アポロ誘導コンピューター/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載20 | 『宇宙兄弟』公式サイト

アポロ誘導コンピューター/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載20

2018.06.14
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

「1960年代が終わるまでに人間を月に送り込む」とケネディー大統領が演説したのが1961年。その時24歳だったマーガレット・ハミルトンは、アポロが自分に関係のある話だとは思わなかっただろう。彼女はマサチューセッツ州ボストン近郊にあるMITリンカーン研究所でソ連機の自動追尾システムの開発に携わっていた。田舎町に生まれた彼女は、大学で数学を学んだ後、結婚し、北の都ボストンに移り住んで、後に女優となる一人娘のローレンを生んだ。 当時はまだ働く女性は少なく、技術職ではなおさらだった。夫が学生だったため、彼女の収入が一家を支えた。

2年ほど経った1963年のある日、ハミルトンはある噂を耳にした。同じMITのインスツルメンテーション研究所(現ドレーパー研究所)が、「月に人を送るためのコンピューター」を開発しているという噂だった。「一生に一度のチャンスだ」と思った彼女はすぐに電話をかけ、その日のうちに二つの部署と面接を取り付けた。面接の日に両方から合格の知らせが来た。一方が本命だったが、もう一方を断って相手を傷つけるのが嫌だった彼女は、コイントスで決めてくれと伝えた。本当にコイントスをしたかはわからない。彼女は結果的に望んでいた部署に雇われ、アポロ誘導コンピューターのソフトウェア開発をすることになった。

アポロ誘導コンピューター。MITが開発したこのコンピューターは、宇宙を飛んだ最初のデジタル・コンピューターのひとつだった。その計算速度は現在のスマートフォンの1000分の1にも満たない。しかしそこには時代をはるかに先取りしたイノベーションが詰め込まれていた。

アポロ誘導コンピューター Credit: NASA

 

その一例が集積回路(IC)だ。当時、コンピューターといえば部屋ひとつを占める巨大な代物で、小さな町の灯りを全部つけられるくらいの電力を食った。宇宙船に搭載するためには、革命的に小さく、軽く、省電力にする必要があった。それを可能にした魔法が当時の最新技術だったICだ。まだICを採用する電気製品はほとんどなく、1963年には全米で生産されるICの60%がアポロ向けだった。

サイズは小さくても、アポロ誘導コンピューターには絶対的な信頼性が求められた。「間違えてデータが飛んじゃった」などということは許されない。それは宇宙飛行士の死を意味するかもしれない。アポロ誘導コンピューターのプログラムやデータを格納するメモリ(ROM)には、叩いても蹴っても絶対に消えない仕掛けがあった。データが「縫い付けて」あったのだ。どういうことかというと、このROMは「コア・ロープ・メモリ」といって、無数のリングと電線でできている。リングを電線が通ると1、通らないと0を表す。一度縫われてしまえば、叩いても蹴ってもメモリを消すことは物理的に不可能なのだ。

コア・ロープ・メモリは、0と1の列を女工さんたちが一針、一針、縫い針で縫って作った。女工さんたちの指先に、月への旅の成否がかかっていた。

つづく)

 

<以前の特別連載はこちら>


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【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。