第4回:手塚治虫が描いた未来に、僕らは立っているのだろうか? アトムが13歳になる2016年、人工知能の進捗はこんな感じ
第4回『隣のロボット』は、人工知能についての研究や、映画でたどる人工知能の歴史、開発されているロボットの例など、ふだんはなかなか知るチャンスのない人工知能について、ロボット開発に携わる村上美里さんが、わかりやすく解説します!
私はフラワー・ロボティクスという会社に中途で入社することになった。(※その経緯は第一回に記載している)ロボットが日常の風景となる未来を提案し、期待を高めるのが私の仕事となった今「ロボットは人にとってどんな存在になるべきだろう」と日々考えている。
これまで、ロボットベンチャーである私たちがどんなアイデアや思想をもって家庭用ロボットPatin(パタン)の開発に取り組んでいるかをお伝えしてきた。
第1回:デザイナーがロボットに映す未来 ロボットをデザインすること
第2回:未来の日用品を作るために —ロボット開発に必要な思考—
第3回:テクノロジーは夢を描く —未来が楽しみになる、まだ見ぬ何かが生まれる場所・CES2016参戦記
今回は視野を広げ、「人工知能」について紹介したいと思う。
60年前、Artificial Intelligence(人工知能)と名付けられた研究について、「Artificial(人工)」は、本物でない、作り物、という語感があるから好きじゃない、と言う研究者がいるそうだ。確かに、未だ人工知能は人間の手の中でしか育たない。
日本人にとって馴染みの深いロボット、鉄腕アトム。
2003年、天馬博士によって交通事故で死んだ息子の「生まれ変わり」として作られたロボット・トビオは、やがてアトムとなって、「感情を持っている」ことを理由に人間と同等の権利が与えられたという。
ロボットと人を繋ぐのが「生物らしさ」、つまり人間のように考え、行動する「人工知能」なのかもしれない。
ロボットは2015年頃から「第3次ブーム」だと言われてきたが、人工知能もタイミングを同じくして3回目の波が来ている。
ロボットにとって人工知能は重要な要素だ。第1回で、ロボットであるための3つの定義、センサー、知能・制御系、駆動系を紹介した。人工知能はこのうち「知能・制御系」にあたる。
簡単な例をあげると、人間が操縦するラジコンカーはロボットではないが、最近話題の「自動運転車」はロボットと言える。
フィクションの世界でロボットが喋ったり考えたりできるのは人工知能のおかげである。
アニメや映画で描かれてきた21世紀に比べて、現在もテクノロジーは人間の手の中にある。
フラワー・ロボティクスが開発した最初のロボットPosyは3歳のフラワーガールを
イメージしたヒューマノイド。バレリーナと共演
========
ある日、「人工知能とは何なのか」をエンジニアと議論したことがある。研究成果や活用例などを示されるほど、「人工知能」は「私たち」ではなく、「コンピュータ」としか思えなくなって、
「人工知能は存在しないのではないですか?」
と尋ねてみると、
「研究者は『ある』と思って研究しているから、あるんです」
という、まるで幽霊や宇宙人の存在を主張している人のような答えが返ってきた。
‐人工知能への誤解 人間のようなもの、をつくっているわけではない
人工知能についてどんな印象を持っているだろう。人より賢い?役に立ちそう?怖い?難しくてよくわからない?
様々な感想があるだろうが、実は研究者の間でも人によって人工知能の捉え方は異なるという。人工知能について未だ明確な定義はない。大雑把な表現になるが、「人間にできて機械にできないこと」を機械にできるようにするのが人工知能の研究のベースである。そしてこれまで、「機械にできるようになったこと」は人工知能から抜けていった。人工知能の研究は機械が「できないこと」を「できるようにする」ことが目的なのだ。つまり、研究が進み高度なことができるようになるに連れ、「人工知能像」は進化していったと言える。
さらに人工知能の研究者ごとに「理想の人工知能像」は異なっていて、ある人は愛らしい鉄腕アトム、別の人は『2001年宇宙の旅』に登場するコンピューターHAL9000が人工知能の極北なのである。
だから何をもって人工知能の「完成」と言うか、それはどんなものなのか、アプローチの仕方も研究者によって変わってくるのだ。
現在「人工知能を活用している」というサービスを見てみると、人間のように考えたり、判断したりするわけではなく、膨大なデータから最適なものを選び出す「処理」でしかない、というケースがとても多い。人間には不可能なほど膨大な情報を選択肢に落とし、最適なものを選ぶ、ということを高速で実現しているだけなのだ。ざっくり例えると、A、B、Cという選択肢があるとき、人工知能はまったく新しいDという選択肢は情報として持っていないから編み出せないのである。
もちろん高度なことをやっているのだが、プログラミングに人工知能という名前をつけているだけのようでがっかりした。
こんな風に書くと人工知能やその研究者を馬鹿にしているように聞こえるかもしれないが、そもそも私の中の「人工知能」の認識が現実とズレていたせいもある。
私が「人工知能だ」と思っていた、映画や小説など「フィクション」の世界で描かれる人工知能と、実際に研究や事業の中で扱われるそれは大きなギャップがあったのだ。
人工知能という言葉が生まれたのは1956年。60年の間、研究が進むに連れ、「人工知能」が何を示すかも変化してきた。私が想像しているような人工知能も、やがて「できる」ようになるかもしれない。
「注目が集まるポーズを学習し、ポージングする」学習機能を持つPalette(フラワー・ロボティクス製造・販売。2009年伊勢丹での展示)
‐『2001年宇宙の旅』から最新アカデミー作品まで 〜映画で振り返る人工知能の60年〜
「人工知能」のアイデアは1950年頃生まれた。
人工知能の父と言われるアラン・チューリングは、コンピュータチェスのプログラミングを作成し、機械にもチェスが指せることを示した。「真の知性をもった機械をつくり出す」可能性を探求したチューリングの人生は、映画『イミテーション・ゲーム』で知ることができる。
1956年に「Artificial Intelligence(人工知能)」と名付けられた機械の知性についての研究は、1960年代に最初のブームを迎え、手塚治虫の『火の鳥』やディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』など、フィクションの世界に登場をはじめる。『2001年宇宙の旅』も1968年に公開された。
しかし、1970年代に入り冷戦という実践の場で人工知能が持ち出されると、途端に壁にぶつかる。期待に沿わぬ人工知能の「能力」に、社会の人工知能への熱は急速に冷めていった。
復活のきっかけとなるのは、医者や弁護士など、専門家の意思決定をシミュレーションできるコンピュータの構想、「エキスパートシステム」の登場である。日本ではバブル景気の盛り上がりに合わせて第2次人工知能ブームは加速した。この頃話題をさらった映画といえば、人工知能が人類に襲いかかる『ターミネーター』である。80年代以降、『トロン』など「人格」を持ったコンピュータが登場する作品が増えていく。
人工知能の第2次ブームはバブル崩壊に合わせるように弾け再び冬の時代を迎えるが、その間も『マトリックス』や『A.I.』など、人工知能を扱った映画が定期的に制作され、人気を博した。
人工知能は人間を襲うこともあれば、救うこともある。あるいは、『 her/世界でひとつの彼女』のように、人工知能は恋の相手にもなるのだ。
そして2010年代。三度目の正直か、あるいは二度あることは三度あるのか、再び人工知能が脚光を浴びる日が来た。
2016年のアカデミー賞で複数の賞にノミネートされた『Ex Machina』も人工知能アンドロイドが物語の中心だ。
イベントで踊るPosy。Posyは遠隔操作で動く。
‐科学の進歩も金次第? 人工知能の「教育費」高騰中
科学技術発展の強力なパトロンは国家、特に軍需である。家庭用ロボット掃除機ルンバを製造するiRobot社も、はじまりは地雷探知ロボットの開発だ。
最近では、Google、Facebook、Microsoft、BaiduなどIT系企業がAI研究者を高い給料で世界中からかき集めている。給料だけでなく、潤沢な資金に基づく研究環境も魅力的だ。なぜなら、分野によって差はあるものの、人工知能の研究にとってコンピュータの性能が結果を左右するからだ。いかに多くのデータを、どれくらい早く処理できるかに、研究の進歩が掛かっていると言える。
