第4章 ザ・宇宙飛行士選抜試験(後編①) | 『宇宙兄弟』公式サイト

第4章 ザ・宇宙飛行士選抜試験(後編①)

2020.08.18
text by:編集部コルク
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ドタバタ

2次選抜のA班の試験が終わってから、早2ヶ月が経っていた。

10月初旬の2次選抜の頃にはまだ夏の暑さが残っていたが、もうすっかり冬の訪れを感じさせる12月だ。ただ、ぼくの心は燃えるようにホカホカしていて、寒がりのぼくでも寒かったという記憶はない。

その間のぼくは、「こうのとり」初号機の打ち上げ前1年を切って佳境を迎えており、2回の海外出張で忙殺されていた。 そして2回目の海外出張から戻ると、急に物事が展開し始めることになった。

2次選考の合格通知には最終選抜試験の全貌をうかがわせる案内が記されていた。

①平成21年1月11日(日)~1月25日(日)(15日間)
筑波宇宙センターおよびNASAジョンソン宇宙センター
長期滞在適性検査、泳力の試験、宇宙飛行士面接等

②平成21年2月3日(火)および2月4日(水)(2日間)
東京事務所他
役員面接、外部有識者面接、追加医学検査等

③平成21年2月23日(月)(1日間)
東京事務所
理事長面接

これだけ見ても相当な試験規模だということがわかる。試験の域を超え、もはや訓練と言ってもいいかもしれない。

これに加えて試験内容の全貌が推し測れるレベルに試験概要も書かれていた。

試験期間はトータル18日間。想像していたよりも相当にタフな試験となりそうだ。丸々2週間以上会社を休まねばならない。10名まで絞りこんでこの長さの試験を行うということは、もうすべて丸裸にされると思った方がいいだろう。付け焼き刃の対策では役に立たない。これまでの人生で経験したこと、身につけてきたもののすべてが、宇宙飛行士になるべき資質があるかどうかの尺度で測られるにちがいない。

最終選抜試験開始までにぼくに与えられた時間は3週間。
2次合格の余韻に浸る暇はまったくなかった。

まず諸申請手続き類から取りかかれなければならなかった。
特に、有人宇宙開発のメッカ、米国ヒューストンにあるNASAで行う試験のために、NASA施設に入るために必要な手続きを行わなければならなかった。

3週間とはいえ、間に年末年始休暇を挟んでいる。さらにアメリカは、12月中旬からクリスマス休暇に入ってしまう人が多い。

12月18日(木)、2次選考合格通知を2日遅れで受け取ったぼくは、その申請類の準備にとりかかるのもその分遅れてしまった。合格後すぐに“手続き”で急かされるなんてまったく想像していなかった。

JAXA選抜係にパスポートのコピーを送り、NASAに提出しなければならないBiographyの作成にとり掛かった。Biographyとは、いわゆる経歴/略歴だ。英語でのBiographyを書くのは初めてだ。特に書き方の指示や例示もなかったため、宇宙飛行士のBiographyをウェブで調べ、見よう見まねで仕立て、提出した。

若田飛行士のBiography(2008年当時) ©NASA

パスポートを持っていなかった1名(公用パスポートしか持っていなかった!)は、短い期間でパスポートの申請から行わなければならず大慌てで文字通り走り回った。しかも、本籍を住居ではない、奥さんとの“思い出の岬”にしてしまっていた。戸籍を郵送で取り寄せている時間がないため、“思い出の岬”まで車を飛ばして取りに行かなければならなかった。急遽平日に会社を休んで取りに行き、急いでパスポート申請。なんとか間に合った。

一方、ぼくには、NASAジョンソン宇宙センターへの入構申請にかかわる少し特殊な事情で問題が発生していた。

NASA施設の入構申請プロセスは、仕事上で訪れるという正当な理由がある場合でも毎回煩わされるほど、厳しくて複雑な申請手続きが必要だ。国家機密事項を数多く抱えるNASAでは、人間の施設への入構およびデータのNASAシステムへのアクセスを2つに分けて、厳重なセキュリティ管理がされている。特に、セキュリティエリアに入る場合は、オンライン申請に加え、紙の手続きが必要なケースもある。

ぼく以外の9名は初めて訪れることになるため、新規で臨時の入構バッジの申請を行えば良い。1週間だけに有効な臨時申請で済むため、一括で申請が可能だった。しかし、ぼくはすでに業務で入構バッジを持っていた。

今回NASAで行う1週間の試験では、これまでぼくが入ったことのない特殊なエリアに入るための申請が必要であった。ぼくのオリジナルの申請ではカバーされていない。同じ名前(ID)で2つの違った申請をすることは許されず、また、今回の申請で上書きされてしまうと、ぼくの今後の業務に支障が出てしまう。

『まいうー』さんというあだ名で受験者からも親しまれていたJAXA選抜係の担当は、この特殊な事情を解決するため、もうクリスマス休暇に入ろうとしているNASA担当とのハードな交渉に尽力してくれた。この手の申請におけるNASA担当の融通の効かなさは容易に想像できるし、アメリカ人がいかにクリスマス休暇を大事にしているかも知っている。そんな中、まいうーさんのおかげで、なんとか臨時の申請を通してもらえた。

パスポートを持っていなかったり、一括でのNASA入構申請のできない人がいるなんて、JAXA選抜係としては想定外だったに違いない。想定外に対処しなければならないのは、宇宙飛行士側ともいえる受験者だけではない。その選抜試験の場を整えるJAXA選抜係にもたくさんの想定外があったと想像する。これはほんの一例だろう。

そのJAXA選抜係は、もうひとつ年内に終えなければならない重要な手続きがあった。

JAXA宇宙飛行士選抜係事務局長の柳川さんが、10名のファイナリスト全員の所属機関に、「この最終選抜試験を受験いただき、晴れて合格された場合には、宇宙飛行士候補者としてJAXAに移籍いただきたい」とお願いにあがらなければならない。

宇宙飛行士選抜試験の受験は、端的に言えば転職活動だ。

転職活動であれば、普通は、転職が決定するまで元の所属の許可など取らない。しかし、この宇宙飛行士選抜の場合、まだ宇宙飛行士候補者として選ばれたわけではないが、18日間にも及ぶ最終選抜試験を受験してもらわなければならない。これは本人だけでなく、所属機関にもかなりの負担をいただくことになる。さらに、選ばれた暁には、「この人を宇宙飛行士候補としてJAXAに送り出してください」というけっこう乱暴な話なのだ。

JAXAが組織として、長期間に渡る選抜を行いその結果として、本気のお願いにあがる。加えて、受験者が所属機関で発揮してきた能力を、宇宙飛行士適性という観点で評価する評価シートを提出してくださいとお願いする。適性評価という体になっているが、選ばれた場合に送り出していただけるかどうか、念書をとる意味合いもあるだろう。

言ってみれば、組織間の人材取引交渉だ。この段階ではまだ所属組織からの許可を得られていないのが普通だろう。決して予定調和ではない、真剣な交渉プロセスなのだ。JAXA宇宙飛行士選抜係としては、本腰を入れて臨んだ真剣勝負にちがいない。その人に、是が非でも最終選抜を受験してもらい、合格したら宇宙飛行士候補としてJAXAに入ってもらわなければならない。

ぼくの場合はというと、すでにJAXAに属しているため、本来であればとてもセンシティブなこのプロセスも、安パイに近いものだった。

ぼくもこの面談に対しては、比較的気楽な気分でいた。

すでに上司からの応援は取りつけている。同じ宇宙開発、もっと言うと同じ日本の宇宙ステーションプログラム内での異動だ。宇宙飛行士として「こうのとり」ミッションに貢献することだってできる。

宇宙飛行士候補となったとしても、本格的なNASA訓練に合流する前の初期の導入訓練は、すでに宇宙開発やISSに関する知識を持っているぼくにとってはたやすい。「こうのとり」の初ミッションまでは二足の草鞋を履くことだってできるのではないか、と思っていて、そうなった場合には本気で掛け合おうと考えていた。楽観的だった。

しかし、この考え方は甘かった。

「こうのとり」は初号機の打ち上げまで1年を切っていた。ぼくはその運用管制チームの一角をフライトディレクタ候補として担っていたのだ。プロジェクトとしては、まだ数々の課題を抱えており、ギリギリのところで踏ん張ってチームリソースをやりくりしている状況だった。中途半端な状態で務まる仕事ではない。ぼくの考えを上司に伝えたときには、「いや、それは無理だろう」とたしなめられた。

マネージメント層は、楽観的なぼくとは正反対に、主力が抜ける可能性が出てきた以上は、プランBとしてどう補うかを本気で考えなければならなかった。そう簡単に埋まる穴ではない。ぼくを中途採用で迎え入れてくれた際に尽力してくれた恩師とも呼べるマネージャからは、かなり冷たい反応をされた。

「理解してくれるだろう」というぼくの能天気な甘い期待は外れ、「こんな大事な時期に抜ける気なのか?」というド正論をぶつけられ、ショックだった。それだけ期待をかけてくれていたことの裏返しだと考えるとなおさら辛い。まだ打ち上げに向けて多くの課題を抱えていた「こうのとり」プロジェクトに、もう一つの悩みの種をまくことになってしまった。

それでもプロジェクトマネージャを筆頭に、直属の上司やプロジェクトチーム員はぼく個人の挑戦を応援してくれた。身に余る素晴らしい宇宙飛行士適性調査書を書いてくれた。プロジェクトの大変な時期にあっても、部下が個人的な夢を追うことを正面から応援してくれた。一生の恩義を感じている。

ここまで何の疑いも迷いもなく一直線に宇宙飛行士になれるかもしれない大チャンスに賭けてきたぼくの心境にもわずかに変化があった。

本当に宇宙飛行士になれるかもしれない。人生が大きく変わる。ぼくひとりの自由気ままな人生ではなくなる。その可能性が目の前にある。その現実感がぐっと迫ってきた。

それでも、ぼくの覚悟は揺るぐことはなかった。そんなことは受験するときからわかりきっていたことだ。その可能性にまた一歩近づいただけだ、と思っていた。

「片道切符でもいいから火星に行ってみたい」という受験者もいたが、当時のぼくはもう少し冷静で、さすがにそれは、”宇宙飛行士病”というべきか、一種の病にでもかかっているのではないか、「本気か?」と思って聞いていた。ただ、他の受験者を含め、そのくらい妄信的に宇宙飛行士を目指していた。

しかし、今になって思う。ぼくがここでスパっと心の折り合いをつけられたのは、当時まだ独身だったからかもしれない。今は、守るべき2人のまだ幼い子供がいる。もしこのときぼくに自分の家族があったら、まだ小さい子供がいたら、当時と同じ覚悟を持つことが出来ただろうか。

こういったドタバタもありながら、悔いのないよう力を出し切るために、対策準備に追い込みをかけた。

最後の対策準備

2次選抜終了後にぼくが立てた対策準備はこうだった。

ノートにはこのように項目リストだけしか書いていないが、ぼくが宇宙飛行士選抜試験に臨む上で何を準備しておくべきかというスタンスは、一貫していたと思う。宇宙飛行士に必要な資質が何かは、ぼくなりに持っていて、試験の段階に応じて照準の絞り方を調整していくというやり方だ。いきなりスーパーマンに変身することはできないので、長期的に地道に継続するというのが一番だ。

ぼくはうまく出来ていたと思う。ただ1点を除いては。

①語学対策

語学の道は一日にしてならず。英語には毎日触れ、毎日向上に取り組む。ロシア語も自己紹介くらいはできるように基礎を勉強し始めた。継続は力なり。これは、宇宙飛行士になってからも、Non-Nativeとしては永遠の課題として、ずっと継続しなければならないことだ。

②人文系対策

日本人代表として日本文化や日本のことを正しく世界に発信できる素養が必要だ。同じく世界の文化について知ることも大切だ。

書道・絵など学生のころ得意だった芸術分野に触れてみたり、日本を正しく海外に英語で紹介できるよう練習したりした。弟の飼っていた犬を描いてみたり、シルク・ドゥ・ソレイユを観に行ったりした。

社会問題について、肯定否定の意見をそれぞれの視点から展開してみるなどディベートを意識した思考訓練もしてみた。いずれも対策したというほどではないが、ぼくの不得意分野であることもあり、意識するだけでも少しは違ってくるだろうと期待した。

弟が当時飼っていた「ミロ」の絵
③水泳対策

立ち泳ぎの試験があることは予告されていたので、十分な深さのあるプールを近所に見つけ、立ち泳ぎ特訓をやった。立ち泳ぎは、これまで真剣にやったことはなかった。(おそらく、多くの人がそうだろう)

また、着衣での水泳という記載があった。水泳は子供の頃に競技水泳をしていたので問題なかったが、着衣水泳はやったことがなかった。ただ、一般開放プールではさすがに着衣水泳の練習はできない。もう冬だから海もダメだ。着衣については、本番ぶっつけでやむを得ない。

立ち泳ぎの練習は思っていたよりも苦戦した。初めての練習では1分ももたなかった。

10分もできるだろうかと心配になった。また、一般の練習レーンの隅っこで練習していたのだが、必死に立ち泳ぎするぼくのすぐ隣で子供たちがバシャバシャと水しぶきを飛ばされたりもした。

徐々にコツを掴み、5回ほど練習すると10分以上できるようになった。


④回転イス対策

ぼくにとって最大の鬼門だったのがこれだ。応募以来、ずっと心配の種がこの回転イスだった。 できるのであれば避けて通りたかった。どうしても克服できないでいた。

物心ついたときには乗り物酔いが酷かった。
電車や車でさえも、体調が悪いと酔うことがある。
飛行機では、気流が悪いとたいてい酔う。
船となると、どうしても克服することが出来なかった。

最終選抜試験項目には、“平衡機能検査 水平回転(回転イス)”と書かれていた。

どういう試験か詳細は分からなかった。まあ、とにかくぐるぐると回され、どれだけ耐えられるか見られるのだろう。

“宇宙酔い”のメカニズムはまだよく分かっていない。宇宙飛行士の7割が経験すると言われている。地上での乗り物酔いとの因果関係も明らかにはなっていない。しかし、通常の訓練でジェット機を操縦するため、乗り物酔いが酷いことは宇宙飛行士にとっては死活問題だ。乗り物酔いすることはリスクでしかなく、足切り対象だろう。

ここまで来たんだ。耐えるしかない。 荒療治でも何でもやって乗り越えてやる!
強い決意をもって、週末の執務室にやってきた。
年末ということもあり、狙いどおり人はいない。

普段仕事で使っている回転するイスに座り、深呼吸をした。 足で床を蹴って1回転させてみた。早くも頭にグラッとくる。

「まずは1分間、回してみよう。」

勢いよく床を蹴り回し始めた。すぐに回転速度があがる。1~2秒で1回転、かなり早い回転速度で回し続けた。

あっという間だった。

気持ち悪い。ぐるぐる回る。 30秒も経たないうちに、耐えきれなくなった。イスからよろよろと滑り落ち、近くのソファに倒れ込んだ。

目を閉じたままでも目が回っている。呼吸が浅く早くなり、つばが出てくる。意識して深呼吸するようにしたが、目が回って気持ち悪くて、目が開けられない。

・・・

警備員に呼びかけられて気がついた。 しばらく眠ってしまっていたようだ。いや、気を失っていたのか。
時計を見ると、3時間ほどが経っていた。すっかり日が暮れ、部屋は真っ暗になっていた。

「あー、大丈夫です大丈夫です」

といいながら、身体を起こしてソファに座り直し、顔をこする。警備員には職員カードを見せ、身分を証明する。

だいぶ気分は回復したが、まだ頭が重い。後頭部を触ると、なにかしこりのようなものができていた。
(なんだこのしこりは!ヤバイ。この特訓は身体に悪過ぎる。)

身の危険を感じ、特訓を中止した。
本番の1回を気合いで乗り切る!しかないか・・・

⑤宇宙飛行士運用センス

加えて、若田飛行士が重視する、「宇宙飛行士の運用センス」であるオペレーションの分野を意識した訓練にも取り組んだ。前回試験の情報は、白崎先生の「中年ドクター宇宙飛行士受験奮戦記」から仕入れた。

前回の閉鎖環境試験で出された「白いジグソーパズル」。単純作業を根気強く、パフォーマンスを落とさず、実行できる能力が問われるのだ。

ネットで探してみると、すぐに見つかった。 やってみると、思っていたよりも難しいことが分かった。

図柄の手がかりがないので、外枠はなんとか組み上がるが、あとはひたすらパズルの形状とにらめっこしてトライアル&エラーの繰り返し。はまったようにも思うのだが、ぴったりじゃない気もする。絵柄がないので、確信が持てない。だんだんと、似た形状のピースを無理矢理はめこんでやりすごしたくなる。そのまま続けていくと行き詰まる。 あまり自信が持てない完成品となった。

もうひとつ、「鏡映描写」をやってみることにした。これも前回の試験で出されたものだ。 まず100円ショップで鏡と厚紙などを購入し、鏡映描写装置を自作した。

自作した鏡映描写装置(材料は主に100円ショップで調達)

鏡映描写とは、直接手元を見ることなく、鏡越しに手元を見ながら図形を描くものだ。

視覚から得られるペンの動きと実際の手で動かしているペンの動きが、上下は逆になるが、左右は変わらない。視覚情報と実際の動きが矛盾するため、脳が混乱する。

遠隔操作で、カメラ画像を見ながらロボットアームを操作する際に、ハンドコントローラと、画面上のロボットアームの動きの方向が一致しない場合に、脳内で方向変換し、間違えないように集中して操作するのに似ている。ちょっとでも油断すると、間違えてしまう。

具体的には、鏡越しに見ながら、2重にかかれた星形のその間を、はみ出ないように、1周なぞっていくのだ。すぐに慣れ、かなり早いスピードで、はみ出すことなくなぞれるようになった。実際に目で見た情報に加えて、頭の中にもうひとつ直接目で見た映像を描き、それに基づいて手を動かすことをやってみたらうまくいった。これは得意分野かもしれない。

加えて、PC上でできるフライトシミュレータを購入し、飛行機の操縦練習をやってみた。パイロットの操縦能力は、宇宙飛行士の宇宙船操縦能力に最も近い。パイロット出身者にぼくが絶対に勝てない分野だ。

飛行機(シミュレータ)の操縦をしながら、旋回の途中で算数の文章題を出される試験を受けたことがあったので、そのようなマルチタスクの訓練も意識した。

宇宙兄弟のムッタは、集中すると、超人的なマルチタスク能力を見せる。パイロットに求められる能力はまさにそれだ。

若田飛行士は、自動車を運転しながら電話をするのがマルチタスクであり宇宙飛行士訓練に良いと著書に書いていた。運転をしながら、まったく別の会話をする。飛行機の操縦途中に、算数の問題を出されるのと同じ状況だ。誤解のないように補足しておくと、当時のアメリカテキサス州では運転中の通話は、禁止行為ではなかった。

さらに、宇宙飛行士になった自分をもっとリアルにイメージし、どういう宇宙飛行士になりたいか、なってから何をやりたいかの具体的イメージをさらに膨らませるため、「ライトスタッフ」と「アポロ13」をもう1度観た。この2作については改めてここで触れるまでもないだろう。また、アメリカ人宇宙飛行士マイク・ミュレインの自伝で、ぶっ飛んだぶっちゃけ話が満載の「ライディングロケット」という本も読んでみた。華やかに思われがちな宇宙飛行士の生々しい舞台裏を、下ネタあり、そこまで言っちゃう?という内容ありの、著者の記憶にもとづいた完全なる主観で描かれた自伝だ。

「宇宙飛行士になる自分」を、かけ離れた夢ではなく、手の届くところにまで近づいた目標として受け入れられるように、「自分ならどうするか?」という視点を意識し、自分に置きかえながら自分ごととして作品を観直した。

年末年始は、このような対策をしつつ、『宇宙飛行士になること』をずっと意識して過ごした。

母は、NHKの密着取材のためにぼくの幼い頃の写真を出してきたり、「(メディアの)インタビューされたらどうしようかしら」などと、一見するとはしゃいでいるようだった。しかし、その裏で複雑な思いを抱えているようなそぶりもあった。ぼくはそれに気づかないふりをした。

試験直前 UN-16の応援

いよいよ試験を控えたというタイミングの年末、忘年会兼激励会という形で、2次選抜で応援組に回ったUN-16(2次選抜A班)の有志が激励会を開いてくれた。

米国出張中だった新妻さん(当時メーカ技術者、現参議院議員)は、この会にSkypeで参加してくれた。こちらはお酒も入り散々騒いでいる状態で、米国では朝という時間帯にもかかわらず、参加者全員に携帯を回して2ヶ月ぶりの思い出話に花を咲かせた。それくらいA班の仲間たちは、仲間同士でまた集まってしゃべりたいという想いが強かった。2次試験での強烈な出来事を懐かしみ、これから始まる最終選抜試験に向けて一緒になってワクワクした。

わざわざ遠方からつくばまで駆けつけてくれた人もいた。そのうちの一人が仙君さんだ。 島根からはるばる特産品を持ってきてくれた。 『目玉のおやじ汁』だ。

『ゲゲゲの鬼太郎』の作者 水木しげるさんの出身地は鳥取県境港市なのだが、島根との県境ということもあり、観光地としては鳥取と島根で分け合っているようなのだ。島根県の観光ナビにも、妖怪の像が立ち並ぶ「水木しげるロード」の案内が書かれていたりする。
見かけによらず、「ゆずはちみつ味」という甘い柑橘系だ。

回転イスでダウンしてしまったら、これを飲んで元気を取り戻そうなどと冗談で話した。

終電ギリギリまで再会を楽しんだ。
2次試験を受けていたころと変わらぬ熱量の活気ある激励会で、その活気を凝縮して託されたかのようなアツい激励を受けた。ものすごいパワーをもらった。

試験初日にある平衡機能検査(回転イス)に対する対策は前日夜まで悩みに悩んだ。 特訓による三半規管の強化は諦めたが、他の手をいくつか考えていた。

ひとつは、酔い止め薬の服用だ。

酔い止め薬の服用をしても良いか、正面から聞いてみるか。十中八九、ダメだと言われるだろう。もしくは、ダマで服用するか。もしバレたときのことを考えると、それだけで失格確定となってしまうのではないか。薬の服用はさすがに止めよう。

もうひとつは、酔い止めリストバンドだ。

巷では、効果があるようなことも言われている。ただ、手首にあるツボを押すだけ。使うかどうかはともかく試しに購入してみた。着用してぐるぐる回ってみたが、順当に気持ち悪い。効いている感じはない。冬場に汗もかかないのにリストバンドをしているのは不自然だ。分かる人には分かるかもしれない。そもそも効果が期待できるのか疑問だ。

迷った末、下手な悪あがきは一切やめることにした。

姑息な手段を使って、例え通ってしまったとしても、後で苦労するのは自分なのだ。資質がないのであれば、落とされるだけだ。もうありのままで体当たりしよう。

そもそも本当にぼくの乗り物酔いしやすさが不適なのか、まだ絶対にダメだと決まったわけではない。なんとか通してもらえるかもしれない。それに賭けよう。

そう割り切ると、前日の夜はぐっすり眠れた。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama