10年ぶりの募集というサプライズ
恥ずかしいほど完全に油断していた。
「宇宙飛行士の募集はそろそろかな」などとは、微塵も予期できていなかった。
ぼくが入社してしばらくは、宇宙ステーション計画自体が混沌としていた。
「きぼう」のスペースシャトルによる打ち上げ予定はいつも3年後。2003年に起きたコロンビアの空中分解事故により、宇宙ステーション建設に欠かすことのできないスペースシャトルの打ち上げが、結果的に2年半も止まってしまったことも大きく影響した。
宇宙ステーション界隈では、「きぼう」「こうのとり」の打ち上げと、つくばエクスプレス(TX)の開通とどちらが早いか、共に当初計画から遅れつつ、ライバル心をもって競い合っていたが、結果は惨敗。TXは2005年8月に開通した。
2008年3月にようやく「きぼう」第1便である「船内保管室」が打ち上げられたのが、ちょうど10年ぶりの宇宙飛行士募集がかけられたタイミングであったが、その時点で10年前に選抜されていた3名(星出飛行士・山崎飛行士・古川飛行士)がまだ誰もフライトしていなかった。
後から聞いたことだが、宇宙飛行士選抜サイドも、「このタイミングで神風が吹いたので、その機会を逃さず一気に募集に踏み切った」ものだったそうだ。
とにもかくにも目の前に扉は開かれたのだ。
そして、次の瞬間には受験の決意を固めていた。
2008年3月31日、募集要項が公開され、応募条件や選抜プロセス概要が明らかになった。
パンフレットには大きくこう書かれていた。
『宇宙に行こう、未来を拓こう』
今でも大事に取ってある。大好きなパンフレットだ。
地球の上に浮かぶ宇宙ステーションと、次の言葉とともに、その奥に月がひっそりと描かれていた。
「きぼう」日本実験棟の
打ち上げとともに
到来する新しい時代。
宇宙というフロンティアに挑み、
地球人として
世界の人々に貢献
宇宙飛行士候補者を募集します。
募集要項に言葉としては全く出てこないのだが、JAXAのその先に描くビジョンが、明らかに意図的に描かれていると感じた。「2030年頃には再び人類が月に行けるだろうから、55歳、まだあり得るな」と皮算用をし、「これは宇宙ステーションの次の時代までを見据えた募集に違いない!」と興奮した。
募集要項に穴が空くほどにらめっこし、これから自分がしておくべきことを洗い出し、具体的な選抜試験の準備計画を立て始めた。
まずは応募書類だ。
応募書類の受付期間は2008年4月1日~6月20日。
募集要項には以下が記されていた。
①宇宙飛行士候補者志願書
②経歴書
③健康診断書
④健康状況調査書
⑤大学卒業証明書
⑥学位証明書(修士または博士の学位を有する者のみ)
⑦英語能力証明書類(海外在住者はこれにより英語試験免除可能)
……なかなか骨の折れる応募書類の数々だ。
宇宙飛行士候補者志願書(①)は、A4サイズ8ページに及ぶフォーマットが指定されていた。中でも「応募動機」と「自分の目指す宇宙飛行士像(自己アピールも含めよ)」は、書類審査のキーポイントだろうと予想できたため、自分の宇宙飛行士になりたいというアツイ情熱をしっかりと注ぎ込んだ。
健康診断書(③)は、わざわざ医療機関に受診しに行く必要があった。こちらもフォーマットがあったため、医療機関に指定された検査項目を検査してもらえるか問い合わせをした上で受診した。1万円ほどかかった。
大学証明書類(⑤、⑥)だって、取り寄せるのに一苦労だ。
冷やかしでは面倒が掛かり過ぎて応募すらできないだろう。この時点で意図的にフィルタを働かせていると思って良いだろう。本気でなければスタートラインに立たせてもらえない。
「宇宙兄弟」でムッタは、母親が代わりに履歴書を送って、知らぬうちに書類選考を通過していたが、そのようなことは実際には起こりえないわけだ。漫画の設定なので些細な突っ込みは野暮だが(笑)
ただ、ここでひとつ、事実として言えることがある。
当時JAXAにて宇宙飛行士選抜試験の事務局長を担当した柳川孝二さんが、選抜試験後に出した「宇宙飛行士という仕事」(中公新書)という自身の著書の中で述べている。「全受験者のすべての書類に目を通し、全項目について、適・不適の絶対評価あるいはABCの三段階評価を行って数値化し、全963名の応募者から上位230名を書類審査(英語試験含む)合格者とした」。
つまり、書類審査であっても、項目ひとつひとつのすべてが審査対象だったのである。応募書類の一項目ですら、何ひとつ手を抜いてはいけないのだ。
