第2章 ザ・宇宙飛行士選抜試験 (前編②) | 『宇宙兄弟』公式サイト

第2章 ザ・宇宙飛行士選抜試験 (前編②)

2020.07.14
text by:編集部コルク
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宇宙飛行士も歯が命

宇宙飛行士に求められる基礎能力は、英語や学力だけではない。身体の隅々まで健康体な上に、宇宙という極限環境に耐えられる肉体である必要がある。「耐えられないかもしれないリスクが少ない」と言った方が正確かもしれない。地上での日常生活では何ら支障のないことでも、宇宙ではリスクとなる可能性がある。いくつか例を挙げてみよう。

① 虫歯
「虫歯があってはいけない」
「ただし、きちんと治療済みであればOK」
これが宇宙に行く際の歯の条件だ。
宇宙に行くと、船外活動など気圧の低い状態で作業することがある。虫歯や不完全な治療跡にわずかな空洞があるとその空気の膨張から痛みが発生し、業務に支障を与えるリスクがあるというのだ。それが宇宙飛行士も歯が命と言われる所以だ。

選抜段階でどの程度歯を見られるかはわからなかったが、宇宙飛行士として歯も健康でなければならない。宇宙飛行士として必要なことはやっておきたい。ぼくは、子供のころに虫歯治療した際の詰め物が取れたりしたことがあったので、歯医者に診てもらって、歯周りを良い状態に整えてもらうことにした。早速、家の近くの歯科医院の予約を取り、「宇宙飛行士試験を受けるので、気になるところは治療をお願いしたい」と相談してみた。とても親身になって相談に乗ってくれた。その結果、古い治療跡を再治療し、虫歯予備軍である親不知を2本抜いてもらうことにした。

親不知2本は2回に分け、時間節約のため会社の昼休みに抜いてもらった。1本目は血もすぐ止まり何も問題がなかったのだが、2本目を抜いたあとしばらくして高熱が出てしまい、会社を早退する羽目になった。無理なスケジュールを組んで失敗するという良い教訓となった。

ちなみに、この家族経営の歯医者さん、受付のおばちゃんが非常に良くしてくれて、ぼくのことを応援してくれた。オリジナルカレンダーをくれたり、年賀状まで届くようになった。

② 視力
裸眼視力条件なし(※注釈①)、矯正視力1.0以上。レーシックも処置後1年以上経過して問題なければOK。 学生時代は視力が良かったのだが、会社に入ってから1日中パソコン画面とにらめっこする生活を送っていたところ、気が付いた時には車の運転時に眼鏡が必要となる視力にまで落ちてしまっていた。ただ、視力条件は問題なくクリアしていたので、ぼくの場合は特に対策は不要だった。

※注釈①
裸眼視力の条件はないが、以下の屈折度等の基準がある。
屈折度:+5.50~-5.50ジオプトリ以内
乱視度数:3.00ジオプトリまで
左右の屈折度の差:2.50ジオプトリまで

③ 鼻
鼻の通りが曲がっていると気圧が下がったときに問題が起きるリスクがある。鼻中隔湾曲症と言われるものだ。
特に、応募要項などには明記されていないのだが、パイロットや宇宙飛行士にとっては致命傷となり得る。

ぼくは、社会人になって最初の夏休みにダイビングの免許を取った。宇宙飛行士は、水中用の模擬宇宙服を着用し、船外活動の訓練をプールで行う。その際には、ダイビングの資格が必要となるのだから、あらかじめ取っておこうと思い立ったのだ。

小学生の頃、競技水泳をやっていたこともあり、プールでの泳ぎは得意だった。思春期を海無し県の埼玉県で過ごしたことも影響しているかもしれない、夏の海に行くのも好きだった。だから、ダイビングもきっと向いているだろうと勝手に想像していた。

しかし、やってみると実際はそうではなかった。
ボンベからの乾燥空気で呼吸するため口の中がとても乾燥する。その状態での耳抜きには、いつまでたっても慣れなかった。また、船酔い・波酔いが大の苦手だった。そして、免許を取った伊豆の海は感動するほど綺麗!というわけでもない。どれを取っても、好きになれなかった。

