第2回 宇宙についての対話 | 『宇宙兄弟』公式サイト

第2回 宇宙についての対話

2020.09.03
text by:編集部コルク
アイコン:X アイコン:Facebook

ホーキング博士はこのことを、別な言い回しでも述べています。

「私が愛する人たち、私を愛してくれる人たちがいなかったら、宇宙はうつろな世界だったろう。その人たちがいなかったら、私にとって宇宙の不思議は失われていたにちがいない」(『ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう』より)。

 人間にとって家族や友人など、愛する対象が存在するというのは、とても幸せなことだと思います。自分が愛する人々がいて、自分を愛してくれる人々がいてくれるからこそ、人は人生の中にその意味と生きる意義を見出すのだと思います。

 私たちはそんな人間同士の絆の中で生まれ、育ち、成長していきます。私たちの価値観や考え方を育むバックグラウンドは、時に国、人種、宗教、文化、習慣という枠組みであることもあります。しかし、それらの枠組みは同時に、古い時代からの連鎖として続いてきた対立や闘争の要因でもあり、その枠組みによって人類は分断されてきたという側面もあります。

 ロシアの伝説的な宇宙飛行士にアレクセイ・レオーノフさん(2019年10月11日没、享年85歳)という方がいます。私も何度かお目に掛かってお話しさせていただいたことがあります。とても温厚でオープンマインドな方でした。

 彼は人類初の宇宙遊泳や、1975年のアメリカとの共同ミッション「アポロ・ソユーズテスト計画」では、ソ連(現ロシア)側の宇宙船ソユーズ19号の船長でもあった人です。

 当時、激しい宇宙開発競争を繰り広げていた二つの超大国が手を取り合って実施されたこのミッションでは、アメリカとソ連の宇宙船を宇宙空間でドッキングさせるのが目的でした。

 彼は絵が得意だったので、宇宙船に紙と色鉛筆を持ち込んで、ミッション中に地球をスケッチしたり、ドッキング中にアメリカの宇宙飛行士の肖像を描いたりしたエピソードが残っています。

 そんな彼が近年、緊張が高まる国際情勢の中で再び冷え込んでいるロシアと米国の関係について聞かれて、「宇宙飛行士の間に国境が存在したことはない。こうした考え方が、政治家の心に浸透する日が来れば、地球は変わっていくはずだ」という言葉を残しています。

 私も各国の宇宙飛行士と長年、地上そして宇宙で仕事をしてきましたが、一緒に時間を過ごす中でよく感じるのは、それぞれ国や人種や文化や宗教といった「衣(ころも)」を着込んではいますが、それを一枚一枚脱いでいけば、残るものは結局、その人「個人」の人間性しかないという事実です。

 つまり、国籍や人種などによって醸成された政治思想や社会思想などのイデオロギーは、その人間を物語るほんの一部でしかないということです。

 1985年にスペースシャトルで宇宙飛行したサウジアラビアのスルタン・サルマン・アル・サウド王子が、宇宙から地球を眺めながらつぶやいた言葉が印象的です。

 それは「最初の1、2日は、みんなが自分の国を指さしていた。3、4日目はそれぞれの大陸を指さした。そして5日目にはみんな黙ってしまった。そこにはたった一つの地球しかなかった」というものでした。

 彼ら二人が共通して言っていることを私なりに解釈すれば、「宇宙へと活動領域を拡大することは、人類の価値観を、国・人種・文化・宗教といった枠組みを超えた視点、文字通り地球全体を俯瞰する視点からとらえることを可能にしてくれる」ということです。

 我々は宇宙に出たことによって、自らのアイデンティティのルーツを広げつつあるのだと考えます。

 2018年に、私は国際宇宙ステーション(ISS)が1998年11月の軌道上建設開始から20周年を迎えるにあたって、ロシアのモスクワで開催された各国宇宙機関の関係者との記念イベントに、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の有人宇宙活動担当の代表として出席しました。

 その中で一同が口をそろえて言ったのは、ISSはやはり国際協力の中で続けてきたからこそ、様々な困難を乗り越えて存続できるプロジェクトになったということです。

 これが一国だけのプロジェクトだったら、スペースシャトル・コロンビア号の事故や米露の物資を運ぶ宇宙輸送機の事故等の試練を乗り越えて、ISSをこれだけ長く運用・維持していくことはできなかったでしょう。

 こうした事故を克服できたのは、事故を起こした機体とは別の国の宇宙船、たとえばロシアの「ソユーズ」や日本の「こうのとり」等が国際協力の枠組みのもとで補完的な役割を果たしてきたことも大きな理由と言えます。

 「ISS計画」という人類史上、科学技術分野における最大規模の国際協力プロジェクトは、地上の情勢を超越し、ISS各国の相互理解を深め、有人宇宙活動を通した確固たる信頼関係を構築してきたという重要な成果を創出しています。

 2019年10月には、日本政府が米国の月探査計画に参画することを決定しました。人類が地球低軌道を超え、月や火星への国際宇宙探査を進めていく中で、「ISS計画」を通して構築された国際協力体制は強固な礎(いしずえ)となります。

 人間というのは地球という故郷を離れ、遠くに行けば行くほど、人類としての結束力や団結力が強まるように思います。さらに言えば、宇宙へと活動領域を切り拓いていくことで、地球人類としての一つの価値観が形成され、凝縮され、高まっていくような気がしています。

 我々は、宇宙の科学的な研究や開発を通じて、宇宙に対する洞察を深めていくことで、我々自身やふるさとであるこの青い惑星に対する理解と愛といった感情も深まっていくように思うのです。

 地球という閉鎖系に生命体が留まっていることは、エントロピー(熱力学等で定義される状態量の一つ。系の乱雑さ・無秩序さ・不規則さの度合を表す量で、物質や熱の出入りのない系ではエントロピーは減少せず、不可逆変化をする時には、常に増大する)の増大、つまり朽ちていくことを意味します。

 生命体は閉鎖系ではない開放系で命を保っている限り、すなわち宇宙へと活動領域を拡大していくことでエントロピーを減少させる、つまり人類としての秩序を維持し存続していけると考えられます。

 地球という惑星は、この広い宇宙で「生命体を育んできた、ただ一つの奇跡の星」と言われてきました。ただ最近では、太陽系外にも「ハビタブルゾーン(太陽のような恒星とちょうどいい距離にあって、水が液体として存在する温度を保ち、生命が誕生するのに適した領域)」の存在が確認され、その領域にある惑星の存在も確認されています。

 この先、観測が進めば、それらの惑星における生命の存在が発見される可能性もあります。そうなると、生命を育む星は地球だけでなく、じつは宇宙に無数に存在していた、ということになっていくのかもしれません。

 私は地球外生命体が宇宙のどこかに存在すると思っています。それが「知的かどうか?」「現在、存在しているのか?」「過去に存在していたのか?」、あるいは「これから誕生しようとしているのか?」などといったわくわくする疑問が湧いてきます。

 「知的生命体」という定義がどこまでの範囲を示すかにもよりますが、少なくとも地球上で文明を築いてきた我々人類は、宇宙に存在する知的生命体と言って差し支えないと思います。ただ、ホーキング博士は「原始的な生命体はどこにでもいるが、知的な生命体は非常に珍しい。地球上にもまだ生まれてない、と考える人だっているだろう」(『3分でわかるホーキング』より)という自虐的なジョークにもとれる言葉も残していますが。

 仮に、知的生命体がどこかのハビタブルゾーンに位置する地球型惑星にいて、現在、高度な文明を築いていると仮定します。しかし、我々の今の科学技術ではその星へは行けません。

 そこで、逆に彼らが宇宙船に乗って地球に来訪するという可能性もなくはないと思いますが、ただ宇宙は広いです。少なくとも、地球の人類が現在知っている物理法則で考える限りは、彼らがいくら知的でも地球まで来るのは難しいのではないかと率直に思います。

 もし、彼らが地球人の想像と英知をはるかに超えた科学技術を有しているとしたら、この広大な宇宙を簡単に旅して地球という惑星を訪れ、私たちとコンタクトしてくれる可能性も否定はできないかもしれません。

 でも、またそこで私の中で生まれる疑問は、「この数多くある星々の中で、なぜ地球にわざわざ来るのか?」ということです。もしかしたら、文明人がジャングルの奥地で原始的な生活を営む部族を見つけて観察・保護するような目線で来るのかもしれません。または、資源の探査や開発の目的であったりするのでしょうか。

 知的生命体が、地球以外のこの宇宙に一つでも存在するということが発見されたら、この宇宙には無数の文明を持った知的生命体がいる可能性が出てきます。そんな中で彼らが地球を来訪する目的地に選んでくれたとしたら、よっぽどこの星の文明や生命体に興味を示してくれているのでしょう。

 ただし、ホーキング博士が警告するのは、その知的生命体が必ずしも地球人にとって善良な存在だとは限らないということです。彼らの進化の過程、考え方、価値観が地球人と違うのかもしれないわけですから。

 宇宙の片隅の惑星で生まれ、文明を築いてきた我々地球人は、果たして宇宙で唯一の生命体なのか。この話題は興味が尽きないですが、そう遠くない未来にその答えがわかることを期待しています。

 いつか宇宙を完全に理解する日が来るのかどうかを考えると、そのすべてを理解することはできないだろうけれども、我々人類は一つひとつ学び続け、進化することができる優れた生命体だとは思います。

 ただ、宇宙の中で最も優れた存在かと言えば、なかなかそう思えない部分もありますから、謙虚に一歩一歩確実に学んでいく必要があるでしょう。

 理解するにはとてつもなく深遠で広大な宇宙ですが、ホーキング博士は人類に対して「そこに挑戦するべきだ」という意図で、あえてこのような言葉を使ったような気もします。

 つまり、「探究し続けることに意味がある」ということではないでしょうか。私は与えられた能力を上手に利用し、自分たちを取り巻くすべての物事の理解に努めていくことは、人類に課せられた使命であるように思います。その興味を失い、歩みを止めた時、おそらく人類は衰退していくのではないでしょうか。

「それぞれの銀河は数えきれないほど多くの星を中にもち、さらにそれぞれの星の多くが周りに惑星をもっています。私たちは、そのような無数にある銀河のひとつ、渦巻き状の形状をもった天の川銀河に住んでいます。そして、外側の渦巻きのアームにあるひとつの恒星の周りを回っているひとつの惑星に住んでいます」(『ホーキング、未来を語る』より)

 ホーキング博士のこの言葉から、いかに我々や地球という星の存在が、広大な宇宙の中の一点に過ぎないかという博士の視点がうかがえます。

 宇宙には海岸の砂浜の砂粒ほどに無数の星々があって、地球という惑星はその中の砂一粒に過ぎません。私たちが知らない世界の広大さ、向かうべき領域の深遠さ、学ぶべきことの多様さを考えると、宇宙に対する畏怖の念を抱くとともに、その無限の可能性に心が躍ります。

 天文学では古代から、「地球は宇宙の中心にあって、太陽や月や星がこの地球の周りを回っている」という天動説が長い間信じられてきましたが、それが科学的な観測技術の発達によりそのドグマを抜け出し、地動説に完全に置き換わったのはわずか300年ちょっと前のことです。

 「井の中の蛙(かわず)」であった人類が、宇宙のことを知り始めたのはほんの最近のことで、それでも科学によって獲得した一つひとつの知見を通して、様々なことを学び、少しずつ視野を広げつつあります。

 私は埼玉県で生まれ育ちましたが、祖父母の家が九州にあり、幼い頃に飛行機に乗って帰省することがありました。その時は飛行機の窓から地上を眺め、子ども心に「日本は広いな」と思っていました。

 中学2年の夏にアメリカにホームステイした時、生まれて初めて日本を出て、いろいろと見聞きする中で「日本はこんなに小さかったんだ」と思い直しました。もちろんその経験は、あらためて祖国の素晴らしさに気づく機会でもありました。

 その経験から約20年後に、初めて地球を離れ、スペースシャトルの窓から青い水惑星を眺める機会を得ました。スペースシャトルは地球を約90分で1周してしまうので、「かけがえのない、ふるさと地球はこんなに小さかったんだ」と感じずにはいられませんでした。

 人類はこれから自分たちのゆりかごの地球から飛び出し、広大な宇宙への旅を重ねることで、様々な新たな知見を得ることでしょう。そして、その経験は、私たちが住む星のことをより深く理解し、守っていくことにもつながるものだと思います。


※この連載記事は若田光一著『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』からの抜粋です。完全版は、ぜひこちらからお買い物求めいただけると幸いです。