【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式 | 『宇宙兄弟』公式サイト

【第12回】〈一千億分の八〉アポロを月に導いた数式

2017.02.28
text by:編集部コルク
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宇宙船の「飛び方」は、飛行機よりもゴルフボールに似ている!?
1968年、アポロ8号は月と地球の重力を使って進みながら、約38万キロも先にある月へ接近しました。
目的地の月へ迷わずにたどり着くのは、まるで宇宙で”ホールインワン”を狙うようなもの。どうやってアポロ8号の乗組員は、迷わずに月へ辿り着けたのでしょうか?
彼らが使った昔ながらの技術と、そこに秘められた数式とともに、NASA技術者の小野さんが解説☆

200年前の船乗りの道具で月に行く!?

1968年夏。マリリン・ラベルは、その年のクリスマス休暇を心待ちにしていた。

夫のジム・ラベルは宇宙飛行士に選ばれて以来、忙しくてろくに家族との時間を持てなかった。二人は高校からの付き合いだった。

夫のジム・ラベル宇宙飛行士とは高校からの付き合いだった。高校の頃、ジムは夜にマリリンをアパートの屋根に連れ出しては、星々を眺め宇宙の話をした。ジムは宇宙飛行士に選ばれてからは忙しくてろくに家族との時間を持てなかったが、夫の夢を理解していたマリリンは、文句を言うこともなく夫を支えた。

そのジムがその年のクリスマスに休暇を取り、メキシコのアカプルコへ久しぶりの家族旅行に行くことに同意してくれたのだ。マリリンは素直に喜んだ。

だがその数週間後、ジムは家に帰るなり、マリリンにこう告げた。

「こんなことは言いたくないんだが…アカプルコに行けなくなった。」

マリリンは落胆を隠さなかった。

「どういうことなの?クリスマスに家族旅行に行かないなら、あなたは一体どこに行くっていうの?」

ジムは少し間をおいた後、目を輝かせてこう答えた。

「信じられるかい?月だよ。」*

*映画『アポロ13』で使われているこのエピソードは、実はアポロ8号の時のものである。ジム・ラベルはその後、アポロ13号にも搭乗した。

ジム・ラベルは元々、翌年春に飛行予定のアポロ9号にアサインされていた。地球軌道で月着陸船をテストするという、面白味のないミッションだった。

それが様々な運命の巡り合わせで、アポロ8号とアポロ9号のクルーが入れ替わることになった。しかも、行き先も月に変わったのだ。

人類史上初の、月周回飛行だった。

それまで地球から最も遠くに行ったのはジェミニ11号の高度1,400 kmだった。もし地球がバスケットボールの大きさだったら、高さ3 cmほどでしかない。

アポロ8号はその記録を一気に380,000 km先の月にまで伸ばした。地球がバスケットボールの大きさだったら、月は7メートルも先にある。
そしてアポロ8号は月面から高度110 kmにまで近づいた。野球ボールの大きさの月からたった2 mmの距離だ。

アポロ計画で最も有名なミッションといえば、初の月着陸をしたアポロ11号だろう。しかし、11号にとっての「初」は、その最後の2 mmだけだった。(もちろん、それが最も困難な2 mmだったのだが。)

アポロ8号の旅は、まさに未知の大海原への航海だったのである。
それはコロンブスのサンタ・マリア号やマゼランのビクトリア号の航海と同じくらいの意義を持つ、人類史に残る航海だったのだ。

(月と地球はどのくらい離れている?二つの距離を体感できるページはこちらから)

さて、出発が3ヶ月も繰り上げになったジム・ラベルたちは殺人的なスケジュールで訓練をこなした。

とりわけラベルが精力的に取り組んだ訓練があった。
「六分儀」という、18世紀の船乗りが使った道具を操る訓練だ。
大海原の中で船の現在位置を知るための道具である。

六分儀 Image: NOAA

では一体、何のために宇宙で六分儀を使うのか?

宇宙という大海原の中で、宇宙船の現在位置を知るためである。現在位置がわからなくては、月にも行けないし地球にも帰れない。

だが、なぜ 200年も前のローテクを使うのか?こんなもので本当に月に行けるのか?

