僕が勤めるNASAジェット推進研究所(JPL)186号棟のオフィスの壁に、一枚の「ぬり絵 」が額に入れられて大切に飾られている。
紙を赤やピンクのパステルで塗りつぶしただけの手描きの絵だ。
近づいてみると、紙には無数の数字がタイプされている。まるでイタズラ好きの子供が、父親のカバンから盗み出したデータシートに落書きしたようだ。
なぜこんなぬり絵がNASAで大事に保存されているのか?
これこそが、52年前に史上初めて火星から届けられた「デジタル画像」だからだ。
そしてこの絵が人類の火星観を根底からひっくりかえしたからだ。
そしてまた、この絵は火星の顔を初めて見た人類の興奮を、時を超えて伝えているからだ。
そこに何かいるかもしれない
なぜ数ある惑星の中で、人類はこれほどまでに火星に心を奪われているのだろうか?
なぜ月の次は火星だと誰もが考えているのだろうか?
近いからではない。地球から最も近い惑星は金星である。最接近時の金星までの距離は、最接近時の火星までの距離の3分の2だ。
明るいからでもない。地球から最も明るく見える惑星も金星である。ちょうど3週間前 に金星は地球に最接近した。早起きしたら、日の出前に東の空を見てほしい。プラチナ色の明るく美しい星を見つけたら、それが金星だ。古の人がこの星に美の女神・ヴィーナスの名を与えた理由がわかるだろう。
美しさで比べても、火星は金星に及ばない。来夏の大接近時に南の空を見上げてみよう。血のように赤い星があるはずだ。その不気味で不吉な色から、古の人はこの惑星に戦の神・マーズの名を与えた。
それでも人類が火星に惹かれる理由は何か?
それは300年前から現在まで変わっていない。
そこに何かいるかもしれない、と人々が想像してきたからだ。
遠くから見れば美しい女神の素顔は、実は地獄の番人である。金星の地表は猛烈な温室効果により平均温度が460℃にもなる。もし酸素があれば木が自然発火する温度だ。表面気圧は95気圧。空には分厚い硫酸の雲。何もいないと言い切ることはできない。だが少なくとも、この環境で生きられる地球の生命はいない。
一方、戦の神の本性は、実はそれほど獰猛ではない。火星の平均温度はマイナス55℃。夏の赤道では20℃まで上がる。住み心地は良くなかろうが、地球の生命も十分に生きられる温度だ。
さらに、偶然の産物だが、火星の1日は24時間40分と地球に非常に近い。
四季もある。 火星の両極は極冠という白い氷に覆われている。地球の北極の氷と同じように、極冠は夏には溶けて小さくなり、冬には凍って大きくなることが、18世紀から知られていた。
地球との類似は自然と、「そこに何かいるかもしれない」というイマジネーションと結びついた。たとえば、極冠の季節変化を発見した天文学者ウィリアム・ハーシェルはこう書いている。
火星には多くはないが十分な大気があるから、その住人はおそらく様々な点において我々と同じような環境を謳歌しているだろう。
イマジネーションはさら膨らみ、そこに知的生命体の存在を想像する人たちも現れた。
19世紀後半、イタリアの天文学者スキアパレッリは火星に直線的な地形を見つけ、それを”canali”と呼んだ。それが「運河」を意味するcanalsという英語に誤訳され、誤訳と知らずに熱狂したアメリカの大富豪のパーシヴァル・ローウェルは莫大な私費を投じてアリゾナの高地に天文台を建設した。ローウェル自ら望遠鏡を覗いて火星を見てみると、果たして本当に惑星全体を縦横無尽に走る運河が「見えた」のである。
ローウェルはこう考えた。火星には地球人よりもはるかに進んだ文明を持つ知的生命が住んでいる。そして長さ数千kmの大運河を掘り、極冠の氷から得た水を乾燥した赤道地方に運んでいるのだ、と。
当時からローウェルの観測には批判的な意見が多かった。現代の火星探査機が捉えた画像には運河の痕跡すらないばかりか、現実の火星の地形とローウェルのスケッチに少しの類似点も見いだすことができない。
ローウェルは間違っていた。だが、「捏造」だったとするのは少々酷だ。人間の視覚とは、多分に感情に左右されるものである。子どもは闇への恐怖からお化けの姿を見る。遭難者は生還への望みから暖かい家の幻覚を見る。
宇宙に仲間を求める人類の集合的な期待が、好奇心の強い一人の金持ちの網膜に投影されて生まれたのが、火星の運河だったのだと僕は思う。
だが、運河はないにしても、当時の望遠鏡の解像度では、火星に何か(・)いるのか、何が(・)いるのかを判断することは難しかった。
たとえば、火星には黒っぽく見える場所がある。大シルチス台地などがそれだ。現在は黒い色は玄武岩によるものと分かっているが、望遠鏡しか観測手段がなかった時代の科学者はあらゆる想像を巡らせた。ある者は海だと言い、ある者は植物が生えている場所だと言った。
何か(・)いるのか?
何が(・)いるのか?
花は咲いているのか?
鳥は飛んでいるのか?
虫は鳴いているのか?
獣は眠っているのか?
その答えを知るためには、火星に行くしかなかった。
火星への行き方
架空の宇宙船ピークオッド号に乗って、火星への旅に出よう。
旅立ちのタイミングは2年2ヶ月に1度しか訪れない。内側を回る地球が火星に追いつき最接近する数ヶ月前が、そのタイミングだ。
しかし、地球を旅立って2ヶ月後、あなたはおかしなことに気づく。船の進路が火星を向いていないのだ。赤い火星は右舷前方に、青い地球は左舷に見える。船は地球と火星の間の虚空に向かって進んでいる。
心配になったあなたはエイハブ船長に聞く。心配はいらぬ、と彼は威圧的に答える。
出港から4ヶ月が経った。地球と火星は、まるで船を挟んで並走する鯨のように両舷を同じ方向に向かって進んでいる。青い鯨は船より速く泳ぎ、少しずつ斜め前方へ遠ざかっていく。赤い鯨は船よりゆっくりと泳ぎ、斜め前方から徐々に船に近づいてくる。
そして8ヶ月後。地球はもはや青く小さな点でしかなくなる。そして右舷には、窓に収まらないほどに膨張した赤い星が不気味に浮かんでいる…
ピークオッド号が取った軌道は「ホーマン軌道」と呼ばれる。これを太陽系の上から俯瞰すると、下の図のようになる。太陽系をぐるっと半周して火星に着く軌道だ。
どうしてまっすぐ飛ばないのか。地球は太陽の周りを時速10万kmの速度で回っている。この速度に逆らわない方向に飛ぶ方が、太陽と反対側へ飛ぶよりも、はるかに少ない燃料で済むからだ。
今までに火星を目指した探査機は45ある。その全てがホーマン軌道を使った(*1) 、あるいは使おうとした。ちなみに、そのうち成功したのは23機だけだ。
その中で最初に火星に到達したのが、1964年に打ち上げられた、NASAジェット推進研究所のマリナー4号だった。
(*1) 火星も地球も円軌道ではなく、また探査機はちょうど太陽系を半周するわけではないので、厳密な意味ではホーマン軌道ではない。だが、地球の公転の方向に出発し、太陽を約半周して火星に着く、という基本的なコンセプトは同じである。
21枚の写真
マリナー4号は火星に「着き」はするが、減速して火星軌道に入るための燃料は積まれていなかった。「フライバイ」と言って、特急電車のように火星を高速で通過するだけだ。
マリナー4号には世界初のデジタルカメラが積まれていた。白黒で、たった200ピクセルx 200ピクセルの、現代からしたらオモチャのようなカメラだ。そのカメラで通り過ぎる瞬間に21枚の写真を撮る。それがマリナー4号のミッションだった。
5億ドルをかけ、500万kmを旅して、たった写真21枚。解像度は1ピクセルあたりキロメートルの単位。それでも、それは当時のどんな望遠鏡よりも10倍優れた解像度だった。
川や湖があれば映るだろう。草地や森があれば映るだろう。もし仮に知的生物がいれば−大運河を造るほどではないにしても、素朴な文明を持った住人がいれば−その町や、畑や、何かしらの生活の営みが見えるかもしれない。
そこに何がいるのか?
300年前から人類が抱き続けたこの疑問に、その21枚の写真は、答えてくれるだろうと期待された。
待ちきれない!
1965年7月15日。マリナー4号が火星に到着するその日、NASAジェット推進研究所のエンジニアたちの気持ちが落ち着くことはなかった。
カメラはちゃんと火星の方を向いているだろうか?
写真を記録するテープレコーダーはちゃんと作動するだろうか?
もし失敗しても、一度を通り過ぎたら戻ることはできない。チャンスは1度だけ。失敗したら、5億ドルの予算も500万kmの旅路も水の泡だ。
火星を通過してから8.5時間後、最初のデータが、不安げに空を仰ぐアンテナに届きだした。最初に届いたのは写真以外の科学データだった。
数日後、写真が届きだした。通信速度は毎秒8ビット。6ビットから成る1ピクセルを受信するのに1秒弱。たった200 x 200ピクセル(30Kbyte)の写真1枚が火星から届くのに 8時間もかかる。
受信したデータは数字に変換され、テレタイプがカタカタカタと音を立てながら、1ピクセル、また1ピクセルずつ、紙に打ち出していった。まるで画家がていねいに点描画を描くようだった。
最初のピクセルは63。黒を意味した。次のピクセルも63。次も63。彼らは不安になった。カメラは火星ではなく宇宙を向いていたのではないか?21枚の写真全てが真っ黒なのではないか?
だがしばらくして、63ではないピクセルが現れた。その次もそうだった。
何かが映っている!
しかし何が映っているのか?
ノイズではあるまいか?
だが、データを受信し終わっても、エンジニアたちはすぐに写真を見ることができなかった。現代のパソコンやスマホならば、画像ファイルを開けば瞬時に画面に表示される。だが1965年のコンピューターは、データから画像を描画するのに何時間もかかったのだ。エンジニアはどうしても待ちきれなかった。
誰ともなく、送られてきた数字がタイプされた紙を切って並べて廊下の壁に貼り、パステルで色を塗りだした。
63は黒。白黒写真なので40は濃いグレーだが、おそらく実際は濃い赤だろう。20はピンク。0は白。そんな具合だ。
廊下はアトリエとなった。デジタルのキャンバスの周りに大勢の人が集まりだした。JPL所長のウィリアム・ピッカリングの姿もあった。
色が塗られていくにつれ、ある形が現れた。黒い宇宙を背景にした、丸みを帯びた星の縁だった。
火星だ!火星が映っているぞ!!
興奮
僕は美術館で絵を見るとき、守衛に怒られる寸前まで目を絵に近づけて筆のストロークを見るのが好きだ。時として、絵の全体よりも一筆、一筆がなすった絵の具の動きの方が、ピカソの孤独を、ゴッホの苦悩を、ゴーギャンの理想を、モネの美意識を、雄弁に語るからだ。
職場の廊下に飾られたこの人類初の火星からの「ぬり絵」を眺めるときも、僕は 目を極限まで近づけて見るのが好きだ。怪しまれるだろうが、美術館と違って神経質な守衛はいない。
目を近づけていくと、タイプされた無機質な数字の列の上に、乱雑で大ぶりなパステルのストロークが見えてくる。そこから50年前のエンジニアたちの破裂するほどの興奮が、時を超えて生き生きと伝わってくるのである。
僕もその感情を知っている。日々の仕事で火星の写真を見る時に感じる、あの興奮である。現代の火星オービターは25 cmという超高解像度の写真を送ってくる。解像度は1万倍も違う。だが、胸を躍らす興奮は同じに違いない。
そしてそれは、写真を見たエンジニアだけの興奮ではない。
そこに何かいるのか?
そこに何がいるのか?
その問いの答えを追い続けた人類の、300年間積もりに積もった好奇心が解き放たれる瞬間の、破裂するような興奮なのだ。
では、そこに何かいたのか?
21枚の写真に何が映っていたのか?
興奮の後に続いたのは、静かな落胆だった。
死の星、火星
何もいなかった。
町や畑はおろか、川も、湖も、森も、草原もなかった。映っていたのはただ、月と同じようにクレーターの爆撃に荒らされた、どこまでも続く荒野だった。クレーターだらけということは、その大地が何十億年も変わっていないことを意味した。雨に洗われることも火山に焼かれることもなく何十億年を過ごした、死の大地だった。
マリナー4号に積まれた科学機器からのデータがさらに落胆を深めた。
火星の表面気圧は0.004から0.007気圧であることがわかった。これほどの低い気圧では液体の水は存在できない。瞬時に沸騰するか、凍りつくかのどちらかだ。
さらに、火星にはほとんど磁場がないことがわかった。地球は磁場のおかげで太陽や宇宙からの放射線から守られている。磁場がないということは、火星の大地には無防備に放射線が降り注いでいるということだった。
1965年7月15日。この日を境に、人類の火星観は永遠に変わった。高度な文明を築き地球をも侵略するような火星人は、SF小説のページの外では完全に居場所を失った。野に咲く花も、春に鳴く鳥も、森に遊ぶ虫も、地を這う獣も、21枚の写真の中に居場所を見いだせなかった。
だがそれでも、火星の生命についてのイマジネーションが潰えたわけではなかった。
微生物くらいはいるかもしれない。
写真の解像度がキロメートル単位なのだから、苔が謙虚に岩にむしていたとしても、映るはずはない。
そこに何かいるのか?
そこに何がいるのか?
問いへの答えは未だ不完全だった。答えを出すためには、さらに詳細な探査が必要だった。2年2か月に一度の航海のチャンスが訪れるたびに、アメリカとソ連は競うように火星へ探査機を送り込んだ。
そして6年後。
史上初めて火星の人工衛星となったマリナー9号が、ふたたび人類の火星観を根底から覆すことになる。
(つづく)
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【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
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【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。