私の名前は酒井ひとみです-ALSと生きる-宇宙兄弟

【第一回】私の名前は酒井ひとみです ーALSと生きるー

2016.05.11
text by:編集部コルク
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宇宙兄弟の作中で、シャロンとせりかのお父さんが罹ったALS(筋萎縮性側索硬化症) 。ストーリーを通して、ALSについて知った方も多いと思います。
今回、宇宙兄弟公式ホームページの新しいコラムとして、ALS患者の一人である酒井ひとみさんのエッセイを連載する事になりました。
作中だけでは分からない、細かい感情の動きや実際の生活について、ひとみさん自身の言葉で綴っています。
第一回は、ひとみさんの今の生活とALSになるまでの日常についてです。

私の名前は酒井ひとみ。36歳女性だ。私が筋萎縮性側索硬化症を発症したのは2007年6月頃だった。つまり、世で言う、アニバーサリーイヤー10周年記念を迎える。他人からみたらどこがめでたいんだ?と首をひねられてしまうかもしれない。でも、私にとってはとてもすごい事なのだ。
それは、いろいろな意味で。

症状は、さすがによい状態とは言えない。
ALS以外にも、坐骨神経痛を患った。おととしの年末から、昨年の年始にかけて、ガスが出なくなり、胃に物が入らなくなってしまったのだ。いわゆる腸閉塞のなりかけであったらしい。本当につらかった。
そして、今年になり、子宮頸がんの検査に引っかかった。一瞬、絶望の果てに立たされた。でも、発見された細胞はごくごく初期のもので、がん化する前の状態で発見することが出来た。オペは今のところ必要ではないようだ。

私は超がつくほどの楽観主義者で、嫌だったことや思い出したくないことは、すぐに忘れてしまう。人間なんてものは、きっとそうやって生きていく動物だと思う。
女性の出産を考えると、それも納得してもらえるだろう。私の親友が、数か月前に待望の第1子を出産した。彼女は丸々2日間陣痛に耐えて、男児を出産した。出産2日後くらいにお見舞いに駆けつけたところ、彼女は「正直生まれてくるまでは、看護婦さんに泣きつくくらい痛かったけど、生まれてきた子供の顔を見た瞬間、痛さなんか忘れちゃった!すぐにでも次の子がほしい!」としあわせそうに微笑んでいた。出産の痛みを経験した人にしかわからないかもしれないが、本当に痛いとしか表現できない痛みなのに、すぐに忘れてしまう。私も、ふと仕事の帰りの電車の中で思い出す努力をしてみたが、13年も前のことだからか、思いだそうとしても全く思い出せなかった。思いだすのは、主人が仕事を何日か休みを取って、しばらくいっしょに入院中付き添ってくれた、産んだ後の幸せなひと時だけ。

それはさておき、私が言いたいのは、「きっと、数年後にはそんなこともあったね」と話しているに違いない、ということ。いつか、ALSという病気もそうなると信じている。そうやって信じているからこそ、今の症状も我慢していられるのかもしれない。

人間というのは、不思議な生き物だ。
ある人は、私が呼吸器をつけて初めて会った時に、私に話が通じているか周りの人に確認した。そして、ある人は自分まで声を出さずに口パクで「頑張って」と言っていた。相手に失礼だと分かっていたが、顔の表情筋がほぼ動かないことをいいことに、これには大笑いしてしまった。

読んでいただくと私の症状が少し分かって頂けると思うが、私が今打っている文は、”視線入力”という意思伝達装置を利用している。私に残されている体の機能は、気まぐれに時々動く左手の薬指、首から上では少しだけ動くまばたきと唇、そして唯一まだ侵されていない眼球運動くらい。呼吸器を付けたものだから、声も出ない。

もちろん、笑顔も作れない。中学生の時に交通事故で亡くなった父が、「ひとみは、笑うとかわいいんだけどな」と、口癖のようにいつも言っていた。その頃の私は、お笑いやバラエティを見てもおもしろいと思わない、つまらない子供だった。だけど、笑えなくなった今は、複雑な気持ちだ。笑っているのに、気づいてもらえない。怒っているのに、気づいてもらえない。私がもっとも辛いと思うことは、普通の人とコミュニケーションをとれないこと。きっと1つだけ治してあげると言われたら、声か表情。。。どちらも捨てがたいが、やっぱり表情かもしれない。表情で喜怒哀楽を表現できれば、私がふだん使っている口文字でも、相手に気持ちが伝わりやすいと思う。

うちの家族は、私が病気になっても変わらない。子どもたちも主人も自由奔放、おまけに私までそんな感じなのに、不思議とまとまっている。子どもたちは、ここまで両親が好きなことをしているのに、ぐれたりしていない。
姉は部活動でバスケに夢中になり、部長にまでなっている。弟は、運動系の部活は合わなかったようで、私の介助の手伝いをしながら、休みの日はゲームをして過ごしている。夜中に友達と遊ぶことなどには興味を持たない、今時珍しい中学生だ。しかも、私のことを恥ずかしいとも思わないようで、運動会に来て欲しくないとかも言ったことがない。でも、勉強は本当に嫌いのようで、やらない。主人が働いてるとはいえ、裕福な家ではないので、絶対に公立に高校は受かってもらわないといけないのだが、今のままだと難しいのでは?と、普通の親と同じような悩みを持っている。

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子どもたちにも主人にも、私の病気に対してどう思っているか聞いたことがないのでわからないが、たぶん私がいて主人もいる生活だから、お互いストレスを抱えることなく、よいバランスで子どもを育てていけているのだと思う。私から言わせてもらうと、主人がいるから安心して仕事にも出られるわけで、感謝しかない。

これが今の私の生活スタイルで、最もなりたくない病気と言われている”ALS”と共に生きて行くと決めた、私の現在の気持ちだ。

これから、せりかのお父さんやシャロンがかかったALSという病気にどのようにかかり、そしてALSと共にどのように生きているかを伝えていこうと思う。

つづく


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<著者プロフィール>
酒井ひとみ
東京都出身。2007年6月頃にALSを発症。”ALSはきっといつか治る病気だ”という強い意志をもちながら、ALSの理解を深める為の啓蒙活動に取り組んでいる。仕事や子育てをしながら、夫と2人の子供と楽しく生活している。