第5章 残酷な分岐点① | 『宇宙兄弟』公式サイト

第5章 残酷な分岐点①

2020.10.06
text by:編集部コルク
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運命を分けた日

華々しい勝者の裏には、数多くの敗者がいる。

これはどの世界でも同じだ。一握りの勝者の陰で、たくさんの人の夢が散っているのだ。

2009年2月24日夜、明日朝の合否結果通知を控え、仕事を終えたぼくは、都内のホテルまで移動していた。 JAXAが、希望者にホテルを用意してくれたのだ。油井さん、白壁さん、大西君とぼくの4名がホテルを選択し、それ以外の6名は、職場や自宅を選択した。10名のファイナリストたちはそれぞれの場所でこの日を迎えることになった。

ぼくは合否の通知を待っている状況では仕事にならないし、結果がどちらであれその後も仕事は手につかないと思ったので、迷わずホテルを選択した。他の3名もおそらく似たような心境だったのではないだろうか。

ホテル組の4名は、2月25日朝にホテルのラウンジで待ち合わせをしていた。 10時以降に電話連絡があるということだったので、その時間までゆっくりと一緒に朝食を取ることにした。ファイナリストが同じ受験者という立場でいられる残された最後の時間を一緒に過ごそうと思ったのは、連絡を待ってもやもやしている気分を紛らわせたかったからだけではない。決まった瞬間に立場が変わってしまう分岐点が、もう訪れなくてもいいと思ってしまうようなセンチメンタルな気持ちも少なからずあった。正直、いつまでもこの挑戦の結末を迎えたくないという気持ちにさえなった。

必ず結果は出されてしまうのだが、ぼくたちはこの10人のファイナリストの中から、誰が合格したとしても、宇宙飛行士を務められる能力を備えている、という信頼関係ができあがっていた。

どーいう結果になっても
ケンジは最高のパートナーだよ

ブライアン・ジェイ
第16巻158話 「奇遇な二人」より

そんな最後の瞬間(とき)を名残惜しむように、ぼくたち4人は談笑しながら朝食を取っていた。バイキング形式の朝食に並んでいるとき、こともあろうに白壁さんは、大西君にふざけて電話をかけて驚かせるといういたずらをした。あいかわらずのいたずら好き、まさに紫三世。でも、ぼくはこういう関係性が大好きだった。

これまで10ヶ月に及ぶ宇宙飛行士選抜試験を共に戦った同志。競い合うライバルと言うよりも、同じ頂上(いただき)を目指すチームであり仲間なのだ。

お互いが、自分の人生があと少しで大きく変化するかもしれない緊張感を抱えつつ、選抜試験で経験した刺激的で楽しかった思い出話に花を咲かせながら、4人でとった朝食が何だったかはまったく覚えていない。

いつも笑いが絶えない。緊張感を隠すためだけではない、一緒にいて心地良くて頼もしくて楽しい仲間と、同じ立場で一緒にいられる最期の時間をめいっぱい共有していた。

すると突然、大西君の携帯電話に着信があった。今度はいたずらではない。
時間はまだ9時40分になるかならないかだった。

大西君は目配せし、少し離れたところで電話を続けた。どうやら本当に合否通知の連絡が来た様子だ。もしそうだとしたら、約束違反だ。まだ約束の時間まで20分以上ある。

大西君は合格通知だったことを明かし、予定よりも早く集合場所に行かなければならなくなったことをぼくたちに告げた。戸惑いが残る中、祝福の固い握手を交わす。

油井さんは、部屋に携帯電話を置きっぱなしにしていたので部屋に戻った。しばらくすると、油井さんも合格連絡が来たことを告げにわざわざ朝食ラウンジまで戻ってきてくれた。再び祝福の握手を交わす。 2人は急ぎ足で部屋に戻った。

ぼくたち2人は、ぽつんとラウンジに残されることになった。何が起こっているのか、多少の察しはつくが。。。状況から判断して、ぼくたち2名は不合格だったのだろうと察しがついてくる。放心状態に近かったと思う。お互い何て言葉をかけたっけ。

「パイロット2名が目の前で合格通知をもらったら、もうぼくの芽はない。でも、内山君はまだ可能性あるんじゃない?」
「いや、3名だったとしても、いま連絡が来てない時点でもう無いですよね・・・」
そんな会話を交わしたっけ。

そこから運命は大きく2つに分岐した。

慌ただしく人生の変化の階段を登ることになるものと、 その可能性が一瞬にしてなくなり、急に現実世界に引き戻されるもの。

約束の10時になるころ、ぼくは失意のどん底状態で部屋に戻った。 不合格の電話を、ひとりホテルの部屋で待つ。 10時を過ぎてもなかなかかかってこないので、ベッドの上にねそべった。

(あーーーダメだったかーーー)
天井を見上げる。

思い当たる節はいくつかある。
後悔の気持ちが湧きあがったりはしない。すべてをやりきったのだ。
もう少しで手の届くところにいた。でも届かなかった。
居場所のなくなった夢のかけらが、行く当てもなく彷徨う。

10時20分過ぎ、ようやく不合格の電話がかかってきた。
緊張のドキドキは、まったくない。
ほとんどうわの空だった。
柳川さんの不合格を伝える言い回しもはっきりとは覚えていない。

誰が合格しても、一旦10人で集まろうと約束していた。
当日の午後には記者会見があるので、その前に。
最後まで一緒に戦った10人で、合格者を送り出したかった。

集合場所に行くと、すでに数人が集まっていた。先に集まり始めていたのは選ばれなかった者たちだ。ぼくが首を振ると、「えっ」という表情をしてくれる人もいた。ぼくは下を向く。そんな感じでお互いダメだったことを、とても短い言葉で確認し合った。

そんな中、金井さんが非常に複雑な表情で打ち明けた。
「第一補欠と言われたんですけど・・・」
ぼくはこれまでなかった「補欠」制度が今回導入されたことにまず驚いた。加えて、「第一」がつくということは「第二」がいるということか。それも驚きだ。

「え?どういう条件で?」

と思わず聞いてしまったが、金井さん自身も完全に理解できる説明をしてもらっていないようだった。困惑していた。「今後1年以内に宇宙飛行士の不足等が生じた場合には、その時点で補欠合格とする可能性がある」という説明だったそうだ。何がどうなると補欠合格があり得るのか、可能性がどの程度あるのか、全然わからない。

電話口での説明では、「合格ではありません」とはっきり言われたそうだ。

(この状態で1年も待たされるのは辛いだろうな・・・)

とまず思った。でも、まだ死刑宣告されていないことに対し、うらやましいと思う気持ちも芽生えた。

第二補欠が大作さんであることもわかった。第二はさらに可能性が低い。補欠の補欠なのだ。

これで全員の合否がわかった。

(油井さんと大西君の2人か。)

この2人が選ばれたことに関しては何の異論もない。おそらく他のメンバーも同様の思いだろう。

ただ、それ以外の人が、なぜダメだったのかと言われると正直よく分からなかった。初日の試験で一度はセレクトアウトの可能性を覚悟したぼくはともかく、他のメンバーは足切りされるような要素は見当たらないと思った。合格者に異論がないなら、その他の人は落ちるのは当たり前なのだが、そういう気持ちだった。
JAXA選抜係からは、選ぶのに苦労するほど皆優秀だとも言われていた。

しかし、ロケットと宇宙船を他国に頼っている以上、人数制限は厳しいわけだ。どうしても選ばなければならない。 もちろん厳格な基準のもと、点数に応じて選抜が行われたはずだ。理屈ではわかるのだが、皆、じゃんけんみたいに優劣がつけられない魅力をもった人たちだった。でも、いくら考えても永久に分かることはない。

ただここで確実に言えるのは、選ばれなかった8人は、選ばれた2人に、純粋に心からの祝福を送ったということだ。自らの辛い結果を受け止めつつも、2人の輝かしい前途を祝したい気持ちがあふれていた。

共に戦った仲間だから分かる。認め合った仲間だから分かる。
この2人なら絶対にやれる。
ぼくたちの代わりに宇宙に行って欲しい。

固い握手を交わし、「おめでとう」の声をかける。 その一言で、お互いの気持ちが分かるだけに、自然と涙があふれてくる。 2人に夢を託した瞬間だった。

この日、大作さんからみんなへプレゼントがあった。

18日間におよぶ最終選抜試験で撮りためた写真を、それぞれの人が主人公になるように編集されたオリジナルアルバムだ。10人全員分あった。徹夜で編集&プリントアウトしてきたそうだ。その名も、『おもいでアルバム FX-10』。

大作さんは、どこにでもデジカメを忘れず持ち歩き(ヒューストンのホテルのボヤ騒ぎのときですら!)、デジカメでの撮影が一番多かったと思っていたが、それは自分のためだけでなく、みんなのことも同じように撮っていたんだと思うと、しかも翌朝に合格発表という自分にとっても大事な時に徹夜をしてまで……感謝と感動で胸が熱くなった。

全員でそれぞれの背表紙にメッセージを書きあった。今でも大事に保管している。ただ、合格発表直後の興奮したままの精神状態で、赤裸々過ぎるメッセージが残されており、そのままをお見せできないというのが難点だ。大西君が、メディアに出したときも、真ん中の写真以外がほぼ全体モザイク処理がされて、あやしいモノであるかのような映り方をしてしまっていた(笑)

大作さんがぼく向けに作ってくれた思い出アルバム

ぼくたち8人は、JAXAの計らいで、JAXAのオフィスから、2人の門出である記者会見を見守ることになった。

さっきまで一緒だった2人が、初々しいスーツ姿で会見を行い、意気込みを語っていた。

ぼくの気持ちは、まだ宇宙飛行士を目の前に捉えていたところからなかなか引き返せないでいた。結果は受け止めたつもりでも、10ヶ月に渡って徐々に徐々に高ぶってきた抑えきれない気持ちを、しっかりと冷やしきってから心を整理するのにはだいぶ時間がかかりそうだ。

2名が選ばれて、2名ともパイロットか。

ファイナリスト10人中、4人がパイロットだったので、今回は必ずパイロットが選ばれるとは思っていたが、2/2=100%がパイロットとは。 これまでの日本人宇宙飛行士に、パイロット出身者がいないというアンバランスを感じていたので、全体のバランスとしては決して悪くないのだが、その点は少し驚いた。

「10年ぶり、宇宙飛行士候補2名選定。」という見出しが踊る。

純粋に2人の新しい出発を祝いたい気持ちと、ついさっきまで同じ土俵に上がっていたはずなのに、急に見る側に回ってしまっている現実に打ちのめされそうになる悲しい気持ちとが、ごちゃごちゃに入り交じった複雑な気持ちでテレビ画面を見つめていた。

宇宙飛行士候補者記者会見 (2009.2.25) ©JAXA

その日の夜は、江澤さんの豪邸(以降、10人で集まる場所といえば江澤邸)に10人で集合した。 本当に長かった選抜の思い出や、新しい宇宙飛行士の誕生を伝えるニュースを見ながらワイワイ楽しく盛り上がった。情報検索好きの国松さんは、電波が入りやすい廊下に陣取りながら、某掲示板をチェックしては、「油井さんの名前、“亀美也”って何て読むの?“カメミーヤ?”」などという面白コメントを見つけては披露していた。

この10人の関係性は、もしかしたらこれで最後になってしまうのかなあと思うと悲しかった。みんなも同じ気持ちだったのか、 「これからもまた集まりたいね」 という言葉は、代わる代わるみんなの口から出てきた。

表面上は、今までと変わらず笑って話した。思いっきり笑った。心の奥に様々な想いを抱えながら。

その日の家への帰り道、東京駅からつくばへの高速バスに乗ると、ぐったりとして力が抜けた。

(長い一日だったな・・・)

ひとりになると、この10ヶ月の選抜過程で経験したたくさんのできごとが走馬灯のようによみがえってくる。

自宅の最寄りのバス停「並木一丁目(JAXA筑波宇宙センター前)」で降りると、JAXA宇宙飛行士選抜側のメンバーでもある方に声をかけられた。同じバスだったのだ。

バスを降りてからJAXA内の建屋まで10分程度、「過去にもきみと同じように宇宙飛行士を目指した仲間がいたんだ」などという話しを聞きながら、深夜のJAXA宇宙センター構内を一緒に歩いた。

そして、別れ際に、ぼくの肩をぽんぽんとたたいてこんな言葉をかけてくれた。

「自分を誇っていいんだよ。よくやったね」

ぼくは一瞬その人の顔を見たがすぐにうつむいて、声にならない声で返事をし、真っ暗な道を、家路に向かって歩きだした。まだ冷たい夜風に吹かれながら。そして星空を見上げた。

(そうだ、ぼくは頑張ったんだよな)

張りつめていたものがどっと溶け出していく。いままで堪えていたものが急にとめどなく流れ出した。

ぼくの心にポッカリと穴が空いてしまった。 もう少しで、あと一歩で、夢に手が届くところまできていたのに。 朝まではしっかりと見えていたターゲットが、もう目の前からすっと消えてなくなってしまった。

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※注:このものがたりで書かれていることは、あくまで個人見解であり、JAXAの見解ではありません

 


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<著者紹介>

内山 崇

1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。

Twitter:@HTVFD_Uchiyama