性能がよいマシンは高価だ。よりよい研究成果を出すには環境も必要不可欠なのである。
特に最近注目を集めているディープラーニングという、大量の情報を処理する分野では、コンピュータの性能で大きく結果に差がついてしまう。
科学の進歩にもお金は大きな役割を果すのだ。
人工知能はブームのたびに、巨額の資金が国や企業から集まり多くの研究者が生まれた。しかし、収束していくと資金は減らされ、チームは縮小あるいは解体され、再び地道な研究に戻っていく。
第3次ブームも過去と同じ道を辿らないためには、研究開発を超えた活用の道を探る必要があり、それはロボットも同じである。
2月に開催した社内勉強会。公立はこだて未来大学
/人工知能学会会長の松原仁教授から人工知能について学ぶ
‐ロボットを知ると、人間に興味が湧いてくる
先日、社内で開催した人工知能勉強会で、講師の人工知能学会会長・松原仁先生から、「人工知能効果」という言葉を聞いた。
たとえばコンピュータが将棋で人間に勝つようになると、勝てないうちは「将棋には高度な知能が必要だ」とされていたのに、人工知能がうまくできるようになってしまったので、「将棋が強いなんて大したことではない」と言い出す人が増える。これは人工知能が進化するたびに起こる、人間のプライドを守ろうとする思考プロセスだ。
人工知能が賢くなるほど人間の自己評価が下がってしまうのは奇妙な現象が起こる。
確かに、データを素早く正確に処理する、膨大なデータベースから必要な情報を取り出すなど、人間にはできないことを人工知能は実現する。だが私は人工知能に限らず、ロボット開発の現場を目の当たりにし、その困難さを知るほどに、「人間はすごいなあ」と思うのである。
私たちの開発しているPatinは家庭内で使うので、「段差から落ちない」、「ガラス戸にぶつからない」、「家具を避ける」などの行動をさせなくてはいけない。そのためには、空間の状態を把握する必要がある。カメラやセンサーを使って情報を収集するのだ。
また、そこにあるのが「人間」か「人型の人形」か、あるいは「人が写った写真」なのかを把握するには、幾つもの情報を重ねあわせて判断しなくてはならない。
花柄のカーテンを人間の顔だと誤認識するようなケースを解消するために試行錯誤するエンジニアを見ていると、人間の知覚能力というのはすさまじいなと感心する。
たとえば目ひとつ取ってみても、色、空間の奥行きや幅、高さ、距離感を掴むことができる。ロボットに同じことをやらせようとすると幾つものセンサーと複雑な処理が必要で、しかもまだ不完全なのだ。
ロボットのことを知れば知るほど、こうして呼吸し、生きていること、人間の身体機能の仕組みの凄さを感じる。自分の目がたやすく色や距離、高さを見分け、意識せずに歩きまわることができる。ロボットエンジニアは、人間というものの神秘と奇跡を誰よりも感じているのかもしれないと思う。
開発中のPatinの中身。多くのセンサーやカメラが搭載され、複雑に繋がっている
人工知能研究者が「実現したいもの」は人により違うという。アトム、ガンダム、HAL9000……。研究者たちは子供の頃に憧れた「とてつもなく力のある存在」を追い求めているのかもしれない。
そして私たちは人工知能をもてはやしながら、人工知能の「反乱」を恐れていたりする。
人工知能を搭載した「生物」が欲しいのは、人のようにコミュニケーションができながらも、自分にとって不快だったり危険なことはしない……そんな「美味しいところどり」ができる、コントロールできる第三者が欲しいのかもしれない。
息子を亡くした傷を癒すために作ったトビオ(アトム)を、「人間のように成長しない」からとサーカスに売った天馬博士のように。
そう考えると、人間はなんとも傲慢な生き物である。
===<次回の予告>===
ロボットは今のところ、限定された環境でしか機能を発揮できない。段差を乗り越えられないロボットはフラットな空間しか移動できないし、図体がでかければ狭い部屋では利用できない。充電も必要だし、故障したら自然治癒することはない。
なぜ私たちは、そんな不自由な存在を生活に取り入れようとしているのか。次回はロボットへの期待と、フラワー・ロボティクスが思い描くロボットとの生活をお伝えしたいと思う。
参考文献
松尾豊(2015)『人工知能は人間を超えるか』 KADOKAWA
日経産業新聞編(2016)『ロボティクス最前線』日本経済新聞出版社
『Harvard Business Review』2015年11月号 ダイヤモンド社
『WIRED』Vol.20 コンデナスト・ジャパン
〈著者プロフィール〉
村上美里
熊本県出身。2009年慶應義塾大学文学部心理学専攻卒業。市場調査会社(リサーチャー)、広告代理店(マーケティング/プロモーション)、ベンチャーキャピタル(アクセラレーター)を経て2015年1月よりフラワー・ロボティクス株式会社に入社。