《第2回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士が、“飛ばなくなる”時
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。
前回は新人〜中堅の宇宙飛行士の人生についてお話しました。今回は、もう少し先の中堅より上、「マネジメント」を任されるシニア時代についてお話していきます。宇宙飛行士の中には“飛ばなくなる”人も現れます。
まず、宇宙飛行士の役職名について整理をしておきましょう。宇宙飛行士にも、それぞれの仕事・役割に応じて役職名があります。
国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士は、「コマンダー」と「フライトエンジニア」の二つに分類されます。船長であるコマンダーは非常に責任重大なポジションであり、チームにひとりしか存在しません。
●国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士の分類
まずはコマンダーの役割から見ていきましょう。大きく分けて4つの役割があります。
・火災や空気漏れなど万が一の事態が起きた場合に対応の指揮をとり、国際宇宙ステーションに滞在している宇宙飛行士全員(自分を含めて6名)の安全を確保する。
・宇宙飛行士全員の健康状態を把握し、状況に応じて地上の運用管制チームやフライトサージャン(航空宇宙医師)と調整を行い、宇宙飛行士が健康に滞在できるようにする。
・計画されたミッションを確実に達成するため、地上管制チームと作業計画を調整する。
・後述のフライトエンジニアと同じ役割を担う。
以上の役割は、国際宇宙ステーションでの滞在中のものですが、コマンダーの仕事は、地上での訓練段階からも始まっています。例えば、訓練日程の調整もコマンダーの仕事です。訓練日程が過密になっており、宇宙飛行士に負担がかかっていると判断すれば、コマンダーは訓練担当に日程変更を申し入れたりすることができるのです。
続いて、フライトエンジニアです。フライトエンジニアの主な役割は、国際宇宙ステーションのシステム機器や実験機器の操作、保守点検、不具合時の対応です。
国際宇宙ステーションや「きぼう」のロボットアーム操作及び船外活動は、わずかな操作ミスや、ちょっとした気の緩みが重大な事故を引き起こします。それゆえフライトエンジニアは、搭乗までに多くの時間を費やして訓練を行います。
しかし、いかに訓練を行っても、実際の宇宙で必ずしもロボットアームや船外活動を行うとは限りません。ミッションの内容や搭乗する宇宙飛行士の組合せによって、仕事の割り当ては変わるのです。それでも、いつ自分に仕事が割り当てられても最高のパフォーマンスを発揮できるように訓練に励みます。
●コマンダーの先にいる自分を描く、シニア時代
「宇宙飛行士のプロフェッショナリズムとは何か?」
この問いの出口は様々でしょう。しかし入り口ははっきりしています。それは「徹底的に技術を磨く」ということです。
その上で、私が見た限り、宇宙飛行士が真にプロフェッショナリズムを獲得するのは、やはり宇宙飛行をした後です。普段の訓練では獲得できない、自分がやり遂げたことへの満足感や、〝飛ばない宇宙飛行士〟時代との決別が顔つきに自信となって表れ、何もかもが変わっていきます。ミッションを通していろいろな人と出会い、多様な考え方を吸収し、明確に物事を判断できるようになります。やはり宇宙に飛んでこそ宇宙飛行士なのです。
新人~中堅時代にかけて技術を磨き、宇宙を飛んだ経験を持つプロフェッショナルの宇宙飛行士は、次第にマネジメントを任されます。
中堅までは自分だけで結果を出せばよかったものですが、マネジメントする立場になるとチームとして、組織としての成果を期待されるようになります。それぞれの部門・課の仕事のリーダーとして、そして、部門長・課長としてマネジメントで成果を出すことが求められる、宇宙飛行士のシニア時代の幕開けです。宇宙飛行士によって個人差がありますが、私は15年以上の経験を有する宇宙飛行士がシニアに該当すると思っています。
ビジネスでも似たようなシーンがありますね。いわゆる〝平〟の社員から主任、係長といった役職で結果を出すことで、課長代理・課長補佐といった職へステップアップしていくようなことです。かつては上司からの期待に応えていればよかったところが、いつしか組織からの期待に応えなければならなくなる。同じ部署の仲間を「後輩」よりも「部下」と呼ぶことが多くなったりと、いろんな意味で転機が訪れるのがシニア社員の時代です。
会社員のシニア時代が課長・次長・部長などの管理職への準備期間であるのと同様に、宇宙飛行士のシニア時代は、最終ステップとしてのコマンダー(船長)になるための準備期間でもあります。
2014年3月9日の日本時間の夕方、国際宇宙ステーションに長期滞在中の若田宇宙飛行士は、前任のオレッグ・コトフ宇宙飛行士(ロシア)に次いで、第39代の国際宇宙ステーションのコマンダーに就任し、話題となりました。
国際宇宙ステーションのコマンダーは、各国のクルーを束ね、ミッション達成に導くリーダーとしての役割が任されます。
コマンダーはまさに国際宇宙ステーションにおいて一番重要な役職であり、私は、その重要な役目が日本人に任せられたことがとても嬉しいですし、若田宇宙飛行士を誇りに思っています。
コマンダーほどの要職を任されるようになると、宇宙飛行士は組織からの様々な期待を背負うようになります。そして多くの責任がのしかかる中、自分の将来を考え始めます。そこには宇宙飛行士を辞めるという選択肢すらも含まれます。
●飛ばなくなる者、飛び続ける者
宇宙飛行士という人生を選び、その半生を訓練と宇宙に費やしてきた日々に、再び選択の時がやってきます。
宇宙飛行士としてのキャリアが20年を越え、コマンダーを歴任するようになると、気づけば自分の定年までの年数が数えやすくなってくる、ということが少なくありません。この時の宇宙飛行士の将来の選択肢は大きく分けて2つになります。すなわち飛ぶのを辞めるか、飛び続けるか、です。
飛ぶのを辞める、つまり宇宙飛行士を引退するという選択肢を選ぶ宇宙飛行士が理由に挙げるのは、ハードな訓練生活に耐えうる気力・体力が続かなくなったことや、病気になってしまったこと、そして家族からの希望などがあります。たとえばコロンビア号の事故があった時に、自分の配偶者に「あなたを失いたくない。宇宙飛行士を辞めてほしい」と懇願されて引退した宇宙飛行士が実際にいました。定年に近づくにつれて、宇宙という職場のリスクが、家族にとっても、どっと重く感じられるようになることは否めません。
また、宇宙飛行士を引退しても宇宙機関に残りながら、センター長などの経営幹部として活躍するケースもあります。たとえば、ジョンソン宇宙センターの現センター長(Johnson Space Center Director)は女性の元宇宙飛行士・Ellen Ochoaです。4度にわたる宇宙飛行で、軌道上に約1000時間滞在した実績を持つ宇宙飛行士であるとともに、光学系で3つの特許を取得している研究者であり発明家でもあります。
また、現在のNASAの長官(12th NASA Administrator)・Charles Boldenも男性の元宇宙飛行士です。NASAの宇宙飛行士室(Astronaut Office)に14年間在籍し、4度にわたって軌道上に滞在、そのうち2度はコマンダーとして、残りの2度はパイロットとして活躍していました。
このように、コマンダー時代に培ったマネジメント能力や実績を活かし、経営幹部としてキャリアを駆け上がる宇宙飛行士もいるのです。ビジネスのシーンで言えば、部長、本部長、執行役員、そして常務、専務、副社長、社長といった役職へと進むことがこれにあたります。
宇宙飛行士を引退し、さらにJAXAなどの宇宙機関も辞めて違う場所に移り、新しい道を見つけるという選択肢もあります。つまり転職です。
たとえば毛利衛宇宙飛行士は、JAXAがまだNASDA(宇宙開発事業団)と呼ばれていた頃に採用された、元科学者の宇宙飛行士でした。1985年、初めて日本の宇宙飛行士を募集した時に採用されたとあって、当時は数多くのメディアに取り上げられ、スペースシャトル「エンデバー号」での活躍の数々が報じられました。毛利宇宙飛行士は今、日本科学未来館の館長として、科学の価値と役割を社会へ伝えることを実践しています。また、毛利宇宙飛行士と同時期に採用された土井隆雄宇宙飛行士は、国連職員として国際連合宇宙部・宇宙応用課長に就任し、国際的に活躍しています。
他の国では大学で教鞭をとる人、政治家、評論家、さらには宗教家になる人もいます。宇宙飛行士の転職は非常に多種多様です。
そして、飛び続ける道を選ぶ人もいます。すなわち、管理職・経営幹部への道を捨て、〝平の宇宙飛行士〟に戻るという選択肢です。
特殊な事例でもあり、JAXAではまだ前例がありませんが、NASAの場合では、私が知っている宇宙飛行士では2名、飛び続けることを選んだ宇宙飛行士がいます。
1510時間もの宇宙滞在時間の記録を持ち、数々のミッションにおいてコマンダーの経験を持つベテラン宇宙飛行士・Steven W. Lindsey、そして2度にわたる国際宇宙ステーションのミッションで合計377日もの間軌道上に滞在し、女性最長の記録を持つPeggy A. Whitsonがそうです。どちらも非常に優秀な宇宙飛行士であり、NASA宇宙飛行士を束ねる室長でした。マネジメント能力も持ちながら、純粋に宇宙を飛び続けることを選んだ人たちです。
宇宙飛行士として実績を持ち、コマンダー経験を持っていれば、次は宇宙飛行士室長となってマネジメントに携わるというのが一般的なキャリアのひとつです。しかし、ひとたび宇宙飛行士室長になれば、次は誰を宇宙飛行にアサインするかを判断する立場になります。室長が自らをアサインすることはできないので、自分は宇宙に行くことができません。つまり、飛ぶためには宇宙飛行士室長を辞めなければならないのです。
これは一般的なビジネスシーンでは奇妙に見えるかもしれません。ある日突然、部長クラスだった人が中堅社員と肩を並べて仕事をし始めるわけですから。しかし、これは〝降格〟ではありません。若手に負けないために自分の体力との戦いは日に日に厳しくなりますが、現場主義を貫く確固たる意志は、他の現役宇宙飛行士からも尊敬の眼差しをもって迎えられます。かっこいいですよね、純粋に宇宙に憧れた目つきのまま、その宇宙飛行士人生を全うするのですから。とてもロマンがあります。
宇宙機関運営の中核を目指すか、あるいは転職して自らの道を開拓するか、自分のポジションを捨てて生涯現役を貫くか……私はどの道も素晴らしいと思います。新しい自分の生き方を決め、努力していく姿は、宇宙飛行士時代の実績とともに、他の宇宙飛行士に「宇宙飛行の鑑」として語り継がれます。
多くの宇宙飛行士がコマンダー時代に自らの進路を決めて進んでいきます。私の印象では、宇宙飛行士はもともと人生設計が非常に上手い人たちです。なりたい未来の自分に目がけて、積極的に舵を切る生き方をしていくのが特徴です。
こうして宇宙飛行士は、飛ばなくなる者、飛び続ける者に分かれ、それぞれの道へ進んでいきます。
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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。
<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。