それでも、一度始めたことはそう簡単に辞められない性格と、「宇宙飛行士」には必要な技術であるため、「ぼくはダイビングが趣味だ」という自己暗示をかけつつ、継続した。

この頃のぼくは、ダイビングが趣味だと公言し、ダイビング仲間を作ったりしていた。そんな中で、友人たちと訪れた久米島でのダイビングは最高だった。ぼくのダイビングに伴う数々の不得手をすべて吹き飛ばしてしまう、素晴らしい体験だった。海の中の景色もカラフルな熱帯魚たちももちろん綺麗で感動したが、ボートから飛び込んだ後に海の中から見た空と太陽が格別に美しかった。

そんなダイビングを楽しんでいるのか我慢して耐えているのか微妙な中で、親子でダイビングを趣味とする友人に、千葉の房総に連れて行ってもらった。スパルタなその父親に手を引っ張られ、ぼくはぐいぐいと深いところへ連れて行かれた。「耳抜きするからちょっと待って!」と伝える術がなく、どんどん深く潜ることになった。その際に、もともと抜けにくかった左耳に異常が生じてしまった。うまく耳抜きができなかったのだ。しばらく左耳がおかしかったので、耳鼻科に通い、そこで鼻の検査も受けることになった。そのときに、「右の鼻(の奥の通り)が曲がっているねえ」と言われたのだ。何気なく言ったであろうその言葉に、宇宙でのリスクを知っていたぼくはショックを受けた。そこではそれ以上何も聞くことができなかった。日常生活にはなんら支障はない。どの程度までなら大丈夫で、どの程度だとNGかは当時のぼくには調べられなかった。

ぼくと同じく最終選抜まで残った民間パイロットの白壁さんは、パイロットになるために鼻中隔湾曲症の手術をしたそうだ。当時のぼくは手術して治すまでは思い至らなかった。結果的には、ぼくの鼻の通りはそれほど酷いわけではなく、宇宙飛行士の検査で引っかかることはなかった。結構悩んだので、それならば「専門の医者を探して相談に行けば良かった」と今になっては思う。餅は餅屋、専門医に相談するのが一番だ。

振り返ってみると、パイロットになるための身体条件をもっと調べたら良かったと思う。検査項目が非常に似ているからだ。低気圧環境での適応、高ストレス環境下での精神安定性、運用センスなど、共通項が非常に多い。初期の宇宙飛行士が戦闘機パイロットから選ばれたことからも明らかだ。保険適用外でお高いが検査してくれるところもあるので、利用してみるのも手だろう。

宇宙飛行士のセンター試験 一次選抜

英語試験が終わってから、約1ヶ月半が経った7月中旬、新しく4月から始まったフライトディレクタ(見習い)業務に没頭しつつも、夜な夜な試験準備をしていたぼくのところに、ぺらっとした封書がJAXAから送られてきた。「そういえばいつ頃結果が出るんだろう?」 と思い始めたころだった。

ちょっぴりドキドキしながら封を開けると、いきなり飛び込んできたのは、

「宇宙飛行士選抜候補者書類選抜結果及び第一次選抜試験の実施について(通知)」

その下には“合格”の文字と、続いて一次試験の案内が書かれている。

“合格”の2文字の前に、タイトルだけで先に結果がわかっちゃうという。。。
このタイトルはどうしても最初に目に入ってきて読んでしまう。“合格”の2文字を読むまで、結果はわからないようにして欲しいものだ(笑)

ともかく、書類選抜と英語試験は通してもらえたということだ。ほっと胸をなでおろした。

「まずは第一関門突破!」と、気持ちのギアを一段上げた。

宇宙飛行士への道、まだゴールははるか先だ。この先にはまだ多くの壁が待ち構えているだろう。先を見過ぎてビビって途方に暮れてもしょうがない。目の前の一つ一つの壁を乗り越えていくだけだ。


人の人生には
いくつもの”夢のドア”がある
人は・・・例えば
「宇宙へ行く」みたいな
大きな夢を持った時
目の前に現れた
バカでかいドアに畏縮して
向こう側へ行くことを諦めちまう
「開けられるわけがない」ーーーってな

だがビビることはないんだよ
本当ははじめから
そんな”バカでかいドア”
なんてものはない
小さなドアが
いっぱいあるだけだ
(ブライアン・J)

もし、自分が簡単には達成できそうにない大きな目標を持ったとき、ただただその目標の大きさに圧倒され、何から手を付けていいのか分からないことがある。そういうときは、その目標達成に向けた、中間的なゲートをいくつか作り出すのが良い。今やメジャーリーグで活躍している大谷投手が活用していた目標設定シート(マンダラチャート)が良い例だ。中心に最終目標を置き、それを達成するために必要な項目(中間ゲート)を設定し、周囲に並べる。さらにその外側に今度はその中間ゲートを達成するための小項目を立てる。これらを一つ一つ達成していくことで、中心にある最終ゴールに近づいていくというものだ。

大谷翔平選手の高校時代の目標設定シート

宇宙兄弟の伝説の宇宙飛行士ブライアン・ジェイも、「小さなドア」という言葉で表現している。この「小さなドア」をいかに具体的に設定できるか、その目標設定能力が重要だ。漠然とした夢を具体的な目標群に変換し、その一つ一つを達成していく。それが、最終目標達成につながっていく。

ぼくが行っていた準備も基本的な考え方は同じだった。目標達成に必要と思う項目を立てて、そのひとつひとつに対し対策・準備していった。すると、目標としていたものが一歩一歩近づいてきた。

963名のうち、230名が書類選考+英語試験を突破し、一次選抜まで駒を進めていた。

選考状況は、逐一JAXAが宇宙飛行士選抜ウェブサイトで発表している。男女比や年齢別、地域別など、色々な傾向が見て取れる。海外からの受験組の合格率が高かったことから、英語でふるいにかけられた人が多かったと分析できる。

一次選抜は、JAXA筑波宇宙センターと近隣の検診センターで行われる。夏真っ盛り、お盆前の週末だった。同じ会場に集まり、ここで初めて共に戦う同志たちと顔を合わせることになる。

この一次選抜では、2日かけて、以下の試験および検査を受けた。
・一般教養試験(人文科学、社会科学)
・基礎的専門試験(数学、科学、物理、生物、地学、宇宙開発関連)
・心理検査(筆記式)
・一次医学検査

一般教養試験や基礎的専門試験は、国家公務員試験が内容もレベルも似ていたと思った。宇宙開発関連だけはJAXAオリジナルの特別科目だ。

事前に渡される募集要項には、
・一般教養試験(筆記式)
・基礎的専門試験(筆記式)
としか書かれていなかったため、対策を立てるのが難しかった。受験者たちはみな迷っただろう。”一般教養”とか”基礎的専門”と書かれても、試験科目も、問題のレベルについても、情報が書かれていないのだ。

とりあえず大学受験で使っていた参考書などを引っ張り出して見直してみた。過去問があるわけでもなく、ターゲットを絞れない。そこで、「何か新しいことを今から学ぶのは諦めよう。過去自分が持っていた知識を呼び覚ますことに注力しよう。」と割り切ることにした。

この割り切りのおかげでずいぶんと楽な気持ちで対策準備することができた。

心理検査は、アンケート式の性格検査・人格検査であり、たまに思わず笑ってしまうようなヤバイ質問が紛れている「アレ」である。

「私は神である」   YES / NO

こういった極端な質問はともかく、宇宙飛行士向きの性格に属するかどうかを見られたのだろう。

一次医学検査は、半日程度の人間ドックに近いものだった。だが、周りの雰囲気は、通常の人間ドックと違い、かなりの熱気に包まれていた。少しでも良い値となるよう、本気で検査に臨んでいるのだ。血圧を納得いくまで計り続ける者もいた。対応する看護師さんも、そういった意気込みに答えるべく、特に回数制限はなく好きなだけトライさせてくれているようだった。

これらの一次選抜はすべて「セレクト・アウト」である。一定基準を満たさない人をふるいにかける目的の試験だ。満点を取るレベルは求められておらず、まんべんなく基準点以上を取ることが求められる。

ここでの一番の思い出は、昼休みに食堂で、久しぶりの大学同期の友人と会えたことだ。115人ずつ2班に分かれていたが、昼休みは共通で、多くの人が食堂で昼食を取っていた。そこでばったりと会えたのだ。卒業して10年近く、かなり久しぶりに会った友人と、一緒にランチを食べた。昔話や近況に花を咲かせつつ、午後の筆記試験に向けてどんな準備をしてきたかなどの情報交換をした。

JAXAを辞めて、当時アフリカで働いていた友人は、わざわざこの2日のために帰国していた。彼の経歴・バイタリティは宇宙飛行士向きだなあと思いながら、
「大学院入試のときに使った参考書を引っ張り出してさ~」
「いやいや、さすがにそんな難しい問題は出ないでしょ~」
など、試験対策が立てられない難しさを共有できた。おかげで、かなり緊張がほぐれた。

そこで大学の同じ研究室出身である大西君(現宇宙飛行士)にも久しぶりに会った(※注釈②)。研究室の教授の退官パーティ以来だろうか。
「おー、受けてるんだー。試験どうだった?」
「いや~、ヤバイヤバイ。」
と軽過ぎる会話を一瞬交わしただけだった。
この時は、その後の選抜試験で濃密な時を過ごすことになるとは1mmも想像もできなかった。

※注釈② このとき、大西君が「パイロットの制服を着ていて、同じ制服の数名と一緒にいた」という記憶が、ぼくの中で固まっていた。受験者のほとんどがラフな私服の中、かなり分かり易く目立っていたという印象が強く残っていたのだが、後日、本人と一緒にいた白壁さん(ファイナリスト)に別々に聞いたところ、2人ともから「そんなわけないwww」と一蹴。どうも、自衛隊の方が制服で来ていて目立っていたのと、記憶が混同してしまったようだ(笑)

「ライトスタッフ」をあぶり出す二次選抜

一次選抜が終わって1ヶ月後の9月中旬。そろそろ結果が来る頃じゃないかとちょうどそわそわし始めた頃だった。自宅に、郵便としては大きめであるA4サイズの封書がJAXAから送られてきた。
A4サイズということは・・・うれしい予感を抱きながら、封書を開けると、

「宇宙飛行士選抜候補者一次選抜結果及び第二次選抜の実施について(通知)」

の文字が飛び込んできた。

まただ!
また“合格“の文字にたどり着く前に分かっちゃうやつ!ドキドキ感を味わう時間が少ない!

それにしても、第二関門も突破してしまった!JAXAの宇宙飛行士選抜ウェブサイトを見ると、50名まで絞りこまれたことが発表されている。
いよいよ本格的な選抜段階に足を踏み入れることになる。
面白いことになってきた。
否が応でも気持ちが高ぶってくる。
同封された二次選抜についての説明書類を一言一句見逃さぬよう、くまなく目を通した。
いよいよ「ライトスタッフ」で見た選抜試験をぼくが受けることになる!
興奮するなという方が無理な話だ。

二次選抜からはいよいよ「セレクト・イン」の段階、つまりは個人の資質まで測られる試験が始まる。

「ライトスタッフ」を探し出すため、身体中をくまなく調べまくられる医学検査や根掘り葉掘り人となりを分析される面接など、本格的な選抜が行われる。
一次選抜以降、次に向けての準備は続けていたが、ここでもう一段のやる気スイッチが押され、対策準備にも一段と熱が入る。緊張感も高まってくる。
絶対的に必要な英語については、やり過ぎて困ることはないので、特に会話や表現力を中心に毎日鍛錬することにした。加えて簡単なロシア語の勉強も始めた。英語とロシア語ができる人を見つけてきて、個人レッスンを受けてみたりした。
医学検査に向けては、健康管理を徹底し、体力向上のためのプログラムを立てた。ポラール(Polar)という心拍センサーとGPS機能のついたランニングツールを使い、科学の力で今の限界体力を数値で把握しつつ、洞峰公園(※注釈③)でトレーニングをした。

※注釈③ JAXA筑波宇宙センターの南側に位置する広い公園。若田飛行士が朝ランニングを行う公園として知られている。

ぼくなりに宇宙飛行士候補を選ぶ立場になって考えてみて、あらゆるシーンを想定した面接の準備(想定問答)も行った。日本での宇宙飛行士募集の機会は少ない。前回が10年前で3名が選抜された。10年後の今回、2~3名が選抜されるだろう。とすると、その次は・・・と考えていくと、ぼくにとって良いタイミングで行われる選抜は最後かもしれない。こんなチャンスは二度と無いということだ。やれることは全てやろう。今回にすべてをかける。

同封されていた試験スケジュールによると、試験は全部で7日間。最初の3日間は筑波宇宙センターで各種面接や試験、後半4日間は病院で徹底的な医学検査であることが分かった。

二次選抜に進んだのは50名。3つの期間で、A班~C班の3班に分かれて試験を行う。1週間も簡単に休みが取れるような社会人はなかなかいないので、各個人が仕事の都合を配慮し選択できる。
ぼくは仕事のスケジュールから、10月初旬の一番初めの班を希望し、希望どおりA班に割り当てられた。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama