「宇宙飛行士になりたい」そんな壮大な夢に挑戦する受験生へのインタビュー、トップバッターとしてお話頂いたのは、日本テレビ『スッキリ』などで活躍する辻岡義堂アナウンサー。番組内では語り切れなかった「選抜試験挑戦の裏側」をたっぷり語ってもらいました。
プロフィール
辻岡義堂
1986年6月生まれ。2009年に日本テレビ入社。アナウンサーであり、3児の父親。趣味はバスケットボール。2022年2月の北京オリンピックでリポーターを務める。北京五輪マスコット・ビンドゥンドゥンならぬ「ギドゥンドゥン」の愛称で人気を集める。
「宇宙は尊すぎて、遠くから憧れるだけの存在だったのに」
――辻岡さんの奮闘ぶり、テレビで応援してました!残念な結果となってしまいましたが、現在の心境は?
試験から脱落した身だというのに、話を聞いていただけるなんて恐縮です。
結果を見れば、私には明確に足りないものがあったということ。これは率直に認めるほかありません。
ただしひとつ信じていただきたいんですが、宇宙への情熱だけは、以前から絶やさず持ち続けていたんですよ。
私の場合、小学生の時点ですでに宇宙の虜でした。理科の授業で、自転や公転のこと、それに星座の名前なんかを教わって、こんなスケールの大きい世界があるのかと夢中になりました。
中学生のときはレポートを書く課題で、宇宙を題材にしました。かつて毛利衛さんが述べた「宇宙からは国境線は見えなかった」との言葉を引用しながら、宇宙開発を進めて皆が宇宙に関心を持つようになれば、地球上のいろんな問題は解決するはずだとの主張を書き連ねたのです。
自分としてはなかなかの力作。と、私を褒めることなんてなかった3つ上の姉が、「義堂はすごいこと考えているんだね」と言ってくれた。自分のやっていること、考えていることは間違ってないんだと思えて、うれしかったですね。
高校生のときは、学校にJAXAの方が来てくださり話を伺うという幸運に恵まれたこともあり、宇宙への憧れは募るばかり。宇宙飛行士という言葉は、私の中で完全に「ヒーロー」と同義でしたね。
ただ、宇宙飛行士はあくまでも「ヒーロー」として仰ぎ見る対象であって、具体的にそれを目指す方向へは踏み出せなかった。大学進学時に理系を選択することもなく、就職活動の時期が近づくとアナウンサーへの関心が高まっていきました。
大人になってからは、自分が宇宙飛行士になりたい気持ちは、心の引き出しの奥のほうにしまい込んだ状態。せいぜいたまに星を眺めて、柄にもなく「いま僕の目に映るのは、いったいどのくらい昔の光なんだろうか?」などとぼんやり考えたりするくらい。
だったのですが……。今回、13年ぶりに宇宙飛行士募集と聞いた瞬間、私は稲妻に打たれたようになり、身体の全細胞がざわめきました。
「募集要項の『発信力』という言葉に、自分を名指しされているんじゃないかとすら感じた」
――忘れていた宇宙への思いを掘り起こしてしまったのが、宇宙飛行士募集の知らせだったわけですね?
宇宙飛行士の募集があることを最初に知ったのは、忘れもしない2021年の3月4日。たまたま乗ったタクシーで流れていたニュース配信で、「宇宙飛行士募集」の文字を見かけたのです。
あわててスマホでも調べてみると、13年ぶりに募集があると出ていた。しかも、これまで応募条件だった自然科学系分野の学業修了と実務経験が不要になったとのこと。
さらには多様で幅広い人材を求めており、とりわけ宇宙での経験や成果を広く伝える表現力と発信力を重視するともいいます。
発信力、ですよ! アナウンサーの私が日頃から志していることそのもの。自分を名指しされているんじゃないかとすら感じました。応募したい、するぞ! という気持ちが瞬時に湧き上がりました。
すぐに会社に意思を伝えますと、意外にも話が上層部にまで上がり、思いのほかおおごとになる気配が漂ってきました。宇宙飛行士になるなら会社を辞めなければならないかも、などと雲行きが怪しくなってきた。そこへ番組『スッキリ』が、宇宙飛行士への道を追う企画をつくろうと手を挙げてくれました。
そうして宇宙飛行士を目指す個人的な闘いと、「宇宙アナウンサー」になるという番組の企画が、同時にスタートすることとなりました。
――その後の顛末は、私たちも番組を通して見守ることができたというわけですね。
それからの顛末は、たくさんの視聴者の方々に見守っていただいた通りなのですが、正直なところ道のりは大変でしたね。ただでさえ試験が私にとって高い壁なのに加えて、よりによって私はこの時期、アナウンサー業務が急に驚くほど忙しくなってしまったのです。
業務の隙間時間を見つけては英単語を覚えたり、休日も3人の子どもたちを外へ連れ出す機会をセーブしたり、なんとか工夫を凝らして勉強する時間をつくりました。
本来の仕事を疎かにするのだけはダメと固く心に決めていました。宇宙飛行士の勉強のせいで仕事に手を抜いていると思われるのは絶対に嫌で、これまで準備に5時間かけていた仕事なら、1分たりとも削らず、変わらずきっちり5時間かけて準備するようにしました。
1ヶ月くらい休職でもしたら? と言ってくれる人もいましたが、それは職業人としてプライドが許しません。今日は北海道に日帰りで、翌日は沖縄へ日帰り、翌日はまた違う地方へといった無茶なスケジュールだったりしたんですが、できるかぎり平気な顔でこなすようしていました。
「真剣な応援はこんなにも人の心を動かすものか」
自分にやれるだけのことをやって試験に臨み、結果はご承知の通り、英語試験で落ちてしまいました。
そりゃ悲しくて悔しかったです。ただ、すこし落ち着いてから考えてみるに、この間にいろんな気づきを得ることができて、経験としては素晴らしいものでした。
得たものとは、大きく分けて3つ。
まず、「真剣な応援はなんと人の力になることか」という気づき。こちらが必死にやっていると、本気で応援してくれる人って必ずいるものです。この人は心から言ってくれているというのは、受け取る側からするとすぐわかるものですしね。そうした真の応援は本当に励みになり、人を動かす原動力になるんだと実感しました。
次に、自分の現在の職業のありがたさ。試験に落ちたとき、「これでアナウンサー辻岡義堂がまだ見られる、よかった」という声をいただいたりもしまして。ああ、そうやって待っていてくれる人がいるんだ、自分が役に立てる場があるんだと気づきました。自分がアナウンサーでいることの存在意義を改めて感じられたのは、たいへんありがたいことでした。
さらには、「挑戦」それ自体の楽しさを知ることができたのも大きかった。試験に臨んでいる期間はたしかに苦しくプレッシャーも大きいのですが、同時にこの上なく楽しかったんですよね。
もともと私は「挑戦」という言葉が大好きで、アナウンサーの仕事を通して「挑戦することの大切さ」を伝えたいとかねてから思ってきました。でもいざ自分が全力の挑戦をしてみて気づいたのは、挑戦ってじつはそんなに難しいことじゃないぞということ。人は心から挑戦したいことができると、勝手に身体が動いて夢中になってしまうものなんですよね。
挑戦というものを私はもっと構えたものというか、大仰に捉えていたんですが、やってみると意外にふつうで当たり前のことだった。
「好きなんだから、やりたいんだから、やる」という、ただそれだけ。
今回の経験を経て、私の中で挑戦の定義が変わりました。挑戦とは「すごいこと、カッコいいこと」と思い込んでいたけれど、そうじゃない。じつはもっと「身近で、誰の周りにも当たり前にあるもの」なんだと、いまは思い直しているところです。
冷静な妻の視線が挑戦を支えてくれていた
それにしても、よくそんな挑戦に踏み出せたものだな? という声もたくさんお聞きしました。たしかにちょっと冷静に考えると、現在の私の状況・環境で宇宙飛行士を目指すという選択って、ふつうはなかなかしませんよね。
私は30代後半という、いわゆる働き盛りの世代。アナウンサーの仕事は率先してバリバリこなさなければいけないし、いまが職務上で大事な時期だというのも感じています。また3人の子どもを持つ身でもあり、家族の心身の健康と生活を守っていく使命も当然あります。
公私ともしっかり稼働し充実しており、これを続けていくよう心がけていなければならないところなのに、そこに「宇宙飛行士になりたい!」という夢を上乗せしてしまったわけです。そんなことしたら、せっかくうまく回せていた皿をすべて落として割ってしまう危険だってありますよね。
なのになぜ、踏み出したのか。自分でも理由は見当たりません。ただ無我夢中の状態になってしまって、周りは見えていなかった。地に足が着いておらず、宇宙遊泳をしているような気分に浸り切っていましたね。
でも、心から挑戦したい夢が見つかったら、人は誰しもそうなっちゃうものなんじゃないでしょうか? なので、もし「どうしたら私も挑戦に踏み出せますか?」と問われたら、本当にワクワクできるものを見つけさえすれば、誰でも自動的に挑戦しちゃいますよと答えたいですね。
さらには、支えてくれる人の存在はやはり重要です。私の場合、最も身近で見守ってくれた妻がいたからこそ、心置きなく挑戦ができました。
私がひとり盛り上がっている姿を見ながら、妻は終始冷静な目で眺めていたのだと思います。こんなに夢中になっているのなら自由にやらせておこうと、すべてを大目に見てくれていた。
そのありがたさはよくよくわかっていたので、試験に落ちたあと「スッキリ」の放送で、妻からの手紙がサプライズで出てきたときに、私は涙が溢れてしまったんです。家族が何よりの支えでしたし、それは挑戦をいったん終えたこれからも変わりません。
野口聡一さんに背中を押してもらった
――チャレンジをいったん終えたいま、宇宙とは今後どう関わっていこうとお考えですか?
始める前は「これは一生に一度きりの挑戦だ」と心に決めてましたから、落ちてしまえばあとはアナウンサーとしてがんばっていこうと思っていたのですが、先日、心を揺るがす出来事がありまして。
「スッキリ」に野口聡一宇宙飛行士がゲストとしていらしてくださったんです。番組後にすこしお話をさせていただいた際、野口さんは言いました。
「いまはNASAやJAXAルートだけが宇宙へ行く道じゃない、とりあえずアナウンサーのまま一度宇宙へ行っちゃえばいい」と。
たしかに最近は民間ルートが出てきて、これからますます盛んになるでしょう。さすが実際に宇宙へ行った方の言葉は説得力が違いますね。すっかり感化されまして、やはりアナウンサーのままで宇宙飛行士になりたいぞと思い直しました。
思えばこれは、宇宙がそれだけ身近になりつつあるということ。喜ばしいです。私もアナウンサーの立場から、宇宙の話題をどんどん盛り上げていきたい。まずは来年、日本で宇宙飛行士が誕生しますから、その誕生を皆さんとともに喜びたいですね。
だって13年ぶりですよ、いったいどんな方が選ばれるのか、興味津々じゃないですか。嫉妬するんじゃないかって? いえいえ……、そんなことはない、はずです。全力の応援が力になることは宇宙飛行士選抜試験を通して知りましたので、私もその方を全力で応援したいです。
番外編:『宇宙兄弟』に出てくるマイ・ベスト・名言はこれ
私が『宇宙兄弟』を読んだのは、こうして本気で宇宙飛行士を目指し出してからのこと。新参ファンで恐縮ですが、ここには人を行動へと促す「本気の応援」が詰まっていると感じました。だからでしょう、こんなに名言が頻出して、ファンなら誰しもお気に入りのフレーズのひとつやふたつあるというのは。
私の好きな名言ですか? いやいっぱいあって困るんですが、ひとつ披露するなら……。
NASAでのムッタの上司、ビンスさんがいますね。彼の妻ベリンダさんがまた明るくて感じのいい人なんですよ。律儀なビンスさんとうまく付き合っていく方法を問われたベリンダさんが、
「実は案外単純なことなのよ」
と答えます。このひとことを、私の選ぶベスト名言にしたいです。
ずいぶんささやかなところから引っ張り出してきたなと感じられます? でもこれ、すごく実感するところなんです。先にも述べた通り、宇宙規模でものごとを考えれば、地球上で起こるすべてのことなんて、「じつは案外単純なことなのよ」って、言い切れちゃうんじゃないかな。そう思うんですよね。