行ける。

その秘密は、ラベルが操るアポロ誘導コンピューターにプログラムされた、ある数式にあった。

そしてそれを編み出したのは、マサチューセッツ工科大学(MIT)のデック・バッティンという学者だった。

バッティン教授

その数年前-

MITの会議室に座るデック・バッティン教授は、心底退屈していた。

チョキ、チョキ、チョキ…

緊迫したミーティングの最中だというのに、まったく緊張感のない音が会議室に響いていた。

チョキ、チョキ、チョキ…

それはアポロ誘導コンピューターの仕事をMITから奪おうとしている企業とのミーティングだった。企業からの参加者たちはMITの弱点をあら探ししていた。MITのソフトウェア・エンジニアたちは防戦に必死だった。

だが、こんな政治的な駆け引きは、学者であるバッティン教授にとっては全く無意味な禅問答だった。だから何とはなしにチョキ、チョキとハサミで空気を切って遊んでいた。目の前をハエがブーンと飛んでいた。

チョキ、チョキ、チョキ…

なおも緊迫したやりとりは続いていた。その時…

チョキ!

ハエが真っ二つに切られて机に落ちた。企業の人もMITの人も目をまん丸くした。 ミーティングは止まった。そして完全に白けた。

「そうやって俺はアポロ誘導コンピューターを守ったんだ。」

バッティン教授は、後にそう高笑いした。

デック・バッティン。彼こそが、アポロを月へと導いた最大の立役者のひとりである。アポロ11号で月を歩いたバズ・オルドリンはバッティン教授の教え子だった。他の宇宙飛行士も彼の授業を受けに、わざわざヒューストンからMITにやってきた。

僕がMITに入学した 2005年にはバッティン教授は80歳になっていたが、まだ現役で授業を教えていた。

バッティン教授は遊び心に溢れた天才だった。彼にとって数学は遊びだった。遊び心こそが、時代をはるかに先取りしたクリエイティビティーの源だったと僕は思う。

宇宙のゴルフ

そんなバッティン教授は、アポロ計画にとって最も根源的な問いに取り組んでいた。

「どうやって月に行き、地球に帰るか。 」

簡単に聞こえるだろうか?
ただ、月や地球が見える方向に飛べばいいのだろうか?

残念ながら、そうはいかない。

なぜかを理解するには、宇宙船の「飛び方」を理解する必要がある。

宇宙船の「飛び方」は、飛行機よりもゴルフに似ている。

ゴルフボールは、ドライバーにゴツンと叩かれて初速を得たあとは、重力に身を委ねて慣性飛行するだけである。

アポロ宇宙船も地球軌道に乗った後、たった5分だけロケットをドカンと噴射して秒速10.4 km(時速3万8千km)の初速を得る。その後は月に着くまでの2日半、エンジンを止め、ただ地球と月の重力に身を委ねて慣性飛行するだけなのだ。

ゴルフとの違いは、必ずホール・イン・ワンしなくてはいけないことだ。しかも、カップは38万km先である。

この宇宙のホール・イン・ワンにはとてつもない精度が求められる。月に着く、つまり月の重力に捉えられるためには、地表すれすれ(高度数百キロ)の位置でロケットを逆噴射する必要がある。もし月から遠すぎたら月を通り過ぎてしまう。近すぎたら激突して木っ端微塵だ。

地球に帰るのも簡単ではない。大気圏に突入する角度が深すぎたら宇宙船は火の玉になる。浅すぎたら水切りのように跳ね返され、宇宙船は永遠に宇宙をさまよう。安全に大気圏に突入できる角度の幅は、たった2度しかない。

そして、宇宙船は時速数万キロもの猛スピードで飛んでいる。飛んでいるハエを切り落とすよりもはるかに難しい芸当が求められるのである。

一体どうすれば、そんな芸当が可能になるのか?これが、バッティン教授が挑んだ問いだった。

ドップラー効果と、山びこ

バッティン教授が考えた方法はこうだ。

宇宙船が月に向かう軌道に乗ったあと、その位置と速度を非常に正確に測る。もしズレがあったら、ごく短い時間(数秒ほど)だけ宇宙船のロケットエンジンを噴射して軌道を微修正する。これを「軌道修正マニューバ」と言う。月までの飛行中に軌道修正マニューバを数回行うことで、「ホール・イン・ワン」させる。

ここまでは単純だ。

難しいのは、宇宙船の位置と速度をいかにして正確に測るか、だ。
宇宙船は地球から数十万km彼方にある。もちろんGPSなんてない。そして、測定が不正確だと間違った方向に軌道修正マニューバをかけてしまう。月に着けないどころか、地球にも戻れなくなる。

そこで用いるのが、日常生活でも馴染みのある、「ドップラー効果」と「やまびこ」だ。

救急車が近づいてくるとサイレンの音が高くなり、遠ざかると音が低くなる。そして救急車のスピードが速いほど、音程の変化は大きくなる。それがドップラー効果だ。

地球から遠ざかる宇宙船から地上に届く電波は、ドップラー効果で周波数(音程)が低くなる。そして宇宙船のスピートが速いほど、周波数の変化は大きくなる。

だから、宇宙船からの電波の周波数を精密に測れば、宇宙船が遠ざかっていく速度がわかるのだ。

この測定は非常に正確だ。アポロの時代でも、時速3万8千kmで飛ぶ宇宙船のスピードをたった時速0.3 kmの誤差で計測できた。現代では誤差は時速0.3 m*。キロメートルではない。メートルだ。カタツムリの速度よりも一桁小さい。

宇宙船までの距離は「山びこ」の原理で測る。山に向かって「ヤッホー」と叫んだら、「ヤッホー」と跳ね返ってくる、あれだ。

宇宙船には「トランスポンダー」という機器が乗っている。受信した電波をそのままおうむ返しにする機械だ。地球から電波を送ると、同じ電波が宇宙船から帰ってくる。帰ってくるまでの時間を測ることで、宇宙船までの距離がわかる。
アポロの時代ですでに約40メートルの精度で距離を求めることができた。現代では3メートルもの精度を出せる*。

*ただし、これはドップラーやトランスポンダーのみの誤差で、探査機の位置や速度の推定誤差はもっと大きくなる。アンテナの位置や大気モデルにも不確定性があるためである。

 

アポロの追跡のため、世界各地に巨大なアンテナが作られた。バーミューダ、カナリア諸島、スペイン、ナイジェリア、オーストラリア、ハワイ…。アンテナを搭載した飛行機も空中待機した。
アポロの追跡に使われた巨大なアンテナは、現在も太陽系中で活躍する探査機を追跡するため、現役で活躍している。(Credit: NASA/JPL)

しかし、電波を使った地上からの追跡には問題があった。

宇宙船が月の裏側にいる時は地球からの電波は届かない。また、万が一地上からの追跡にトラブルがあった場合に、バックアップも必要だ。さらに、冷戦の緊張が高まっていた1960年代当初は、ソ連がアポロの電波を妨害する可能性も真剣に検討された。

だから、アポロ宇宙船は地上からの助けなしに、自力で自分の位置と速度を正確に知る能力がなくてはならなかった。

しかし、どうやって?

船乗り

そこでバッティン教授が行き着いたのが、18世紀の船乗りと同じように六分儀を使うというアイデアだった。

六分儀は水平線と星や月との角度を測るための道具だ。望遠鏡に似ているが、覗くと二つの方向の像が重なって見える。

これを覗きながら六分儀の腕を回して、北極星と水平線がちょうど重なって見えるように調整する。その時の腕の角度が、北極星の水平線からの角度になる。それが船の現在の緯度である。経度を知るのはもう少し難しいが、六分儀で月と周囲の星の角度を測ることで計算できる。(月距法という。)

宇宙という名の海を旅するアポロの宇宙飛行士も、六分儀を持っていく。そして地球や月の地平線と、星の間の角度を測り、宇宙船の現在位置を知るのである。

しかし、そんな人間の目と手に頼る原始的な方法で、38万kmの「ホール・イン・ワン」を可能にするほどの精度を得られるのだろうか?

バッティン教授のイノベーションは、200年前の船乗りの道具を、「カルマンフィルター」という当時では最新の数学的テクニック と、絶妙に組み合わせたことだった。

現代では、カルマンフィルターはカーナビや飛行機のオートパイロットから、株価や為替相場の予測にまで使われる根本技術である。その実用化のさきがけがアポロだったのだ。

この耳馴染みのないカルマンフィルターについて、かみくだいて解説しよう。

アポロを月に導いた数式

熟練したゴルファーならば、ショットを打った瞬間にボールの飛跡を予想できる。宇宙船も同じように、地球を出発した時の速度がわかっているから、その後の位置や速度も推定できる。そしてその推定位置から地球がどの方向に見えるかも予想できる。

しかし、宇宙飛行士がその方向に六分儀を向けても、地球の位置は少しズレて見える。そこで、ズレを打ち消す方向へ推定位置を微修正する。

では、どのくらい修正をかければよいか。ここからがカルマンフィルターの妙だ。

もし推定位置に自信があったり、逆に宇宙飛行士が六分儀の腕に自信がなかったりしたら、修正はわずかにとどめるのが得策だ。

もし推定位置に自信がなかったり、逆に宇宙飛行士が六分儀の達人だったりしたら、大きく修正する方が良いだろう。

バッティン教授が導いたのは、確率的に一番もっともらしい推定位置を得られるような修正量を求める数式だった。

そして、時間をおいて宇宙飛行士に何度も六分儀で観測してもらい、そのたびに推定位置を修正していく。それを繰り返すごとに推定位置の精度は上がっていく。

どれほどの精度を達成できるのか、バッティン教授は計算した。その結果は驚くべきものだった。六分儀の観測を41回行えば、月に到着する時の宇宙船の推定位置の誤差は、なんと約2 kmにまで小さくなる。安全に月に行くために十分すぎるほどの精度だった。

*ちなみにカルマンフィルターは、電波による地上からの追跡にも使われている。測定を繰り返して精度を上げていくというアイデアは同じである。(Credit: NASA/JPL)

200年前の船乗りと同じ道具だけを用いて、38万kmの月への航海をたった2 kmの誤差で行える。月が500ヤード先ならば2.5 mmの精度だ。これこそまさに、数学の魔法だった*。

では、なぜ「バッティンフィルター」ではなく「カルマンフィルター」と呼ばれているのか。バッティン教授がこの数式を編み出した1年ほど前に、ルドルフ・カルマンという学者がほぼ同じアイデアを論文で発表していたからだった。(当時、バッティン教授はそれを知らなかった。)

悔しかったに違いない。だが、バッティン教授が恨み節を言っていた様子はない。そういう性格だったのかもしれない。あるいは、名より実を取って満足したのかもしれない。「実」とはつまり、人類初の月旅行を成功に導いたことだ。

地球の出

1968年12月21日。アポロ8号打ち上げから2時間27分22秒後。

「アポロ8号、ゴー・フォー・TLIだ。」

ヒューストンでキャプコム(地上から支援する宇宙飛行士)を務めるマイク・コリンズが、地球軌道上のアポロ8号に乗るフランク・ボーマン船長、ジム・ラベル、ビル・アンダースの三人に告げた。TLIとは、月遷移軌道投入(トランス・ルナ・インジェクション)の略である。つまり、アポロ8号の月への出発に青信号が灯ったのだ。

フォン・ブラウンらが作ったサターンVロケットの第3段が、5分18秒にわたって火を吹いた。バッティン教授は

「人生でもっとも長くてスリリングな5分間だった」

と回想している。ロケットは完璧に作動した。アポロ宇宙船は月に向かう軌道に投入された。ゴルフボールは放たれた。

6日間の旅の途中、ジム・ラベルは200回以上にわたって六分儀を覗き、月や地球の地平線と星との角度を測った。高校の頃にマリリンとアパートの屋根に登って眺めた月や星を、ラベルは今、月に向かう船から見ているのだった。

ラベルの六分儀による観測をもとにカルマンフィルターがはじき出した宇宙船の位置と速度は、地上からの電波による追跡とほぼ正確に一致した。もし電波追跡がなかったとしても、アポロ8号は自力で月に行けたと言われている。

アポロ8号で六分儀を操るジム・ラベル。アポロの六分儀は、手に持つのではなく宇宙船本体に取り付けられており、ツマミを手で回すことで方向を合わせる仕組みだった。(Credit: NASA)

 

1968年12月24日、ヒューストン時間午前10時37分。

アポロ8号の月周回は4周目に入っていた。月面の観測をするため、ボーマン船長は宇宙船を回転させた。その時-

「オー・マイ・ゴッド!」

窓の外を見ていたアンダースが叫んだ。

「どうした?」

ボーマンが聞いた。

「地球が昇ってくる!ワオ、美しい!」

月の灰色で無機質な地平線の向こうから、半分に欠けた青い地球が、漆黒の宇宙に向かってゆっくりと昇ってきた。それは神々しい光景だった。

「おい、予定にない写真を撮るんじゃない。」

ボーマンが注意したが、興奮したアンダースは聞かなかった。彼は夢中で写真を撮った。

この時に撮られたのが、後に「地球の出(アースライズ)」と呼ばれることになる、おそらく宇宙探査史上でもっとも有名な写真である。

この写真の中に30億人が写っている。写真のこちら側には3人だけ。

ジム・ラベルは言った。

「果てしない孤独は畏怖の念を起こさせ、地球がいかなるものかを実感させる。」

人類はアポロ8号が月で発見したのは、地球だったのである。

(つづく)

 

=次の方のご意見を参考にしました。(敬称略)=
足立修一(慶應義塾大学)
高橋雄宇(NASAジェット推進研究所)@yu_astro

=参考文献=
⦁ David A. Midell. Digital Apollo: Human and Machine in Spaceflight. MIT Press, 2008.
⦁ Andrew Chaikin. A Man on the Moon: The Voyages of the Apollo Astronauts. Penguin Books, 2007.
⦁ Richard H. Battin. “Some Funny Things Happened on the Way to the Moon.” Journal of Guidance, Control, and Dynamics. 2002.



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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。


さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。