第6章 2020年,宇宙への絆は消えない⑥ | 『宇宙兄弟』公式サイト

第6章 2020年,宇宙への絆は消えない⑥

2020.12.08
text by:編集部コルク
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仲間たちの想い

宇宙飛行士選抜受験仲間というのは絆が深い。

同じ志を持っているから、宇宙という共通言語を持っているから、根っこで繋がっているその関係性は太く長く続く。

第1期(1984)~第5期(2008)、それぞれの回で受験者の集いがある。5世代すべてで一堂に会した100名以上が集まる会を行ったこともある。

ぼくたち第5期の2次選抜仲間「49ers」は、年に数回、何か理由を見つけては集まるような関係性が続いている。程良い距離感で、会えばすぐに”あの時”に瞬間移動することができる。いつでも冗談や軽口が叩き合える特別な存在で、研究者も多く、たまに会うと「ノーベル賞はまだか?」など冗談が飛び交う。お互い刺激し合って成長が続けられる素晴らしい同志たちだ。

その中には、この宇宙飛行士選抜試験を機に、転身した人も少なくない。

「UN16」メンバーでもある新妻さんは、元々重工メーカーの技術者だったが、2013年に参議院議員に立候補し見事当選、現在は2期目で、これまで文科大臣/内閣府大臣/復興大臣政務官を務めた。技術士/防災士/国連英検A級の資格に裏付けられた技術力を武器に、日本の政治に技術系の血を注いでいる。

ラグビーで鍛えた持ち前の筋肉でUN16の象徴的存在で「あにき」と慕われており、国会議員になった今でも集まりには頻繁に顔を出してくれる。そのフットワークの軽さと、油断しているとぼくに酒を注いでくれていたりするほどの腰の低さをいまでも持っていて、大好きで尊敬する先輩だ。政策面という立場から、日本の宇宙開発をいつも全力で力強く応援してくれている。

UN16を代表する写真(左が新妻さん)

「49ers」メンバーの舘さんは、航空自衛隊で油井さんの同僚(後輩)だった。宇宙飛行士にかける想いには自信があったぼくが、唯一敵わないと思った人だ。

ぼくと舘さんは、バドミントンという共通の趣味で、何度か一緒にプレーをした仲でもあり、今でも交流がある。

舘さんは、宇宙飛行士になるために、名古屋大大学院から航空自衛隊に入った。この経歴が宇宙飛行士に有利であるという分析をし、それを実践してきたこと感服した。米ロ宇宙飛行士のことを知り尽くし、本質を捉えた選択だ。人生を賭けて臨んだ宇宙飛行士選抜では、2次選抜で破れてしまったのだが、そのすぐ後に、もう一つの夢であった数学教師として再出発し、次の新しい夢に向けてチャレンジしている。この転身が、あらかじめ準備され用意されたものであったことも、人生を賭けた夢がどれだけ本気だったかを物語っている。

舘さんは自分の生徒たちにも、宇宙飛行士という夢を追った自身のことを話している。同じように宇宙を夢見る生徒を応援する姿がNHKで特集されたこともある。舘さんのような熱い想いを持ち、かつ、行動ができる先生に教えてもらえる生徒たちは本当に幸せだと思う。舘さんの教え子たちが、同じように夢を追う大人になって欲しい。

つくばの体育館でバドミントンを楽しんだとき
(左が49ers清水さん、右が舘さん、真ん中が筆者)

第5期宇宙飛行士選抜試験では963名が受験し、960名が夢破れている。

それぞれが宇宙飛行士に賭ける想いをぶつけ、そして破れたあとは、次の夢に向けて歩んでいる。宇宙飛行士という夢は、大き過ぎて現実味が薄い反面、他のことをしながらでも目指せるという大きな利点がある。一つの夢に取り組みながら、チャンスが巡ってくれば宇宙飛行士というように、二股をかけられる。

宇宙飛行士に匹敵するような次なる夢にすぐ出会えるかというと、難しい。ぼくがこだわりを持っている宇宙開発という分野で、いきなり宇宙飛行士に並ぶくらいの何かを成し遂げてやろうと思ってしまうと、その目指す頂きの高さに潰されてしまう。

それよりも、「ぼくは宇宙飛行士になって何がやりたかったのか?」という原点に立ち返って考えてみると、もしかしたらその答えにたどり着けるかもしれない。

この考え方は、次にチャンスがあれば宇宙飛行士選抜試験に再チャレンジしたいが、もしすぐに次のチャンスが来なかったらどうするか?、長い期間をかけてゆっくりと考え続けていた中で、ようやくぼく自身が納得のいく形で、次の夢に進める気がしたきっかけとなった。

ぼくは、日本の有人宇宙開発を前に進めたかったのだ。志望動機や目指す宇宙飛行士像にも書いていたことだ。

夢破れたあと、ぼくはずっと日本の有人宇宙開発のことを考え続けてきた。そのために今のぼくができることは何か?

「こうのとり」宇宙船の開発に全力を注ぎ、運航を開始してからは、フライトディレクタとしてミッション達成に貢献してきた。並行して、次世代宇宙船の開発を行い、さらに、月探査に向けて発展させようと頑張っている。日本の有人宇宙開発を前に進め、次のステップに押し上げるため、全力で取り組み続けてきた。これからも続けていくつもりだ。

加えて、ぼくが取り組んできた宇宙船技術に、さらに有人宇宙開発に賭けるアツイ魂も乗せた、この夢のバトンを、次の世代の人たちに引き継いでいきたいと強く思うようにもなった。そのことが、ぼくの次の夢にもつながる。

ぼくは、いわゆる挫折を味わった。

でも、それは挫折ではなく、ぼくの夢をさらに大きくするきっかけであり、チャンスだった。

もう一度受けたかったくらい刺激的で楽しかった選抜試験の思い出、長く辛く苦しい思いを引きずった経験、この挑戦から得られたたくさんの同志たちとの出会い、それらすべてがぼくの人生における財産となった。

特に、選抜を通じて得られた仲間たちとは、今は別々のことをやっているように見えたとしても、今後また様々なシーンで交わることもあるだろう。そのときには、きっと化学反応を起こし、楽しいことを生み出すことにつながるに違いない。

根っこでつながる同じ夢を持った同志なのだから。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama