第0章 指先まで触れた夢 | 『宇宙兄弟』公式サイト

第0章 指先まで触れた夢

2020.06.16
text by:編集部コルク
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2009年2月25日、新世代宇宙飛行士候補者2名が選抜されたことが発表された。
のちに加わる1名と合わせ、計3名の新しい宇宙飛行士候補者が10年ぶりに誕生した。

2月25日朝、まだ宇宙飛行士候補者になるかどうかわからない4人は、談笑しながら同じホテルのラウンジで朝食を取っていた。それ以外の6名は、職場や自宅、10人のファイナリストたちはそれぞれの場所で吉報の電話を待っていた。

ぼくはホテル組だった。
このような心理状況では仕事も手につかない。希望者は同じホテルで前日夜から宿泊できることになっており、ぼくはそれを選択した。
他の3名もおそらく似たような心境だったのではないだろうか。
合否通知連絡がくる予定の10時まで、4人で一緒にゆっくりと朝食を取ろうと約束をしていた。

正直、いつまでもこの挑戦の結末を迎えたくない気持ちだった。みながそう思っていた。
これまで10ヶ月に及ぶ宇宙飛行士選抜試験を共に戦った同志。競い合うライバルと言うよりも、同じ頂きを目指すチームであり仲間になっていたのだ。
お互いが、自分の人生があと少しで大きく変化するかもしれない緊張感を抱えつつ、選抜試験で経験した刺激的で楽しかった思い出話に花を咲かせながら、4人で朝食をとっていた。いつも笑いが絶えない。緊張感を隠すためだけではない、一緒にいて心地良くて頼もしくて楽しい仲間と、同じ立場で一緒にいられる最期の時間を共有していたのだ。

突然、一人の携帯電話に着信があった・・・
約束の10時まで、まだ20分もある。

そこから運命は大きく2つに分岐した。
慌ただしく人生の変化の階段を登ることになるものと、
その可能性が一瞬にしてなくなり、急に現実世界に引き戻されるもの。

居場所のなくなった夢のかけらは、行く当てもなく心の中を彷徨う。
仲間への惜しみない祝福。これは紛れもない本心から。
共に戦った仲間だから分かる。この2人なら絶対にやれる。

でも、ぼくの心にはすっぽりと穴が空いてしまった。
もう少しで、あと一歩で、夢に手が届くところまできていたのに。
ついさっきまでしっかりと見えていたターゲットが、急に目の前からすっと消えてなくなってしまったのだ。

12年前、「きぼう」も「こうのとり」もまだ宇宙へ飛び立っていなかった。
日本の宇宙ステーション計画は、まだ長く苦しいトンネルの中にいて、ようやく出口が見えてきたころだった。ぼくは、宇宙船「こうのとり」のフライトディレクタ候補として、宇宙船運用に携わり始めたばかり。32歳だった。

社会人になって8年、脂の乗ってきたタイミングだ。
そんなときにめぐってきた夢への架け橋。
忘れかけていた夢を引き寄せるべく、宇宙飛行士を本気で目指した。
人生史上最大の挑戦。

10ヶ月に及んだ選抜試験。
時と共に記憶は薄れていくものだが、
この10ヶ月間の強烈な体験は脳裏に刻まれ残っている。
刻まれた記憶は上書きされずに残っているのだ。

人生を賭けて臨んだ。
奇しくも初めてメディアの密着が入って行われた選抜だった。
選抜が終わると、テレビ放映があり、本が出版された。取材もたくさん受けた。
そのこと自体はポジティブに受け止めていた。光栄なことだ。
しかし、その裏では、選抜に関するテレビや本は、まともに見る気にはなれなかった。
切り取られた一面だけで、何かを語られたくないという強い拒否反応があった。

選抜試験を通じてたくさんのものが得られた。
これは人生の財産になっている。
心の底から受験して良かったと思っている。
それでも、ステージから叩き落とされたときの失望感は計り知れないものがあった。
心の傷は深かった。しばらくは自分でもその深さに気づけないほどだった。
「あと少しで宇宙飛行士になれたかもしれない」という呪縛にかかり、引きずった。
取り憑かれたような悪魔性の強い病気にかかってしまったかのようだった。
苦しみは長く続いた。
心の葛藤は数知れないほどあった。

客観的に選抜関連の本を読めるようになったのは、ごく最近だ。

同じ志を持った仲間に出会えた。
その仲間たちから頻繁に刺激をもらい、切磋琢磨してきた。
何か壁にぶつかった時には、心の支えになった。
「ぼくも頑張ろう」と思えた。
苦しみ抜いたからこそ、得られたものの本当の価値が分かった。

あのとき選ばれた3人は、2015年、16年、17(~8)年と、宇宙ステーションへの長期滞在ミッションを立派にこなし、ロボットアームで宇宙船をキャプチャし、船外活動をやり遂げ、リアル宇宙飛行士になって帰還した。

ぼくが「こうのとり」7号機のリードフライトディレクタとして臨んだ2018年9月23日の打ち上げ当日。4歳の愛娘が打ち上げ中継をテレビで観ながら「パパが宇宙に行ってしまった」と思って涙したという。ぼくには守らなければならない家族がいる。

こうしたいくつかの区切りを経て、ぼくは、自分の中で夢を乗り越えようとしている。
これまで本気で育んできた夢を、次の世代の誰かに託し、ぼくは次の夢を設定する。
そして、ぼくの人生の財産である宇宙飛行士選抜を通じて得られた体験を、あとに続くものたちに向けて、残してみようと思うようになった。
これを世に出すことで、ぼくの夢の移行作業は完結する。

将来やりたいことを見つけようとしている人、
もう見つけて目指している人、
なかなか見つからない人、
見失ってしまった人、
夢破れてしまった人、
ふたたび探し始めた人へ。

これは、ぼくが経験した挫折に大いに立ち向かっていったひとつの記録だ。
いまでは、あれは挫折だったのではなくて、むしろ大きなチャンスをつかんだのだと思っている。
10年かかって、ようやくそう思えるようになった。

だれもが人生で経験していることとなぞらえて、当時のぼくと同じ目線で楽しんで読んでもらいたい。

ぼくの挑戦のものがたりへ、ようこそ!

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama