《第9回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士選抜試験の採点方法 | 『宇宙兄弟』公式サイト

《第9回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士選抜試験の採点方法

2016.10.20
text by:編集部コルク
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第9回
宇宙飛行士選抜試験の採点方法
宇宙飛行士選抜試験は言わずと知れた宇宙飛行士の登竜門。その倍率は178倍から572倍です。しかし、この超難関の試験をパスすれば、誰でも晴れて宇宙飛行士! というわけではありません。
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。

書類選考やペーパーの試験でのセレクト・アウトは客観的な数値をもとに行われますが、面接試験についてはどのように評価されているのでしょうか? 具体的に、どういった発言をすれば通過でき、どうすれば落選するのかをお話ししていきましょう。

●JAXAの公平性

今回ご紹介する例示は少し脚色しています。将来、宇宙飛行士候補者選抜試験を受けたいと思っている方、同じ問題が出るとは限りませんのでご注意を。

結論から言いますと、JAXAの選抜試験では常に、定性的なものを定量化して評価する仕組みを模索しています。

心理学における認知バイアス(判断をゆがめてしまう心理効果)の一種に「ハロー効果」があります。これは評価対象の際立った特徴に引きずられ、他の特徴についても誤った評価をしてしまうことを言います。お釈迦しゃか様のように後光が射していればどんなものでも神々しく見える、という誤った判断を指すことから「後光効果」とも呼ばれます。

たとえば面接官が自分と相性の合う人を面接してしまうと、何でもよく見えてしまって、客観的に正しい評価ができていないという時に「ハロー効果」が認められます。ハロー効果によって評価されて面接を通過させてしまうと、ライト・スタッフを持っているはずの人を落選させてしまったり、逆に、間違った人を採用してしまうリスクが高まります。そうした状況を避けるため、面接試験については、面接官からの質問事項はもちろん、受験者からの回答内容についても「この答えが出たら加点する」という条件定義を前もって決めています。

たとえば第二次選抜の一般・専門面接では応募動機の明確さ・強さを5分間で話してもらいますが、その後でたとえば「宇宙飛行士になれても、途中で病気になったりして一度も宇宙飛行ができないこともあります。あなたはどういう対応をしますか?」という質問をすることをあらかじめ決めてあります。この質問の意図は、宇宙飛行への強い意志を確認することです。ただし、そればかりではありません。人生におけるリスクについてどれだけ認識しているかも測っています。

ここで評価するポイントは、万が一のリスクに対して代替案はあるかどうか、そしてその代替案の妥当性です。たとえば「絶対宇宙飛行してみせます」という一点張りでは面接官の心は動かせません。確かに勢いはいいですが、なれなかった時のことを何も考えていません。熱意いっぱいで語ろうとも、常にリスクを念頭に入れて行動することが大切です。もちろん代替案の妥当性も評価の対象になります。

あるいは「宇宙飛行士としての人生には様々なリスクがあります。あなたは今までの人生でどんな危険な場面に遭遇しましたか? また、それに対してあなたはどんな対応を考えましたか?」という質問があります。これは受験者が「宇宙飛行士のリスクを普段からどのようなものと考えているか」を測定します。ここでは、生命の危険などの重大なリスクを、日常生活で的確にとらえ、想定範囲内に置いて行動しているという趣旨の回答が出ればポイントがつきます。

このような採点を、受験者の目の前で面接官全員で行います。そして面接が終わった後に集計し、意見の相違があればそこで全員で話し合って合意を取り付けるという2段階の評価方法を行っています。

面接では、点数制を導入することによって受験者の発言内容を定量化して評価し、面接官側のハロー効果を抑制します。そして、全員で協議することで、私たち評価する側での意見にも客観性を持たせています。こうして面接に公平性を保証しているのです。

さらに、選抜通過の可否についても、完全に点数制です。「この点数だったら通過、それ以下は落選」ということが前もって決められています。つまりどれだけ「この人、合格してほしいな」と誰もが心の中で願っていても、点数が満たなければ落選です。例外はありません。これがJAXAの公平性です。

いかに素晴らしい素質を持っていたとしても、点数が満たずに落選した受験者に対し、たとえ審査員であっても「やっぱりあの人……次の段階に進ませてあげようよ」と、異議申し立てをすることは許されません。それを許してしまうと、JAXA内部で権力のある人、声の大きな人の意見が通り、公平性を欠くことになってしまうからです。

この公平性は、おしなべて人生を懸けて挑んでくる受験者のために設けています。よって、私たちも辛くなることがあります。「この人、合格してほしいな」と思っていた人が、次の選抜試験の段階からいなくなると、やっぱり寂しい気持ちになります。しかし私たちは涙をのんでも、真に欲している宇宙飛行士にたどり着かなければならないのです。それが使命であり、この選抜試験の意義だからです。

●適格者を見抜く審美眼のつくりかた

ライト・スタッフを見抜ける神様の目があれば、どんなにいいだろうなと思います。ぱっと見て、いくつか言葉を交わし「この人で間違いない」と正しく選ぶことができれば、これほど複雑な仕組みをつくらなくてもいいわけですから。

つまり私たちは自分たちの目が神様から程遠く不確実なことを知っています。だからこそ、私たちは人の審美眼を時には正しく信じ、時には正しく疑うことが大切なのです。

たとえばJAXAでは外部専門家の目を借りることを積極的に行っています。

第5回の募集は、JAXAとしては初めて、将来のコマンダー候補となる人を選ぶという挑戦でもありました。若田・野口宇宙飛行士まで(第2回・3回の募集)はミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者:スペースシャトルの運用全般を担当し、ロボットアーム操作などのスペースシャトルのシステム運用や船外活動、パイロットの補佐などを行う)として採用していたため、NASAの選抜基準を参考にすることができました。

また、国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士として採用された古川・星出ほしで・山崎宇宙飛行士(第4回の募集)についても、NASAの選抜基準に日本の文化をミックスさせて選抜基準をつくることができました。しかし、コマンダー候補というのはJAXAも初めて採用する職種でもあることから、選抜をする際には運用場面において指揮権を行使した経験のある人の目を借りています。

国際宇宙ステーションの各国のクルーを束ね、ミッション達成に導くリーダーであり船長であるコマンダーには、自分の命を懸けて、多くの人の命を預かる運用能力が必要です。その能力を測るため、JAXAは全日空と日本航空でキャプテンをされた方に審査に加わっていただくことにしました。船長の素質を見抜くために、本当の船長の目を借りたわけです。

その他にも、マスコミに数多く取り上げられることも予測し、メディアとのコミュニケーション力を測るために、メディアの目も借りることにしました。元NHK職員の方にも審査に加わっていただきました。

このように、測りたい能力を適切に測ることのできる目を持った人を積極的に活用していくことで、より公平な評価をしています。

あるいは、測りたいものを、わかりやすくすることもあります。自分たちの目では見えないのであれば、可視化して評価する仕組みを考えます。

たとえば、先述した閉鎖試験の後に行われる「受験者相互評価」がそうです。「あなたは、あなた以外の2人といっしょに宇宙に行けます。誰と行きたいですか? 受験者の中から選び、その理由を述べてください」という条件つき課題を与え、自分と残り2人を受験者から選ばせます。これは非常に辛いことです。閉鎖環境に入って、目標を同じくする受験者同士で「みんなでいっしょに宇宙に行けたらいいよね」と話していた〝仲間〟から2名を選び、残りの人はだめだと言えというわけですから。

しかし、このストレスを与えられることによって、はじめて可視化されるものがあります。辛い中でそれぞれの受験者は自分の心の中をじっくりと分析していきます。そして誰を選ぶか、どんな言葉で理由を話すかを通し、その人がどれだけ人を見る目を持っているかがあぶり出され、見えてくるのです。そうして可視化されることではじめて、私たちの目でも捉えられる「能力」として評価することができるようになります。

また、先述しましたが、JAXAの選抜試験では自分の主観にだまされず、客観的評価に徹することで、自分たちの目を誰から見ても確実なものにしています。たとえば「社長の鶴の一声で採用が決まった」というエピソードは企業の採用物語で時折耳にします。しかし、JAXAの宇宙飛行士の採用においては、そうしたエピソードは一切生まれませんし、ましてや美談であってはならないと思っています。公平ではないからです。

そもそも、人生を懸けて挑み、残念にも落選した受験者のことを考えると、とてもできることではありません。もしも自分が落選者で、異議申し立てをした時に「実は社長の鶴の一声で……」なんて言われたら、いてもたってもいられませんよね? 全ての受験者は、公平に選ばれるべきであると同時に、公平に落とされるべきなのです。JAXAはその全ての評価プロセスを証明できるやり方しかとりません。何を聞かれても、自信をもって答えられるという選抜基準と体制を構築していますし、常にそうあるべきだと考えています。

それに、権力のある人が自分の立場を利用し、それまでの選考プロセスを飛び越えて、独断で採用を決めるということは、苦労して作り上げたプロセス全てがムダになる上に、適格者が選ばれる確率を低下させます。「社長の鶴の一声」は、もっとも避けるべき選抜方法のひとつでしょう。

これに加え、客観的になりすぎることにも注意が必要です。少しややこしいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、客観性ばかりを重視すると、本当に大切なことを見落としてしまいかねません。なぜなら私たちはみな、主観性で生きているひとりの人間だからです。

人と人をつなぐ「フィーリング」というものはとても大切です。たとえば面接で、とてもいいことを話している受験者がいたとします。コミュニケーション力もあって、こちらを退屈させません。評価の点でも、きちんとポイントをとっていきます。しかし、面接が終わった後に、

 

「なんか心に響かないよねー。なんでだろ? いいこと言ってるのにねえ?」

「あ、実は私もそう思いました」

 

と審査員側で意見が一致することがあります。こうした場合、どうするのでしょうか?

結論としては、私たちはこの人を落選させません。しかし「興味深い人だけれど、宇宙飛行士の観点からすると、そういうことを聞きたいんじゃないよね」というフィーリングを審査員の間で共有し、次の選抜での面接にかす視点にします。

いくら客観的にならなければならないとはいえ、相手の言っている言葉と感情を感じ取ることに目を閉じてしまってはいけません。感情が入っていない、当たり障りのない発言ばかりする受験者に対しては、感情を揺さぶるような質問をすることも必要でしょう。発言を数値化して評価するのも大切ですが、数値で表れないところを見るのも面接なのです。ここでは面接官の資質も問われていきます。

神様の目を持てない以上、私たちは主観と客観の間で揺れ動きながら、もっとも公平な評価を模索していくしかありません。その努力をしなくなってしまうと、きっと真にライト・スタッフを持った人も応募してくれなくなるのかもしれません。

公平性に全力が注がれていない採用に、人生を懸けることなんてできませんからね。

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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。41fO7W2PoTL._SX312_BO1,204,203,200_

<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。