NASA日本人技術者、研究費獲得コンテスト!-宇宙兄弟

《第4回》宇宙人生ーーNASAで働く日本人技術者の挑戦

2014.11.12
text by:編集部コルク
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第4回 研究費獲得コンテスト

前回、「彗星ヒッチハイカー」のアイデアを思いついたいきさつを書いた。僕はこのアイデアに自信があった。現在の技術では到達できない星に探査機を送り込むことを可能にするかもしれないアイデアだったからだ。

だが、良いアイデアを思いつけばすぐに研究を始められるというほど現実は甘くはない。研究費を取らなくてはいけないからだ。そしてそのためには厳しい競争がある。

僕が応募をしたのは、NIAC(NASA Innovative Advanced Concept)と呼ばれる、SFと現実のすれすれ境界のぶっ飛んだアイデアを研究するためのプログラムである。毎年、数百件の応募があり、選ばれるのは10件程度。数十倍の競争だ。

競争は二つのステージで行われる。第一ステージでは、応募者は「コンセプト・ペーパー」を書いて提出する。上限は3ページ。その中にアイデアのエッセンスを全て伝えなくてはいけない。これに勝ち残ると第二ステージに進める。10ページのプロポーザルに、このアイデアがいかに科学的に価値があるか、また技術的な実現可能性があるかを書く。これを勝ち抜くと、研究費としては少額だが、10万ドル、約1000万円が与えられ、9ヶ月の研究がスタートする、というルールだ。

勝負はチーム戦だ。選考ではもちろんアイデアの良し悪しが第一に考慮されるのだが、チームも評価の対象になる。つまり、提案された研究を遂行する能力のあるメンバーが揃っているかどうかだ。

僕の弱みはここにあった。僕はまだJPLに入って1年目の、絶賛新入社員である。実績などなにもない。しかし、NIACは年齢制限のない無差別級の勝負だ。しかも、NASA職員だけではなく、大学や民間企業からも応募できる。百戦錬磨のベテラン職員や、有名な大学の先生と、同じ土俵で戦わなければいけない。

そこで僕はベストなメンバーを集めるために奔走した。まずはJPLの同じ部署から、テザーの専門家のイタリア人と、メカニクスの専門家のアメリカ人の協力を取り付けた。在職15年と25年のベテランである。また、他の部署にいる軌道設計の専門家のフランス人にもチームに入ってもらった。若手だが、彼自身もNIACを取ったことのある優秀な人材だった。

これだけでも十分に強いチームではあったが、勝負に臨むには、まだ何かが足りなかった。たとえるなら、関羽と張飛だけではなく、諸葛孔明のような人が。

うってつけの人がいた。ジューイット博士という、カリフォルニア大学ロサンゼルス校にいる天文学の重鎮の先生だ。彼は彗星などの小天体の専門家で、太陽系の果てに浮かぶ小惑星群であるカイパーベルト天体を、1992年に世界ではじめて見つけた功績で知られる。

しかし、どう考えても格が違いすぎた。こちらは無名のNASAの新人職員。向こうは世界に名を知られた教授である。その人が、僕のチームに一メンバーとして入ってくれることなど、あるのだろうか。

やってみるしかなかった。だめもとだ。失敗して失うものなど何もない。そう思って、長い時間をかけて情熱の塊のような熱いEメールを書き、ジューイット博士に送った。

「待つ」とはどうしてこれほどまでに体力を使うのだろうか。メールの着信音が鳴るたびに慌ててでメールボックスをチェックするのだが、期待した人からのメールではなく、ため息をつき、また仕事に戻る。その繰り返しだった。片思いの人からのメールを待つようだった。

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(イラスト・ちく和ぶこんぶ)

その日は返事が来なかった。翌朝に起きてすぐにメールをチェックしたが、返事はなかった。午前の時間がむなしく過ぎ、午後の時間もむなしく過ぎていった。

半ば諦めかけた昼下がり、ミーティングから戻ってきてメールボックスを開けると、数通の未読メールの中に「ディビッド・ジューイット」という文字があった。それを見た刹那、僕の体は判決を待つ被告人のようにこわばった。返事はYesだろうか、Noだろうか。

メールを開けた。たった一行の簡潔なメールだったが、読むのに気が急いて、目線が文字の上をツルツルと滑る感じがした。

「喜んで協力する。」そう書いてあった。

ほっ、息を吐いた。一時間も息を止めていた気がした。そして平社員用の狭いキュービクルの中で、同室の同僚に聞かれないように、小さな喜びの声をあげた。

***

こうして戦いに望むメンバーが揃った。PI(リーダー)が圧倒的に最年少という、なんともいびつなチームだった。

第一ステージが始まった。僕は終業後や週末の時間を使い、たった3ページのコンセプト・ペーパーを、膨大な時間をかけて書いた。最後の添削は年末年始の帰省から帰る際の飛行機の中で行った。

提出したあとは、また「待つ」という仕事が始まった。返事がいつ来るかは知らされていなかった。さすがに毎日毎時間、このことを気にかけていることはないのだが、ふとしたときに、不安と期待の入り混じった気持ちに襲われるものだった。

朗報は忘れた頃にやってくるものだ。知らせはメールで届いた。ニュースはすぐに同僚たちにも伝わった。

その日から、周囲の人が僕を見る目が変わったことを、はっきりと意識した。それまでは単なる新入平社員の一人だった。相変わらず新入平社員だったが、「単なる」新入平社員とは見られなくなったように感じた。前々回に書いた「プチ失業」で失っていた自信を、少しだけだが、取り戻すことができた。

DarthVader
(今年のハロウィンに、ダースベーダーのコスプレを身に纏い〝彗星ヒッチハイカー〟のプレゼンをする小野さん。プレゼンもアイディア同様にぶっとんでいる。)

第一ステージを突破したJPL職員は15人いた。翌週、全員まとめてプログラム・マネージャーとのミーティングに呼ばれた。ここまで来ると、第二ステージのプロポーザル書きに対して、JPLが公式にサポートしてくれる。(つまり、少額だがプロポーザル書きのための予算をつけてくれる。)

ミーティングに集まった顔ぶれは殆どがベテラン職員だったが、若手も何人かはいた。そのうち一人とミーティング後に立ち話をし、お互いのアイデアを披露しあった。僕がまず彗星ヒッチハイカーの話をすると、彼は「それはクレイジーで面白いアイデアだね」と褒めつつも、「でも僕のはもっとクレイジーだぜ」と前置きして、自信満々に彼のアイデアを披露した。確かに面白いアイデアだった。第二ステージはこんな奴らと勝負するのか、と思った。

第二ステージは10ページのプロポーザルだが、予算や事務的な内容を加えると、全部で30ページにも及ぶ。時間は3週間しかなかった。

苦労してベストなメンバーを集めたことが、この時に生きた。ジューイット博士は非常に親身に協力してくれた。さすがは専門家で、なぜ彗星ヒッチハイカーが科学的に有意義かを、豊富な例を挙げながら強力な説得力をもって論じてくれた。軌道の専門家のメンバーは仕事が速く、彗星ヒッチハイカーの活用例となる軌道の計算を行ってくれた。

平日も休日も夜遅くまで必死に書いた。ようやくドラフトを書き上げると、僕はそれを上司に見せ、意見を求めた。非常に厳しく批判的なフィードバックが返ってきた。ちゃぶ台返しのようだった。自分が自信を持って書いた文章をここまで批判されると、僕の反抗心は平穏なままではいられなかった。しかし、彼には僕よりもはるかに豊富な経験があった。それに、こうして意見をくれるのは僕のためにやってくれていることなのだ。頭ではわかっていた。だから、猛獣を手なづけるように感情を必死に抑えながら、時間をかけて書いた文章の多くをバッサリと削除し、彼のアドバイスに従って一から書き直した。消しては書き、上司にアドバイスを求め、また消しては書き、そんな作業を何度も繰り返した。

そして最後には、その上司も手放しで褒めてくれるプロポーザルができた。もちろん、他の応募者もベストなプロポーザルを書いてくるだろう。だが提出するとき、僕には不思議な自信があった。

朗報はいつでも忘れたころにやってくるものだ。3ヶ月ほどしたある日、何かの仕事に勤しんでいると、電話が鳴った。取ってみると、先方はNASA本部の何某だと名乗る。瞬間、受話器をもつ手が震えた。そして彼はこういった。

「Congratulations!(おめでとう!)」

***

第二ステージを勝ち残ったJPL職員はわずか3人だった。ニュースが伝わるのは早いもので、さまざまな人から祝福のメールを受けた。中には所長がCCされているものもあった。また、ワシントンポストのWeb newsをはじめとして、様々なメディアに取り上げられた。

7月、第二ステージを勝ち抜いたチームのPIたちが、NASA本部があるワシントンDCで一同に会して、キックオフ・ミーティングが行われた。12人の勝者たちがそれぞれのアイデアを発表したのだが、さすがは激戦を勝ち抜いただけあって、面白いものばかりだった。たとえば土星の衛星・タイタンの空を飛ぶヘリコプター、タイタンにあるメタンの海を探査する潜水艦、小惑星を丸ごと捕まえる巨大な網、そして基盤一枚の上にのる紙飛行機のような宇宙船を大量に用いた重力場探査などだ。そのリストがNASAのページに取り上げられている。
NIAC 2014 Phase I Selections:こちらのサイトにて12人の勝者について掲載中。小野さんもこの中で取り上げられている。)

その晩、12人のPIたちがNIACのプログラム・マネージャーの家に招待され、ホーム・パーティーがあった。お互いにアイデアの面白さを讃えあう、和気藹々とした雰囲気がそこにはあった。だが、彼らは次の競争の相手でもあるのだ。今回の予算は「フェーズ1」である。9ヶ月の研究の後、再度審査があり、一部の人のみが「フェーズ2」に進めるのだ。喜びと緊張。ふたつの対照的な感情の境目は、やがて酔いが回るとともにぼやけていった。ホテルに戻り、僕は充実した疲れに包まれて眠った。

そうして無事にミーティングを終えた翌朝、目覚めてベッドの中で携帯をチェックすると、母親からメールが届いていた。「おばあちゃん」という件名だった。嫌な予感がした。そしてその予感は当たってしまった。祖母の容態が悪く、会いたい人にいまのうちに会っておけと医師から告げられた、との事だった。氷水をぶっかけられたような目覚めだった。昨夜からの充実感も眠気も一瞬で吹き飛んだ。すぐに僕は、2週間後に東京に向かう飛行機のチケットを予約した。

(つづく)

 

***


コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!

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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。

本連載はこの作品の続きとなるJPLでの宇宙開発の日常が描かれています。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。

■「宇宙人生」バックナンバー
第1回:待ちに待った夢の舞台
第2回:JPL内でのプチ失業
第3回:宇宙でヒッチハイク?
第4回:研究費獲得コンテスト
第5回:祖父と祖母と僕
第6回:狭いオフィスと宇宙を繋ぐアルゴリズム
第7回:歴史的偉人との遭遇
第8回<エリコ編1>:銀河最大の謎 妻エリコ
第9回<エリコ編2>:僕の妄想と嬉しき誤算
第10回<エリコ編3>:僕はずっと待っていた。妄想が完結するその時まで…
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