《第6回》宇宙飛行士の採用基準ー宇宙飛行士の採用 〜本当の「ライト・スタッフ」の見抜き方〜
宇宙飛行士の候補者として選ばれた人には、真の宇宙飛行士となるべく様々な試練が待ち受けているのです。試験の合格は、宇宙飛行士人生の始まりにすぎません。
『宇宙兄弟』ではまさにそうした宇宙飛行士の人生がムッタやヒビトを通して描かれていますが、この連載では、宇宙飛行士を選び、育てる人の立場から、宇宙飛行士の一生を見つめます。書き手は、宇宙航空研究開発機構『JAXA』の山口孝夫さん。山口さんは1980年後半から「きぼう」の開発に携わり、宇宙飛行士の選抜、養成、訓練を通して宇宙開発の現場に長く関わってこられました。
そんな山口さんが宇宙飛行士の選び方と育て方、そして宇宙開発の最先端を語る著書が『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』(角川oneテーマ21)です。この連載では、同書の内容を全11回に分けてお届けします。
一般的な宇宙飛行士の選抜において、どのようにして適格者を選び出すか、その手法と基準についてお話ししていきます。つまり、いかにJAXAが「正しい資質(ライト・スタッフ)を持つ者」を見抜いているかということです。
●適格者を選び出す「セレクト・イン」と「セレクト・アウト」
一般的なイメージでは、応募者の中からライト・スタッフ、つまり宇宙飛行士の資質を持つ適格者を私たちが見抜き、「ずばりあなた、採用です」と選び出していると思われているかもしれません。
こうした、一定の評価基準を満たす適格者を集団から選ぶ方法を専門用語で「セレクト・イン(SELECT IN)」と呼びます。この方法は「宇宙飛行士の資質」の基準が明確である場合は、確実に資質を備えた人を選ぶことができます。よって、JAXAも一応はこの方法を試みます。しかし、この方法には短所があります。すなわち「宇宙飛行士の資質」つまり「測るべき能力」の定義と「測り方」がきちんと対応していないと、正しく適格者が選び出せないということです。
アメリカやロシアも、宇宙開発初期段階においてはセレクト・インを採用していました。両国の宇宙開発は軍事産業から出発しているので、アメリカ初の有人宇宙飛行計画である1960年代の「マーキュリー計画」などでは、軍の戦闘機パイロットの採用基準を参考にして人選をしていたといいます。被験者全員に、様々なストレスをかけた状態で操作試験などを行い、その反応を観察し、心理的な検査等を通して評価し、宇宙飛行士として採用していました。最初のうちはこれでよかったのかもしれませんが、宇宙産業が進歩し、宇宙のことがよりよくわかるにつれ、だんだん採用基準としての妥当性がなくなってきました。
そもそも彼らが参考にしていた戦闘機パイロットの採用基準が生まれたのは第二次世界大戦中、しかもプロペラ機のパイロット採用でした。時代が変わり、技術革新で飛行機も高性能化・高速化し、飛行距離も伸びていった先に宇宙船があるわけですから、宇宙飛行士を戦闘機パイロットと同じ採用基準で選んでいくことに無理が出てきたのです。宇宙飛行士に求められる能力も多様化した反面、セレクト・インでは、どうやって測るかが追いつかなくなっていったわけです。
おまけに、母集団の構成も複雑化しました。たとえば、ロケットにすら興味の無い人、月の存在を知らない人、軍隊でのジェット機のパイロットとしての経験があり宇宙に関して幅広く深い知識を持っている人、という3人の中からライト・スタッフをセレクト・インで選ぶのは簡単です。選ぶとすれば、もちろん3人目のパイロットです。しかし、実際の選抜ではそこまでシンプルな母集団構成をしていることはありません。将来の国防を担うような人材や、航空界の未来に貢献するであろう非常に優秀な人材がたくさん集まる中から、200~600倍の倍率で選ばなければならないのです。それだけの正確さでセレクト・インできる評価基準と方法論は、そもそも確立することすら可能かどうかわかりません。
そこで採用されたのが、不適格な人を母集団から排除していく方法である「セレクト・アウト(SELECT OUT)」でした。たとえば、学力が一定水準に満たない人を排除する日本の大学入試はそのほとんどがセレクト・アウトです。
一般的な宇宙飛行士の選抜におけるセレクト・アウトでもっともわかりやすい例は、任務遂行において最低限必要な健康状態を満たしていない者を除外するということです。健康状態は医学的検査で客観的な診断ができるため、一定の基準値を満たさない人を定量的に除外することができます。実際の宇宙飛行士候補者選抜試験では、肉体面に加え、精神面においても、任務遂行において不適切な要因を持っている人は、医師の客観的な評価のもと、除外されます。
そして不適格者が排除された中から数名の適格者を、セレクト・インの方法で選んでいるのが、一般的な宇宙飛行士候補者選抜試験の大まかな流れなのです。ここでは、セレクト・アウトとセレクト・インを使い分けて適格者を選ぶ手法についてお話ししようと思います。
●前提条件〝未満〟をセレクト・アウトする書類選考
それでは実際の選抜試験を見て行きましょう。ここでは第5回の「平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集」時を例にお話ししていきます。第5回では、油井亀美也宇宙飛行士、大西卓哉宇宙飛行士、そして金井宣茂宇宙飛行士の3名が採用されています。
まず、すべての受験者に課されるのは、書類選考というセレクト・アウトです。書類選考は大きく2つに分かれ、ひとつはヒアリングと筆記による英語試験、もうひとつは書類審査です。
国際宇宙ステーションの共通言語が英語であることから、最低限の英語の運用能力が無い人についてはセレクト・アウトです。続いて医学書類審査として健康診断書など、資質書類審査として志願書、経歴書を提出してもらいます。ここでは募集要項との適合性を確認します。つまり、私たちが求める基準を満たしているかをチェックして、満たしていなければセレクト・アウトです(※注参照)*3。
中には、募集要項に「大学(自然科学系)卒業以上であること」と書かれているにもかかわらず、堂々と「文学部」と書いて提出する人もいます。おそらく「だめもと」で送っている人なんでしょうね。いかに熱意いっぱいに志願書を書いていても、これはセレクト・アウトです。万が一見落として通過させてしまったら、他の受験者の信頼を一気に失うことになりますので、ここは非常にシビアに、一言一句正確に見ていきます。
また、書類のミス、締め切りへの遅延は有無を言わずセレクト・アウトの対象です。ミスについては、そもそも自分の人生で一番大事なタイミングでミスをする人というのは宇宙飛行士になっても同じようなミスをすると判断します。締め切りに遅れることも同様です。時間を守らない人が宇宙へ行くことはあり得ません。
JAXAの場合、こうした書類は約900人分送られてきます。私を含む採用の事務局7~8名は、ミスを防ぐためと選考の公正さを保つため、全員が約900人分の書類に目を通します。そして疑問点が出てきたら、すぐに全員で集まって検討し、通過・落選を協議します。事務局の仕事は、受験者の試験の結果を整理することです。そして、その結果は専門委員会でまず審議されます。続いて、さらに上位の親委員会に審議され、通過・落選が決まります。このように、階層を大きく3重に分けた選抜体制をとっています。
また、志願書には、所属企業または機関からの推薦文と、家族や身近な人からの推薦文が必要です。所属企業・機関からの推薦文は、組織におけるその人の価値が読み取れます。「行ってほしくないんだよね……でも、本人の夢だし……」なんて書かれていると、その人が組織の中でちゃんと可愛がられているのがよくわかります。あまりにさらさらと当たり障りなく書かれていたら、「もしかすると必要とされてない人なのかな?」と、つい余計な推測をしてしまいます。
家族からの推薦文は、とくに男性の場合、ある意味で奥さんからのラブレターです。「夫は結婚してからもずっと宇宙飛行士になりたがっていました。夫の夢が叶うのは嬉しいので、応援したいと思います」──こんなふうに書かれていると、こちらもつい嬉しくなってしまうこともあります。ここでは、家族という最も身近な最小単位の中で上手(うまくやっている人かどうか、そして宇宙飛行士になることを家族が応援してくれているかという両方の性質を見ています。
中には明らかに奥さんに応援されていない人もいます。そうした人は、奥さんの書いたものを見ずに封筒に入れて応募してきたと考えられます。つまり、奥さんとあまりいいコミュニケーション状態にないと推察できます。推薦文ひとつでもいろいろなことがわかるものです。
応募してくる人も真剣ですから、こちらも真剣に審査します。それが礼儀であり、信頼だと思っています。
*3
【どのような人を求めているのか?】
心理的な条件
・協調性、適応性、情緒安定性、意志力等国際的なチームの一員として長期間の宇宙飛行士業務に従事できる心理学的特性を有すること。
身体的な条件
・身長:158㎝以上190㎝以下
(注:宇宙服を着用して船外活動を行うには、約165㎝以上が必要)
・体重:50㎏~95㎏
・血圧:最高血圧140㎜Hg以下かつ最低血圧90㎜Hg以下
・視力:両眼とも矯正視力1.0以上
・色覚:正常
・聴力:正常
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この連載記事は山口孝夫著『宇宙飛行士の採用基準-例えばリーダーシップは「測れる」のか』からの抜粋・一部改稿です。完全版はぜひリンク先からお買い物求めください。
<著者プロフィール>
山口孝夫(やまぐち・たかお)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)有人宇宙ミッション本部宇宙環境利用センター/計画マネジャー、博士(心理学)。日本大学理工学部機械工学科航空宇宙工学コースを卒業。日本大学大学院文学研究科心理学専攻博士前期/後期課程にて心理学を学び、博士号(心理学)取得。1987年、JAXA(当時は宇宙開発事業団)に入社。入社以来、一貫して、国際宇宙ステーション計画に従事。これまで「きぼう」日本実験棟の開発及び運用、宇宙飛行士の選抜及び訓練、そして宇宙飛行士の技術支援を担当。現在は、宇宙環境を利用した実験を推進する業務を担当している。また、次世代宇宙服の研究も行うなど幅広い業務を担う。著書に『生命を預かる人になる!』(ビジネス社)がある。