【Brothers#1 デニム兄弟】6年間ほとんど話さない時期もあったけど、嫌いになったことは一度もない。 | 『宇宙兄弟』公式サイト

【Brothers#1 デニム兄弟】6年間ほとんど話さない時期もあったけど、嫌いになったことは一度もない。

2021.12.07
text by:編集部コルク
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この世には、ありとあらゆる「関係性」を表す言葉がある。
友達、恋人、ライバル、同僚──。
「きょうだい」もまたそのひとつ。『宇宙兄弟』でも、ムッタとヒビトをはじめとした、様々な「きょうだい」たちの関係性が描かれている。

でも、きょうだいって、果たしていったい何なのだろう?

一般的には、同じ親から生まれたという血縁関係を指す言葉だが、どうにもこの言葉には、血の繋がりだけではない何かが潜んでいるような気がする。血が繋がっていなくても「きょうだいっぽさ」を感じることはあるし、逆に、実のきょうだいであったとしても、その実感を得られないことはあるからだ。

いろんな「きょうだい=Brothers」を紐解いて、その関係性について考える連載が、本日からスタートします。

※宇宙兄弟から取って連載名を「Brothers」としていますが、本連載では、ありとあらゆる性別における「きょうだい」を取り上げます。


■今回の「Brothers」
山脇耀平さん(兄)・島田舜介さん(弟)
兵庫県加古川市に生まれ育つ。弟の島田さんが20歳の時に母方の養子に入ったため兄の山脇さんと苗字は違うが、同じ家庭で育った血のつながりのある兄弟。2015年より兄弟でデニムブランド「EVERY DENIM」(現:ITONAMI)を立ち上げ、デニムの製造販売、キャンピングカーでの日本一周などの活動を経たのち、2020年に株式会社ITONAMIを設立。現在は、岡山県倉敷市にある宿泊施設「DENIM HOSTEL float」の運営や、オリジナルデニムの製造・販売、その他デニムにかかわるさまざまなプロジェクトを行っている。通称「デニム兄弟」。

「月と地球って兄弟みたいよね。つかず離れず……だけど互いをちゃんと見ている」


幼い頃は、もっと「兄」と「弟」感が強かった

── 今日はよろしくお願いします。

山脇・島田 よろしくお願いします!

── さっそくですが、おふたりは一緒に会社を経営されていて、メディアでも「デニム兄弟」としてたくさん取り上げられているので、ものすごく仲が良いイメージがあります。

画面右・山脇さん(兄) 左・島田さん(弟)


島田 そうですね。実際に仲は良いと思います。

── 幼い頃からそうだったんですか?

山脇 幼い頃は、今と比較するともっとちゃんと「兄」と「弟」という感じがあった気がします。僕が1992年生まれで弟の島田が1994年生まれ。僕の方が成長が2年早く体も大きかったし、両親の教育方針もあって「兄である僕が引っ張っていかなくちゃ」と思っていましたね。

島田 僕は今と違って、けっこうポケーっとしてる性格だったんです。だからとにかく何も考えずにただ遊んでもらっていました。

右・山脇さん(兄) 左・島田さん(弟)


山脇 僕は当時チャキチャキしていて、遊びのルールなんかも自分で作っていっちゃうようなタイプ。今から振り返るとめっちゃ偉そうにしていた気がします。弟はなんでも言うことを聞くと思っていたから、僕が食べたお菓子を弟が食べたことにしたり、何回罪をなすりつけたことか……(笑)。

島田 ははは(笑)。でもずっと一緒に遊んでいたり、服も色違いでおそろいのものを着ていたり、とにかく仲は良かったですね。

突然「ガキ大将」になった弟

── 島田さんが幼い頃ポケーっとしていた、というのが信じられないです。今は経営者でめちゃくちゃテキパキとされているので。

島田 僕、小学校に入ってから急に性格が変わったんですよ。体が大きくなったこともあって、いきなりガキ大将みたいになったんです(笑)。

── なんと、そういう変化が……!

島田 体が大きく運動もできる方だったので、小学校に入ってからは、ある程度何をやっても僕が一番みたいな状態になって。それがそのまんま態度に出ていました。「みんな、俺の言うこと聞けるやんな?」みたいな(笑)。

山脇 そうだったね。

── 島田さんのそういった性格の変化は、兄弟関係に影響を与えなかったんですか?

島田 あんまり影響なかった気がしますね。引き続き山脇は僕より体も大きかったですし。でも、その頃から僕が喧嘩を吹っかけるようになったかもしれないです。通用しないのが悔しいという気持ちが芽生え始めて、一緒にゲームしていても負けたらすっごい怒ったり(笑)。

右・島田さん(弟) 左・山脇さん(兄)


── そんな時、山脇さんはどんな対応をしていたんでしょう?

山脇 僕はもう、すごい大人だったんで(笑)。僕からわざと負けてあげたりしていましたね。

島田 めちゃくちゃ優しい。

山脇 自分が勝つ喜びよりも、弟の機嫌を損ねない方が僕にとっては大事なことだったのかもしれません。ゲームで特に勝ちたいという気持ちもなかったので、ふたりが楽しかったらいいなと。僕が勝つと彼がすぐ怒るんで工夫してやっていました(笑)。

まったく口を聞かなくなった中学時代

── 幼少期も現在も基本的には仲良しとのことですが、おふたりの仲が険悪だった時期はないんですか? 

島田 険悪になったことはないんですけど、山脇が中学校に入学したあたりからまったく話さなくなりました。山脇は頭がかなり賢くて、受験をして私立の進学校へ入学したので単純に生活リズムが合わなくなって。あと、尖りに尖っていたんですよ、中学時代の山脇は(笑)。

山脇 (笑)。

右・山脇さん(兄) 左・島田さん(弟)


── いわゆる反抗期的な……?

山脇 はい。心を閉ざす系の反抗期でしたね。歯向かったりするんじゃなくて、ひたすら何もかもが鬱陶しくなって、何にも話したくなくなってしまいました。

島田 急に性格が暗くなって驚きましたよ。僕ら家族が何を話しても何も答えてくれなくて、ごはんをササッと食べて自分の部屋に引きこもっていって。

── えええ。そんな山脇さんを見て、島田さんはどう思っていたんですか?

島田 僕は僕で中学時代はめっちゃ忙しくて、山脇のことを気にしている余裕がなかったんです。中学では陸上部に入ったんですけど、その部活がとにかく厳しくって。顧問の先生が怖すぎて、クラスでガキ大将もできなくなるくらい震え上がっていました。毎日泣きそうになるくらいまで練習していたので、それでもう精一杯。だから、「お兄ちゃん、急に何も話さんくなって眉毛も剃ってエスカレーターに座っとる。どうしたんやろ?」くらいの感じでした(笑)。

── (笑)。

山脇 なんか、当時はエスカレーターで手すりを持って立つことがダサいって思ってたんですよね……(笑)。

”空白の6年”を経て、ふたたび訪れた兄弟の時間

── そんな疎遠だった二人の仲が変わっていくのはいつ頃だったのでしょうか。

山脇 僕が高校3年生になった頃ですね。

── じゃあ、6年間も疎遠な時期が続いていたんですか……!?

島田 そうです。

── どうしてその関係が変わっていったんでしょうか。

山脇 まず、僕は中学・高校と野球部に所属していて、高校3年生の夏に引退したので家にいる時間がめっちゃ長くなったんですよ。島田はその時高校1年生なわけですが、彼も彼で中学の陸上部で燃え尽きて、高校は帰宅部でずっと家にいたんです。

島田 ここから僕の堕落時代が始まりますね(笑)。学校が終わったらすぐ家に帰ってソファーでテレビ。土日は新喜劇の時間まで寝ている……くらいの堕落感。ゲームして寝てゲームしてもう一回寝て、みたいな。

── 「家にいる時間が長い」という兄弟の生活リズムが揃ったんですね。

山脇 そうなんです。家で一緒に過ごす時間が増えて、僕の反抗期も落ち着いてきていたので自然と話すようになっていきました。テレビを一緒に見ていたりして「やっぱり好きなものが似てるのかな」と思う瞬間は多かったですね。笑うポイントや、好きなタレントが同じだったり。

島田 それは僕も感じていました。ニュースなども含め、おたがいの意見のようなものを話すようになって、「山脇ってこんなこと考えてるんや」と、相手に対する発見や共感が多くあった時期だと思います。

山脇 僕が1年浪人をしているので、まるまる2年間、そういう時期が続いたんです。生まれ育った加古川の河川敷沿いをよく一緒にランニングしていましたね。僕が行きたい大学とか、将来の話をたくさんして。まったく話さなかった空白の6年なんてまるでなかったかのような……それくらい、自然にずっと一緒にいました。

島田 幼少期から、ふたりの関係って実は変わらないんですよね。疎遠になったりよく話したり、その時々で「話す頻度」は違うけど、それは結局、生活リズムが合っているかどうかなだけで。別におたがいのことを嫌いになったりは一度もしていない。タイミングが合えばいつも仲は良いんです。でも今思うと、高校のあのたくさん話した時期があったからこそ、今があるような気はしますね。

遊び呆けていた兄を、弟が奮起させた

── 山脇さんは、大学で関東に上京されていますよね。島田さんは翌年岡山へ。ふたりが急激に仲を深めた高校時代から一変、また別々の生活になったと思いますが、ここではまた疎遠になったんですか?

島田 めっちゃ頻繁に連絡を取り合っていたわけではないですけど、そこまで疎遠にはならなかったです。ふたりでニューヨーク、ボストンに旅行したりもしています。

山脇 まったくのプライベートでね。たしか、「おたがい大学生になって、夏は時間あるなあ。じゃあどこか行くか」くらいの感じだった気がします。

── 仲良し! その時は、まだEVERY DENIMは立ち上げていなかったんですよね?

山脇 まだですね。EVERY DENIMをやろうという話になったのが2014年。僕が大学3年生、島田が大学2年生の時です。

島田 僕は、高校3年間しっかりとおやすみをいただいたんで、そろそろ生きている証を見せないといけないと思っていたんです(笑)。だから、大学に入った瞬間から「何かやりたい」と思っていました。でも、もともと性格的にはガキ大将なんで、先輩の言うことを聞く環境は苦手だろうなって。それで自然と起業に興味を持って、学生団体のベンチャー研究会というものに入りました。いろんな起業家、実業家の方の話を聞いて、おもしろそうだなと。そのタイミングでデニムにも興味を持ち始めたのが、EVERY DENIMをはじめるきっかけです。

── 高校生時代とは真逆で精力的になっていったんですね。一方、山脇さんはどんな大学生活を……?

山脇 はい、アルバイトとサークルで忙しくさせてもらっていました(笑)。弟の華々しい大学生活の裏で、僕は絵に描いたような一般的な大学生活を送っていましたね。大学2年生の夏、そろそろ将来のことを考えた方がいいっていう時期になっても「流れでいけるでしょ」みたいな感じで。

島田 そんな山脇を側から見ていて、やばいなって思いました。本当に何もやってなかったんで(笑)。それで、山脇が大学2年生の冬に、僕がとあるビジネスコンテストのファイナリストたちの発表会に山脇を誘ったんです。

山脇 そこでけっこう影響を受けましたね。自分の夢を生き生きと語っている同年代がたくさんいて、すごいなって。それに比べて僕は何にも力を入れず、単位も全然取れていなくて、1年生が終わった時点で4年間で卒業するのが難しいみたいな状態になっていて。このままじゃダメだと思って、1年休学していろいろと活動をしてみることにしました。そして紆余曲折を経て、EVERY DENIMを始めることになります。

右・山脇さん(兄) 左・島田さん(弟)


── 島田さんが山脇さんを奮起させたんですね。島田さんは当時、どんな思いだったんでしょうか。

島田 心配していましたし、ちゃんと自分の人生を選んで生きて欲しいなと思っていましたね。山脇は昔からずっと文章を書くのが好きで、そういう仕事に就きたいとも言っていたので、編集の経験ができるようなところを紹介したりもしました。

── そんな弟さんからの「おせっかい」に対して、山脇さんはどう思っていたんですか?

山脇 ありがたかったですよ。一緒にビジコンに行ったあたりから、島田への見方は確実に変わっていました。「できるやつなんだ」って、人生の中ではじめてリスペクトを抱くようになったと思います。それまでは、生きているフィールドも違ったので自分と重ねて考えることはなかったんですけど、「働く」っていう、ほとんどの人が共通して持つ物差しで見た時に、弟はすごいと思うようになりましたね。

おたがいへのリスペクトは忘れない。「デニム兄弟」になってからの2人の距離感。

── 一緒に事業をはじめて、「デニム兄弟」と呼ばれるようになってからの関係性は、どのようなものだったんでしょうか?

島田 最初の方は、僕が先にビジネスについて勉強していて情報量も多かったので、僕がやるべきことを洗い出して、山脇にその中でできそうなことをやってもらう、という感じでしたね。いつもリードするのは僕の方でした。

山脇 イベント登壇やお金周りの管理も島田がしてくれていたんですけど、事業が拡大していく中で、どうしてもお金に紐づく仕事が多くなっていって。お金周りは確実に島田の方が得意だったのですべて任せ、登壇などの仕事を僕が巻き取るようになり、次第に僕のできることも増えていきました。

── 事業の成長とともに、ふたりの役割も少しずつ変化していったんですね。

島田 そうですね。一緒に仕事するようになってから、ずっと僕が常にリードして山脇を見守っていくみたいな感じでやってたんですけど、ここ数年で、山脇の判断だけで進めてもらうことも自然と増えていきました。誰にも嫌われない柔和な物事の進め方とか、絶対に怒らないやさしさとか、僕にないところがたくさんあるので、今ではとても尊敬しています。

山脇 毎晩電話していたのも大きかったよね。

島田 そうですね。立ち上げてすぐの頃、僕と山脇は毎晩電話していたんです。住んでいる場所が岡山と東京ということもあり、ちゃんとコミュニケーションを取らないとなと思って。毎日おたがいの意見を共有したり雑談したり……。そのおかげで、おたがいが何をいいと思って何を駄目だと思ってるかなどをかなり詳細に共有できたので、今は感覚にズレが本当にないですね。

brothersとは、お互い補い合える存在。同志のような関係。

── では最後に、おたがいにとって相手の存在について教えてもらえるとうれしいです。

山脇 ITONAMIの会社が拡大していく中で、いろんな方とのコミュニケーションが増えているのですが、やっぱり島田は一番対等に話せる特別な存在だと思っています。だからこそ、島田にとっても自分が一番の理解者でありたい。僕らは仕事も一緒にしていることもありますけど、本当に「補い合える存在」です。島田が変わっていくにつれて僕も変わっていって、ふたりセットで変わっていく。兄弟という括りの中で、いろんなバランスを保ちながらこれからもやっていきたいです。

島田 山脇は「同志」みたいな感じがあって、なんだかんだで一緒にやってくれるやろう、楽しんでくれるやろうと思っています。何を言っても離れられないというか、縁が切れない、そういう安心感がある。そもそも、会社をやるために集まったわけじゃないので、「方向性の違いで解散」とかもないわけですよ。生まれた時から当たり前に側にいる。そんな関係があるって、すごいことだなと思いますね。