60日さえあれば/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載12 | 『宇宙兄弟』公式サイト

60日さえあれば/『宇宙に命はあるのか 〜 人類が旅した一千億分の八 〜』特別連載12

2018.04.23
text by:編集部コルク
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「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!

『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕さんがひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕さんの書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。

書籍の特設ページはこちら!

アメリカ陸軍弾道ミサイル局のヴェルナー・フォン・ブラウンの部屋の電話が鳴った。もたらされたニュースに彼は愕然とした。そして怒りが腹の底から爆発せんばかりに湧きあがってきた。弾道ミサイル局にはちょうど、新国防省長官のマッケルロイが視察に訪れていた。怒り狂ったフォン・ブラウンは長官にまくし立てた。

「私たちは2年前にやれたんだ! どうか頼むからやらせてくれ! ロケットは倉庫で眠ってるんだ! マッケルロイさん、私たちは60日で人工衛星を打ち上げられる! あんたのゴーサインと60日さえあればいいんだ!」

その場にはフォン・ブラウンの上司であり最大の理解者でもあったメダリス将軍もいた。彼は我を忘れたフォン・ブラウンを制止し、冷静に言った。

「いや、ヴェルナー、90日だ。」

翌日、世界中の新聞の見出しが躍った。「ピー、ピー、ピー、ピー」というスプートニクの「音楽」も、世界中のラジオで繰り返し放送された。一般市民も無線機でその「音楽」を直接聞くことができた。スプートニクの光はアメリカの夜空に肉眼でも見ることができた。「いつでもアメリカに原子爆弾を落とせるぞ」というソ連がスプートニクに込めたメッセージを、アメリカ大衆はすぐに理解した。そして恐怖とパニックに陥った。

政府は平静を装った。アイゼンハワー政権はスプートニクを「使えない鉄の塊」と呼び、アメリカの軍事力の優越は揺るがないことを力説したが、国民は全く納得しなかった。宇宙開発という最先端技術においてどうしてソ連が一番乗りをしたのか? ソ連はオンボロ車しか作れない技術後進国ではなかったのか? ソ連の技術はそこまで進んでいたのか? ソ連にできたことをアメリカはできないのか? 技術力においてソ連に遅れているということは、軍事力においても劣っているということなのか?

そしてアメリカは世界の目も気にせざるを得なかった。アメリカの技術力は世界一ではなかったのか? アメリカは唯一の超大国ではなかったのか? アメリカの自信は深く傷ついた。アメリカ国民はプライドを取り戻すため、一刻も早くアメリカも人工衛星を打ち上げることを望んだ。フォン・ブラウンも、今度こそ出番が回ってくると思った。

ところがそれでも政府は動かず、フォン・ブラウンら陸軍チームよりも海軍を優先させる方針は維持された。そうこうする間にソ連はスプートニク2号の打ち上げに再び成功した。一方の海軍は全米の期待を一身に集めてロケットを打ち上げたが、発射の二秒後に大爆発し失敗した。ぶざまな失敗はアメリカの自信喪失をさらに深めた。

ここに至って政府はやっと、重い腰をほんの少しだけあげた。フォン・ブラウンに打ち上げを準備するよう指示が下ったのだ。ただ、準備をするだけで、打ち上げ自体は許可されなかった。あくまで翌年1月に予定されている海軍の打ち上げが再び失敗した場合のバックアップだった。

年が明けた1月二28日、海軍は技術的トラブルのため打ち上げを延期した。そして海軍がロケットを修理する1月二29日から31日までの3日間に限って、フォン・ブラウンに打ち上げの許可が下りた。二十六年間待ちに待ちに待ち続けた夢への扉が、たった3日の間だけ、ついに開いたのだった。

最後の敵は天気だった。29日と30日は強風のため打ち上げを諦めざるを得なかった。チャンスは、あと1日だった。

1月31日の昼。上空の風速を調べるため観測気球があげられた。

120ノット。

ぎりぎり許容範囲だった。フォン・ブラウンの情熱と頑固さに、最後は天気の神も折れたようだった。宇宙への道はついに開いた。
夜10時48分。ロケットのエンジンに火が灯った。吹き出すジェットはフォン・ブラウンの情熱そのもののように熱く明るく輝いた。26年間縛られ続けた彼の夢は、今やっと鎖を解かれて自由を得、まばゆい航跡を夜空に残して宇宙へと旅立っていった。

アメリカ初の人工衛星は、エクスプローラー1号と名付けられた。

日が明けた午前一時。記者会見会場に到着したフォン・ブラウンを、詰めかけた大勢の記者が迎えた。ある記者がフォン・ブラウンに、会場にあったエクスプローラー1号の模型を持ってポーズをとるように頼んだ。彼は気前よくそれに応じた。その顔は、まるで少年のような無邪気な笑みに包まれていた。

だが彼の心には、後悔を残して終えた夏のようなわだかまりがあっただろう。たしかに彼のロケットが宇宙に行きはした。だが、一番にはなれなかった……。

 

(つづく)

<以前の特別連載はこちら>


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【第2回】〈一千億分の八〉ガンジス川から太陽系の果てへ
【第3回】〈一千億分の八〉地球をサッカーボールの大きさに縮めると、太陽系の果てはどこにある?
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【第5回】〈一千億分の八〉なぜロケットは飛ぶのか?〜宇宙工学最初のブレイクスルーとは
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【第14回】〈一千億分の八〉月探査全史〜神話から月面都市まで
【第15回】〈一千億分の八〉人類の火星観を覆したのは一枚の「ぬり絵」だった
【第16回】〈一千億分の八〉火星の生命を探せ!人類の存在理由を求める旅
【第17回】〈一千億分の八〉火星ローバーと僕〜赤い大地の夢の轍
【第18回】〈一千億分の八〉火星植民に潜む生物汚染のリスク

〈著者プロフィール〉

小野雅裕(おの まさひろ)

NASA の中核研究機関であるJPL(Jet Propulsion Laboratory=ジェット推進研究所)で、火星探査ロボットの開発をリードしている気鋭の日本人。1982 年大阪生まれ、東京育ち。2005 年東京大学工学部航空宇宙工学科を卒業し、同年9 月よりマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学。2012 年に同航空宇宙工学科博士課程および技術政策プログラム修士課程修了。2012 年4 月より2013 年3 月まで、慶応義塾大学理工学部の助教として、学生を指導する傍ら、航空宇宙とスマートグリッドの制御を研究。2013 年5 月よりアメリカ航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)で勤務。2016年よりミーちゃんのパパ。主な著書は、『宇宙を目指して海を渡る』(東洋経済新報社)。現在は2020 年打ち上げ予定のNASA 火星探査計画『マーズ2020 ローバー』の自動運転ソフトウェアの開発に携わる他、将来の探査機の自律化に向けた様々な研究を行なっている。阪神ファン。好物はたくあん。

さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。