はじめに ― ホーキング博士との実際の対話より | 『宇宙兄弟』公式サイト

はじめに ― ホーキング博士との実際の対話より

2020.08.31
text by:編集部コルク
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2014年、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中だった私は、地上にいる一人の理論物理学者と対話しました。彼の名はスティーヴン・ホーキング。「車椅子の天才宇宙物理学者」と呼ばれた人でした。

若田
「あなたは地球上では人類は生き残れないと言っています。何が一番の心配事ですか?」

ホーキング博士
「私たちの地球には限られた資源しかないにもかかわらず、将来は人口が急増し、脅かされるでしょう。人類が生き残るには宇宙に出ることは避けられません」

 この短い対話は、英国BBCのテレビ番組のおかげで実現しました。番組中、国際宇宙ステーションと地上とを衛星回線で結び、宇宙飛行士とホーキング博士との対話を中継するという企画でした。

 もちろんホーキング博士のことや、宇宙物理学におけるその功績は知っていました。著作も何冊か読んだこともあります。ただ直接、博士と言葉を交わしたのはあの時が初めてでした。

 「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう/ALS)」という難病に侵されたホーキング博士の声は、肉声ではありません。コンピュータプログラムによる合成音声によるものです。

 けれども、あの時の対話で聞こえてきたホーキング博士の声は、人工的な音声だったにもかかわらず、とても親しみやすく、博士の温かい人柄を深く感じたことをよく覚えています。

 番組の収録中、私は国際宇宙ステーションに滞在していたのですが、そこは窓の外をのぞけば、眼下に青い地球が浮かび、宇宙の闇に抱かれている場所です。

 ホーキング博士が半生を費やしても、未だ解明できない多くの謎に満ちている宇宙。その宇宙空間の片隅で、今自分が漂い、ホーキング博士と対話していることに、不思議な縁を感じました。

 私は人類の活動領域を宇宙へと拡げるべく、宇宙飛行士として、有人宇宙活動の現場での仕事に従事しています。人類の持つテクノロジーの結晶である宇宙船に搭乗し、自分の肉体をもって宇宙空間に赴き、国際宇宙ステーションを利用した実験や観測を行い、地上では宇宙機システムの開発や運用、新たな計画の策定などに取り組んできました。

 ホーキング博士は理論物理学者です。宇宙とその仕組みを解き明かすべく、卓越した思考と鋭いインスピレーションをもって、宇宙を探究なさってきました。

 私とホーキング博士をつなぐテーマは「宇宙」。その宇宙を想う時、まるで自分をのみ込んでしまうような暗黒の闇の中に、人間がまだ知覚できない領域や世界が確実に存在しているのだと、私は直感します。

 そしてその時、得体の知れないものに抱く恐怖とは異なる、文字通り畏(おそ)れる気持ちと怖(おそ)れが入り混じった、自分の能力だけでは到底及ばないものに対する「畏怖(いふ)」と「畏敬(いけい)」を抱くのです。

 この本は、そんな「ホーキング博士と対話の続きをしてみたい」という私の想いから生まれたものです。ホーキング博士が語る言葉は、哲学的で、ユーモアと思索に富んでいます。ホーキング博士が遺した数々の名言を手掛かりにして、そのメッセージから私が感じるままの想いや考えを、宇宙飛行士としての経験をもとに書き記しました。

 たとえるなら、「ホーキング博士の脳内の宇宙を、私が宇宙飛行した」と言えるかもしれません。そんな思索の旅を、読者の方にも楽しんでいただけたら幸いです。

若田光一


※この連載記事は若田光一著『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』からの抜粋です。完全版は、ぜひこちらからお買い物求めいただけると幸いです。