【KAGAYAフォトエッセイ『一瞬の宇宙』】第一章 宇宙の中の小さな自分に出会う 〜好きなことをやる、そう決めた〜 | 『宇宙兄弟』公式サイト

【KAGAYAフォトエッセイ『一瞬の宇宙』】第一章 宇宙の中の小さな自分に出会う 〜好きなことをやる、そう決めた〜

2018.09.03
text by:編集部コルク
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『宇宙兄弟』の公式サイト連載がきっかけで出版されたKAGAYAさん初のフォトエッセイ、『一瞬の宇宙』。

忙しかったりつらかったり、悩んでいたり、ひたむきにがんばっている方にこそ、ほんのひと時でいいから空を見上げてほしいーー

宇宙兄弟公式サイトでは、世界中で星空を撮り続けるKAGAYAさんのこのフォトエッセイを大公開します。

少年時代の山で出会ったもう一人の自分

惑星地球のあるがままを求める旅は危険と隣り合わせです。

たとえば北極圏の雪原でのオーロラ撮影。氷点下30度にもなる寒空の下で一晩中撮影することもあります。我を忘れて撮影に集中していたら手や足に凍傷を負う危険がありますし、道に迷えば命の危険すらあります。

南極では雪に隠れた巨大な氷の割れ目の一歩手前でそれに気がついたこともありました。

野生動物に遭うこともあります。北海道や北米でヒグマに遭うことが怖いことはご存じのとおり、南西諸島での撮影にはハブに注意しなければなりません。本州でもよく遭うイノシシも案外危険です。房総半島で星を撮影していたら、イノシシの親子がすぐそばの畑を掘りながら行ったり来たりしていたこともあります。夜行性の動物と遭遇してしまうのは夜行性の星撮りの宿命でしょう。

いずれにしても夜通し歩き回ることもあるのですから、いろいろなことに用心しなければなりません。

街を出て自然の中に入るということは、人工的に守られたエリアから出て、人を守るシステムがないむき出しの大自然に自ら入り込むことになります。そこに棲んでいる生物がいれば、たとえそれが毒ヘビでも害虫でも、こちらがお邪魔するという形になることを忘れてはいけません。

撮影旅行中の様々なリスクを覚悟の上で、わたしは星空にカメラを向けています。

偶然の不運によって引き起こされる危機に遭うかもしれませんが、下調べと万全の準備でその確率を下げて臨みたいと思っています。

自分がどのような場所に入るのか、きちんと調べ、準備をして、自分で何が危険なのか認識した上で遭う危機には対処のしようもあり、最悪の場合諦めもつきます。ですが準備不足で危険な目に遭った場合は無防備で、振り返ることがあれば相当悔やむことになるでしょう。

そう思うのは、わたしがかつて準備不足と無知が故に、命にかかわる危険に遭遇した経験があるからです。

 

高校生の頃、とある山に行ったときのことです。そこはよく星を見にいっていた山で、慣れ親しんだ場所でもあります。野宿をしながら夜は星を見たり撮影をしたりして何日も滞在していました。

昼間は山登りをしたり、高山の遊歩道を歩き回ったりしていました。もう何度も行っているところだったので詳しかったはずなのですが、その日はいつもの登山道ではないところから山に入り、登ろうとしたのです。ちょっとした好奇心でした。しかし本来、素人がまともな準備をせず、定められた登山道以外から山に登ることは、絶対にやってはいけないことなのです。わたしも若かったので、山の怖さを知らなかった。後に知ることになりますが、そこは誰も近づかない危険な場所だったのです。

 

わたしは山の斜面を気楽に登り始めました。だんだんと険しくなることに挑む冒険心が少なからずあったと思います。気づけば急斜面を、ロッククライミングさながらに登らなければ前に進めなくなっていました。下を見れば、そこには数十メートルの高さの崖がありました。

「これは戻らなければ危ないな」と思ったときにはもう手遅れでした。その崖は非常にもろい岩でできており、登るたびにボロボロと壁面が崩れていきます。手頃な足場を崩しながら進んでいたため、戻るにもすでに足場はありません。もし足を滑らせたら、数十メートル下まで滑落してしまいます。

わたしは、自分がこのまま危険な山を登り切るか、滑落して死ぬかという状況に陥ってしまったことを悟りました。

 

頂上まで登れば、いつもの登山道に戻って降りることもできる。わたしは登り切ることを選ぶしかありませんでした。岩に手を伸ばし、体重をかけても崩れなければ一歩登る。それを何度も繰り返しながら慎重に登っていきました。問題は、登るたびに斜面が急になること、そしてこの先、人間では登れない岩の壁が現れたら絶体絶命ということ。

わたしは信じて登るしかありませんでした。

急いで登る必要はないため、たまに休んで周囲を見渡していました。よく晴れた穏やかな日で、いつも山に来たときに目にするお気に入りの風景が広がっていました。

「このままここで死んじゃうのかなぁ」という胸を突き刺すような恐怖心を振り払い、落ち着け、慎重になれ、と自ら言い聞かせ、再び岩に手をかけます。登りながらいろいろなことを考えました。自分のそれまでの人生で起きた出来事が頭に浮かんでは消え、時には後悔に苛まれながら、登り続けました。

そのとき、安全と思って手をかけた岩が崩れ落ちました。わたしは間一髪で助かりましたが、転がりながらガラガラと音を立てて下へ落ちていく岩が崖の下で砕け散り、さらに恐怖心を煽ります。「何でこんなところを登っちゃったんだろう」と何度も胸から悔しさがこみあげてきました。「何で登り始めたんだろう、こんなに自分が何も知らない、危ないところを。何でだ?」

──。

死を覚悟したつもりでも、恐れは消えてなくなりません。その恐れを打ち消す方法は、ただ一つ、目の前にある岩をよく観察して一つひとつ確実に登ること。

一歩一歩確実に。慎重になれ。

何時間、何メートル登り続けたのかはよくわかりません。しかし上に覆うように迫っていた崖がなくなり、空だけが見える最後の岩の段が見えたときの心臓の鼓動は今も忘れません。「あそこに行けば、命が助かるんだ」それは鼓動というより、全身に血流が強く流れ、全身が躍動したような気分でした。「生き返った」という気持ちだけが身体を突き動かしていました。

目の前に、平らに広がった草地が現れ、崖から腹ばいになって全身の力で転がり登り切りました。フラフラと上へ歩いてそこが頂上へと続く安全な場所と確認すると、大の字に寝転がり「ああ、生きてる」と思ったきり、そのまま眠ってしまいました。

眠ったのはほんの一瞬だったのかもしれません。目が覚め、真っ青な空に白い雲が浮かんでいるのを見ながら思いました。

「なんで生きてるんだろう……」

 

生と死は紙一重。

あのとき、わたしはちゃんと崖を登り切って帰ってきたけれど、死を覚悟したあのとき、幼いわたしの半分は崖を落ちてしまったのかもしれません。

人はいとも簡単に死んでしまうのだということを身をもって知ったわたしは、今日ある命が明日もある保証など、どこにもないというのが人生の正体なのだと気づきました。注意すれば避けられる危険には近づかない。それには知識と準備が必要だと気がつきました。

そして、あの山登りから生還したわたしの人生は、天からもらった特別の人生なのだから、好きなようにやろうと思いました。すると、どんなことが起こっても「あのときに比べれば全然マシ」「いったん死んでるから何でも大丈夫」と思って大胆に行動できるようになりました。会いたい人にはすぐ会う。行きたいところにはすぐ行く。

危ない橋は、どのくらい危ないのか、他に道がないのかよく調べ、その先にある宝と天秤にかけた上で判断して渡る。ただ臆することはしない。

あのとき崖から落ちてしまった自分の片割れを励ますために、その分も楽しい人生を進もう。あのとき以来、そんな不思議な心持ちになったのです。

(つづく)

 

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KAGAYAプロフィール
1968年、埼玉県生まれ。
絵画制作をコンピューター上で行う、デジタルペインティングの世界的先駆者。
星景写真家としても人気を博し、天空と地球が織りなす作品は、ファンを魅了し続け、Twitterフォロワー数は60万人にのぼる。画集・画本
『ステラ メモリーズ』
『画集 銀河鉄道の夜』
『聖なる星世紀の旅』
写真集
『星月夜への招待』
『天空讃歌』
『悠久の宙』など