〈宇宙兄弟リアル〉樋口勝嗣/フライトサージャン ~宇宙飛行士の頼れる専属ドクター~(前半) | 『宇宙兄弟』公式サイト

〈宇宙兄弟リアル〉樋口勝嗣/フライトサージャン ~宇宙飛行士の頼れる専属ドクター~(前半)

2019.12.04
text by:編集部コルク
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宇宙飛行士の頼れる専属ドクター

病院で勤務する傍ら、フライトサージャン(FS)への挑戦を続けてきた樋口勝嗣。

その情熱を実らせ、今は子供の頃に夢見た『宇宙』を舞台に、医師としてのキャリアを宇宙開発の現場で生かしている。

フライトサージャンの役割は、宇宙飛行士の健康を維持すること。地上訓練、宇宙飛行中、地球帰還後のリハビリまで、宇宙飛行士の医学検査を定期的に続け、病気や怪我を未然に防ぎ、宇宙飛行士の健康を長期間にわたり管理している。

ISSミッションで金井宣茂の専任FSを担当した樋口は、次なるミッションでも野口聡一の専任FSに就任し、宇宙飛行士の心と体を見守り続けている。

 

 

Credit:NASA/JAXA

 

Comic Character

久城光利

「〝やや影の薄い天才〟ってよくいわれますけどね」

【職業】   フライトサージャン

【出身地】  日本

【略歴】

白衣、黒縁眼鏡、首にかけたヘッドホンがトレードマークの久城光利。ゲーム好きが高じ、月面基地にあるパワーショベルの遠隔操作にも腕前を発揮する『器用な医師』。月面で怪我を負った宇宙飛行士を救うため、宇宙で初めてとなる手術にも地上から冷静にサポートした。宇宙飛行士の命と健康を守るため、さまざまな場面で適確かつ迅速な判断を下していく。

Real Character

Credit:NASA/JAXA

 

樋口勝嗣

「しつこさは、仕事の面でも生きていく上でも大事です」

【職業】   宇宙飛行士健康管理グループ 主任医長

【生年月日】 1972年

【出身地】  日本・奈良県

【略歴】

1999年3月  神戸大学医学部医学科卒業後、内科、循環器内科、神経内科研修医として大学病院や民間病院にて勤務。
2007年4月  社会医療法人愛仁会高槻病院で神経内科医として勤務。その後、医長に就任。
2016年4月  JAXAに入社。海外研修を経て、同年よりJAXAフライトサージャン、ISSフライトサージャンの認定を受ける。
2017年1月  ISS第54次/第55次長期滞在ミッションにおいて金井宇宙飛行士の専任フライトサージャンに就任。
2018年3月  ISS第62次/第63次長期滞在ミッションにおいて野口宇宙飛行士の専任フライトサージャンに就任。

 

Credit:JAXA

 

夢を追い続けた7年間

●どのような経緯で、勤務医からフライトサージャンに転職を?

樋口「説明するとちょっと長い話になりますが、端的にいえば、子供の頃からの夢をしつこく追いかけた結果なんです。もともと、子供のときの夢が、宇宙飛行士か宇宙船の開発者だったんですけど、医師だった親が私にも医学の道へ進んでほしいという強い希望があって、結局、医学の道を選択したんです。病院で勤務医をしていた頃は忙しいこともあって、宇宙や宇宙開発とは無縁の生活だったんですけれど、ちょうど36歳くらいで、医師としても脂の乗っていた頃に、JAXAで宇宙飛行士の選抜試験があると聞いたんです。そこで、子供の頃の夢がよみがえってきまして。たぶん最初で最後のチャンスかなとも思って、一念発起して受けたんです」

●油井・大西・金井さんたち3名の宇宙飛行士が選抜された試験ですね。どこまで進んだのですか?

樋口「1次試験で落ちました(笑)。ただ、その頃によく見ていた某巨大掲示板の『JAXA宇宙飛行士選抜』とかのスレッドで、たまたま「私、外科医です。腹筋割れてます。飛行士試験頑張ってます。何したら良いでしょう?」とか書き込みしている人がいたんですね。同じ医者だし、面白い人だなと思っていたら、某SNSの『宇宙飛行士になりたい』というコミュニティでまたその人らしき方を見つけて、連絡を取り合うようになったんです。その方は北海道在住の小児心臓外科の先生で、掲示板に書き込んだ方とは別人だったんですけど、結局彼も私より先まで進んだものの今一歩のところだったみたいです。ただ選抜試験が終わった1年くらい後に、JAXAがフライトサージャンの募集を始めたことを教えてくれて、『医師で宇宙開発に参加できるフライトサージャンという仕事があり、たまたま募集しているので、2人で一緒に受けてみよう!』と盛り上がって一緒に受けたんです。そしたら彼が受かって、私が落ちたんです(笑)」

●再び夢破れてしまったんです。

樋口「ただ、そこからまた私のしつこさが発揮されていくんですが、広島の小児科医で子供向けの宇宙教育団体の支部長をやっている方がいて、その方のホームページに『フライトサージャンの仕事を知りたかったら、私には知り合いがいるから、紹介することができますよ』と書いてあるのを見つけたんです。すぐにメールを送って『その人に会わせて下さい』とお願いして紹介していただいたのが、今もJAXAで最年長でフライトサージャンを務められている方だったんです。それでその方に会って、フライトサージャンの仕事の何たるかをいろいろ勉強させていただきました」

●JAXA内部のキーマンと知り合うことができて、ラッキーでしたね

樋口「ただ次の募集がいつになるのかは、まだわからなかったんです。でもとにかく今できることを続けようと思い、宇宙医学関係者の集まりである日本宇宙航空環境医学会に入りました。そこで年1回の総会には必ず出席して、会場にいるJAXAのフライトサージャンや関係者の方に『JAXA行きたいです!』と『行きたいアピール』を5、6年は続けました(笑)」

●しつこいですね(笑)

樋口「あと、実は学会だけじゃなくて、筑波宇宙センターの一般公開日にも必ず通って、宇宙医学のブースに顔を出して『今年も来ました!』と『来ましたアピール』も続けましたね(笑)」

●JAXAもひるむくらいの猛アタック!

樋口「しつこいですから私(笑)。でもそれが功を奏してか、宇宙飛行士の選抜に落第してから数えると、約7年目でついに夢を叶えることができました。たぶん『いつもしつこく通ってくるあの人、そろそろどうだろ?』という議論になったと思うんですね」

●たぶん関係者の間では、真っ先に樋口さんが頭に浮かんだと思います(笑)

樋口「子供の頃からの宇宙飛行士になりたいという夢は果たせませんでしたが、今は限りなくその夢に近い仕事をさせてもらっていると思います。私の『しつこさ』がいい面で出たと思います。夢や目標に向かう『しつこさ』は、仕事の面でも生きていく上でも大事ですね」

●病院を辞めてJAXAへの採用が決まったとき、家族には何と?

樋口「六太じゃないですが『JAXAが俺を呼んでいる』と(笑)。有り難いことに、私の宇宙への挑戦は宇宙飛行士選抜試験を受ける段階で理解してくれてましたし、フライトサージャンへの挑戦もOKしてくれてました。ただ本当に実現するとは半信半疑だったと思いますが」

 

黒縁眼鏡にヘッドフォンを首に掛けているフライトサージャンの久城。
樋口さんの場合、普段は白衣を着ることはないそうだ。

 

専門医が集まるフライトサージャン

●JAXAにフライトサージャンは何名いるんですか?

樋口「資格を持っている方が7名(取材当時)います。日本人宇宙飛行士のミッションがあれば、その中から毎回1名が専任フライトサージャンに任命されます」

●フライトサージャンには資格が必要なのですか?

樋口「ISSの飛行士を診るためには、ISSフライトサージャンという資格が必要なんです。ISSに参加している各国医師たちの会議があって、そこに経歴を提出して認められたら、ISSフライトサージャンとしての資格をもらえます。資格は5年間有効で、基本5年ごとにまた審査があります。私の専門は神経内科なのですが、最初に資格を取るとき、専門外の知識や技能を身につけなければならなかったので大変でした。フライトサージャンに必要な医学としては、大きく3つあるんです。まず産業医学といって、職業上のリスクを考えて安全を確保するための医学です。宇宙飛行士であれば当然、放射線被曝や訓練時の怪我のリスクがありますので、そうしたことへの対処を学びます。2つ目は航空宇宙医学。例えば宇宙船に穴が空いて急減圧や酸素が漏れた場合など、どういう事象が起きたらどんな緊急事態を疑うのか、さらにそのとき飛行士の調子が悪くなれば、医学的にどんな指示を出すのか、といったことを学びます。3つ目は救急医学です。宇宙船の打ち上げや着陸時に、医師として宇宙飛行士の一番近くにいるのはフライトサージャンであり、そのとき何か事故が起きれば最初に駆けつけるのは我々ですので」

