新世代宇宙飛行士の初ミッション(2015)
新世代宇宙飛行士のISS長期滞在ミッションのトップバッター油井さんの出番がやってきた。
油井ミッションは、幸運なことに「こうのとり」5号機ミッションと重なった。これまで日本人宇宙飛行士と「こうのとり」ミッションが重なったのは、3号機での星出飛行士だけだった。なぜか、日本人宇宙飛行士の滞在と「こうのとり」ミッションが重なることは少なく*、逆にこの2人は「こうのとり」ミッションととても縁があるなと思っている。
*結局、9号機まで通して星出飛行士・油井さんの2人だけだった
油井さんの打ち上げは、7月23日、日本時間早朝(6時2分)だった。
2008年第5期宇宙飛行士選抜受験組の初ミッションということもあり、49ersでは、集まって打ち上げ~ISS到着を見守る企画を立てた。本気でカザフスタンまで打ち上げを観に行きたいと色々と調べたり、半分冗談で民間パイロットの白壁さんにチャーター機を出せないか掛け合ったりもしたが、現地に行くことは誰も叶わなかった。ソユーズの打ち上げが行われるカザフスタンにあるバイコヌール宇宙基地は、物理的な距離以上に遠いのだ。
油井さんが搭乗するソユーズの打ち上げ当日は、打ち上げまで1ヶ月を切った「こうのとり」5号機の最後の運用訓練リハーサル(連続3日間)と重なっていた。ぼくのシフトは辛うじて打ち上げ時刻とずれていて、夜中2時までの訓練シフトを終え、その足でタクシーで駆けつけた。
平日の早朝であったが、49ersから10数名が都内某所に集まり、Skype参加のメンバーともビデオで繋いで、一緒になって打ち上げを見守った。
4月に打ち上げられたロシアの貨物船のプログレスの打ち上げ失敗の影響を受けて、共通部品があることから、その原因調査のために、2ヶ月打ち上げが遅れていた。
直前に起きた不具合は徹底的に調査・究明・対策が取られるため、次のフライトは万全となるほどチェックが入るためむしろ安全だ、と頭では分かっていても、心配から来る緊張がないかと言えば嘘になる。ロケットエンジンの燃焼が停止し、宇宙船が分離され、軌道投入されるまでの約10分間はまさに祈るような気持ちだ。手順をこなし、万が一の緊急手順の準備までして集中して臨んでいる宇宙飛行士よりも、ただ祈るだけしかできない見ている側の方がむしろ手に汗握ってしまうものだ。
無事、宇宙船がロケットから分離されたときには、部屋中に歓声が上がった。
ソユーズのフライトは飛行期間「2日」と「6時間」という2種類を使い分けている。ISSは、ソユーズのフライト計画に合わせて、数ヶ月という期間をかけてISSの高度を調整することで、ソユーズ打ち上げ時のISS位置(位相)を調整し、この短い飛行期間を実現している。つまり半分はISS側がランデブしている。
油井さんのフライトは、短い「6時間」だった。飛行士によっては、慌ただしさが少なくのんびりでき、宇宙に慣れる時間も確保できる「2日」の方が良いという人もいる。「6時間」だと、ソユーズロケット打ち上げ前から、ISS到着後のセレモニーまでの1日があまりに長すぎてしんどいのだ。
ぼくたちは、そのまま6時間後のISSへのドッキング、ISS入室までを見届けた。ISSにいた宇宙飛行士に迎えられる満面の笑みの油井飛行士を見て安堵した。
2009年1月、閉鎖環境試験の最後に10人がそれぞれ最初に宇宙に行くまだ知らぬ仲間に向けて綴ったメッセージ。
油井さんが宇宙に行ったとき、ぼくはどんな気持ちでそれを見守るのだろうかと想像していたが、それがはっきりと分かった。無事にミッションを終えて欲しい気持ちが51%、みんなの夢と共に代表として頑張って欲しい気持ちが49%だった。
そして、来月「こうのとり」5号機ミッションを控えるぼくは、 「よし!次はぼくの番だ。」 と意気込みを新たにした。
「こうのとり」5号機ミッションは、全世界から注目されるミッションとなっていた。2014年11月にはアメリカの民間企業が作る宇宙船「シグナス」が打ち上げ失敗、2015年6月には、なんとロシアのプログレス宇宙船が打ち上げ失敗に見舞われていた。立て続けに2機の輸送船打ち上げ失敗により、ISSは希に見る物資不足に見舞われていた。身近な日用品の綿棒や宇宙用石けんまでもなくなっていたほどだった。
「こうのとり」5号機には、これらの失敗を受けて、打ち上げ直前の追加物資を搭載したガルフストリームが種子島空港に着陸した。米国本土から横田基地経由で緊急物資が運びこまれ、「こうのとり」5号機に搭載されたのだ。いつにも増して、失敗できないミッションだった。
そんなプレッシャーのかかる状況の中、油井さんは、日本人として初めて「こうのとり」5号機のロボットアームによるキャプチャという大役を任された。ぼくたち「こうのとり」管制チームは遠隔コントロールを完璧にこなし、ISSにいる油井さんへラストパスを行った。そして、油井さんは、後にも先にもあれほど素早くて安定したキャプチャはなかったというほどの美しいキャプチャを決めた。
このときぼくは、まったくと言っていいほど、油井さんが羨ましいとは思わなかった。そして自覚した。
ぼくが張り合っていたのは、宇宙飛行士への道をひた走る3人とではなかった。ぼくは、宇宙飛行士になっていたかもしれない「自分」という、もうひとつの人生を3人に重ねて張り合っていたんだ。
「宇宙に来たとき、まだ飛べないよちよち歩きだったヒヨコが、ワシとなって地球に帰っていった」
ISSに1年滞在をしていたコマンダーのスコット・ケリーが油井さんに贈った最大の賛辞だ。日本人として、そして同期選抜受験組として心の底から誇りに思った。
ぼくは、宇宙飛行士候補として選抜されたときの油井さんと同じ年齢になっていた。
よく受ける質問である「次に試験があったら受験しますか?」に対し、「う~ん、どうするかな…」という回答をし出したのは、この頃からだった。
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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません
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<著者紹介>
内山 崇
1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。
Twitter:@HTVFD_Uchiyama