第4章 ザ・宇宙飛行士選抜試験(後編②) | 『宇宙兄弟』公式サイト

第4章 ザ・宇宙飛行士選抜試験(後編②)

2020.08.25
text by:編集部コルク
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最終選抜試験 初日

いよいよ最終選抜試験の初日が始まった。

2次選抜の前半戦を行ったJAXA宇宙センター宇宙飛行士養成棟の控え室に再び集合した。

A班からはぼくを含め4名、もうすっかり馴染みの顔だ。加えて、大学の研究室の同期の大西君がいた。半分はすでによく知っているメンバーだ。

この日が初対面だった油井さんの印象をよく覚えている。

航空自衛隊の元テストパイロットであり、受験当時は防衛省統合幕僚監部(陸海空自衛隊を一体的に部隊運用する機関)に勤めていた。経歴は噂に聞いていた。

初めて油井さんと会ったときの印象は、ずばり「顔色が悪い」だった。

とても疲れている様子で、顔からも疲れがにじみ出ていた。また、凄腕のテストパイロットというぼくが描いていた印象とは違った、非常に物腰の柔らかい雰囲気だ。
聞くと、直前まで仕事が相当忙しかったそうなのだ。1月の第1週からそんなにハードなのか、、、と驚いた。

午前中いっぱいはオリエンテーションが行われた。 合計18日間に及ぶ試験の詳細について28ページの冊子で説明がなされた。

受験番号順に「A」から「J」までアルファベットが割り振られた。 ぼくは「B」だった。 ぼくよりも受験番号が早かった金井さんが「A」。最終選抜試験中はずっとこのアルファベットで識別されることになる。

ファイナリスト10名の顔ぶれはこうだった。(カッコ内の年齢は当時のもの)

A 金井さん(31)  海上自衛隊 潜水医官(当時)
B 内山(32)         JAXA技術者
C 江澤さん(35)  産婦人科医
D 国松さん(37)  メーカ技術者
E 大西君(33)      民間パイロット(当時)
F 白壁さん(34)  民間パイロット(機長)
G 油井さん(38)  航空自衛隊パイロット(当時)
H 安竹さん(30)  ベンチャー企業 技術者(当時)
I 大作さん(33)   海上保安庁パイロット
J 青井さん(39)   理化学研究所 研究員(当時)


午後の検査は、ぼくにとっての最大の山場。いきなり最大の試練だ。 平衡機能検査(回転イス)。正式名称はコリオリ加速度検査という。 この検査シリーズは約2時間かけて行われた。

まず、いくつかの予備的な検査が行われた。
頭部に電極をつけ、眼球運動を計測し、眼振(意思と関係なく眼球が動く現象)を検査した。

その後、エアーカロリック検査という、耳に温風(44度)・冷風(30度)を交互に1分間ずつふきかけることで眼振(めまい)を誘発させる検査を行った。かつては温風冷風の代わりに温水冷水を耳に注入したらしい。なんとも恐ろしい検査だ。

仰向けになり、まずは右耳。想像していたよりも強めの温風が吹き付けられた。目を閉じていても目が回るのがよく分かる。しばらくの間ぐるぐると回り続けた。次は左耳だ。

(おー!今度は逆回りだ!)

などと感心していたら、めまいが襲ってきた。 吐き気はしないものの、ぐるぐるぐるぐると目が回る。そして止まらない。 自分でヤバイと思うよりも先に、周りがざわざわしてきた。

先生に身体を支えられた。その状態で、深呼吸をするように言われた。言われるがままに深呼吸をした。ものすごい冷や汗をかいていることにここでようやく気がついた。しばらく深呼吸を続け、少し落ち着いたところでしばらく横になり休んだ。

この後が回転イスだ。 まだ完全には回復しきっていないぼくに、先生がたずねてきた。

「やめておく?」

当然、チャレンジはすると思っていたぼくは面食らった。ドクターストップがかけられそうになるほどヤバイ状況なのか!