●みなさんそれぞれ専門外の医学領域を改めて学ぶわけですね

樋口「そうですね。フライトサージャンのバックグラウンドは、心臓外科、耳鼻科、リハビリテーション科、精神科、神経内科、麻酔科など人それぞれです。でもその分、その分野に関しては専門的な判断ができるし、仲間にも専門的助言ができるわけで、チームとしては幅広く飛行士をサポートできるわけです。各分野のスペシャリストがいて、その上でフライトサージャンとして共通の知識とスキルを持っているチームというのが、フライトサージャンのチームワークです。NASAの場合だと、家庭医や救急医、空軍の航空機のフライトサージャン出身の方も多いです」

●実際にどんな仕事をするんですか?

樋口「飛行士が実際に宇宙へ飛べるか、また宇宙飛行士としての訓練を継続できるかは、心身の健康状態を判断する医学的な審査にパスする必要があります。これは航空機のパイロットと非常に似ているんですが、宇宙飛行士にも1年に1回の年次医学検査があるんです。その結果次第で、宇宙飛行士の資格を継続できるかどうか判定されます。日本人宇宙飛行士たちが心身共に健康を維持し、宇宙飛行士としての検査を問題なくパスして、その資格を維持できるようにサポートしていくのが、我々の一番の仕事です」

●どんなサポートを?

樋口「宇宙飛行士の健康管理チームのトップとして、年間を通じて栄養や運動などの指導をしていきます。チームには運動、栄養、放射線、環境、精神心理など各分野の専任者がいて、フライトサージャンは、そのチームの司令塔みたいなものです。病院でいったら、医師が看護師や各検査技師から集めたデータをもとに、病気の鑑別や治療・予防方針を考えて指示を出していくようなものです」

Credit:樋口勝嗣
モスクワ『星の町』でNASAフライトサージャンの同僚と自撮り。

 

●宇宙飛行士の専任フライトサージャンになると、どうなるんですか?

樋口「ISS長期滞在ミッションにアサインされた飛行士の訓練本拠地は、ヒューストンのジョンソン宇宙センターになります。専任フライトサージャンも、訓練期間やミッション期間中の数年は、飛行士と共にヒューストンで生活します。私は2016年4月のJAXA入社後に訓練を受けて、年末にはフライトサージャンの認定を受けました。その後、すでにISSミッションにアサインされて訓練中の金井さんの専任フライトサージャンを務めることになったので、金井さんを追って、2017年4月からヒューストンに来ています。
金井さんのミッション後は帰国するはずだったのですが、今年(2019年)の年末からISSに長期滞在する予定の野口さんの専任フライトサージャンも引き続き務めることになったので、去年から家族もヒューストンに呼び寄せて、こちらで業務を続けています」

●目まぐるしい日々だったんじゃないですか?

樋口「そうですね。まずは専任フライトサージャンとして、担当する飛行士の経歴、病歴、既応歴、性格、いろいろな情報を把握しなければなりませんでした。最初にヒューストンに行く前には金井さんのカルテに全部目を通し、昔の選抜のときから直近までの医学情報をすべて把握して万全の準備をして挑みました。金井さんと一緒に仕事をするようになったのはヒューストンがほぼ初めてで、コミュニケーションを取っていく中で、仕事上こういうスタイルが好きなんだな、嫌いなんだなとか、徐々に性格を理解していきましたね。さらに、飛行士がヒューストン滞在期間中もNASAの手を借りて年次医学検査をしています。そのデータがNASAのコンピュータに保管されていますので、パソコンの勉強も必要でした」

Credit:JAXA/NASA
各国のフライトサージャンが集まるミィーティング。

 

●金井さんは海上自衛隊の医官でしたし、同じ医師同士でやりやすかったのでは?

樋口「基本的にドクターは、相手のドクターを尊重します。私の方は医学的なジャッジをするときには、できるだけ金井さんの意見に合わせようというのがありました。例えば、『ISSに持っていく薬はAという薬とBという薬、どっちがいい?』『僕はAの方が好きだから』『じゃあAにしときましょう』という感じです(笑)。薬といっても、宇宙酔いの酔い止めなど健康な方でも持っていく物があり、副作用が出にくい、効果時間が長いなどそれぞれの薬で一長一短があります。そういったときに金井さんに意見をいってもらって、彼の臨床経験に基づいた選択を尊重するようにしています」

●病院で同僚のお医者さんと話す感覚で?

樋口「例えば、相手が医学のバックグラウンドがない方の場合、薬についての情報を提供した上で希望を聞いて選択していきます。でも金井さんとは、医学的な背景がわかっているので、ツーカーの関係で仕事ができたので有り難かったです」

●金井さんが宇宙ステーションに滞在している間は、何をしていたんですか?

樋口「フライトディレクタなどの管制官がいるミッションコントロールセンターとは別に、我々メディカルの関係者用の部屋があります。そこでヒューストン時間の日中勤務し、それ以外の時間はオンコールになっています。我々が通常仕事を開始するときはすでにISSでは昼頃となっており(ヒューストンとISS内の時差は5〜6時間)、例えば飛行士の体を使った医学実験や、飛行士の運動能力の限界を調べる検査など、医学的に監督する必要のある行為が午前中に予定されている日は、朝4時や5時に出席しなければいけないときもありました。飛行士の勤務時間が長すぎないか、たとえ規定に合っているように見えても、見えないところで飛行士に過労がたまっていないかを監督する仕事もしています。なお、その部屋はパーテーションで区切られており、フライトサージャンなど医学関係者の場所だけ、ガラス張りになっていて、何か秘密の話をしなきゃいけないときは、ドアを閉めて完全に遮断できます」

●秘密の話とは?

樋口「例えば、飛行士の軌道上での検査結果とか、宇宙酔いの有無のような健康状態についてとかですね。飛行士の医学的な情報は個人情報になるので、我々は非常に気を遣っています」

●地上と宇宙ステーションを結んで、定期的に診察などをするんですか?

樋口「『プライベート・メディカル・カンファレンス(PMC)』といいまして、1週間に1回、宇宙ステーションの金井さんとモニター越しで遠隔医療相談を行いました。また、これとは別に精神科の医師によって、2週間に1回、精神面での相談・診察をする機会が設けられています」

 

〜後半へ続く〜

【宇宙兄弟リアル】が書籍になりました!
『宇宙兄弟』に登場する個性溢れるキャラクターたちのモデルともなったリアル(実在)な人々を、『JAXA』の中で探し出し、リアルな話を聞いているこの連載が書籍化!大幅加筆で、よりリアルな宇宙開発の最前線の現場の空気感をお届けいたします。

<筆者紹介> 岡田茂(オカダ シゲル)

NASAジョンソン宇宙センターのプレスルームで、宇宙飛行士が座る壇上に着席。
気持ちだけ宇宙飛行士になれました。

 

東京生まれ、神奈川育ち。東京農業大学卒業後、農業とは無関係のIT関連の業界新聞社の記者・編集者を経て、現在も農業とは無関係の映像業界の仕事に従事。いつか何らかの形で農業に貢献したいと願っている。宇宙開発に関連した仕事では、児童書「宇宙がきみをまっている 若田光一」(汐文社)、インタビュー写真集「宇宙飛行 〜行ってみてわかってこと、伝えたいこと〜 若田光一」(日本実業出版社)、図鑑「大解明!!宇宙飛行士」全3巻(汐文社)、ビジネス書「一瞬で判断する力 若田光一」(日本実業出版社)、TV番組「情熱大陸 宇宙飛行士・若田光一」(MBS)、TV番組「宇宙世紀の日本人」(ヒストリーチャンネル)、TV番組「月面着陸40周年スペシャル〜アポロ計画、偉大なる1歩〜」(ヒストリーチャンネル)等がある。

 

<連載ロゴ制作> 栗原智幸
デザイナー兼野菜農家。千葉で野菜を作りながら、Tシャツ、Webバナー広告、各種ロゴ、コンサート・演劇等の公演チラシのデザイン、また映像制作に従事している。『宇宙兄弟』の愛読者。好きなキャラは宇宙飛行士を舞台役者に例えた紫三世。自身も劇団(タッタタ探検組合)に所属する役者の顔も持っている。

 

過去の「宇宙兄弟リアル」はこちらから!