僕は美術館で絵を見るとき、守衛に怒られる寸前まで目を絵に近づけて筆のストロークを見るのが好きだ。時として、絵の全体よりも一筆、一筆がなすった絵の具の動きの方が、ピカソの孤独を、ゴッホの苦悩を、ゴーギャンの理想を、モネの美意識を、雄弁に語るからだ。
職場の廊下に飾られたこの人類初の火星からの「ぬり絵」を眺めるときも、僕は目を極限まで近づけて見るのが好きだ。怪しまれるだろうが、美術館と違って神経質な守衛はいない。
目を近づけていくと、タイプされた無機質な数字の列の上に、乱雑で大ぶりなパステルのストロークが見えてくる。そこから五十年前のエンジニアたちの破裂するほどの興奮が、時を超えて生き生きと伝わってくるのである。
僕もその興奮を知っている。仕事で火星の写真を見る時に感じる、あの興奮である。現代の火星オービターは25㎝という超高解像度の写真を送ってくる。解像度は1万倍も違う。だが、胸を躍らす興奮は同じに違いない。
そしてそれは、写真を見たエンジニアだけの興奮ではない。
そこに何かいるのか?
そこに何がいるのか?
その問いの答えを追い続けた人類の、数百年積もりに積もった好奇心が解き放たれる瞬間の、破裂するような興奮なのだ。
では、そこに何かいたのか? 何が映っていたのか?
何もいなかった。
町や畑はおろか、川も、湖も、森も、草原もなかった。22枚の写真に写っていたのはどれも、月と同じようにクレーターだらけの地表だった。
クレーターとは世界の死痕である。地球にクレーターがほとんどないのは、幸運にも隕石が当たらなかったからではない。数十万のクレーターがある月にも、たった190しかない地球にも、同じ頻度で隕石が降り注ぎ、衝突のたびにクレーターが抉られる。違いは世界の生き死にだ。生きている人の肌は傷ついても治るが、死者の傷は癒えない。同じように、地球では雨風による侵食、火山活動やプレートテクトニクスなどがクレーターを常に消しているが、地質学的に「死んで」いる世界では数十億年分の傷がそのまま残る。世界初のデジタル写真が捉えたのは、火星の死に顔だったのだ。
Credit: NASA/JPL-Caltech
火星の死はカメラ以外の科学機器によっても確かめられた。表面気圧は0.004から0.007気圧だった。これほどの低い気圧では液体の水は存在できない。瞬時に沸騰するか、凍りつくかだ。さらに、火星にはほとんど磁場がなかった。地球は磁場のおかげで太陽や宇宙からの放射線から守られているが、この世界には無防備に放射線が降り注いでいた。
金星に生命が存在する可能性も、これより前に潰えていた。1956年、電波望遠で金星を観測したところ、表面温度が300℃以上もあるようだという報告がなされた。これを確かめたのが、一九六三年に金星をフライバイしたマリナー2号だった。実際の表面平均温度は460℃。もし酸素があれば木が自然発火する温度である。そして空に浮かんでいたのは硫酸の雲だった。
金星への最終的な死亡宣告は、着陸に成功したソ連の探査機によって告げられた。あまりの高温のため、探査機は着陸後長くても約二時間しかもたなかった。わずかな時間に撮られた写真に写っていたのは、かつての人々の想像とはかけ離れた寂寥たる風景だった。これ以降、「金星人」はSFの中にすら居場所を失った。
月、金星、火星はどれも死の世界だった。これが1960年代の太陽系探査の結論だ。月はまだしも、地球と似ていると思われていた金星・火星までもが、である。ましてやそれより遠い世界に何を期待できよう? きっと太陽系のどの世界もクレーターだらけの死に顔をしているのであろう。野に咲く花も、春に鳴く鳥も、森に遊ぶ虫も、地を這う獣も、谷を割る川も、火を吹く山も、一切の動くものをそこに想像することは難しかった。そんな空っぽの宇宙に、「何かいるのか? 何がいるのか?」という問いは虚ろに響いた。
地球は再び宇宙での特別な存在に戻った。だが、新たな宇宙観は天動説のそれとは異なっていた。地球は全宇宙の星々を従える皇帝ではなく、累々たる屍の山にただ一人取り残された兵士だった。惑星探査の先駆者・マリナー2号と4号が発見したのは、地球の絶望的な孤独だったのである。