「別にやらなかったからといって、それですぐにダメというわけではないからね。」

確かにめまいは残っているが、ここで検査を棄権したら、それは“選抜試験を棄権”することを意味するに違いない。優しい言葉に騙されてはダメだ。

「いえ、大丈夫です。やります。」

ぼくは元気を装った強めのトーンで答え、ドクターストップギリギリの状況を切り抜けた。

ふらつく足取りを隠すため、ゆっくりと、回転イスまで移動した。

イスに腰を下ろすと、色々と器具のついた重いダイビングマスクのようなもので両目を完全に覆うように装着させられた。身体の色々なところにセンサがつけられている。試験中の眼振、心電図、呼吸、血圧、体温など生理反応を測定される。

「これから、ゆっくりとイスを回転します。音声指示がありますので、右と言ったら右に頭を倒す。左と言ったら左に。前と言ったら前、後ろは後ろ。かけ声に従って頭を倒してください。5分ごとに問診をはさみ、イスの回転速度を上げていきます。」

平衡機能検査(回転イス)の様子(青井さん) ©NHK

回転イスの速度は4rpm(1分間に4回転)から始まり、5分ごとに+2rpmしていく。その程度のゆっくりとした回転だ。旋回腕の先に乗って高速でぶんぶん回される加速度試験とは全然イメージは違う。外から見たら至って地味な検査だろう。

イスが回転し始めた。ゆっくりだ。 回転だけであれば耐えることが出来そうだ。

と思ったのもつかの間、音声指示に従って頭を倒すと1回目から「ぐらっ」っとめまいがきた。

(これがコリオリ力による加速度か!)

数秒おきに指示がくる。そのたびに指示どおりに頭を倒す。「ぐらっ」とくる。それが繰り返される。 まだエアーカロリック検査でのめまいが完全にぬけきっていないぼくをどんどん追い込む。

なんとか最初の1クール、5分を耐えた。ギリギリ耐えたという瀕死の状態だ。 問診では「まだ大丈夫です」となんとか平静を装って答えた。

少し回転速度が上がった。容赦なく音声指示はやってくる。顔面に冷や汗が出てくる。吐き気はないのだが、めまいが出続けている。根性で我慢しているが、頭を傾ける動作を遅らせて、1回でもいいからごまかしたいと思うようになってきた。冷や汗の量が半端ない。

根性で耐えている状態。実質的にはグロッキー状態だ。

冷や汗のせいで“ダイビングマスク”が、頭を傾けるたびに滑り落ち始めた。 次第に目から外れてしまうほどずれるようになってしまい、手で押さえなければ落ちてしまうほどになった。そして、ついに、ドクターストップがかけられた。

10分もたなかった。

ぼくは自分が認識している以上に、ダメージを負っていた。めまいが尋常ではない。 ベッドに寝かされ、先生に言われるがままに深呼吸を続けた。 しばらくベッドで横になっているよう言われ、ぼくは意識的に呼吸を深くするようにし、じっと目を閉じていた。

(これがめまいか。吐き気があるわけではないから、周りの人には伝わりにくいだろうな。メニエール病という病名は聞いたことしかなかったけど、これは辛い。。。)

そんなことを考えながら、少しのあいだ眠りについた。

しばらくして、なんとか起き上がれるようになるまで回復し、控え室に戻った。

皆が声をかけてきた。 なかなか戻ってこなかったので、心配されていたのだ。

あまりに顔色が悪かったのだろう。 「大丈夫?」という言葉も、「見るからに大丈夫じゃないよね」のトーンだ。

10人ともがみな、回転イスには苦戦したようだったが、半数は30分間を耐え抜いていた。予備検査のエアーカロリック検査で異常が出たのは、ぼくだけだ。10分以下でリタイアしたのもぼくだけだった。

何かヘマをしたわけではなく仕方のないことだし、ある程度は覚悟していたことだったのだが、いざそうなってみると、やっぱり凹んだ。 試験初日に大きく出鼻をくじかれてしまった。

仙君さんにもらった『目玉のおやじ汁』をすすった。 「まだ諦めちゃダメだ」と応援をもらった気がした。

閉鎖環境試験 いよいよ始まる!

気持ちを切り替えた。切り替えるしかなかった。
(まだまだ試験は始まったばかり。一旦忘れて、気を取り直そう!) と思っても、どうしても考えてしまう。

(足切りとされるか、なんとかなるレベルと捉えてもらえるか・・・)
(選抜する立場で客観的に考えたら、やっぱリスクでしかないよな・・・) ・・・落ち込むばかりだ。

翌朝、試験が始まる前にUN-16のメーリングリストにメールをした。

元々、回転イス試験が鬼門だと吐露していた仲間たちへの結果報告と、半分は自分の中で一旦消化してしまおうという目的もあったと思う。この手のことは、内に抱えておくよりも、一旦外に出して周知の事実化させてしまうことで、気持ちをリセットさせる効果が得られる。それを半分狙った。

応援組のみんなからのレスも、共に試験を受験しているかのような気持ちの入ったものであり、安易な励ましなどなかったのが、とても有り難かった。このやりとりのおかげで、「最後まで楽しんでやろう!」という気持ちの切り替えがある程度できた。 まだまだ試験は始まったばかりだ。

この日は夜から閉鎖環境試験設備に入る予定で、その前に、心理面接と精神科面接を受けるスケジュールになっていた。ぼくはもう地獄を見ているので、怖いものなど無かった。

ぼくの応募動機を否定されるような多少の圧迫面接があったものの、回転イスのことを思えばたいしたことではなかった。自分の宇宙飛行士としての短所は?には「酔いやすいこと」、欲しいものは何か?には「乗り物酔いしない体」と回答した。

苦手なものは苦手でしょうがない。また済んでしまったことをいくら悔やんでも仕方がない。ぼくができることは「これからの試験に全力を尽くすこと」だと、UN-16とのやり取りとこの面接を通じて、完全に気持ちを入れ替えられた。

いよいよ閉鎖環境試験だ。

宇宙ステーションを模擬したエリアに10名で1週間寝泊まりし、カメラによる監視下で、様々なタスクをこなす。まさに、宇宙ステーションで任務をこなす環境を模擬し、寝食を共にする共同生活を送る。世界中の宇宙飛行士選抜でもJAXAでしかやられていない。今回アメリカ人の作家が取材したいとこの閉鎖環境試験中にJAXA筑波宇宙センターを訪れた。それだけ世界的にも珍しい試験だ。

腕にはアクチグラフという一見すると腕時計のようなものをつけられた。これにより、起きている間も寝ている間も自分の動きが記録される。 また、各部屋には複数台のカメラが置かれている。たまにカメラが動くのが分かる。

ふだんの何気ない発言や行動も、その1週間のトレンドも、全て監視され記録されるという監視体制。その環境下での缶詰生活。気にしてしまうと何も出来なくなってしまう。

閉鎖環境施設に入ったのは20時だったため、その日は特に課題は出されず、これから1週間共同生活する上での役割分担やルールの確認をする程度だった。

備え付けベッドは8人分だったので、前回は運動器具が置かれていたエリアに、折りたたみベッド2式が追加されていた。今回は運動器具はなしだ。
ユニットバスについているシャワーがひとつ。10人が順番にシャワーを浴びることになる。シャワーは1人10分と決められた。10人もいるので、それだけで1時間40分かかる。ぼくはもともとカラスの行水なので全く問題ないが、女性には大変だろうなと思った。

男性陣9名は、唯一の女性の江澤さんに対し、
「ぼくたちは少しずつは早く出られるだろうから、その分気持ち長めにどうぞ。」
と言う申し出を誰からともなくしたが、
「いやいや、そういうのなしで、全然だいじょうぶだから」
とあっさりと返された。

いわゆる女性としての気遣いをまったくしなくて大丈夫な人なんだなと感心した。そして、このとき以降、江澤さんに対しては「女性だから」ということをまったく意識することはなかった。

就寝(消灯)は24時、起床は6時と決められていた。ふだん7~8時間寝るのが習慣のぼくにとって、6時間睡眠が続くのはちょっときつい。ただ、寝付きはかなり良い方で、どこでも寝られるタイプだ。初日はぼくと金井さんが折りたたみベッドの番だった。24時に一斉消灯されると、何かを考える間もなく、あっという間に眠りについた。

1回も目を覚ますことなく翌朝を迎えた。
分刻みの慌ただしい日々が始まる。

閉鎖環境試験設備の見取り図
(折り畳みベッドは、前回は運動器具があった高照度照明エリア(右下)に置かれた)
アクチグラフ

閉鎖環境試験 初日

課題は大きく分けると以下の3つに大別された。
・個人で取り組むもの
・2チームに分かれて競うもの
・10人全員で取り組むもの

個人で取り組むものについても、個人の能力評価というよりは、閉鎖環境での生活における変化を知るための心理・精神要素が多く、能力についてはチーム活動の中で発揮されたものを見られていた印象だ。

また、共通しているのは、いずれの課題も厳格に時間が定められていること。 ルールなどその場で初めて言い渡されるため、常に集中していることが必要だ。 結果だけではなく、そのプロセスでの行動・言動など全てを見られているということを忘れてはいけない。

それぞれが朝の支度を終えたところで、最初の食事の時間になった。 唯一外界と通じている受け渡しボックスで、ひとりずつトレーに並べられた食事が運ばれてくるシステムとなっていた。最初の朝食を見た感想は、

「朝から豪華すぎる・・・宇宙ステーションと全然違うじゃん!」

また、それぞれのトレーはそのまま回収された。つまり何か残すとそれを記録されると考えるのが自然だろう。ぼくは「ごはん一粒でも残すと目が潰れる」と言われる家庭で育ったので、残すと言う選択肢は習慣的になかった。このまま狭いところに閉じ込められて運動不足が続く上に、食事は豪華。これでは太ってしまう。残さず食べるべきなのか、カロリーコントロールをすべきなのか。下手すると、好き嫌いがあるとも取られかねない。このままずっと同じ食事なのかどうかも分からない。

食事をしながらのこのような悩ましさを吐露した会話や、「宇宙ステーションと全然違うよねー。」などと雑談するのも全て監視対象になりうる。

このような微妙な空気感の中、あまり考えすぎるとやり切れないだろうなと考え、ぼくは早々に、自然体で行くことに決めた。与えられた課題に集中しよう。課題以外の時間も、気負わず普段どおりでいこう。言いたいことを飲み込むのも、普段と違う姿を装うのも精神衛生的に良くない。

初日の課題は、以下のラインナップだった。
・2チームに分かれたボードゲーム作り
・2チームに分かれたディベート(毎回テーマが与えられる)
・集団討議
・全員で取り組む会社設立ゲーム

この日は、ぼくは“日直”当番だった。

日ごとに決められた。掃除など1日の雑多なものをまとめる、学校の日直当番と同じ役割だ。その流れで、会社設立ゲームでは、進行・まとめ役を担うことになった。

空飛ぶ車を実用化する会社を設立させるという課題だった。 10名にそれぞれ封筒が配られ、会社設立に関するルールや制約が記されていた。 お互いにそれを見ることは出来ず、口頭での打合せ形式でそれらを集約して、それら各種条件をまとめて会社設立申請するというものだった。

各人が持っている情報にはまとまりがなく、役割分担がうまくできなかった。ちりばめられた情報に含まれる課題を解決していくためのとっかかりや進行が難しい局面に立たされた。また、地上の管制室から指示がくるのだが、初回ということもありどの程度質問して良いのかの勘所がつかみ切れず、ルールの解釈の部分で時間を無駄に消費する場面もあった。大作さんがしきりに「そのルール解釈では簡単過ぎるから違うのではないか」と進言してくれたのだが、打開策を見いだせなかった。結局、時間がなくなり、まとめきれないまま会社設立できず、悔しい結果となってしまった。

その次の課題として続いた、その会社設立後に空飛ぶ車を開発、製造し、納車するフェーズにおいても、10人1チームとしたプロジェクトとして役割分担を行い、取り組んだのだが、こちらもルールの読み間違いなどで混乱し、うまく回らなかった。ルール違反と判定されたものもあり、納入台数目標に達しなかった。

その日の10人全員で取り組む課題は、散々な結果だった。課題を作成したJAXA選抜係チームに、この10人が敗北したかのような悔しさを感じた。

「もう一回やらせて欲しいよね」

とみんなから口々に悔しさがにじみ出た。

初日の共同作業を通じてぼくが感じたのは、通常10人もいる中で共同作業を行うと、「俺が俺がタイプ」が現れて独裁的に仕切って輪を乱したりする人が現れたり、まったく協調・同調せず不規則発言をするマイペース野郎が現れたり、どうしても波長が合わない苦手な人がいたりするものだ。やや極端に書いたが、少なからずそういった傾向の乱れが生じるのがむしろ普通だ。

しかし、この10人にはそれが無かった。ぼくにはそれが奇跡的だと思った。何より楽しく共同作業に取り組めた。この印象は、最後まで変わらなかった。

牙をむく課題

閉鎖環境試験2日目。
あとから振り返ると重要なポイントだったと言える課題の2つが始まった。

ひとつ目は、10人で千羽鶴を折るという課題だった。 前回の選抜試験では、“ホワイトパズル”がこれに相当するだろう。 鶴を折ること自体は決して難しくない単純作業に過ぎないのだが、これが10人を苦しめることとなった。

「1日に1時間、4日間でひとり100羽の鶴を折ること」
「20羽ずつ糸に通してつなげて束ねること」
というのが課題だった。

折り紙が配られ、鶴の折り方、折った鶴のつなげ方が解説された説明書が配られた。 折り紙といえば、子供の頃、紙飛行機を折っては誰が遠くまで飛ばせるかを競うような遊びが好きなタイプだった。鶴を折ったことはあるが、“そら”では折ることができなかった。

ペース配分としては、1時間で25羽。針で糸を通してつなげるのにかかる時間を考えると、2分で1羽くらいのペースで折る必要がある。 説明書を見ながら折り始めてみるものの、たまに間違えてしまう。とてもじゃないが、2分/1羽ペースでは折ることが出来ない。

立ち上がりで時間を食い、初日の1時間ではなんと6羽しか折ることができなかった。

さすがに少なすぎだろうと突っ込みたくなるが、課題の初回ということでルールを把握することに加え、針で糸を通したあとビーズで固定するなど、器用に指先を使わなければならない作業手順を習得する最初の立ち上がりに時間を取られた結果だった。

早く折るコツなどをみんなでシェアしながら作業をした。徐々に慣れきてはいるので、明日はもっとできるはずだ。しかし、計画と進捗の乖離に、なんとかしなければという焦りだけが10人の間に広がった。

内山(B)の折り鶴(途中段階)©NHK

ふたつ目は「もの作り」課題。

レゴの『マインドストーム』を使って「宇宙飛行士の長期滞在のストレスを解消してくれるようなロボット」を創作せよ。

という課題だった。

2チームずつに分かれ、それぞれのチームに、マインドストーム一式と、プログラム作成用PC 2台が割り当てられた。1日3時間ずつを4日間、計12時間かけて行う大がかりな課題だ。最初の3時間は、何を作るかの検討と、工程表作成に充て、制作作業に8時間、最後の1時間はプレゼンというのがおおまかな時間割だ。「そこそこ時間があるからじっくりできるぞ」最初の印象ではそう思った。

配られた指示書には、「前回の作品を超えるものを期待しています。」と競争心をあおることばが最後に添えられていた。

アルファベット順に、ぼく(B)、国松さん(D)、大西君(E)、油井さん(G)、青井さん(J)だ。エンジニア寄りのメンバー構成だった。

初日は、ロボットのコンセプトを作り上げるのと、制作に向けた工程表(時間割)の作成を行った。
最初に、スケジュール担当となった油井さんのリードで、ざっとぼくたちが使える時間の割り振りを行った。それをベースに、進捗に応じて修正しつつ進行管理を行っていく。

まず、触ったことのない「マインドストーム」を知る必要がある。いったい、どんなことができるおもちゃなのか。 どういったことができるかを把握しなければ、癒やしロボットの具体的仕様が作れない。どういう部品があって、どういったプログラミングができるか、それらを知るため説明書を読み解くことから始めた。

同時に、どういったロボットであれば、ISSに長期滞在する宇宙飛行士のストレスを解消できるのか、そのコンセプト作りに考えをめぐらす。

ぼくたちが目をつけたのは、ペットだった。

無機質な人工物に囲まれた閉鎖空間で長く滞在すると、ペットの存在は恋しくなるだろう。そんなときペット代わりになるものがあれば、家族と離ればなれで過ごさなければならない宇宙飛行士の心を癒やしてくれるはずだ。

説明書を読みこんでいくと、音に反応するセンサ機能や、いくつかの決められた言葉をしゃべらせることができる機能があることが分かった。それらの機能をフル活用し、外部からの刺激に様々な反応をするようなペット型ロボットにする。さらにゲーム性を取り入れてみたらどうか。ペットに指示を出して、サッカーボールをシュートさせゴールに入れる。見事ゴールしたらダンスを披露する。

広い芝生で、犬とフリスビーやボールで遊び戯れるようなそんなイメージを実現しよう。 あっという間の3時間だった。

とても良いコンセプトができた。あとはこのコンセプトをどううまく形にできるかだ。 とても良いスタートを切ったなとぼくは思った。


この日、お昼にちょっとした事件が起きた。 いつもなら時間ぴったりに受け渡しボックスに届くはずのランチが届かないのだ。 管制官からのアナウンスでは、「交通事情で遅れている」とのことだった。

ぼくたちはテーブルを囲み、雑談しながら待った。
そんなに遠くから来ているとも思えないので、
「交通事情といってもそんなに遅れる?」
「もしかして事故でもあったのかな?」
いつもご飯大盛りにしてたくさん食べていた最年長の青井さんに向かって、
「お腹すいてますよね?我慢できます?」
などと冗談まで言い合っていた。

30分くらい経ち、「さすがに遅いねー」と手持ち無沙汰になったところで、冷蔵庫に常備されている飲み物を飲み始めた。そこで、ミルクとリンゴジュースやオレンジジュースを混ぜてみることを思いついた。

「うまい!フルーチェみたい!」
「オレンジでもやってみよう!」
などとワイワイやりながら待ち時間を過ごしていた。 結局、1時間ほど待たされ食事が運ばれてきた。

その頃には、ぼくはもう昼抜きでもいいかと思っていた。毎食毎食量が多めなのだ。結局遅れて食べることになったので「また太るなあ」と思いながら、午後の課題の時間が迫っているため、急いでご飯をかき込んだ。

あとから知ったのだが、これは選抜係が意図的に想定外事象として投入したものだった。

それならば、完全に不発だ。

ぼくたちは、特に困るような事としては捉えなかった。「ちょっと午後の予定が遅れちゃうねー」くらいのもので、ノーストレスで過ごしたのだった。 次回の閉鎖環境試験ではもっとキツイ想定外事象を投入しても良いだろう。

牙をむく課題2 試練のとき

千羽鶴課題の2回目がやってきた。

管制室からは、
「初日の遅れを取り戻すため、今日は30羽がノルマです」
と指示があった。

「慣れによる技術向上で効率化を目指そう!」とそれぞれやってきたが、ノルマを聞いても、とても達成できるとは思えなかった。他の9人も同じ気持ちだったと思う。「無理でしょ~」という雰囲気の中、それでも決められた1時間、集中して鶴を折り続けた。

ぼくが折ることが出来たのは2回目でもわずか15羽だった。初日の2.5倍。頑張ったが、それでも全然足りない。ノルマの半分に過ぎない。

途中途中でペースを確認していたが、2分で1羽はどうしても折ることが出来ない。徐々に早く折れるようにはなっているものの、慣れによる技術の上昇曲線から推定すると、あと少しは早くなるかな程度。倍速にはならない。

一番早く、そして折るのもキレイだったのは金井さんだった。10人の中ではぶっちぎりだ。聞くと、おばあちゃん子で子供の頃よく折り紙をしていたのだそうだ。この日、唯一ノルマを達成した。

逆に遅かったのは油井さんだった。豪傑な元テストパイロットが小さな折り紙に苦戦していた。

ぼくたちは、このままではマズイと話し合った。意を決して、管制官からの指示と日々の進捗の間の大きな開きがあり、達成見込みがないことを、きちんと管制室に伝えることにした。その日の日直から「このままでは指示どおりの要求を達成することが出来ません。何か抜本的な対策が必要です。」と管制室に文書で伝えた。

その翌日、ぼくたちの訴えに対し、特にこれといった管制室からのレスポンスはなかった。
「今日のノルマは50羽です」
と冷淡に無理難題が指示された。

ぼくたちの決意の進言に対し、「黙って作業の遅れを巻き返せ!」とでも言わんばかりの指示が返ってきたわけだ。

そろそろ折るスピードの上昇カーブもサチって(飽和して)きている。ぼくは、20羽/1時間がせいぜいだった。このままでは時間内に達成できる見込みはゼロだ。

こちらは無理だとアラートをあげたにも拘わらず、ここまで管制室との意思疎通が出来ないとは。

みんなで話し合った。こちらにも意地がある。

「1人100羽で10人だから、みながノルマを達成すれば本当の千羽鶴になる。これをミッション成功祈願の千羽鶴にして、宇宙飛行士に選ばれたメンバーが宇宙ステーションに持って行こう!」

「課題は課題としてその時間でやらなければならないだろうけど、なんとしても千羽鶴を完成させたい。ならば、空き時間を使ってでも折ろう。課題が組まれていない22時以降と朝食前に時間が取れる。」

管制室からの指示ではない。

ぼくたちの目標を立て、ぼくたちのモチベーションで作業を行うことにした。


マインドストームによる「もの作り」課題では新たな局面を迎えることになった。

急に追加のアナウンスがされた。 各国宇宙機関から興味を持たれたと言うのだ。

「良いものができたら是非ISSで使いたい。専門家を派遣するので、プロジェクトの進捗を確認させてもらうとともに、専門家の意向を反映してもらいたい。」 との打診を受けたので、計画変更をする。

何というシナリオだ。
2日目にしてあまりに急な展開!!

急遽、予定の時間の中で、英語による中間報告プレゼンを2回行うことになった。また、この日のチーム内での会話もすべて英語でするという謎の縛りまでかけられた。英語でプレゼンはまだしも、作業中のチーム内での会話を、日本人同士が日本人英語で会話するのはすごく嫌だった。一応、設定としては各国専門家が視察しているからということなのだが腑に落ちない。

さらに、「明日、中間的に製作中のロボットを披露するプレゼンを行い、各国専門家からの評価を受け、その後、評価結果を踏まえた改良を1時間で行うこと」と言い渡された。 完成に費やせる時間が大きく削減された上に、専門家レビューを受けた修正をしなければならなくなり、大きく計画変更がせまられることになった。

とても良いコンセプトと全体計画を仕立て、順調に進めていたところ、一転、追い込まれることになった。

センサをフル活用して、テストしながら作り込んでいく計画だったが、時間が全然足りない。かといって、これから仕様を大きく変える時間もない。仕様のデグレードはコンセプト自体の見直しにもつながってしまう。当初計画ベースで作業継続するしかない。

ある程度共同で作業を進められると思っていたが、完全分業で並行作業をするしかない。プログラミング、構体製作と全体管理を完全に分業とした。ぼくは青井さんとともにプログラミングを担当した。

ぼくたちは音を感知して、犬ロボットを誘導できるような仕様にした。
決められた動きしかしないのでは面白くない。ペットの犬のように、適度に言うことを聞き、適度に想定外の動きをするような本物のペットに近いロボットにしたかった。完全には思いどおりにならないところが、長期にわたって閉鎖宇宙環境にいる宇宙飛行士を飽きさせずに癒やせると考えた。

ぼくたちは各国専門家向けの中間プレゼンに向け、コンセプトを伝えられるくらいの仕上げを急いだ。時間がない中でなんとか形にし、中間プレゼンまでこぎ着けた。

まだまだ構想スペックどおりには動かないものの、ぼくたちのコンセプトを伝えられるくらいのプレゼンができた、と思った。

JAXA職員が扮する各国専門家の講評は「ロシア代表のツィルコフスキー」さんから始まった。

「ISSは無重力だぞ。動くのか?」
ESAやNASAからの専門家からも辛辣な講評が続く。
「重心バランスが悪い」
「犬に見えない」
「そもそもうまく動いていないじゃないか」

・・・散々だった。
(そ、そんな前提を根本から覆すようなコメントする??? もう、時間が・・・)

ぼくたち5人は、これらの厳しい評価を受けて、茫然と立ち尽くした。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama