【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密 | 『宇宙兄弟』公式サイト

【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密

2016.12.05
text by:編集部コルク
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宇宙時代を切り拓いた3人のロケットの父には、ある同じ問題が立ちはだかっていました。
秒速7.9 km(時速28,000 km)の壁。
この速度を超えなければ、決して宇宙へ行くことができないのです。でも、なぜロケットがこの速度に達することがそれほど難しいことなのでしょう?そして3人がたどり着いた「液体燃料ロケット」というアイデアはどのようなものなのでしょう?NASA技術者の小野さんが、数学を使う代わりに、『宇宙兄弟』のアンディを使って(!?)分かりやすく解説してくれます!

百万光年離れた銀河同士も目に見えない重力で結びつけられているように、遠く隔たった国に生まれ生前に一度も顔を合わせたことのなかった三人の「ロケットの父」も、その夢の軌跡を追うと、まるでなにかの目に見えない力で結びつけられているようであった。

■ アメリカのロケットの父、ゴダード

1899年10月19日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウースター。札幌とほぼ同じ緯度にあるこの工業都市では、紅葉も盛りを過ぎ、木々も動物も人も冬支度をはじめていた。この数年前に工業出荷額においてイギリスを抜き世界一となったアメリカ にあって、ウースターには発明家、起業家、移民労働者が多く集まり、通りは活気に溢れていた。

この日の午後、桜の木に登って空を見つめ、イマジネーションに耽る17歳のゴダードの姿があった。過保護な母と祖母のせいで高校は2年遅れだった。ジュール・ベルヌの『地球から月へ』やH. G. ウェルズの『宇宙戦争』に夢中だった。この日のことを、彼は28年後にこう回想している:

私はノコギリで桜の木の枯れた枝を切り落としていた…そして私は想像した。火星へと昇っていくことのできる機械を作ることができたら…その可能性だけでもどんな素晴らしいだろうと…私は木から降りた時、登った時とは違う少年になっていた。なぜなら自分の存在に目的を見出したからだ。

彼が見出した彼自身の存在の目的とは、宇宙旅行を可能にする機械を発明することだった。この志を忘れぬため、彼はその桜の木を何度も写真に撮り、10月19日を「アニバーサリー・デイ」と呼んで毎年祝った。彼は言葉通り、生涯をこのただ一つの目的に捧げた。そして後世に三人の「ロケットの父」の一人として数えられることとなった。

ono_6_1アメリカのロケットの父、ゴダード。Credit: NASA/Goddard Space Flight Center

 

■ ロシアのロケットの父、ツィオルコフスキー

その2年前。ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世が即位して間もない北国では、既に社会主義革命の種が芽生え始めていた。首都モスクワから200 kmほど隔たった地方都市カルーガに、「カルーガの変人」とあだ名された40歳の高校教師がいた。もう一人の「ロケットの父」である、コンスタンチン・ツィオルコフスキーだった。

彼は難聴と母を失った孤独による素行の悪さでギナジウム(中学校)を退学させられ、思春期から青年期は父の書斎や図書館に篭って本を読み漁った。その中にジュール・ベルヌのSFがあった。彼はまた、当時のロシアで流行した「コズミズム」という半オカルト的な思想に影響を受けていて、個々の原子に魂が宿り、宇宙全体も魂と知性を持った存在である、という考えを持っていた。

彼はこの年、一本の方程式を静かに発見した。120年経った現在でも宇宙開発の現場において欠かせない、ロケットの基礎方程式である。彼が発見した式は「ツィオルコフスキーのロケット方程式」と呼ばれている。

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 ロシアのロケットの父、ツィオルコフスキー

■ ドイツのロケットの父、オーベルト

それからさらに3年を遡る1894年6月25日。かつては栄華を極めたハプスブルグ家も今や衰え、オーストリア=ハンガリー帝国は民族主義の波に没しようとしていた。当時帝国の支配下にあったトランシルバニア地方(現ルーマニア)の、シビウという町のドイツ人家庭に、三人目の「ロケットの父」、ヘルマン・オーベルトは生まれた。幼少の彼の本棚にはやはりジュール・ベルヌの『地球から月へ』があった。

第一次世界大戦が終結した後、彼はドイツのハイデルベルク大学に学んだ。選んだ研究テーマはもちろん、宇宙飛行だった。しかし、あまりにも時代を先取りした研究だったため、内容を理解できる教授が大学に誰一人いなかった。そのため1922年に提出した博士論文は「ユートピア的だ」という理由で不合格にされてしまう。

教授たちは博士論文の再提出の機会を与えたが、オーベルトはそれを蹴って大学を去った。彼は後にこう回想している。

私はこう自分に言い聞かせた。気にするもんか、博士号なんてなくたってお前らよりも偉大な科学者になれることを証明してみせる、とね。

彼は却下された博士論文を大幅に加筆し、” Die Rakete zu den Planetenräumen” (惑星間宇宙へのロケット)という題で出版した。この先見的な本にはロケットの原理はもちろん、月着陸の方法、小惑星探査、電気推進、そして火星植民のアイデアまで書かれていた。ドイツの多くの若者がこの本にインスパイアされた。その中には、次回に登場するあのカリスマ技術者も含まれていた。

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ドイツのロケットの父、ヘルマン・オーベルト (Credit: NASA)

■ 秒速7.9 kmの壁

三人は生前に一度も顔を合わせたことがなかったが、多くの共通点があった。ジュール・ベルヌから受けたインスピレーション。豊かなイマジネーション。宇宙への夢。夢を貫き通す頑固さ。そして、ロケットこそが宇宙への旅を可能にする機械であることを見抜いた先見の明。

そして三人には、同じ壁が立ちはだかった。

秒速7.9 km、あるいは時速28,000 km。

この速度に達することが、宇宙に出る、つまり地球のまわりを周回するための、絶対的にして唯一の条件だった。そしてそれが既存の固体ロケットでは達成が困難であるかも、三人は認識していた。

では、何が難しいのか。なぜ難しいのか。

その答えは、ツィオルコフスキーのロケット方程式の中にある。それをこれから説明しよう。心配はいらない。難しい数学は一切用いない。美しい数式は往々にして、人間の直感に訴えるものだ。美しい女性の美しさを説明するのに言葉が要らないのと同じである。

 

■ 数学なしで分かる、ロケット方程式

前回説明したように、ロケットとは高温高圧のガスを後ろに向かって高速で噴射し、その反作用で前へ加速する機械である。だがここでは話を簡単にするため、ガスではなくボールを後ろに投げることを考えよう。投げるものが気体でも固体でも、その反作用で前へ進むというロケットの原理は同じである。

イマジネーションを働かせて、こんな想像をしてほしい。重さ2トンの「ロケット」が、何もない宇宙空間に浮かんで静止している。積んでいるのは燃料ではなく、巨大なボールだ。このボールは重さが1トンもある。そして残りの1トンは、巨漢の宇宙飛行士アンディが乗る宇宙船である。アンディは途方もない怪力で、何トンのものでも秒速2 kmの速さで投げることができる。

この宇宙船から、怪力アンディが1トンのボールを後ろへ投げる。宇宙船に乗っているアンディの視点から見ると、ボールは秒速2 kmで飛んでいく。ところが、宇宙船の外に浮かんでいる観察者から見ると、下の図にあるように、作用・反作用の法則で、ボールは後ろへ秒速1 km、逆に宇宙船は前へ秒速1 kmで動き出す。つまり、ボールを投げたことで宇宙船は秒速1 kmだけ加速したのだ。

では、2倍の重さ・・の、2トンの宇宙船を秒速1 kmに加速するにはどうすればいいか。答えは単純で、1トンのボールを2個、秒速2 kmで投げればいい。同様に、4トンの宇宙船を同じだけ加速するには4個のボールを投げればいい。ここまでは簡単だ。

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では、1トンの宇宙船を2倍の速さ・・、秒速2 kmまで加速するにはどうすればよいか。実は、3個のボールをアンディに投げてもらう必要があるのだ。

ロケットに1トンのボールを3個積む。1トンの宇宙船と合わせて4トンだ。まずアンディは同時に2個のボールを秒速2 kmで投げる。すると、残り1個のボールと宇宙船は秒速1 kmに加速する。次にアンディは残った1個のボールを投げる。すると宇宙船はもう秒速1 km加速し、合計で秒速2 km加速するのである。

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では、1トンの宇宙船を秒速3 kmまで加速するにはどうすればよいか。7個のボールを積んだ合計で8トンのロケットが必要になる。まず、秒速1 kmに加速するために半分の重さの4個を投げる。もう秒速1 km加速するために、残りの半分の2個を投げる。最後の秒速1 kmを得るために、残りの1個を投げる。こうして残った1トンの宇宙船は、秒速3 kmの速度を得ることができるのである。

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つまり、秒速1 km加速するごとに、ロケットの重さは半分ずつ減っていく。言い換えれば、同じ重さの宇宙船を秒速1 km余分に加速するには、倍の重さのロケットが必要なのである。

このロケットを使って1トンの宇宙船を秒速7.9 kmに加速するには(計算を簡単にするため、秒速8 kmとする)、8回のボール投げをする必要があるから、1トン×2×2×2×2×2×2×2×2=256トンものロケットが必要になるのだ!

なぜロケットで秒速7.9 kmまで加速するのが難しいか。答えは、こうして倍々算で必要なロケットの重さが増えるからだ。だから宇宙へ行くためには巨大なロケットが必要になるのである。

しかし、なんとかもっとロケットを小さくする方法はないのだろうか?

ある。アンディに筋トレをさせて、さらに怪力になってもらうのだ。もし彼がボールを2倍の速さの秒速4 kmで投げることができたら、1トンの宇宙船に対して1トンのボールを投げるだけで、秒速2 kmまで加速することができる。すると秒速8 kmに達するには4回のボール投げをすればいいから、必要なロケットの大きさは1トン×2×2×2×2の、たった16トンで済む。つまり、アンディが2倍頑張るだけで、ロケットの大きさは16分の1になるのだ!

逆に、もしアンディが貧弱で、ボールを投げる速度が半分だと、16倍大きなロケットが必要になってしまう。

実際のロケットでは、ボールを投げる速さはガスの噴射速度に対応する。よって宇宙に行くのに必要なロケットの大きさは、ガスの噴射速度に大きく左右されるのである

なぜ三人のロケットの父は、固体ロケットでは宇宙に行けないという結論に至ったのか。答えは、ガスの噴射速度が遅いからだ。

たとえば、中国人が最初に発明したロケットは黒色火薬を用いていて、これは19世紀末の無煙火薬の発明まで使われ続けた。黒色火薬のロケットが出せるガスの噴射速度は、現代のH2-Aロケットの約5分の1でしかない。ツィオルコフスキーの方程式を用いて計算すると、1トンの宇宙船を宇宙へ運ぶには、最低でも2万5千トンもの重さのロケットが必要になってしまうのだ!これはとても現実的ではない。*

ならば、全く新しい種類のロケットを発明するしかない。果たしてどんなロケットならば、秒速7.9 kmの壁を破るのに十分なガスの噴射速度を得られるのだろうか。

*現代では固体燃料の改良が進み、ガスの噴射速度は大幅に向上している。たとえば日本のイプシロンロケットは固体ロケットだけで秒速7.9 kmに達する能力を持つ。しかし、三人のロケットの父が活躍した19世紀末から20世紀初頭には、まだ十分な性能を持つ火薬が存在しなかった。

 

■ 「ロケットの父」が出した答え:液体燃料ロケット

この問いに対し、三人の先駆者はまたしても同じ結論にたどり着いた。

液体の燃料を使うのだ。つまり、液体燃料ロケットである。

最初にこのアイデアを得たのは、もっとも年長でもあるツィオルコフスキーだった。1903年に彼が発表した論文にそのアイデアが書かれている。しかし論文がロシア語だったため、彼の業績は1920年代まで国外で知られることはなかった。

ゴダードは1914年に液体燃料ロケットのアイデアを含む特許を取った。彼はまめに日記をつける人だった。3月26日の日記に「今朝、ロケットの特許に液体のアイデアを加える事を思いついた」と書いている。この時期、彼は新聞などのメディアを用いて自らの業績を周知することに腐心していた。それは一方では研究費を取るための方策であり、また一方では人一倍強い功名心によるものでもあった。彼は三人のうちの一人ではなく、唯一の「父」たることを欲した。

オーベルトは1917年までには液体燃料ロケットの着想を得ていたようである。彼がこの時点でゴダードのアイデアを知っていたかどうかは定かではない。彼は1919年に出版されたゴダードの論文を読み、同じ研究をしている人がいたことに驚いたという旨の手紙をゴダードに送っている。二人の「ロケットの父」のやり取りは最初こそ友好的だったが、やがてゴダードは事あるごとにオーベルトにアイデアを盗まれたと公然と非難するようになった。オーベルトも約30年後に、自分が影響を受けたのはジュール・ベルヌのただ一人で、ゴダードなど知らなかったと主張した。

何はともあれ、秒速7.9 kmの壁を破るための方法として三人がたどり着いた答えである「液体燃料ロケット」とは、いったいどのようなものなのか。

もっとも馴染みのある液体燃料といえば、ガソリンだろう。ゴダードがまず用いたのもガソリンだった。ガソリンは火薬と違って酸素がなくては燃えない。自動車は空気から酸素を「現地調達」するが、真空を飛ぶロケットは酸素を自前で持っていくしかない。そこで、大量の酸素をできるだけ小さなタンクで運ぶため、マイナス183度までキンキンに冷やし、液体にして持っていく。

前回説明したように、固体ロケットの仕組みは非常に単純で、底に小さな穴のあいた圧力鍋に火薬を入れて火をつけるだけだった。(大変危険なので絶対にやってはいけない!) しかし、もしガソリンと液体酸素を鍋に入れて火をつけたら、宇宙へ行くどころか、瞬時に大爆発して天国へ行く羽目になる。(途方もなく危険なので絶対にやってはいけない!!2016年9月のSpaceXのロケットの爆発と同じことが起きる。)

そこで、鍋、つまり燃焼室とは別に二つのタンクを用意し、燃料と酸素を分けて入れておく。そしてそれぞれをポンプで徐々に燃焼室に注入し、燃やす。底の穴から高温高圧のガスが噴き出し、その反作用でロケットが加速するのは、固体ロケットと同じである。

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液体ロケットには、もうひとつ優れた点がある。固体ロケットは一度火をつけたら燃料がすべて燃え尽きるまで止められない。例えるならば、一度エンジンをかけたらガソリンが切れるまでアクセル全開で走り続ける自動車のようなものだ。

一方、液体ロケットはポンプを止めさえすればすぐにエンジンを止められる。止めた後に再始動もできる。さらに、ポンプで燃料を注入する流量を変えれば、パワーも調整できるのである。

 

■ 届かなかった「宇宙の父」の夢

液体燃料ロケットのアイデアを最初に思いついたのはツィオルコフスキーだったが、彼は理論家だった。実際に空を飛ぶ液体燃料ロケットを作ったのは、ゴダードが最初だった。特許取得から12年経った1926年3月16日、まだ雪の残るマサチューセッツ州オーバーンで、歴史的な実験は行われた。ゴダードのロケットは2.5秒間飛行し、隣のキャベツ畑に墜落した。到達高度はたったの12メートルだった。だがこの12メートルこそが、人類の宇宙への旅の記念すべき第一歩に違いなかった。

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ゴダードが作った世界初の液体燃料ロケット。現在の一般的なロケットと異なり、エンジンが上に、タンクが下にある。Credit: NASA

その後、ゴダードは生涯にわたってロケットの改良を続けたが、遂に宇宙への夢を果たせなかった。最大の障害は技術ではなく研究費の不足だった。その背景には、当時のアメリカ政府や世論の、ロケットの可能性への不理解があった。

彼が宇宙にもっとも近づいたのは1937年3月26日。長さ4メートル弱、直径45センチほどの、少々ずんぐりとした形のL-13ロケットはその日、高度2.7 kmに到達した。最高速度は秒速0.25 kmだった。

秒速7.9 kmは、まだまだ遠かった。たとえ液体燃料を使っても、その壁を越えるには怪物のように巨大なロケットが必要なのは明白だった。怪物を作るには、もはや悪魔の力でも借りるしかないように思えた。

歴史の偶然だろうか。それとも運命だろうか。ゴダードがロケットの改良に勤しんでいる頃、世界は大恐慌に見舞われ、やがて戦乱の兆しを伴う暗雲が、ヨーロッパに、また極東に立ち込めた。そして時代は悪魔を産み落とした。その悪魔は、オーベルトの弟子である一人のカリスマ技術者と、密かに契約を結んだのだった。

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つづく

=参考文献=

  1. David A. Clary, “Roket Man: Robert H. Goddard and the Birth of the Space Age,” Hyperion, 2003
  2. Michael Hagemeister, “Russian Cosmism in the 1920s and Today,” The Occult in Russian and Soviet Culture (Ed. Bernice Glatzer Rosenthal), Cornell University Press, 1997

 


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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。


さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。