ボイジャーが地球で旅の準備をしていた頃、別の探査機が火星の真の姿に迫っていた。
火星の理解の進展は、探査機の技術の進歩の直接的結果である。初の火星探査機マリナー4号はフライバイだった。特急列車のように火星を通過する瞬間に22枚の写真を撮るだけのミッションである。
1971年に火星に到着したマリナー9号は、図右上のようにエンジンを逆噴射して火星の重力に捉えられ、史上初の火星の人工衛星となった。その後、約一年弱にわたって火星を周回しながら全体をくまなく撮影し、7329枚もの写真を送ってきた。このように、対象となる世界の人工衛星となるタイプの探査機をオービターという。オービターはフライバイよりはるかに多くのデータを集めることができる。
さらに1976年、バイキング1号・2号が火星への史上初の着陸に成功した。着陸機のことをランダーと呼ぶ。上空から広範囲をカバーするオービターに対し、ランダーは着陸した一点を深く観測できる。
そして現代では六輪のローバーが火星の赤い大地を走っている。ローバーはランダーの観測を点から線へと拡張することができる。
ちなみに2020年には火星の空をドローンが飛ぶかもしれない。もし実現すれば、マーズ・ヘリコプター・スカウトと名付けられた重さ3㎏の小型ドローンはNASAのローバーに相乗りして火星へ行き、空を舞う。
では、これまでの探査で火星観は具体的にどう変わったのか。マリナー4号の22枚の写真によって与えられた「火星は死の世界」という認識は大局的には間違っていなかったが、二つの見落としがあった。一つは、現在の姿が過去の姿と同じとは限らないこと。 いま一つは、全ての場所が一様とは限らないことだ。
では、過去の火星には何があったのか?
水だ。およそ四十億年前、火星は液体の水があった。マリナー9号の写真には、蛇行する溝や三角州など、明らかに水が流れた結果作られた地形が写っていた。海があった可能性もある。さらに一九九七年にマーズ・グローバル・サーベイヤーが火星全体の標高マップを作った結果、北半球が一様に南半球より1〜3㎞ほども低いことがわかった。過去の火星の北半球は海、南半球は大陸だったのかもしれない。その頃の火星は、赤い惑星ではなく青い惑星だったかもしれない。
決定打を打ったのは、2004年に火星に着陸した二台のローバー、スピリットとオポチュニティーだった。水の中でしか生成しないミネラルや、流水作用で角が取れ丸くなった石を見つけた。過去の火星の表面に液体の水が存在したことは、もはや否定しようがなかった。それは即ち、濃い大気と温暖な気候があったことも意味した。地球は太陽系唯一のオアシスと思われていた。四十億年前には、オアシスは二つあったのである。
興味深いのは四十億年前という年代である。ちょうど地球に最初の命が生まれた頃だ。同じ太陽系の隣同士の世界によく似た環境があり、その一方に命が生まれた。ならば誰しもがこう思うだろう。
「そこにも何かいたのか?」
そして、現在の火星も単なる砂漠惑星ではなかった。赤道付近には標高2万5000メートル、エベレストの2.5倍もある太陽系最高峰のオリンポス火山がそびえていた。その山頂はほぼ宇宙空間にあり、空は昼でも暗く星が輝いている。その東には火山台地タルシスが広がっていた。標高3,000mから80,000m、南極大陸ほどの広さのある巨大な高原だ。そしてタルシスの東端に深い切り傷のように走っていたのがマリナー峡谷長さ40,000㎞、深さ70,000mにも達する、太陽系最大級の峡谷だった。平均深度1200mのグランドキャニオンは、マリナー渓谷と比べると子供のようである。
Credit: NASA/JPL-Caltech
マリナー渓谷には時々霧が立つことが知られている。地面に霜が降りることもある。火星ローバーは空に雲が浮かぶ様子を撮影している。わずかだが雪も降る。極地方では地表を数センチ掘ると氷の層があることもわかった。火星の地下には大量の水が氷として眠っていることが、現在ではわかっている。さらに興味深いことに、数千万年前に噴火したとみられる溶岩地形も見つかった。数千万年といえども、惑星の時間スケールでは昨日のようなものだ。おそらく、現在も火星の火山活動は完全には停止していないと考えられている。
火星は完全に死んではいなかった。息絶え絶えではあるが、地質学的な意味での「命」を繋ぎ止めていたのである。
しかし、なぜ四十億年前は地球と火星は双子のような世界だったのに、火星だけが瀕死状態になってしまったのか? 太陽から遠すぎたからか? 不運な事故に見舞われたのか? あるいは、惑星に感染する病のようなものがあるのだろうか?
火星表面から水が失われたのは、大気が失われて気温と気圧が下がったためである。では、なぜ大気が失われたのか? それは謎のままだ。ひとつの仮説は、単に火星が小さかったから、というものである。火星の直径は地球の約半分、質量は11%しかない。重力が小さいと大気を引き留める力も弱くなる。また、小さいと早く冷える。小さなシュウマイは大きな肉まんより早く冷めるのと同じだ。冷めると内部のコアの対流が止まる。すると「ダイナモ」という磁場を生み出すプロセスが止まる。磁場のバリアが消えたことで、太陽風が大気を剥ぎ取っていったというのがいまひとつの仮説である。
では、なぜ火星は小さいのか? これがまた謎である。「火星問題」と呼ばれるのだが、太陽系形成をシミュレーションすると、火星近辺には地球サイズの惑星ができてしかるべきなのだ。
いずれにせよ、火星表面から水が失われたのは必然というより、運命のカラクリといえよう。もし別のカラクリが回っていたら、死んでいたのは地球だったかもしれない。また、もし違うカラクリが回っていたら、まだ火星に川が流れ海に注いでいたのかもしれない。仮に四十億年前の火星に生命が生まれていたなら、高等生物や知的生物に進化していただろうか? 人類は彼らと共存できただろうか? あるいは、一方が他方を侵略するなどということがあったのだろうか?