕事になって、少し骨休めができたんじゃないですか

上垣内「実はこの時はこの時で大変だったんです。ちょうどコロンビア号の事故がありましたから。日本人飛行士が搭乗していたわけではないですけど、政府としての対応もあるし、次に野口さんのフライトが予定されてましたからね。これからどうするかという話を文科省の中であれこれ検討しましたね」

●事故の発生時はどういった空気だったんですか?

上垣内「私に一報が入ったのは夜中だったんです。たまたまその時は晩酌してなくて良かったなと思うんですけど、夜11時くらいに部下から電話がありました。最初は『スペースシャトルが帰還中に行方不明になったみたいなんです。CNN見るとやってます』と言うんで、CNNを付けて見ると、火の玉がピューッと空中で分離しながら流れ落ちている映像だったんですね。『あっ、これはもう機体が分解したな』というのがすぐわかりました。政府内には緊急事態の連絡網がありまして、そうゆう時は私は総理秘書官に電話をすることになっていたんです。すぐタクシー呼んで文科省に向かう中で秘書官に電話しましてね。初めてでしたね、総理秘書官に電話するなんて」

●どんな話をされたんですか?

上垣内「『スペースシャトルが地球に帰還中に落ちたみたいです。クルーはまだどうなっているか分かりません』というような事を最初に話したと思います。そこでやっぱり国としては、総理大臣から向こうの大統領にお悔やみを出すとか、そんな準備をしなければなりませんが、ただ情報がまだ不十分でクルーが生きているのか死んでいるのか分からない。どういう文面にするのかということで関係者で最後まで揉めていたのは覚えてますけど。個人的には『あれで生存してるわけはないな』と思いながらも、死亡という発表があるまでは死んでることを前提とした文章は書けないですしね。文面が確定したのは朝でした。ただあの時びっくりしたのは、チャレンジャー事故の時もそうでしたけど、『この犠牲を無駄にしないように、これからも宇宙開発を推進して行くんだ」と大統領がすぐにコメントを出しましたよね。そこが凄いなと思いましたね」

●何があっても、それを乗り越えて宇宙開発を続けていく情熱と意志の強さを感じたわけですね

上垣内「犠牲を出しながらも、有人宇宙開発を続けてきた凄みですよね。そこはすごく感じましたね。チャレンジを止めない精神と言うのでしょうか」

Credit:NASA
コロンビア号の破片を回収するため、一列に並び作業する捜索チーム。
次回のシャトルミッションに搭乗予定だった、野口さんらSTS-114のクルーも参加した。

 

Credit:NASA
回収されたコロンビア号の破片を確認するSTS-114のクルー(中央は野口さん)

 

〜後半へ続く〜

<筆者紹介> 岡田茂(オカダ シゲル)

NASAジョンソン宇宙センターのプレスルームで、宇宙飛行士が座る壇上に着席。
気持ちだけ宇宙飛行士になれました。

 

東京生まれ、神奈川育ち。東京農業大学卒業後、農業とは無関係のIT関連の業界新聞社の記者・編集者を経て、現在も農業とは無関係の映像業界の仕事に従事。いつか何らかの形で農業に貢献したいと願っている。宇宙開発に関連した仕事では、児童書「宇宙がきみをまっている 若田光一」(汐文社)、インタビュー写真集「宇宙飛行 〜行ってみてわかってこと、伝えたいこと〜 若田光一」(日本実業出版社)、図鑑「大解明!!宇宙飛行士」全3巻(汐文社)、ビジネス書「一瞬で判断する力 若田光一」(日本実業出版社)、TV番組「情熱大陸 宇宙飛行士・若田光一」(MBS)、TV番組「宇宙世紀の日本人」(ヒストリーチャンネル)、TV番組「月面着陸40周年スペシャル〜アポロ計画、偉大なる1歩〜」(ヒストリーチャンネル)等がある。

 

<連載ロゴ制作> 栗原智幸
デザイナー兼野菜農家。千葉で野菜を作りながら、Tシャツ、Webバナー広告、各種ロゴ、コンサート・演劇等の公演チラシのデザイン、また映像制作に従事している。『宇宙兄弟』の愛読者。好きなキャラは宇宙飛行士を舞台役者に例えた紫三世。自身も劇団(タッタタ探検組合)に所属する役者の顔も持っている。

 

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