#2「今のあなたにとって..... 1番金ピカなことは何?」 (後編) | 『宇宙兄弟』公式サイト

#2「今のあなたにとって….. 1番金ピカなことは何?」 (後編)

2022.12.22
text by:編集部コルク
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    コロナ禍の影響で、仕事と心にダメージを受けた楓さん。音楽や情報を遮断する日々で、数少ない楽しみのひとつが『宇宙兄弟』を読むことでした。そんな中、ムッタと自分に意外な共通点なあることに気づき…?

    ★★

    ドラマーとして27歳でメジャーデビューし、世の中に飛び出していった私。

    そんな私が最初に夢見たのは、歌手だった。

    11歳の時に安室奈美恵ちゃんが紅白歌合戦で涙していた姿に感動し「私も同じステージに立つ!」と決意した。13歳で歌手になるべく受けた大手事務所のオーディションに合格し所属が決まり「これで歌手の道が開けた!」と胸躍った。

    しかし現実はそう甘くなく「まずはタレント活動を」と事務所に促され、バラエティ番組や広告などに出演して活動していた。色々なオーディションにも参加したが、内容はドラマやCMなどで音楽活動に直結するものではなかった。

    写真:当時のわたし

    私より後に所属した女の子たちが、歌手デビューに向け着々と準備を進めていく状況に焦り「このままではいけない。歌以外の武器を手に入れねば」と考えた。そして「女の子がドラムやってるのって珍しくて良いかも」と、16歳からドラムを始める。だが、それでも歌手への道はいっこうに開ける様子がなく、先行く女の子たちの輝きばかりが目に入った。

    日を追うにつれ歌への希望をすり減らしていった私は、高校卒業と共に、歌手への道を断念。ドラマーとして音楽でご飯を食べようと心の舵を切り、フリーター生活をしながら新しい夢を叶える術を模索していく。

    数年間は箸にも棒にもかからず悪戦苦闘の日々だったが、少しづつ、少しづつご縁がつながり、27歳で所属バンドのドラマーとしてメジャーデビューを果たした。

    時間はかかったが、「音楽を仕事にしたい」という夢を叶え、私の人生は最初のピークを迎えた。嬉しかった、本当に嬉しかった。やっと夢に手が届いたのだ。 “色々あったけど続けて良かった“と、感動ひとしおだった。

    このまま、ドラマーとして生きていくつもりだった。

    音楽を仕事に日々を過ごせる私は幸せ者だ。バンドに、ドラムに出逢えて良かった。そんな思いで、がむしゃらにバンド活動に日々を注いだ。

    メジャーデビューは、夢の舞台であると共に壮絶な試練の場でもあった。

    求められるクオリティ、のしかかるプレッシャー、沢山の人が自分たちにBetしてるのだという責任。その全てが想像の遥か上だった。

    心も身体も現実に着いていけず、毎日が精一杯。初めてのアルバムレコーディングでは前日に知恵熱で39度の高熱が出て、フラフラの中でドラムを叩いた。

    タイトなスケジュールをメンバーで励まし合いながらこなし、仕事がない日は大体スタジオで5時間程の個人練習。レコーディングやツアーが迫ると10時間以上スタジオにこもることも珍しくなかった。

    食べるのが大好きで、失恋しようが何しようが食欲だけは無くならず、太りやすいのが悩みだった私が、デビューして人生で初めて”食べられない””気をつけないとどんどん痩せていく”という悩みを抱えた。

    あまりに私は未熟だったのだ。足りないスキルやセンスを埋めるためにとにかく時間と誠意を費やすしかなかった。流した涙は総量何mlだったのだろう。

    もちろん、言葉では言い表せない感動も沢山味わった。

    フェスやライブツアーでドラムセット越しに見えるメンバーの背中と数えきれない沢山の観客の姿。憧れだったアーティストとの共演。最高にカッコいい曲が完成した瞬間。

    人生の中心も外心もバンドだった。

    「命懸けでバンドやってました」と恥ずかしげもなく言えるほどに。

    そうしてメジャーデビューから5年が過ぎた2020年、コロナ発生によって常識はひっくり返り環境は激変した。

    そして私は、自分でも予想外の気持ちが湧いてきていることに気がついた。

    やっぱり、歌を歌いたい。

    制服と一緒に脱ぎ捨てたつもりだった歌うことへの憧れは、まだしっかりと私の心に残っていた。箱に入れ、カギをかけ、奥にしまってあっただけだったようだ。

    音楽を仕事にしてから、自分の諦めたことを叶えている人たちを間近にするようになって、しまっておいた気持ちは減るどころかよりカサを増していき、収まりきらずに隙間から漏れ始めていた。

    ドラムへの想いは本気だった。ドラマーとしての人生をこれからも続けていきたいと今も思っている。間違いなくドラムのおかげで今があって、プロになってから演奏する難しさも奥深さもより感じられるようになり、音楽への愛と尊敬も格段に増した。

    でも、別の私もいた。

    声で表現するという難しさに向き合うことを許され、商品価値を認められている人たちへの羨ましさと妬ましさが心のあちこちに散らばっていた。

    もちろんそんなこと、メンバーにもスタッフにも言えるわけもなかった。

    私はバンドというチームのなかでドラマーという役割を任されているのだ。その人間が「歌を歌いたい」なんて意味不明。例え言ったところで「じゃあそれを叶える実力があんのか」と問われればもう何も言えない。

    歌は好き、だけど先天的な才能はゼロ。頑張っても頑張っても自分が歌手になるには届かないものが多過ぎることは10代の時に散々思い知った。

    ましてデビューしてからは日々色んなプロの歌い手のステージを見てきた。“選ばれる人“がどういう人たちなのか、十二分に知ってしまった。

    今さらどうするんだ、と自分が自分を笑っていた。どうしたいのかもどうしていいのかも見出せないまま。ただ、“このまま進んでいいのかな”という戸惑いが年々静かに膨らんでいた。

    ハンバーガーを口いっぱいに頬張り「俺は今まで何がやりたかったんだろうか……」とつぶやく六太のようだった。

    ★★

    「シャロンおばちゃーん

    こんばんはー!」

    ー いらっしゃいムッタ 今日は一人?

    「1225人中ね 315人だって 書類選考通ったの」

    ーすごいじゃない それに通るなんて!

    ーじゃあ次は一次審査か……難しい筆記試験ね

    「…………受けないんだよ」

    ー………

     どうして……?

    「こう…… 

    サラサラー っとね

    俺程度の人間はふるい落とされるって分かってるから」

    「残りの315人中 2人か3人だよ 宇宙飛行士になれんのなんて」

    「無理だよ」

    「………」

    ーねぇムッタ 

      『「ここにトランペットがあります」「ピアノもあります」

      「ギターも太鼓も」…….「ハーモニカもあります」

    「どれをやってみたい?」』

    それであなた その中でなぜかトランペットを選んだのよ

    「………」

    ー昔のあなたってそんな子だったよ なんにでもどんどん挑戦して

    難しいことを選んだ

    「そ……そうだったかなぁ」

    「トランペット選んだのは単に一番金ピカだったからじゃないかなぁ」

    ーそれならそれでいいのよ

     今のあなたにとって……

       一番金ピカなことは何?

    ー上手くなくてもいいし間違ってもいいのよムッタ

     まずは音を出して

     音を出さなきゃ 音楽は始まらないのよ

    「……」

    私は六太と同じ顔をして

    シャロンの話を聞いていた。

    そして2020年夏、私はバンドを脱退した。

    (#3へ続く)


    <楓幸枝プロフィール>
    1987年 沖縄秋田ブレンドの横浜生まれ横浜育ち。
    2013年 結成したバンドAwesome city club にてドラムを担当。
    2015年 ビクターエンタテインメント<CONNECTONE>よりメジャーデビュー、2019 年秋からはエイベックス・エンタテイメント<cutting edge>にて活動する。
    2020年夏に脱退してからは楓幸枝に改名。ドラムサポート、ディレクション、レッスン、作詞提供、コラム連載などを行なっている。
    2021 年2月に創造ストア「MitsuHi」を開設。
    2022 年5月11 日1stシングル「ナンバ・ムッタ」をリリース。「楓幸枝」個人としての音楽活動を開始した。