宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜

宇宙飛行士選抜試験〜12年間 語ることができなかったファイナリストの記憶〜

これまで5回行われてきたJAXA宇宙飛行士選抜試験。一体どのような試験なのだろうか…? その第5期選抜にて、10ヶ月に及ぶ選抜プロセスの最終試験まで勝ち残った経験を持ち、現在は宇宙船「こうのとり」のフライトディレクタに従事する作者による、大きな挫折と前進の記録。

第2章 ザ・宇宙飛行士選抜試験 (前編③)

第2章 ザ・宇宙飛行士選抜試験 (前編③)

特殊グループA班

二次選抜の初日は、筑波宇宙センターの宇宙飛行士養成棟という建屋の控室に集合だった。

宇宙飛行士養成棟とは、様々な宇宙飛行士訓練のための設備が入っている建屋だ。宇宙兄弟でお馴染みの、船外宇宙服のレプリカがあり、宇宙飛行士の写真が壁に並んで飾られているあそこだ。

ぼくは宇宙センターからすぐの歩ける距離に住んでいたので、ショートカットして裏門から入構し、1週間分の荷物を転がしながら、勝手知ったる宇宙飛行士養成棟へ向かった。

早めに控室に到着すると、まだ半分ほどしか集まっていなかった。
ぼくは人に背中を取られるのが好きではないゴルゴ13的な習性があったので、後ろの方の端っこに席を陣取った。既に到着している受験者は、名刺交換が始まっている。ぼくも名刺交換&自己紹介タイムに加わった。ぼくの右隣は、田中仙君(せんく)さん、有機太陽電池を研究している大学の先生だ。名前が珍しいのをきっかけにして、話し込んでしまった。ぼくの前には金井さんが座っていた。この3人は控室で座った席も近かったが、受験番号も近く、後半の病院で行われた医学検査では同じグループで受けることになる。

まもなく開始時間となるタイミングで、受験者全員が緊張した面持ちで着席した。すると、時間ギリギリで駆け込んできた16人目の男がいた。

度肝を抜かれた。

なんと、ピンクのポロシャツにジーパンといういでたちで、左耳にピアスまでつけていたのだ。歳もぼくよりも確実に上だ。

(さすがに受験者じゃないよな。JAXAの選抜係の人かな。)

と思ったそのとき、空いていた一番前の席に着いたのだ!そして、他の受験者同様に、前を向いている。
状況的には受験者しかあり得ない。
部屋全体に驚きの雰囲気を残したまま、二次選抜のオリエンテーションが始まった。

オリエンテーションは、今回の選抜試験をとりまとめる柳川さんによる挨拶から始まった。
そして、次に行われたのがNHKの密着取材に関する説明だった。NHKの大鐘さん(当時ディレクター)と小原さん(科学記者)2名による、この密着取材に賭けるアツアツの想いが熱弁された。10月前半でまだ暑さの残る中、暑苦しささえ感じるほど熱意がビンビンに伝わってくる。

「この宇宙飛行士選抜試験を密着取材することにより、夢を追うことの素晴らしさを伝え、日本を元気にしたい。そのために受験者の皆さん、どうか取材許可をお願いします!」

JAXAとしても、「宇宙飛行士候補者の選抜プロセスを社会に提示することにより、日本の有人宇宙活動への国民の支持をより強固にし、更なる発展につなげたい」というポジションが補足で説明された。

(ほう、JAXAは同意したのか。時代が変わってきているな。)
などと考えつつ、ぼく自身、宇宙飛行士に関することはもっとオープンにして、もっと身近な存在になるべき、という信念を持っていたので、意思確認書に無条件で同意した。

この後、予め決められた時間割りに沿って、個別の検査や面接が始まっていくわけだが、周りを見渡すと少々違和感がある。このA班、ひとつ特殊な事情があった。受験者に女性がいない。

二次選抜に進んだ50名のうち女性は4名だった。

あくまで推測だが、詳細な医学検査を行うにあたって、女性1名という班分けをしなかったのだろう。4名固めることは避け、2名ずつが2班に分け、残る1班は男性のみという班分けにしたのではないか。

それがA班だった。

3班の中で唯一、むさくるしいことに、16名の受験者全員が男性だったのだ。
男子校育ちのぼくにとってまったく不都合はない。 むしろ慣れた環境だ。

伝説の検査

二次選抜の前半戦、筑波宇宙センターで行う試験項目は以下だった。16人が同じ控え室を拠点に、順に試験を行っていく。試験の順番は人それぞれで、時間割りが予め決められていた。

心理適性検査
耳鼻咽喉科
英語面接
心理面接
精神科面接
集団討議
一般・専門面接

どの試験も「正解はこれ」というような試験ではない。
何を測られているのかすぐには分からない検査。隠しきれない素の人間性をほじくられたり、自分ですら気づいていない深層心理を分析されたりする心理面接。本気度・覚悟を試される専門面接。集団討議を除いては、受験者側は一人で受ける単独試験だった。

二次選抜では、一人一人の資質=ライトスタッフを見極めるべく、一人にかけるトータルの試験時間はかなり長くなる。受験する方もそうだが、評価・選抜する方も、50名の試験結果を処理し選抜審査プロセスを行うとなると、かなり大変な作業のはずだ。受験者も選抜側も、お互いが人生をかけた本気のぶつかり合いと言えるだろう。

序盤に筑波宇宙センターで行われた検査は以下のようなものだった。

心理適性検査の中に、単純作業(ピンにワッシャを通すような試験(下図))を時間制限つきで繰り返し行わせる試験があった。

指先器用検査盤 ©一般社団法人 雇用問題研究会

「正確さや早さなど器用さを測る試験だろう」と最初は単純にそう思った。しかし、試験が始まって数回やってみると、あることに気づいた。試験官が何やらしきりにメモしているのだ。それは明らかにぼくが時間内にクリアした本数の記録だけではなかった。

(そうか!毎回毎回の試験の合間にぼくが発した言葉や反応をメモしているんだ。)

そういえば、無意識のうちに、「あ~」とか「よし!」とか言葉を発していた。ということは、あまり「感情の起伏を出すべきではないのでは」と察したぼくは、終止落ち着いた様子を見せつけつつ、その試験を終えた。

耳鼻咽喉科の検査では、目隠しをしてその場で足踏みする試験があった。

しっかり腕を振り、できるだけ太ももを上げるよう指示された。その場で足踏みしているつもりでも、どうしても多少前に進んでしまう。

新妻さん(当時メーカ技術者、現参議院議員)は、足踏みの最中に何かにぶつかり「ガラガラガッシャーン」という音がして驚いたそうだ。その場で足踏みしていたつもりが、豪快に前に移動していて、ダンベルなどが置いてある台に激突したのだ。ダンベルが置いてある台は壁ぎわにあったので、そこまで移動したこと自体も驚きだ、この大事な試験で失敗とも言える惨事を、他の受験者の前で笑い飛ばせるタフな精神力に舌を巻いた。

金井さん(当時海上自衛官医師、現宇宙飛行士)は、検査や面接で部屋に入るたびに、「金井、入ります!」と大声で宣言してから入室していた。自衛官の習慣なのだろうか、一般人には異質と思える金井さんのこの行動は、じわじわと受験者の間で広まっていった。

最後の一般・専門面接は、宇宙飛行士業務が抱えるリスクの説明を2日に分けて行った後に、行われるという構成になっていた。改めて、宇宙飛行士業務がリスクを伴うものであるという現実に直面させ、少し考える時間を置いた上で本当に「覚悟」があるかを確認する形だ。

宇宙兄弟では、その「覚悟」を確認するシーンがある。ブライアン・ジェイら3名の宇宙飛行士が亡くなった、カプセルの墜落事故の最期の船内録画映像を見せられる。その後、それぞれがそれぞれの方法で己の中に飲み込み、承諾書にサインをし、最終試験に臨む。

どうしても「自分は大丈夫、リスクは他人事」と考えてしまいがちだが、こういったリスクがある現実を受け入れなければ「覚悟」があるとは言えない。リスクを自分事として再認識させた上で、面接による確認をするプロセスがこのリスク説明&面接である。

もうひとつ、前半戦で行う伝説の検査があった。

『24時間蓄尿検査』だ。

その名のとおり、24時間の排出する尿を集めて検査するもので、1回の尿検査では分からない、腎臓機能の詳しい検査だ。
24時間の間、尿を溜め続けなければならないため、尿の入った容器を持ち歩かなければならないという拷問のような検査だった。

1998年に行われた第4期選抜では、”蓄尿キング”という称号を得た人物がいた。
数ある検査/試験のたびに、競争心が芽生えてしまうのが宇宙飛行士を目指すものの性。この蓄尿検査では、その”量”を競うようになり、ぶっちぎりの量で当初配られた容器には入りきらなくなり、ペットボトルを予備の容器として使ったらしい。この“畜尿キング”が残した逸話は、宇宙飛行士選抜界隈では伝説として語り継がれていた。

しかし、残念なことに(?)、2008年第5期における蓄尿検査では、技術の進歩により検査器具が進化してしまっていた。
尿の採集の段階で1/20に濾せるように進化し、何リッターもの大量の尿を持ち歩く必要が無くなってしまったのだ。もちろん素晴らしい進化なのだが、一つの伝説が終わってしまった寂しさも感じた。

選抜事務局からの蓄尿検査に関する説明の中で、
「前回はこの容器を満タンにしてしまった人がいましたけど、この検査は量を競うものではありませんからね。」
と注意が入ったときは、”蓄尿キング”のことだ!と思わず笑ってしまった。

人間ドックの3倍!病院での精密検査

3日間に渡る筑波宇宙センターでの試験を終えた16名は、1台のバスで医学検査を受ける病院の近くのホテルまで移動した。筑波から吉祥寺までのバス移動なので、1時間半ほどの行程だ。

30歳~42歳と年齢はひと回りほど幅があったものの、同じ夢を持ち同じ試験に挑む同志16名は、打ち解けるのも早かった。

有機薄膜電池を研究している仙君さんには、有機薄膜電池の軽さと薄さの特徴から、月面探査などで活躍できるポテンシャルがあるのでは?と思っていたため、その実用化に向けた課題などをガンガン質問できた。なかなか現実は甘くなく、実用化に向けてはまだ課題があるようだったが、ワクワクする技術だ。地質学を研究している藤井さんには、惑星の地質について今何が分かっていて何が分からないのかなどたくさんの質問をした。なんという贅沢。他にも振り向けば、車/飛行機/宇宙探査機の技術者、パイロット、医者…

有人宇宙開発や宇宙飛行士という『共通言語』でつながっている仲間がここに集まっている。『共通言語』があると打ち解けるのが早いだけでなく、深くまで打ち解けられるし、それが長く続く。有人月面探査を具体的に思い描きながら、様々な分野のエキスパートと気軽に話せるこの贅沢な時間を楽しんだ。

宇宙飛行士予備校の合宿のような雰囲気の中、会社を休んでチャレンジできる非日常を大いに楽しんだ。

バスにはマイクがついていた。懐かしい学生時代の修学旅行のようだ。

移動中は自由時間だったのだが、ある一人のかけ声により、全員でマイクを回し合い、自己紹介をし合うことになった。自分以外の15名全員とはまだ十分には話しきれていなかったので、同志たちのことを知る良い機会となった。後半戦に向けてさらに輪を広げていく良いきっかけ作りにもなった。

その場を仕切った主とは、最終選抜まで進むことになる海上保安庁のパイロット大作さんだった。一応、全員にマイクを回したのだが、最後の方は大作さん自身がマイクを握りっ放しで、最終的には奥さんとの馴れ初めまで披露していた。あっという間の楽しい1時間半だった。

16名の構成は、技術者8名(うち、宇宙関係4名)、医者3名、研究者2名、パイロット2名、地質学者1名。年齢は30歳~42歳。宇宙兄弟で出てきた競争心むき出しで相手を蹴落とさんばかりの「溝口大和」のような人間は一人もおらず、共に難関試験に挑む同志、競争よりも仲間という和やかな雰囲気だった。

病院での4日間に渡る医学検査は、徹底的に体中を調べ尽くされる今まで経験したことのない検査のオンパレードだった。身体の穴という穴を調べ尽くされ、身体の機能や体力検査も含まれていた。

二次選抜試験 医学検査項目リスト

医者や看護師も、宇宙飛行士選抜の医学検査を担うという特殊な機会からか、テンションが高かったように感じた。内視鏡検査や、体力検査など辛いものほど、検査する側の人たちは嬉しそうだった。また、宇宙飛行士を目指す人にはM気質の人が多いのか、辛い検査のあとほど控え室では盛り上がった。

体力検査は、スポーツテストの項目だった。反復横跳び、走り幅跳び、座位前屈、シャトルラン(※注釈①)など。男16名は、運動会か競技会かのように競い合った。控え室にあるホワイトボードに記録を書き込み、記録が更新されては「お~」と拍手があがった。

シャトルランでは4名同時に走った。押さえようと思っても競争心が芽生えてしまい無理をしがちだ。どうしても最初にはギブアップしたくないと思ってしまう。ぼくも極度の負けず嫌いなのでムキにならないよう気をつけつつ、後に続く検査に支障が出ない程度のところでリタイヤした。Polarで自分の限界を把握しておいたことが冷静な判断に役に立ったかもしれない。

※注釈①
20メートルシャトルラン。有酸素運動能力に対する体力測定方法で、20mを合図音に合わせて往復する。合図音は1分ごとに短くなっていき、合図音に間に合わなくなったら終了。

まさに競技大会のような雰囲気の中、普通の競技大会ではあり得ない種目があった。というか、種目を作り上げて勝手に競い合っていた。男しかいないのだから少々下品な話題にも事欠かない。

なんと下部(大腸)内視鏡検査までも競技種目に仕立ててしまった!

下部(大腸)内視鏡検査の方法自体は一般的だ。当日の朝食は抜き、水分のみの摂取。検査の4時間ほど前から、経口腸管洗浄剤を投与し、腸の中をきれいに外に流し出す。この経口腸管洗浄剤の名前が「ムーベン」という分かり易いネーミングだった。この「ムーベン」、改良を重ねて昔よりも格段に飲みやすくなっていると説明されたものの、けっして美味しくはない。それをコップ1杯を10分程度で飲み干すスロースピードで、合計2L飲まなければならない。

15分程すると便意をもよおし始めるのだが、その便が、ムーベンを飲んでは出してを繰り返すうちに、ほぼ液体になっていく。写真入りで、このくらいになったらOKという基準を見せられた上で、本人がそろそろいいかと思ったら看護師さんをトイレに呼んでチェックしてもらい、GOサインが出ると、内視鏡検査に入るという流れだった。それを4名ずつの4班に分かれて行った。

A班でつくった「ムーベン」競技大会のルールはこうだ。
「ムーベン」を飲み始めてからの時間を計測し、看護師さんのGOサインが出るまでの時間が早い人が優勝。

選抜試験の合否とはまったく関係の無い、男同士の(無駄な)戦い。内視鏡検査を初めて受けた人も多く、内視鏡検査が結構辛かったという人もいた。そんな中で、辛い検査やプレッシャーのかかる試験をも楽しんでしまおうという楽しいノリだった。まさに苦しい訓練にも耐えていく宇宙飛行士に必要な能力。

ただ、早くGOをもらおうと、やや見切り発車的に看護師さんチェックに入り、何度も何度もNOGOをもらうものが続出し、看護師さんにはいい迷惑だったかもしれない。

検査の中で最も辛かったのは、上部消化管内視鏡検査、いわゆる胃カメラだ。

ほとんどの受験者が初体験だったと思う。医者の人ですら、自分がやられるのは初めてと言っていた。当時の主流派まだ“経口“だった。喉の局部麻酔のみで、完全に意識のある状態で行う。あんな管が胃の中や小腸の入り口まで行くことを想像するだけでもきついが、実際かなりきつかった。

独特な緊張感の中、検査控え室に入った。検査中に胃の中がよく見えるようにする、つばを消す薬を渡され、それを飲んだ(まずい!)後、ドロッとした局部麻酔薬を喉に留めておくよう言われる。何もかもが初めてで勝手がわからない。麻酔薬を喉に留めることに苦労していると、ぼくの前で検査を受けていた金井さんの声が聞こえてきた。いや、声じゃない。えずく(嘔吐く)音だ。

「ヴォエ~ヴォエ~!!」

恐怖感が増幅し、緊張感がピークに達する。麻酔薬で喉の辺りが少し痺れた感じがしてきた。
検査中のことは思い出したくもない。「早く終われ」と祈り続けた。少しでも気を紛らわせようとなんとか目を開けモニタを見て、初めて自分の体内の映像を見た。喉の異物感、それによる嘔吐感が、検査中ずっと続いた。背中をさすってくれる看護師さんの手の優しいぬくもりも、この苦しみを和らげることはできなかった。

若い方が、嚥下反射や咽頭反射が強い。その分苦しみが大きい。
二度と受けたくないと思ったくらい辛かった(実際、数年後に定期人間ドックでもう一度受けたときにそう思った)はずなのだが、当時の心境はこうだった。

「辛い試験であればあるほど乗り越えた時に宇宙飛行士に近づく気がする。耐えられないレベルの辛さではない。辛い検査もっとどんどん来い!」

まるでスーパーサイヤ人のような“無敵モード“。「気の持ちよう」とはよく言ったものだ。

検査の合間の待ち時間には、控え室で映画を観ることが出来た。わざわざ宇宙もののDVDを用意してくれていて、「ライトスタッフ」や「アポロ13」などがとり揃えられていた。病院がフルバックアップで試験をサポートしてくれているのを感じた。医者や看護師の方もこのめったにない機会を楽しんでいるようだった。一つ一つの検査にしても、内容をしっかり説明してくれるし、質問にも丁寧に答えてくれた。受験者をリラックスさせる雰囲気を作ってくれていた。

最終日の空き時間には、同じ班で検査を受けていた金井さんと仙君さんと3人で、吉祥寺の街を散策がてら「まことちゃんハウス」を探しに行った。「まことちゃんハウス」とは、漫画家の楳図かずおさんの家のことで、家の外壁がトレードマークである赤白ボーダー柄という奇抜なデザインで、当時ちょっとしたワイドショーネタになっていた。近隣住民が景観を損ねていると騒いでいたのだ。せっかく近くにいるのでこの目で見ておきたいと思い立った。

ワイドショーを見て大体の場所は分かったので、それを頼りに歩き回って探し当てた。前評判に反し、景観を損ねるというほどとは思えなかった。奇抜なデザインではあるものの近所に迷惑をかけるようなものではない。もしかしたら、このように見に来る輩が近隣の方に迷惑なのかもしれないが・・・これも二次選抜での良い思い出だ。

このような学生時代の合宿のような空気が楽しく、緊張するどころか、終始リラックスして試験や検査を受けることができた。この16名が同じ班のメンバーで本当に良かった。

すべての試験が終わったとき、大きな連帯感が生まれていた。この何とも言えない一体感を「“穴”束力」(身体中の穴という穴を検査された仲間)と呼んだ。

最後に、新妻さんと大作さんの提案で、このA班のチーム名を決めた。
被験者の検査結果は、データ化・数値化されて処理されるだろう。でも、「俺たちのこの「“穴”束力」は数値化なんかできないぜ!」ということで、UnNumerable 16(数値化することができない16人)略して『UN16』、と名付けられた。

二次選抜がすべて終わった最終日の夜は、A班受験者にNHKの2名を加え、盛大に打ち上げを行った。楽しかった合宿が終わってしまうようで、とても名残惜しかった。海外含め全国から集まった同じ夢を持つ同志たちと、1週間の戦いをねぎらい、久しぶりに大いに飲んだ。

初日に遅刻ギリギリで登場し、その格好で皆の注目を浴びた最年長の関川さんには、いかにぼくたちが驚かされたかを直接伝え、盛り上がった。実は、二次選抜にスーツを持参してきていなく、関川さんの登場でものすごく安心させられたという人が数名いたことも分かった。関川さんは最年長であることを持ちネタに「アニキ」と呼ばれ、A班のみんなから親しまれていた。こういう一見すると失敗とも取られるようなことをも、笑いに昇華させてしまうサービス精神とハートの強さを持ち合わせていた。何度も笑わせてくれた。今でも大好きな仲間の一人だ。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama