〈宇宙兄弟リアル〉
中山美佳/宇宙飛行士マネージャー ~宇宙飛行士の陰になり日向になって~
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「憧れを越えていく」
もともと私はJAXAに来る前から筋金入りの宇宙ファンだったので、漫画『宇宙兄弟』でも描かれているように、子供の頃のムッタとヒビトが筑波宇宙センターに通い詰めていた気持ちがよくわかる。私もJAXAで働く前から宇宙への憧れや興味が先行して、日本科学未来館でボランティアしたり、JAXA情報センターのJAXAiの説明員として働いたりしてたわけだ。そしてその後は、彼らのように宇宙飛行士にはならなかったが、縁あってJAXAに入社して今の仕事をしているわけだ。
そんな経緯でJAXAに入った私だったが、入ってからがもう大変。つまり私の場合、強い憧れが逆に仕事の弊害になったのだ。入社初日に筑波宇宙センターの門をくぐった私は、きっと新卒の若い子たちに負けないくらい目がキラッキラッしていたはずだ。これから一緒に仕事をする宇宙飛行士たちをヒーローのように思っていたし、これから始まるJAXAでの日々を想像しただけで胸は高鳴っていた。でもそうゆうことだと全く仕事にならないってことを、入社したその日に悟ることになる。つまり憧れが入社初日で危機感に変わるのだ。
初めて足を踏み入れた宇宙飛行士室で、初対面の野口さんが「中山さんの仕事はこうこう、こうゆう内容です」と説明してくれた。最初は憧れの宇宙飛行士が目の前で説明してくれてることに舞い上がってたわけだが、次第に「これ、本当に自分ができるのか…」と不安に包まれていった。私は宇宙飛行士に会ったら、「あんな事やこんな事、いろいろ聞いてみたい!!」と手ぐすね引いて準備していたのだが、野口さんの説明を聞き終わると半ば呆然としている自分がいた。そしてそのとき、野口さんに正直に言った。「今のお話を聞いて興味本位で質問してる場合じゃないと思いました。だから聞きたいと思ってたこと全部捨てちゃいました」と…。すると野口さんは、「それでいいです」と真顔で答えた。
その日から四苦八苦、東奔西走の日々が続く。「あなたの仕事は宇宙飛行士たちの、スケジュール管理です」と短く簡単に言われても、それに付随する細かな関連業務は一言では収まらない。各方面から次々に入ってくる様々な案件。ABCの案件のどれを優先したらいいかわからない。宇宙飛行士の考えも、周りが何をどこまで私に求めているのかわからない…。わからないことだらけで、唯一わかるのは、自分が何もわかっていないということだけ。とにかく資料を見ながら、わからないこと全部書き出して、一つ一つ上司の野口さんに聞いたり、他の職員に聞き回って、何とか仕事を始めた。
そしてその当時、私は向井千秋さんのスケジュール管理も担当していたのだが、入社してまだ1か月も経ってないときだったろうか…。スケジュールに関して、ほんとに細かいことだけど、どっちに決めていいかわからないことがあった。今思えば簡単なことなのだが、それを向井さんに尋ねたことがあった。で、次の瞬間…、
向井「あなた!そんなことでやっていけると思ってんの!それを判断するのがあなたの仕事でしょ!」
それはもうびっくりした。部屋中に響き渡るような大声だった。大人になってからあんなに大声で怒られたことはなかったので、あっけにとられた。あとから聞いた話では、向井さんはよく私について、「あの人は宇宙大好き、宇宙飛行士大好きで入ってきた人だから、それがダメなのよ。それでは務まらないのよこの仕事」と言っていたらしい。だからこのときがいいタイミングとばかり、向井さんは私に雷を落としたのだ。
でも、私は浮ついたり甘えたりしてるつもりはなかった。入社初日に野口さんから業務内容を説明されて以来、憧れのキラキラした気持ちから必死モードに切り替えていたつもりだった。ちゃんと頑張っていたつもりだった。でも、向井さんの目には、あのときの私はまだ、一時が万事『つもり』だけでいる人だったんだと思う。
今思えばあれが、「もう一度自分を一から見つめ直さなければ」と、気持ちが切り替わった瞬間だった。そしてその時から、「一人のJAXA職員として、一から勉強して何でも吸収していくしかない」と心底腹を括ったのだ。
向井「あなたの仕事は宇宙飛行士に『ここは違う!』とちゃんと言わなきゃいけない仕事なんだから」
あのとき向井さんに言われた言葉が、自分の仕事における戒めになっている。
レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与される向井さん(フランス大使館 2015年)。この勲章はフランスの最高勲章で、軍人や文化・科学・産業・商業・創作活動などの分野における民間人の「卓越した功績」を表彰することを目的としたもの。向井さんは2回にわたり宇宙で研究活動に関わったほか、フランスの国際宇宙大学で人材育成に貢献したことが評価された。
向井さんに怒られてからも、「役に立ちたい。でもわからないことだらけ」という、理想と現実のギャップを埋めようと焦る日々が続く。そんな中で失敗も多い私を、向井さんは「いつもよくやってくれて、ありがとう」と事あるごとに励ましてくれたものだ。今は向井さんとお会いする機会は少なくなったけれど、向井さんに怒られたあの瞬間があるから、何とか私は今に至っていると思う。
そういえばもう一つ…。向井さんに怒られた時、すぐ隣に野口さんもいた。そして向井さんの迫力に圧倒されながらも、可愛い部下が怒られているのを見かねて、「まぁまぁ」と庇って下さったっけ(笑)。先ごろ、その野口さんは2019年後半の予定で、自身3度目となる宇宙飛行にアサイン(任命)された。JAXA史上最高齢での宇宙飛行となり、予定通りであればISS滞在中に55歳の誕生日も迎えることになる。あのとき庇ってくれた恩に報いるためにも(笑)、これからも宇宙飛行士たちのサポートに邁進していきたいと思う。但し、私の場合は歳は変わらず、「永遠の28歳」のマネージャーとして…。
『宇宙兄弟リアル』次回登場のリアルは!?
病理医・伊東凛平、のリアル!
次回登場する『宇宙兄弟リアル』は、宇宙飛行士・伊東せりかの父、病理医・伊東凛平のリアル、木平清人博士(きぼう利用センター研究開発員)です!
宇宙飛行士が『きぼう』日本実験棟などで行うさまざまな宇宙実験に際して、国内外の研究者から提案される実験内容を検討・調整し、宇宙飛行士と協力して実際に実験を進める指揮を執っている。果たして今、最前線の宇宙実験の現場では何が行われ、どんな発見があるのか!?
ご本人に質問したい事があれば、筆者ツイッター(@allroundeye)に書き込み下さい。読者の皆さんから頂いた質問内容を可能な限り反映してインタビューを進めて参ります!また連載に関して感想・希望などあれば合わせてお寄せ頂ければ幸いです。頂いたご意見を交え、さらに充実した連載にしていきます。
【宇宙兄弟リアル】が書籍になりました!
『宇宙兄弟』に登場する個性溢れるキャラクターたちのモデルともなったリアル(実在)な人々を、『JAXA』の中で探し出し、リアルな話を聞いているこの連載が書籍化!大幅加筆で、よりリアルな宇宙開発の最前線の現場の空気感をお届けいたします。
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<筆者紹介> 岡田茂(オカダ シゲル)
東京生まれ、神奈川育ち。東京農業大学卒業後、農業とは無関係のIT関連の業界新聞社の記者・編集者を経て、現在も農業とは無関係の映像業界の仕事に従事。いつか何らかの形で農業に貢献したいと願っている。宇宙開発に関連した仕事では、児童書「宇宙がきみをまっている 若田光一」(汐文社)、インタビュー写真集「宇宙飛行 〜行ってみてわかってこと、伝えたいこと〜 若田光一」(日本実業出版社)、図鑑「大解明!!宇宙飛行士」全3巻(汐文社)、ビジネス書「一瞬で判断する力 若田光一」(日本実業出版社)、TV番組「情熱大陸 宇宙飛行士・若田光一」(MBS)、TV番組「宇宙世紀の日本人」(ヒストリーチャンネル)、TV番組「月面着陸40周年スペシャル〜アポロ計画、偉大なる1歩〜」(ヒストリーチャンネル)等がある。
<連載ロゴ制作> 栗原智幸
デザイナー兼野菜農家。千葉で野菜を作りながら、Tシャツ、Webバナー広告、各種ロゴ、コンサート・演劇等の公演チラシのデザイン、また映像制作に従事している。『宇宙兄弟』の愛読者。好きなキャラは宇宙飛行士を舞台役者に例えた紫三世。自身も劇団(タッタタ探検組合)に所属する役者の顔も持っている。