NASAで働く技術者の小野雅裕さんが、宇宙の探査をテーマにお届けする連載「一千億分の八」。第3回は、前回からの続きで、旅先のインドでの宇宙にまつわるエピソードをご紹介します☆
遠藤周作の小説に導かれ、NASA転職前にインドのバラナシを訪れた小野さん。たまたまガイドブックで広告を見つけ、1日ボランティアとして現地の学校でインドの子どもたちに宇宙の話をすることに。インドの子どもたちを相手に、小野さんはどのような授業を行われたのでしょう…?
宇宙の虜となった小野さんの子ども時代のストーリーも♪夢いっぱいの授業風景を想像しながら、ぜひお楽しみください。
翌朝、僕はバラナシ市内にあるNPOのオフィスから、先生たちと一緒にリクシャーに乗って、ガンガーの対岸にある学校へ向かった。リクシャーとは三輪タクシーのことで、インド庶民の足である。一昔前までは人力でこぐものが主流だったが、最近はエンジン付きのものも普及し、オート・リクシャーと呼ばれている。
校舎は少し広めの一戸建てくらいの大きさの、2階建ての簡素な建物で、3つか4つの教室があり、黒板の上にはインドの国旗とガンジーの写真が掲げられていた。全校生徒は20人ほどだろうか。歯磨きの時間だったらしく、男の子たちが歯ブラシをくわえたまま校舎を走り回っていた。
1時間目から4時間目は英語や算数の授業を手伝った。休み時間には子供たちと鬼ごっこやボール遊びをした。子供たちはすぐに懐いた。
そして5時間目の特別授業。僕の出番だ。
僕は泥だらけのサッカーボールを遊具箱から拾ってきて、手に持ち、黒板の前に立った。一体何がはじまるのだろう、と子供達は不思議そうな顔で僕を見ていた。僕はこう問いかけた。
「想像してください。みなさんが住んでいる地球を、このボールの大きさに縮めてしまったと。」
僕の英語をインド人の先生がヒンズー語に訳すと、子供達は急に騒がしくなった。
筆者がインドの学校で行った授業の様子
「そうしたら、月はどのくらいの距離にあると思いますか?」
さすが議論好きのインド人だ。子供たちはお互いにああだこうだと喋り出した。僕はそれを見てニンマリし、先生にテニスボールを手渡して、6メートルほど離れた教室の反対側に立ってもらった。
「月はあのくらいの距離にあります! 実際の距離は約30万キロです!」
子供達は、アーーーだの、エーーーだのと奇声をあげ、喜んだり驚いたりした。反応の良さに僕は手応えを感じた。
「では、月まで時速30キロのリクシャーで行ったら、どのくらいかかると思いますか?」
この質問に子供は大笑いした 。彼らの元気さに負けないように、僕も声を張らなくてはいけなかった。
(左)インド人の庶民の足、リクシャー。
(右)
「リクシャーで月まで行くと、昼も夜も休みなく走り続けても、1年と5ヶ月かかります!」
驚きの声で騒然とする教室。だが、
「では、次の質問です」
と言うと途端に静まり、好奇心でいっぱいの丸い目を僕に向けた。
「地球がサッカーボールの大きさだったら、火星はどのくらいの距離にあるでしょう?」
また教室が賑やかになった。ある子は隣の教室くらいと言い、ある子は校庭の端くらい、といった。それを聞いて僕はまたニンマリとし、こう言った。
「残念ながらみんな外れです。火星はなんと1 kmも向こうにあります!リクシャーで行くと220年かかる距離です!」
エーーー!という声が上がった。立ち上がって抗議する子まで現れた。
「でも、火星はまだまだほんの近所でしかありません。さらに遠い惑星がたくさんあります。では…」
再び沈黙。
「…太陽系でもっとも遠い惑星である、海王星はどうでしょう?」
子供たちの興奮した議論の声。
「 海王星はなんと75 kmも先にあります!リクシャーで行くと、1 万6千年かかる距離です!」
騒然たる教室は、まるで好奇心の洪水のようだった。
「でも、海王星は太陽系の果てでは全くありません。太陽系の境界のひとつであるヘリオポーズは、地球がサッカーボールでも、 300 kmも先にあります!もしリクシャーで行くと、6万8千年もかかる距離です!!」
興奮して喋る僕を、好奇心の塊のようなまん丸の目が、一列に並んで凝視していた。その美しい褐色の目は聖なるガンガーの水と同じ色をしていた。ふと、その水底の向こうに、何か懐かしいものを見た気がした。24年前のあの光景が…
地球がサッカーボール(直径22 cm)の大きさだった時の最短距離 | |
月 | 6 m |
金星 | 0.6 km |
火星 | 1 km |
水星 | 1.4 km |
太陽 | 2.6 km |
木星 | 10 km |
土星 | 21 km |
天王星 | 45 km |
海王星 | 75 km |
セドナ | 190 km |
ヘリオポーズ(太陽系の境界) | 300 km |
プロキシマ・ケンタウリ(最も近い恒星) | 70万km |
リクシャー(時速30km)で行く場合の所要時間 | |
月 | 1年5ヶ月 |
金星 | 130年 |
火星 | 220年 |
水星 | 310年 |
太陽 | 570年 |
木星 | 2,200年 |
土星 | 4,600年 |
天王星 | 9,900年 |
海王星 | 16,000年 |
セドナ | 43,000年 |
ヘリオポーズ(太陽系の境界) | 68,000年 |
プロキシマ・ケンタウリ(最も近い恒星) | 1.5億年 |
* * *
…1989年の、夏の終わりのある週末の夕方。東京の大田区の実家の庭では、まだ若い父が軍手をはめて庭仕事に勤しんでいた。小学校1年生の僕は父の後を付け回しては、テレビで見て夢中になっていたボイジャー2号のことについて父を質問攻めにしていた。
ボイジャー2号の旅は「グランド・ツアー」、直訳すると「偉大な旅」と呼ばれる。太陽系の4つの巨大ガス惑星、すなわち木星、土星、天王星、そして海王星の全てを、ひとつの旅で訪れたからだ。グランド・ツアーに出発できるタイミングは175年に一度しかない。四惑星がちょうどよい配置にある必要があるからだ。ボイジャーの前の機会は19世紀初頭。もちろん人類は宇宙に探査機を飛ばす技術などなかった。次の機会は22世紀半ばである。 175年に一度のチャンスが訪れた1970年代に、ちょうど人類の技術がグランド・ツアーを行う探査機を作れるレベルに達したのは、運命と呼ばずして何と呼ぼう。
ボイジャー2号の打ち上げ(NASA/
16日間隔で打ち上げられたボイジャー1号と2号は、土星までは仲良く一緒に旅をした。その後、姉の1号は太陽系外へ一直線に向かう道を選んだのに対し、妹の2号はまだ誰も訪れたことのない天王星と海王星へ旅する道を選んだ。そして1989年、彼女は史上初めて、そして唯一、海王星を訪れた旅人となったのだ。
父は天文ファンで、ボイジャーの海王星フライバイを特集したニュースやNHKスペシャルなどを熱心に見ていた。それに影響され、僕もすっかりボイジャーのファンになっていた。
「じゃあ、もし地球がサッカーボールの大きさだったとしたら… 」
父は庭仕事の手を止めて僕に言った。
「海王星はどのくらいの距離にあると思う?」
そうして父が教えてくれたことに、僕は目をまん丸くして驚いた。(父が使った例えはリクシャーではなく東急電車だったが。)まん丸の目で父を追いかけながら、じゃあ月は?太陽は?と質問を続けた。
あの時の僕の気持ちは、山で育った人が生まれてはじめて海を見た時の感慨に例えられよう。宇宙は広かった。どこまでも広かった。そして地球は小さく、宇宙の旅は孤独だった。
ボイジャー2号が撮影した海王星(NASA/
6歳の僕の物理的な行動半径は、せいぜい500メートルだっただろう。小学校までの通学路と、いくつかの公園と、畠山くんや中根くんや高久くんの家と、毎月15日に縁日をやる荏原町商店街、その程度だった。それが僕の「世界」だった。
だが、あの夏の日以来、 体は狭い「世界」に幽閉されながら、僕のイマジネーションは天文単位や光年の距離を超えて、広い宇宙を自由に飛び回るようになった。
僕は裏紙を切り抜きセロハンテープでつなぎ合わせてアポロ宇宙船を作った。それが子供部屋の地球儀を飛び立って庭の砂場に着陸した時、僕はイマジネーションの中で30万キロを旅していたイマジネーションの中で、僕は宇宙の旅人だった。
イマジネーションは時間すらも超えた。イマジネーションの中の未来の自分は、父のようにエンジニアになり、紙ではなくて本物の宇宙船を作っていた。そしてそれは火星へ、海王星へ、そして太陽系の外へと旅をした。
あれから24年が経った。僕はNASAで働くことになった。そして、500メートルだった僕の行動半径は、半径6371 kmの地球全体に拡がった。アメリカに留学し、そして移民した。バックパックひとつ背負い、アジアや、ヨーロッパや、南米や、アフリカを自由に旅した。そうして僕は今、インドのこの地に辿り着いたのだった。
この聖地は人の生と死の営みを三千年にわたって目撃してきた。その三千年のほとんどの間、人類の行動範囲は地球の表面に限られていた。しかし、体は半径たった6371 kmのこの小さな惑星に幽閉されながら、人類のイマジネーションは、文明の幼年期から、広い宇宙を自由に旅した。
例えば、紀元前4、5世紀に成立したとされる大叙事詩ラーマーヤナをご存知だろうか。この中でこの中で主人公は、さらわれた妻シーターを奪い返すため、
ラーマーヤナに登場する空飛ぶ宮殿ヴィマーナ
それから数千年が経った。人類は宇宙を自在に旅する技術を手にした。そして、6371 kmだった行動半径は180億km先の太陽系の果てにまで拡がった。サッカーボールが東京・名古屋間の距離にまで広がったのだ。月に足跡を残し、ローバーが火星の赤い大地を走り、探査機がヘリオポーズを越えた。宇宙望遠鏡は三千もの系外惑星を発見し、宇宙が137億年前に始まったことを突き止めた。
夢は叶う。イマジネーションは実現するのである。
* * *
だが、ラーマーヤナのイマジネーションが2500年後にロケットや宇宙探査機として結実する過程は、階段を少しずつ登るように、徐々に等速度で進んだのではない。それはまさにロケットが空に登るように、数段階の爆発的な化学反応によってもたらされたのだった。
その最初の「爆発」を引き起こしたのは、19世紀に生きたある独創的な小説家だった。彼こそが、人類が数千年間抱き続けてきた空や宇宙へのイマジネーションを、科学技術と引き合わせた仲人だった。日本神話において国土と神々の全てがイザナギとイザナミの結婚から生まれたように、宇宙への旅を支えるテクノロジーの全ては、 この男が仲立ちしたイマジネーションと科学技術との結婚にルーツがあると言っても過言ではない。
次の回では、この男の生涯を追いながら、いかにしてイマジネーションが科学技術と恋に落ち、結ばれ、人類の宇宙への旅路を切り拓くことになったかを、お話ししようと思う。
(つづく)
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過去の『一千億分の八』を読みたい方はこちらから
【第1回】〈一千億分の八〉はじめに
【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは?
【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
【第8回】〈一千億分の八〉ロケットはなぜまっすぐ飛ぶのか?V-2のブレイクスルー、誘導制御システムの仕組み
【第9回】〈一千億分の八〉スプートニクは歌う 〜フォン・ブラウンが戦ったもうひとつの「冷戦」
【第10回】〈一千億分の八〉宇宙行き切符はどこまで安くなるか?〜2101年宇宙の旅
【第11回】〈一千億分の八〉月軌道ランデブー:無名技術者が編み出した「月への行き方」
【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。