募集タイミング
巡り合わせ、縁、タイミング。
どんなものにも当てはまるとは思うが、例に漏れず、宇宙飛行士についてもそうである。
自分の人生のどのタイミングで不定期の宇宙飛行士募集がかけられるか。
宇宙飛行士を目指すものにとっては非常に重要である。
特に、日本のように不定期にしか募集がないような場合はなおさらだ。
第4期1998年と直近の第5期2008年に受験した超優秀な方は、自身の2回のチャレンジをこう振り返った。「第4期では最年少組、第5期では最年長組だった。最も脂の乗っている絶好タイミングで募集がでなかった。」
ぼくの場合は、第4期はまだ学生だったため受験資格を満足していなかった。第5期は32歳。仕事でもそこそこ経験を積み、中堅に足が掛かった脂の乗ってきたタイミング。ベストに近い。まだ見ぬ第6期は、もう年齢的に厳しくなっている。振り返ってみても、2008年の第5期が唯一のチャンスであった。まさに、一期一会。
また、ぼくの場合は、ちょうど募集が始まった時期と転職のタイミングが重なった。
2008年4月にJAXAに中途採用で入社し、入社後すぐに宇宙飛行士に応募したというタイミングになった。ほかの会社だったらとんでもないことだったかもしれないが、ぼくの場合は宇宙飛行士になったとしてもJAXA職員であることは変わらず、単なる部署間の異動ということになる。後ろめたさは感じていなかった。
直近でJAXAの中途採用試験を経験していたので、試験慣れ、面接慣れという点でプラスに作用していたかもしれない。この点でもラッキーなタイミングだったと言える。
ぼくにとっては、まさかこのタイミングで!?というサプライズがありつつも、ベストタイミングでチャンスが巡ってきたわけである。
試験がどういう形で進んでいくのか、かなり宇宙飛行士に近いところで仕事をしていたぼくでも、試験に関する情報はほとんどなかった。
どういった試験が行われていくのだろう?
宇宙飛行士として求められる基準や資質ってどんなレベルなんだろう?
果たしてぼくなんかが突破できるような試験なのだろうか?
今まで漠然と描いてきた宇宙飛行士として必要な資質。
それらを、具体的にかみ砕き、そのひとつひとつに対し、自分のレベルを数段上げていく必要がある。理想の宇宙飛行士像に一歩でも近づけるよう、宇宙飛行士として求められる能力を磨いていくことが必要だ。
実際に選抜試験が始まるとなって初めて、具体的な対策として何が必要となってくるのかを本気で具体的に考え始めた、というのが正直なところだった。
ただ、気が楽なところもあった。
受験のように過去問もないし、対策本もあるわけではない。何について準備するもしないも、すべて自分で決めれば良い。ノルマはない。どこまでやるかどうかは自分次第。他者と比較するものがないのは気が楽だ。
何はともあれ運命の歯車は回り始めた。
夢へ近づくため、一歩一歩階段を登っていこう。
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(今までの連載のまとめはこちら)
※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません
コラム 時を同じくして宇宙兄弟連載始まる
ちょうどほぼ時を同じくして、「宇宙兄弟」の連載が始まっていた。
最初の舞台は宇宙飛行士選抜試験。それがなんと本物の宇宙飛行士選抜試験と同時進行で進んでいった。
ぼくは受験中も、「こんなのがあったら面白いなあ」とか「これはないな」などとツッコミを入れながら、毎週欠かさず読んでいた。宇宙飛行士を目指す人間模様が描かれ、また選抜試験についても本物よりもドラマチックかつユニークな設定が面白い。選抜試験受験者の間でもたびたび話題にしていた。
受験者の中では、”読む派”と”敢えて読まない派”に分かれていた。
ぼくは、同時進行で同じ空間を共有できる仲間たちが描かれているというシンパシーを抱きつつ、楽しみながら読んでいた。
今でも大ファンであり、愛読している。
近未来の宇宙開発がリアルに描かれていて、宇宙開発関係者にもファンが多い。
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<著者紹介>
内山 崇
1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。
Twitter:@HTVFD_Uchiyama