母の本音
合否連絡をもらったあと、すぐに母に電話をした。
「ダメだった」
その一言だけ伝えた。
母はちょうど仕事の最中だったのだが、その電話以降、頭の中が真っ白になってその後の記憶があまりないそうだ。もともと、「夢に向かって努力する息子を応援する気持ち」80%と、「受かったら受かったで心配という気持ち」20%の複雑な両面を持っていた。空や海や荒野で行われる厳しい訓練、海外生活、実際の宇宙ミッション、親心としては心配が尽きないからだ。
連絡のあとは、夢破れた息子が立ち直っていけるかがとにかく心配という気持ちが100%だったという。でも、そんなときに、ぼくを直接なぐさめるでもなく、遠くから見守ってくれていたのは、ぼくにとっては一番有難かった。
数か月たって直接会って話をしたとき、
「実は心配もあって、ならなくて良かったとほっとした気持ちもあったのよ。」
という本音を教えてくれた。ただ、そのときはまだ、簡単に「ならなくて良かった」なんて言葉を受け入れることはできなかった。そういったリスクなど百も承知でぼくは宇宙飛行士になりたいと思って頑張っていたんだ。そんな反発心が芽生えてしまった。でも、このときもらったこの言葉はずっと胸にしまっておいた。
素直に受け入れるまで何年という歳月はかかったが、少しずつゆっくりとぼくの中に沁み込んでいくように、気持ちの中に入り込んでいった。
そして、この言葉は、のちのぼくを支える言葉となった。
リスタートと辛い時期
落ち込んでばかりもいられない。過去のことを悔やむのは、ぼくは大事なプロセスだと思っている。ただし、悔やんだことを、将来に生かす動力に変えることが条件だ。
指先まで触れ、爪の先まで引っかけた宇宙飛行士という夢。 簡単に諦めがつくモノではない。
ぼくは心の傷をいやしながら、空っぽのエネルギータンクに少しずつ燃料を足していきながら、次回のチャンスを狙う野心を捨ててはいなかった。
まだ少しのエネルギーしかないのでパワーは小さいが、頭で考えはじめることはすぐにでも始められる。
次回は5年後なのかまた10年待たされるのか、いつ行われるか分からないが、次回に向けての反省をまとめた。 特に簡単には修正できない弱点は、長期プランで克服していかなければならないだろう。
試験の振り返りをしてみると、向上余地は山のようにあると思った。
「すべてにおいて地力を上げないと!」と痛感したので、継続的な自己鍛錬、それによる成長が必要だと考えた。例えば、2次試験、最終試験で行われた2チームに分かれて行うディベートでは、毎回チームを入れ替えて行う形で合計7回行われたのだが、ぼく(と国松さん)は7戦全敗だった。
油井さんは7戦全勝だったと言うから、ディベート力に大きな差があるのだろう。「油井さんと1度でも同じチームになっていれば!」という負け惜しみを、国松さんと2人で言いあっていたが、科学技術立国日本で、そして地球の一員としてお金をかけて行っていく宇宙開発の意義を、広く国民にアピールするには、この素養は極めて重要となる。
また、ぼくには今回選ばれなかった最大の要因だと思っている弱点があった。こいつを何とかしなければぼくに次はない。簡単には克服できないやっかいなヤツだ。
『水平回転負荷に対する耐性』
克服出来るかどうか分からない。30年以上つき合ってきたぼくの身体の特徴ともいえる。この『乗り物酔いしやすい身体』をどうすれば少しでも変えることが出来るか?
三半規管の異常というわけではけっしてない。むしろ正常(過敏)なのだ。だから、叩いたり刺激を与えることで三半規管にダメージを与えれば機能が鈍って乗り物酔いが収まるのでは?という非科学的なことまで頭をよぎる始末。
そもそもなぜ“乗り物酔い”が宇宙飛行士にリスクになりうるのか? 地上で起きるいわゆる乗り物酔いは、宇宙に行った宇宙飛行士の約7割に発生すると言われている“宇宙酔い”との直接的な因果関係は証明されていない。
しかし、地上で行う宇宙飛行士訓練の中で、飛行機操縦訓練は外すことが出来ない緊急時の対処能力を磨く重要な訓練だ。そのときに、Gの変化に晒されることになるため、訓練時のパフォーマンスに負の影響を与える。緊急時に”酔い”で思考力が落ちるようでは、訓練においても危険だ。もちろん、酔い止め薬を処方することで多少軽減することは可能だが、宇宙飛行士としてリスクであることは間違いない。
ぼくは、『三半規管の構造改革』と名付けて、訓練メニューを実行することにした。この手の長期に渡る修行的な鍛錬は、普段の生活の中で習慣に近いところに取り込むのが一番長続きする。ぼくはつくばに住んでいるため、生活に車での移動が欠かせない。
そこで、ぼくが考案したのは、 「車を運転しているときの右折または左折するときに、同時に頭を倒す」 というものだった。 日常生活に取り入れることで“慣れ”によって、三半規管を鍛えようというわけだ。
さらに、酔わないための対策を徹底的に研究した。いかに乗り物酔いを軽減できるか、という発想だ。ちなみに、ぼくは小さい頃から乗り物酔いが酷かったので、乗り物酔い対策経験値はかなり高い。これまで、電車、バス、車はほぼ克服した。気流が荒いときの飛行機と船は克服できていない。
呼吸法・・・酔ってくると知らず知らずに呼吸が浅くなり、さらに酔いが酷くなる。意識的に呼吸を深く大きくし、酸素をしっかり取り込む。
遠くを見る・・・動きが少ない遠くに視点を移すことで、揺れが視覚に与える影響を軽減。
直前は軽い食事・・・軽く腹は満たされた状態が良い。空腹でもだめ。
前日よく寝る・・・体調を整える。ちなみに、二日酔いは厳禁。
手首のツボを押す・・・「内関(ないかん)」と呼ばれる酔い止めに効くと言われるツボがある。
炭酸・・・炭酸には自律神経を整え胃腸の不快感を軽減する成分が含まれている。さらにカフェインの効果で落ち着くため、コーラがおすすめ(らしい)
だんだん後半に行くにつれて、おまじない的な要素が出てきて怪しくなってくるが、藁(わら)にもすがる思いだった。 なんとか宇宙飛行士として許容されるレベルまで、三半規管を鍛えたい。
日常生活や仕事において、心理面でポジティブな変化があった。 特に、忙しさに対処する姿勢が大きく変わった。
忙しければ忙しいほど、マルチタスク能力を発揮し、いくつもの仕事を平行して行うことをゲームのように楽しむようになった。同時に複数のことを進めるため頭の中を作業ごとに分割するイメージなので非常に集中力を要するが、これがまさに宇宙飛行士に必要となる資質であり、普段の仕事の中で鍛えることができるものだと考えたのだ。
忙しいほどにハードルが上がる。こんなとき宇宙飛行士だったらどうするかな?などと考えながら、自分に与えられた試練であり、それらすべてが次への糧になり自分を強くすると思える思考回路になった。
一方で、ぼくの精神をすり減らしてしまうようなことも多々あった。 ぼくのエネルギータンクはまだ空に近い。少しのことですぐにガス欠になってしまう。
「補欠って決まってるの?まだ可能性があるんじゃない?」
補欠はその存在だけが公表されているが、「誰」であるかは公表されていなかった。そのため、このように聞かれてしまう。「実はもう補欠として選ばれた人がいるんだよね…」と事実を伝える。
「次回はどうするの?」
「次こそは!」などと軽々しくポジティブに回答できない自分がいる。 ついつい、まじめに答えようとしてしまい、
・そもそも次回がいつか分からない(前回は10年前)
・今回の致命的な欠陥についてどう克服するか問題
という2つのネガティブな話をすることになってしまう。
「そうか、これからは宇宙飛行士を支える側なんだね。」 などと知ったように言われると、無人宇宙船のフライトディレクタとしてのプライドに火がつき、内心むっとする。飛行機を設計している人は、パイロットだけを支えているわけではないだろう。こちとら有人機よりも難しい無人機の開発をしているんだ。自尊心に火がついてしまう。
過剰反応なのは分かってはいるが、どうしてもいちいち過敏になる。あとで冷静になって、自分に疲れる。
とにかく、この話題を平常心でずっと楽しいままで居続けることができないのだ。 客観的な試験で体験した話や、選ばれた2名の話は面白おかしくすることができても、ぼく自身の話になるとどこかで引っかかってしまう。心苦しかった。
かといって、腫れ物のように扱われるのはもっと嫌なのだ。だから、自分としては積極的に宇宙飛行士選抜の話をしたい気持ちもある。 それなのに、どこかで気を遣わせることになってしまう。本当にややこしい。
誰が悪いわけではない。誰も悪くない。悪気がないのだから、自分の中で消化しなければならない。不安定な自分と向き合う日々。この状態はいつまでもずっと続いた。いつか、このようなつまらないことで悩まなくなる日はやってくるのだろうか・・・?
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<著者紹介>
内山 崇
1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。
Twitter:@HTVFD_Uchiyama