第5回 人生についての対話 | 『宇宙兄弟』公式サイト

第5回 人生についての対話

2020.09.28
text by:編集部コルク
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ホーキング博士はケンブリッジ大学の大学院生の時、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたといいます。

ALSは当時、発症してから5年程度で死に至る病気と考えられていたそうで、人生これからという若い時にそのような悲劇に見舞われ、どんなに落胆しただろうかと思うと、その悲しみたるや想像に難くありません。

ただ一方で、ホーキング博士は当時の心境を振り返り、「未来には暗雲が立ち込めていたが、驚くことに以前より人生を楽しめるようになり、研究も進むようになった」(『3分でわかるホーキング』より)とも語っています。

ALSと診断された2年後に結婚し、子どもができて家庭を持ち、やがてケンブリッジ大学の教授にもなります。そして、「車椅子の物理学者」として広く世の中にその名が知られ、2018年に亡くなるまで50年以上の研究活動を続けました。

難病と戦いながら生き抜いた人生でしたが、研究者として目覚ましいその活躍を考えると、驚くべき展開に転じた大逆転の人生だったと思います。

私は、ホーキング博士の功績には、二つの重要な点があると思います。一つ目は、誰もが認めるサイエンティストとしての比類なき研究成果と影響力。そして二つ目は、難病のALSというハンディキャップを克服し、見事に人生を好転させる偉大な実例を残した、という点です。

もちろん、決してきれいごとではなく、病気は歴然とハンディキャップとして博士の人生の様々な場面で立ち塞(ふさ)がり、筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い多くの苦労や悲しみも背負っていたのだと思います。

合成音声を使っての意思伝達、日常生活での不自由極まりない状況、そして病気が進行し、いつ命が脅かされるかわからないという不安と危機感が常にあったわけですから。

しかしながら、ホーキング博士が素晴らしいのは、普通の人間であれば生きる希望も勇気も萎えてしまうような状況の中、その悲劇にだけ自分の心を置かなかったことだと思います。

「不運にも運動神経系の疾患にかかってしまったが、それ以外はほとんどすべての面で幸運だった―とくに理論物理学を学んだのは幸運だった。理論はすべて頭の中のことだからだ。おかげで病気は深刻なハンディキャップになっていない」(『ホーキングInc.』より)とホーキング博士は言っています。

確かに、宇宙の謎や宇宙の成り立ちに脳内で想像を巡らすことには、ALSはハンディキャップになりません。ホーキング博士は自分に残されている力と可能性を信じ、見事に成果につなげ、偉大な科学者としての人生を開拓しました。

ホーキング博士には科学を探究するための類い稀な資質があったと思いますが、逆境の中にあっても自分の可能性を信じる強靭なメンタリティこそが、重要な「才能」だったように感じます。

我々はしばしば、自分ができない物事を悔やみ、自分にないものを欲し、他人にそれを見つけてはうらやみます。自分に足りないものについては、とても敏感ですが、自分の手の届くところにある幸運には鈍感なところがあります。

結局のところ、一人ひとりの人間を取り巻く状況や才能は千差万別です。強みも弱みもひっくるめて、すべてが人それぞれです。しかし、それは不幸なことではないはずです。

一人ひとりが異なる種を持っていて、その花を咲かせる方法も道筋も千差万別なのだと思います。

いくつもある道筋の中で、ただ一つだけ共通するポイントがあるとしたら、自分がどういう人間なのかを知り、自分の才能を伸ばす方法を見つけ出し、それを信じて徹底的に努力をすること。それこそが、たとえ逆境の中にあっても、ホーキング博士のように自分の人生を輝かせることができる生き方なのだと思います。

私は宇宙飛行士になって20年以上、米国テキサス州ヒューストンにあるNASAジョンソン宇宙センターの宇宙飛行士室に勤務しました。冗談の絶えない職場で、ユーモアにあふれた仲間も多く、自分はジョークのセンスが足りないなと思うことはよくありました。

そもそも育った環境が違うというか、お国柄や文化・習慣の影響もあると思いますが、普段の仕事や会議、宇宙飛行の真剣なシミュレータ訓練の中でも、NASAでは遠慮なく冗談が飛び出します。同僚の宇宙飛行士にも、いつも冗談を言っている仲間がいて、よくそんなにジョークをポンポン思いつくなというくらいです。

ストレスが高まる訓練でも、緊張が高まれば高まるほどジョークが冴えてくる仲間もいて、みんなの気持ちを和らげてくれる能力には敬服します(笑)。

ホーキング博士もインタビュー中にかなり冗談を言っています。ALSで表情が読み取れなかったり、音声合成システムの声なので、一瞬ジョークか真面目に言っているのかわからなかったりするような時もありますが、よく考えてみると冗談だった、ということも結構あります。そして、それがまたホーキング博士のユーモアとして確立されていたように思います。 

ユーモアには、いろいろな表現の仕方があると思いますが、タイムリーで場にふさわしい適切なジョークは、その場にいる仲間に心のゆとりを与え、緊張を和らげてくれ、それが仕事をうまく進めることにつながります。

たとえば、宇宙飛行士のチームで仕事をしている時、緊張やストレスが高まる状況の中にいると、「ここで、やっぱりジョークを一発言うのが重要だ」という場面があります。

そこを敏感に感じて適切なジョークを言える人間は、チームとして本当に有難い存在です。そのジョークひとつで、チーム全員の気持ちを一瞬リラックスさせ、次の瞬間には、なすべきミッションに集中でき、結果としてチームのパフォーマンスが向上します。

今まで、チーム全体が緊張し、ある一点に集中し過ぎていたところを、そこから一歩引いて広角で全体像を見つめ直させてくれるような、本来維持すべき雰囲気をチームにもたらしてくれる。

いわば、ジョークによってトンネル・ビジョン(視野が狭まっている状態)に陥るのを回避できるわけです。またミスを犯した時に、ジョークによって自分の失敗を自分で笑い飛ばし、自分で自分を助けることができる場合もあります。

いずれにせよ、適切なジョークというのは、切羽詰まった気持ちにゆとりを持たせてくれる効果があります。大げさに言えば、ジョークはそういう瞬間を作り出す魔法の言葉、心の潤滑油のようなものです。

そこで重要なのが、「どういう時に、どのタイミングで、どういう言葉を発するか」を嗅ぎ分ける鋭い感覚です。それはセンスでもあれば、習得できるノウハウでもあると思います。

NASAの宇宙飛行ミッションでも、ユーモアの影響力を重視しています。宇宙飛行士の訓練では「集団行動能力」の向上のための一つとして、ミッション中に失敗した時のリカバリー方法を、ビデオやシナリオで学ぶという「失敗対応の心構え」の講義も受けました。

その中でユーモアを発揮する話も出てきます。講義を聞いただけでユーモアのセンスを磨けるわけではないのですが、私もジョークがうまい仲間を観察したり、映画やアメリカのコメディ番組を観ながら、少しでもジョークのセンスを身につけるよう心がけています。

私はスペースシャトルでのシミュレーション訓練の前日、その予習をしていたため夜更かししたことから、シミュレーション中に強い眠気が襲ってきたことがありました。

シャトルの打ち上げの9分前からシミュレーション訓練のシナリオがスタートするのでが、船長やパイロットは各装置のチェックで忙しくしている中、フライトエンジニアを務めていた私は、船長とパイロットの後部座席でウトウトしてしまったのです。

フライトエンジニアの役割の一つとして、打ち上げから90秒経過したことを確認して、船長にシャトルの機体の操舵(そうだ)のために操縦桿(そうじゅうかん)を動かしても良いことを告げる必要がありました。

飛行機の場合、離陸時に昇降舵等の動翼(どうよく)を動かしますが、スペースシャトルは打ち上がってから90秒間はシャトルの姿勢を制御する動翼を動かすことは機体の構造破壊を防ぐために許されません。

打ち上げ90秒後までは機体の周りの空気がまだ濃いため、動翼を動かすとシャトルの機体と燃料タンクの接合部に過大な力が掛かって破損する可能性があるからです。

ふと目覚めたら、コックピットパネルの表示が「90秒」と出ていたので、慌てて船長に「今から操舵していいよ」と言いました。すると、「コーイチは何言っているんだ?」いう雰囲気になりました。

私はすぐ自分の勘違いに気づきました。「90」というパネルの表示は、打ち上げ90秒後ではなく、実際はまだ打ち上げ90秒前の表示だったのです。

そこで変にごまかしたり、真面目に謝るのも野暮なので、とことん失敗したことに徹するしかないと割り切ろうと、「今日のシミュレーション訓練の予習をした後に観たホラー映画があまりにも怖すぎて、眠れなくなっちゃった。今日の訓練シナリオはそこまで恐ろしいことにならなければいいけど」と、とっさに浮かんだジョークで切り抜けることができました(苦笑)。

気の利いたジョークではなかったですが、どんな場面でもほんの少しのユーモアで円滑に次の作業につなげることができます。今まで先輩たちから、失敗や停滞して気まずくなった雰囲気をユーモアで切り替えてきた背中を見せてもらったので、とても参考になりました。


※この連載記事は若田光一著『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』からの抜粋です。完全版は、ぜひこちらからお買い物求めいただけると幸いです。