宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜

宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜

これまで5回行われてきたJAXA宇宙飛行士選抜試験。一体どのような試験なのだろうか…? その第5期選抜にて、10ヶ月に及ぶ選抜プロセスの最終試験まで勝ち残った経験を持ち、現在は宇宙船「こうのとり」のフライトディレクタに従事する作者による、大きな挫折と前進の記録。

第2章 ザ・宇宙飛行士選抜試験 (前編④)

第2章 ザ・宇宙飛行士選抜試験 (前編④)

二次選抜を終えて

二次選抜を終えての手応えは、正直特に何もなかった。

精神・心理・身体の要素が多かったため、いわゆる試験後の自己採点のようなものは不可能だった。また、相対評価の要素もあるはずだが、ほとんどの試験は個人であったため、他の受験者の様子は、あとで本人から聞く感触程度で、受験者同士では比較することができない。つまり、「考えても無駄だ」というのが当時の感想であり、手応えも何もないというのが正直なところだった。他の受験者を見渡すとたくさんの優秀な人たちがいたので、選ばれる自信はまったく持てていなかった。ただ、大きな失敗はなかったと思う。チャンスはあるかな、程度の印象だった。

試験終了後にはA班メーリングリストを立ち上げた。その名も「UN16」。元の現実世界に引き戻され、試験中の楽かった思い出を懐かしむ他愛もない会話がメーリグリストで展開されていた。

「社会復帰しましたー」
「今頃、B班は畜尿検査の真っ最中、明日から病院検査かー」
「時間の進み方が先週(二次選抜のとき)と全く違う!」
「ムーベンで腸管洗浄されたからか、すこぶる身体の調子がいい。これはダイエット商品として売り出せるのでは?ムーベンはニフレックの後発品だからコストは…」

それぞれが夢を追って全力を尽くした1週間の試験期間をまだ名残惜しむ気持ちがにじみ出ていた。とりわけ最初のA班は、結果の出ていない待ちの期間が長い。共に戦った16名のうち、次の最終選抜に進むのは2~3名だろう。狭き門だ。だが、結果が出るまではまだ夢への希望が残っている。そんな余韻に浸っていた。

二次選抜を終えたぼくは、最終選抜の準備を早々に開始した。
A班が有利なのは早く終えた分、次の準備をする時間が他の班よりも長いことだ。可能性が残っている限りやれることはやっておこう。早速ノートに対策項目を書き出し、残された3ヶ月弱にやるべきことをリストアップした。

もちろん仕事も全力投球だ。
「こうのとり」打ち上げに向けた準備に待ったはない。翌年の初フライトを控え、フライトディレクタ候補としての仕事はまだまだ終わりの見えない状態だった。 11月にもヒューストン出張へ行ったのだが、12月中旬にも行くことが決まり、それに向けた準備に追われていた。

この12月中旬のヒューストン出張が二次選抜の合格発表の日と重なることがわかった。合否通知を受け取るのが数日遅れることになる。希望者には、合否をメール連絡してくれるという選抜側の計らいもあったのだが、結果が変わるわけでもないし、その数日で何かが進められるわけでもないので敢えて依頼しなかった。

A班メーリングリスト「UN16」での会話は、この2ヵ月で1000件を超えていた。ぼくも、宇宙開発現場のニュースやできごとを、たびたび投稿したりしていた。

「NHKの取材を受けてきました」
「二児のパパになりました!」
「カザフスタンより」
「ヒューストン出張レポート」(←ぼく)
「カナダトロントでの(新機種の航空機)操縦訓練レポート」
「古川さん、搭乗決定!」

などなど、近況報告の話題で埋め尽くされていた。
“宇宙飛行士”というキーワードに関連するもので、同志16名の気持ちはずっとつながり続けていた。

そんな他愛もない話が多かったメーリングリストも、合格発表が近づくと徐々に緊張感が漂い、合格発表を意識した投稿になってきた。

「(3次選抜への合格発表まで)あと二週間ですね」
「A班メーリングリストでの結果公開は時間を合わせましょう」

ぼくはというと、打ち上げまで1年を切った「こうのとり」運用の準備で、連日のNASAとの技術調整でかなり忙しくしていた。緊張する暇がないほどだったのは、逆に有り難かったかもしれない。

二次選抜の結果、出される

バタバタとしていたヒューストン滞在中に、合否通知を受け取った人からの通知がポツポツと届き始めた。仕事もあるので受け取るタイミングはまちまちだ。家族が受け取り連絡をもらう人が一番早いタイミングで合否を知った。そんな中、JAXAからプレスリリースが出された。

©JAXA

ん?10名?

三次選抜へ進む人数は8名だろうと予想していた。閉鎖環境試験の許容人数(ベッドの数)が8名であることと、前回が8名だったからだ。

メーリングリストが沸いた。
「エキストラベッド導入か!」
「職業分類の“その他”ってなんだ?」

誰の合否も分からないまま、このプレスリリース情報だけを知った状態で、ぼくは帰国の途についた。正直、ぼくは会社員枠なのか、その他枠なのかの職業種別もはっきりしていなかった(※注釈②)が、どっちにしても何かが変わるわけではない。プレスリリース情報から得られた情報は、ぼくにとっては「二次選抜の結果がいよいよ出た」ということだけだった。

※注釈②
JAXA職員は当時独立行政法人であり、準公務員/みなし公務員と言われることがあるだが、公務員ではない。この種別で言うと団体職員(つまりこの表では“その他”)に当たる。そのことを正確に知ったのはもっと後のことであった。

日本に着いたら、その足で郵便局に取りに行こう。
機内では出張で疲れた身体を癒やすべく、ほとんどの時間を寝て過ごした。

もうここまで来ると焦って取りに行く必要も無い。
空港から一旦帰宅し、不在通知を持って車で郵便局へ行き、書類を受け取った。
何やら封筒が大きい。期待に胸が高鳴る。
「でも開封の儀はやっぱ自宅だよな。」
はやる気持ちを抑えながら、自宅へと戻った。

結構な書類が入っているのが分かる。
これで不合格だったら、一体何が入っているというのだ?
「これはもしや?」と期待に胸を膨らませつつ、事実になろうとしている運命を徐々に受け入れようとしながら封筒を開けた。

A班のメーリングリスト「UN16」に報告するため、メールボックスを開いた。
A班のみんなからはあらかじめ決めた時間以降に、続々と合否結果の報告が続いていた。

「応援側に回りました。
自分としてはベストを尽くした結果なので、まったく悔いはありません。
二次試験で苦楽をともにしたみなさんとの時間は、生涯の財産です。
UN16から3次に進むメンバーにはぜひ最終3人にのこって欲しいです。」

というメールに目頭を熱くしながら、ぼくはA班代表として3次に臨むことを報告した。

A班「UN16」からは、金井さん、大作さん、国松さん、ぼく、の4名が最終選抜に進むことになった。

最終選抜に駒を進めた国松さんは、のちに、ぼくにこう言った。
「実は内山さんが二次選抜を通過したのは、内山さんより早く知ってたんですよ」

なんと、書留の追跡番号は受験番号順だろうからと、自分の前後の追跡番号を検索し、まだつくば郵便局に保管されていことを突き止めたというのだ。

・合格者の追跡番号は連番だろうから、このつくば郵便局に残っているのは合格者のもののはず。
・つくば在住で残っている(不在にしている)のはぼくしかいない。

こういった事実の組み合わせから、ぼくが受け取るよりも早く、国松さんはぼくの二次選抜突破を知っていたのだ。この調査力には恐れ入った。

二次選抜では、まず検査/面接で基準を満たしていない人を「セレクト・アウト」し、基準をクリアした者の中から点数順に上位10名を選んだという。通常8名のところ、評価が拮抗していたこともあり、10名を選ぶことにしたという。閉鎖環境試験のキャパを超えてしまうが、臨時ベッドを採用するなどして、問題なく10名で試験できることをあらかじめ確認したそうだ。

二次選抜で不合格だった人を想像すると、とても辛かったと思う。

あれだけ徹底的に検査や面接を受けた結果が揃っているにも関わらず、不合格だった理由は一切知らされないのだ。(万一、命に別状があるような病気等が見つかった場合は教えてもらえることになっている)何が悪くて不合格となったのか、理由は教えてもらえない。個人の試験が多いため、自分なりの相対評価をすることもほとんどできない。医学検査で足切りにあったのか、医学検査は通ったが上位10名から漏れたのか、それすらも分からない。試験を振り返れば、後悔する場面もあるだろう。しかし、それが原因なのかどうか分からないのだ。医学検査で「セレクト・アウト」だったかもしれないのだ。

これは非常に辛いことだと思う。次回があったとして、自分は何を頑張ればチャンスが生まれるのか、それが分からないのだ。だから、悩む。

例えば、初日にスーツで来なかったことが原因かもしれないと考えたりする。面接でのあの質問に、こう答えれば良かったのに!など、一人になってぼんやりと考えごとをしていると、いくつもの後悔が思い浮かぶ。そうして、いくら悩んだとしても、答えが出ることはない。

試験はそういうものなのかもしれない。しかし、50名まで残って、何がダメだったか判然としないとしたら、消化不良に陥る。不完全燃焼だった人も多かっただろう。”11番目“だった人もいたはずなのだ。

それでも、共に二次選抜を戦った仲間たちは、自分の夢をぼくたちに託し、心からの応援メッセージをくれた。

相手を蹴落として勝ち上がるような競争では決してなく、共に同じ戦いに挑んだ仲間意識だった。これには、受験者みんながそう思っていたと断言できるほど自信がある。

そういう不思議な力がこの選抜試験にはあった。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama