宇宙飛行士候補から宇宙飛行士へ(2009~2011)
2009年9月、NASAの宇宙飛行士候補ASCAN(アスキャン)の訓練がはじまった。
3人の新世代宇宙飛行士候補は、NASA(9名), ESA*(6名), CSA*(2名)からの各機関で選ばれた候補者たちと合流し、計20名のまさに世界の猛者たちと渡り合うこととなる宇宙飛行士基礎訓練に入った。
*ESA: European Space Agency ヨーロッパ宇宙機関
*CSA: Canadian Space Agency カナダ宇宙庁
一方、夢破れたぼくたちは、再び元の己の道に戻らなければならない自分たちと、新しい道を行く3人との差を明確に感じながら、それぞれが心に葛藤を抱えたまま元いた場所に戻されていた。
喪失感いっぱいの自分を立て直すべく、次に夢中になれるものを必死に探し求める、そんな心境だっただろう。
宇宙ステーションの仕事をしていて、3人とかなり近くで仕事をしているぼくは幸せだった。
“受かったもの”と“落ちたもの”が近くで仕事をするという状況は、酷な状況だと思うかもしれないが、逆だった。もしかしたらぼくが歩んでいたかもしれないもうひとつの世界をある程度だが感じとることができた。そして、一緒に日本の有人宇宙開発をもっと押し上げていく同志として、同僚として連携することができたからだ。
その代わり、3人に対して張り合う気持ちを強く持っていた。「負けてたまるか」という気持ちが少なからず心の奥底にあった。それが自分にとっても良い刺激になった。
半年間、ぼくたちとほとんど同じ気持ちだった金井さんは、そんなぼくたちにライブ感たっぷりの訓練レポートを送ってくれた。NASAでの訓練の様子となると、同じ職場にいてもほとんど情報が入ってこない。生の声が入ったレポートは本当に貴重だ。
「T-38の訓練が始まりました。1週間のグランドスクール(座学)は、主としてパイロットを対象に、機体の特性や、飛行場特有のローカルルールを説明するもので、素人にはさっぱり理解できませんでした。翌週からぶっつけ本番で飛行訓練開始。先週は2回飛行訓練がありましたが、・・・あぅぅ、先は長いです。」
「このところ訓練が忙しくなって、これまでのT-38訓練に加え、ロボットアームとロシア語が加わり、負荷が高まっています。何せ、飛行機の操縦などしたことがないので、飛行訓練はかなりハードルが高いです。(中略)先日は、厳しいことで有名な教官から、「全然わかってない」と完全ダメ出しされた上、訓練を途中で止められ、相当凹みました。」
「毎日高い壁に挑んでは跳ね返され、翌朝気持ちを切り替えて再度チャレンジするというような生活を送っています。」
金井さんは「堂々と弱音を吐ける」人だった。うらやましくてたまらない中でも、人一倍苦労している飾らない気持ちが聞けて、「やっぱり大変なんだなあ」と思えたことは、ぼくの精神衛生上も良かった。
金井さんと同じくパイロット経験がなく、さらに乗り物酔いにめっぽう弱いぼくだったら・・・と想像すると、その大変さは容易に理解できた。酔って思考力が鈍ったところに、容赦ない英語での無線通信、物凄いプレッシャー下での慣れない操縦……ぼくだったら耐えられるだろうか?
新人候補たちが宇宙飛行士認定に向けて厳しい道を歩み始めたころ、ぼくはフライトディレクタとして「こうのとり」初号機のミッションを迎えていた。日本で初めて開発した無人宇宙船による有人基地へのランデブ。すべてが初めてであり、ALL JAPANでミッションにあたった。宇宙機の運用管制がどういうものか、新しく開発した宇宙機が初めて宇宙に行くということがどういうことか、ぼくにとってはすべてが初めてであり、超エキサイティングだった。
宇宙飛行士が滞在する宇宙ステーションに無人宇宙船がランデブし、世界初のロボットアームによるキャプチャ・バーシングという方式を確立したミッション。日本だけじゃなく、宇宙ステーションを統括するNASAもロボットーアームを担当したCSAも歓喜に沸いた。「こうのとり」をキャプチャしたニコル・ストット宇宙飛行士からは、秒速8kmで飛行するISSに「こうのとり」を相対停止させる誘導制御技術が完璧だった、ということを意味する「岩のように動かなかった」という褒め言葉をもらった。
厳しい安全要求を満足させ有人基地への飛行を認められた無人のランデブ宇宙船。高さ10m、質量16.5トン、部品点数120万点、日本のロケット、人工衛星、宇宙ステーション技術の集大成と称される大型宇宙船。ロケット打ち上げから宇宙船の運用管制までのすべてをTEAM JAPANでやりきった。その一員であったことが誇らしかった。
「こうのとり」初号機ミッションのラストは、南太平洋の安全な海域に大気圏再突入させて、最後の通信が途切れるまで見送る。「お別れ」といったような感傷に浸れるような感情は湧いてこず、嵐のような50日間がようやく終わったという安堵感に包まれていた。
明け方にミッションは終了し、昼前からお店をほぼ貸し切り状態で始まった”お疲れ様会”は8時間も続いた。プレッシャーから解放され、心の底から安堵し、所属する会社関係なく成し遂げたことの大きさに対する喜びを存分に分かち合い、数え切れないほどの乾杯をした。徹夜明けから、さらに8時間はしゃぎ通し。ぼくは幹事でもあり、記憶はおぼろげなものの会計までやり遂げた。相当疲れていたのだろう、徒歩での帰り道に、頭から電柱にぶつかりたんこぶを作った。
ぼくは「こうのとり」に救われていた。
ぼくには「こうのとり」フライトディレクタという1本の太い軸があったから、彼らと張り合えている気がして、自分を保っていられた。
宇宙飛行士候補に選ばれていたら失っていたはずの貴重な経験を思いっきり堪能した。
そして、一足先にひとつの大きな成果を形に残せたことが大きな自信となり、その後のぼくを支える太い柱となった。
「こうのとり」初号機ミッションを成功させたことに対する世界からの評価は驚くほど高かった。初めて打ち上げるH-IIBロケットに、初号機の「こうのとり」を搭載し、そこには宇宙ステーションに必要な高価な物資を搭載し、いきなり成功させた。これには、今や飛ぶ鳥を落とす破竹の勢いのイーロン・マスクも「クレイジーだ」と舌を巻いて驚いていたそうだ。
ASCANの中でも「素晴らしい成功だったと讃えられて、日本人として鼻高々だった」と3人から言われると、ぼくも心の底から嬉しかった。
この成功で、無人のランデブ宇宙船技術で一気に世界のトップクラスに肩を並べた。
以前は、実績がなかったために何を言っても説得力に欠け、経験値の高いNASAに押し負けていたのが、この成功で世界が変わったことを肌で実感した。
まだフライトディレクタとしては半人前だったぼくは、2号機に向けて一人前になるべく、より多くの訓練に参加し経験値を積む計画だった。 その一貫で、2010年6月~7月にかけて6週間、NASAヒューストンでフライトディレクタ訓練を受講することになった。日本人はぼく一人、ちょうど、ASCANの3人もヒューストンを拠点として宇宙飛行士基礎訓練を行っている時期と重なった。
フライトディレクタ訓練自体は、講義とシミュレータを使ってのISSのシステム全般を学ぶもので、他のNASAの管制官見習いと一緒のときもあれば、マンツーマンもあった。NASAだけで行う「こうのとり」訓練にもゲスト参加した。日本でも日本側だけで行う訓練では、NASA管制官を日本人が模擬する。同じようなことをNASAでも、日米合同訓練前の準備訓練で行っていたのだ。
そして、日本とシミュレーションを接続して行う日米合同訓練にも、ヒューストンから参加した。ヒューストン側から参加すると、NASA管制官がいつも感じている日本側の対応の反省点に気がついた。同じ訓練シーンに立ち会っても、視点を変えると別のものが見えてくると体感できた。
夜中まで続く日米合同訓練に参加したとき以外は、残業もなく規則正しくマイペースに過ごすことができた。この6週間は、3人と食事に行ったり、週末にゴルフコースを回ったりする機会もあった。
3人が宇宙飛行士訓練を開始してから、感じていたことがある。
ぼくは、ヒューストンやつくばで3人に会う機会が多かった。会うと必ず交わしていた握手、その握手の力が会うたびに強くなるのを感じていた。また、表情は生き生きとし、身体は逞しくなり、全身に自信とエネルギーがみなぎっていることも伝わってきた。特に油井さんは、まるで若返っていっているかのようだった。
実際に、宇宙飛行士の訓練の様子を聞くと、特に、T-38操縦訓練やサバイバル訓練などは、ぼくにとって想像するのがやっと、遠い存在に感じてしまうこともあった。
そんな彼らからほとばしるエネルギーが、握手を通じてぼくの身体の芯にガツンと飛び込んでくる。 そのたびにぼくは「負けていられない!」と気合いを入れ直していた。
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<著者紹介>
内山 崇
1975年新潟生まれ、埼玉育ち。2000年東京大学大学院修士課程修了、同年IHI(株)入社。2008年からJAXA。2008(~9)年第5期JAXA宇宙飛行士選抜試験ファイナリスト。宇宙船「こうのとり」初号機よりフライトディレクタを務めつつ、新型宇宙船開発に携わる。趣味は、バドミントン、ゴルフ、虫採り(カブクワ)。コントロールの効かない2児を相手に、子育て奮闘中。
Twitter:@HTVFD_Uchiyama