2017年9月15日、その役割を終えて土星の空に流れ星となって消える土星探査機カッシーニ。その功績を、カッシーニから届けられた美しい土星の写真と共にNASAで働く日本人技術者・小野雅裕さんが緊急解説!
来週9月15日、また一つの宇宙探査機が流れ星となって消える。ただし、地球ではなく土星の空に。
最期を迎えるのは土星探査機カッシーニだ。カッシーニは13年にわたって土星を周回しながら目覚ましい発見を続けてきたが、まもなく燃料が切れる。制御不能になる前に、探査機を土星大気に意図的に突入させ自己消滅させるのである。
この最後のミッションを、NASAは「グランド・フィナーレ」と呼んでいる。
カッシーニの輝かしい功績
カッシーニは、先輩探査機であるボイジャーが残した「宿題」を解くために打ち上げられた。1980年、81年に土星を通過した2機のボイジャーは数々の発見をしたが、多くの謎も残したまま、天王星、海王星、そして太陽系外へ向かった。
その「宿題」を解くため、カッシーニは1997年に打ち上げられた。7年の旅の末、2004年に土星軌道に投入され、史上初の土星の人工衛星となった。それからの13年間はまさに驚異的な発見の連続だった。
カッシーニが撮影した芸術作品のように美しい写真。右上の写真の一角には小さく地球が写っている。(Credit: NASA/JPL)
土星最大の衛星タイタンは分厚い雲に覆われていて、ボイジャーはその下に何があるか見ることができなかった。カッシーニは雲を透過できるレーダーを積んでいた。そのレーダーに、驚くべきものが写っていた。
湖だ。メタンの湖が、タイタンの北極付近にいくつも存在していたのである。最大ものはカスピ海の面積を超える。そして分厚い雲からはメタンの雨が降り、地にはメタンの川が流れ、メタンの湖に注いでいたのである。
左:カッシーニのレーダーがとらえたタイタンの湖(NASA/JPL)。右:タイタンの湖の想像図。実際には厚い雲に阻まれて土星や星は見えないかもしれない。(ESA)
カッシーニには欧州宇宙機関が開発したホイヘンスという名のタイタン着陸機が便乗していた。2004年12月24日、ホイヘンスはタイタンの大気に突入し、ゆっくりとパラシュートで降下しながら観測を行った。川や湖岸と考えられる地形が写っていた。
ホイヘンスが着陸したのは湖岸近くの沼地のような場所だと考えられている。以下の写真が、人類が手にしたタイタン地表の唯一の写真である。
左:ホイヘンスが上空から捉えた、タイタンの川や湖岸と思われる地形。右:タイタンの地表から届けられた唯一の写真。(ESA, NASA, JPL, University of Arizona)
さらに大きな発見は、直径500kmの小さな氷惑星エンケラドスからもたらされた。エンケラドスは星全体が水の氷によって覆われた星だ。その南極付近から、何かが吹き出している様子をカッシーニが捉えたのである。
それは巨大な水蒸気のジェットだった。エンケラドスには分厚い氷の下に広大な地底の海があり、氷の割れ目から塩水が吹き出していたのだ。
エンケラドスから噴出する蒸気。(NASA/JPL)
その噴水はエンケラドスの直径と等しい高さ500kmにも及んでいた。吹き出した氷のかけらが土星の輪の一本となっていたことも分かった。
カッシーニはこの噴水を突き抜けるように飛行し、その成分を調べた。すると、水の蒸気の中に水素が混じっていることが確認された。それは海底に熱水噴出孔が存在することを示唆した。熱水噴出孔とは、地球で最初に生命が生まれたのではないかと考えられる場所である。
それまで土星とその衛星は、太陽から遠く離れた極寒で不毛の世界と思われていた。カッシーニの発見によって、タイタンとエンケラドスは一躍、地球外生命の発見がもっとも期待される世界となったのである。
エンケラドス内部の予想図。分厚い氷の下に、星全体を覆う地底の海がある。(NASA/JPL)
なぜ自己消滅するのか?
では、なぜカッシーニは「自己消滅」しなくてはならないのだろうか?燃料が切れても放っておけばそのまま土星の人工衛星であり続けるのではないか?
心配されたのは、生命が存在するかもしれないタイタンやエンケラドスに衝突してしまう可能性だ。するとカッシーニに付着していた地球の微生物がこれらの世界を汚染してしまうかもしれない。それを防ぐための「グランド・フィナーレ」 なのである。
そもそも、タイタンとエンケラドスに地球外生命が存在する可能性を見出したのはカッシーニ自身だ。カッシーニは自らの発見に殉じるのである。
運命の日、9月15日。カッシーニは最期の瞬間まで科学者であり続ける。土星大気に突入したカッシーニは、猛烈な空気抵抗と闘いながら、最後に残された僅かな燃料を振り絞ってアンテナを地球に向け、土星大気のデータを送り続ける。やがて耐えきれなくなって機体は破壊され、破片は熱で溶かされながら光り輝き、美しい流れ星となって土星の空に消えるのである。
僕はできることなら土星へ行ってその最期を見届けたい。そして言いたい。「ありがとう、お疲れ様」と。
9月15日に土星に突入し消滅する宇宙探査機カッシーニの想像図(Credit: NASA/JPL)
さらなる旅へ
先輩探査機ボイジャーは、後輩の最期を遠く太陽系の外から見守る。カッシーニの偉大な発見を祝福しているに違いない。後輩の最期を見届けた後も、ボイジャーは宇宙が存在する限り…あるいはもしかして宇宙人に回収されるまで…最果てを目指して旅を続ける。
カッシーニもまた、後輩探査機に多くの「宿題」を残した。その最大のものは、地球外生命である。はたしてタイタンやエンケラドスに、生ける者は存在するのだろうか?
その宿題を解くため、様々なミッションが提案されている。その一つがELF(Enceladus Life Finder)、「エンケラドス生命発見機」というそのものずばりの名前の探査機だ。タイタンの湖を探査する潜水艦、そして僕が提案したEnceladus Vent Explorerなどの構想もある。
土星の雲となったカッシーニは、いつの日か、後輩探査機が地球外生命発見のニュースをもたらすのを、幸せに見守ることだろう。
コラム『一千億分の八』が加筆修正され、書籍になりました!!
小野さんの『一千億分の八』連載はこちら!
【第1回】〈一千億分の八〉はじめに
【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは?
【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
【第7回】〈一千億分の八〉フォン・ブラウン〜悪魔の力を借りて夢を叶えた技術者
【第8回】〈一千億分の八〉ロケットはなぜまっすぐ飛ぶのか?V-2のブレイクスルー、誘導制御システムの仕組み
【第9回】〈一千億分の八〉スプートニクは歌う 〜フォン・ブラウンが戦ったもうひとつの「冷戦」
【第10回】〈一千億分の八〉宇宙行き切符はどこまで安くなるか?〜2101年宇宙の旅
【第11回】〈一千億分の八〉月軌道ランデブー:無名技術者が編み出した「月への行き方」
【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式
【第13回】〈一千億分の八〉アポロ11号の危機を救った女性プログラマー、マーガレット・ハミルトン
【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク
〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。
さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。
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