【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは? | 『宇宙兄弟』公式サイト

【第4回】〈一千億分の八〉すべてはSFから始まった〜「ロケットの父」が愛読したSF小説とは?

2016.11.07
text by:編集部コルク
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銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。

NASAで働く技術者の小野雅裕さんが、奥深い宇宙探査の世界について、わくわく感たっぷりお届けする連載「一千億分の八」。第4回のテーマは「SF」。フィクションの物語が、実は宇宙開発に大きな影響を与えてきたのです。
3人の「ロケットの父」から全てが始まった、現代の宇宙工学。彼らが宇宙への夢を抱いたきっかけを探ると、150年も前に書かれたある一冊のSF小説に辿り着きます。そのSF小説の生みの親は、ジュール・ベルヌ。彼の作品で描かれた冒険の物語は、現代のアニメやエンターテインメント、そして『宇宙兄弟』のストーリーにも引き継がれているのかもしれません。
どうして、彼は世界中の読者を魅了する作品を書くことができたのでしょうか?また、どのように宇宙への旅にインスピレーションを与えてきたのでしょうか?

■100年前にアポロ計画を予言したSF!?

1861年に始まったアメリカ南北戦争は、奴隷の解放とともに、軍事技術、とりわけ大砲技術の急激な進展をもたらした。たった四年の間に、その規模と射程距離において、あっという間にヨーロッパ列強を抜き去ったのである。その中心となったのが、技術者や軍人によりメリーランド州ボルチモアで結成された、ガン・クラブだった。

しかし1865年に戦争が終結すると、ガン・クラブの会員たちは技術と暇を持て余すようになった。平和を恨み、神を呪い、ある者は四六時中戦争に明け暮れているヨーロッパに大砲技術を持ち込むことを主張し、ある者はイギリスに戦争を売りに行くとまで言い出した。

そんな不穏な空気の中、尊敬を集めるガン・クラブのバービケイン会長が、ある途方もない計画をぶち上げたのだった。

月まで届く大砲を作る、という計画だった。これにガン・クラブの技術者たちだけではなく、アメリカ中の民衆が熱狂した。

バービケインの計算によると、月に届くためには秒速11km, つまり時速4万kmもの初速度を砲弾に与えなければいけなかった。それは当時の最新鋭の大砲の約20倍であった。ガン・クラブの技術者による慎重な検討の結果、この目的を達成するためには、長さ270メートルものコロンビヤード砲を建設し、高さ3.6メートル、直径2.6メートルのアルミニウム製の砲弾を、 180トンの綿花薬によって打ち出す必要があるという結論に至った。ケンブリッジ天文台の助言により、大砲の建設地はフロリダに決まった。大砲はあまりにも巨大なため、地面に深さ270メートルの穴を掘り、そこに鉄を流し込んで鋳造する方法がとられた。

当初、砲弾は無人で打ち上げられる予定だった。しかし、その砲弾の中に乗り込んで月に片道旅行をすると言い出す無鉄砲な人間が現れた。ミシェル・アルダンという名の若く勇敢なフランス人だった。この大胆不敵な提案に世界は再び熱狂し、彼は一夜にして時代の寵児となった。その後の成り行きで、バービケイン会長と、彼のライバルだったニコル大尉も月旅行に同行することになった。

かくして12月1日20時46分40秒、全世界からフロリダに集まった500万人もの見物人が見守る中、点火スイッチが押され、コロンビヤード砲は火山のような火を吹き、3人の男と2匹の犬が乗った砲弾を、月に向けてぶっ放したのだった…

ono8_4_2(左)ジュール・ベルヌ『月世界へ行く』の、
宇宙船が太平洋に着水したシーンの挿絵。
(右)太平洋に着水したアポロ11号の司令船(Image: NASA
この古典的SF小説はまるで、
100年後のアポロ計画を予言していたかのようである。

…これは1865年に「SFの父」と呼ばれるジュール・ベルヌによって書かれた世界で最初の宇宙モノSFのひとつ、『地球から月へ』のあらすじである。活字を読まない人でも、東京ディズニーシーに行ったことがあるならば『地底旅行』(センター・オブ・ジ・アース)、『海底二万マイル』、『神秘の島』(ミステリアス・アイランド)などの作品名に馴染みがあるだろう。それらは全てこのイマジネーション豊かな「SFの父」によって書かれた作品である。

『地球から月へ』とその続編『月世界へ行く』は、多くは偶然の結果ではあるが、まるで約100年後のアポロ計画の予言書のようである。アポロが打ち上げられたのもフロリダだった。3人乗りのアポロ司令船は、直径3.9メートル、高さ3.2メートルの円錐形をした、アルミニウム製の宇宙船だった。旅の最後に太平洋に着水したのも(アポロ7、9号を除いて)同じである。アポロ8号と13号で月へ二度旅した(しかし13号の事故で着陸はできなかった)ジム・ラベルは、飛行中いつもジュール・ベルヌのことが頭にあったと回想している。アポロ8号の司令船を「コロンビヤード」と名付けようとしたほどだった。

この空想科学小説は、当時の最新の科学技術を綿密に調査した上で書かれていた。たとえば、秒速11 kmという初速度はニュートン力学に基づいて計算されたほぼ正確な数字である。事実、アポロ計画において月軌道投入時に与えられた初速度は秒速10.4 kmであった。

ただし、実際に地上から秒速11 kmもの初速度で砲弾を打つと、猛烈な空気抵抗によって砲弾は火の玉となり、たとえ燃え尽きることを免れても、大気圏を脱する前に減速し墜落してしまうだろう。現代のロケットはこの問題を避けるため、まず垂直に上昇して空気が十分に薄い高度に達した後、徐々にロケットの向きを水平に倒しながら速度を上げる方法が取られている。ロケットが上に向かって飛び立つのは、宇宙が上にあるからではなく(空のどの方向に飛んでも宇宙に着く)、速度が遅いうちに大気から逃げるためなのである。

とはいえ、現代の科学技術と照らし合わせて答え合わせをすることは面白くはあるが、本質的ではない。些細な正解や不正解がこの作品の真価では全くないのだ。

ジュール・ベルヌの小説は、もっと根源的なある方法によって、現代に至る人類の宇宙への旅に決定的な影響を及ぼした。

もし彼がこの作品を書かなかったら、宇宙への旅の旅程は何十年も遅れていたかもしれない。いや、それどころか、もしかしたら未だに人類は宇宙に出発すらしていなかったかもしれないとさえ、僕は思うのだ。

ono8_4_3若き日のジュール・ベルヌ
(Centre de Documentation Jules Verne収蔵。参考文献1より抜粋。)

 

■非モテでスネかじりの売れない作家

1862年、パリ証券取引所の、コリント式列柱の傍に群れるブローカーたちの中に、34歳のジュール・ベルヌの姿があった。彼は病弱な体とシャイな性格に不釣り合いな大口を仲間たちに叩いていた。

「たぶん僕はもうすぐ君たちの仲間ではいられなくなるよ。僕は新しい種類の小説を書いたんだ!もしうまくいけば、それはまだ誰も発掘していない金鉱になる。君たちが株を売り買いしている間に、僕は同種の小説を何冊も書く。そして大金を稼ぐんだ!」

この大言壮語を友人たちは笑い飛ばした。無理もなかった。この頃のベルヌは売れない劇作家で、10年以上も鳴かず飛ばずだった。だから日銭を稼ぐために昼は株のブローカー業をしていた。

彼がパリに来たのは1848年。父が弁護士だったため、長男の彼は当然の成り行きで、高校を卒業後にパリの法律学校に行かされた。卒業後に実家のあるナントに戻り弁護士業を継ぐというのが、父が息子に用意した道だった。

しかし、彼の情熱は法律ではなく文学にあった。1851年に法律学校を卒業しても、ベルヌはパリに居座った。そして文学サロンに出入りしながら、一幕物の喜劇やオペレッタを書いていた。

当時のパリは演劇の黄金時代だった。大小多くの劇場が次から次へと新しい劇を上演しては、客が飽きたらすぐに次の作品に取り替えた。ベルヌがこの頃に量産した作品は、一時話題になったものもあったが、結局はティッシュペーパーのように使い捨てられ忘却される消費財でしかなかった。一度も上演されずに終わることもしばしばだった。

とうてい劇作家として生計を立てることができなかったベルヌは、あの手、この手で親に金をせびった。母親に宛てたこんな手紙が残っている。

「腸の調子が悪くて、あんまり食べていないんだ。粗食なせいかな?…時計を治すのに6フランもかかったし、傘は15フランもしたし、ブーツと靴も買わなきゃいけないし…。」

(メールやチャットの代わりに、一昔前の人は多く手紙を書いた。だからこうして伝記作家は偉人の素顔を知ることができた。21世紀の偉人の素顔は、パスワードやセキュリティー設定に阻まれ、歴史から忘れられる運命にあるのかもしれない。)

ある時は文才を活かし、金をせびる詩を書いて父に送った。アマチュア詩人だった父も詩で返事した。「チャーミングな詩だが、60フランを同封しなくて済んだならばもっと良い詩だっただろう」という内容だった。なんだかんだで、甘い父親だったようである。

そして、ベルヌはモテなかった。何度かの失恋で弱気になったベルヌは、母親にこんな惨めったらしい手紙を書いている。

「僕はお母さんが見つけてくれた人と結婚するよ。財布の紐はゆるいけど目は瞑っている人がいいな。誰か選んでよ、ママ、僕は本気だよ。」

そんなどうしようもなく冴えない男の大言壮語はしかし、現実となった。

『気球に乗って五週間』と題されたその「新しい種類の小説」の初版の一千部が1863年1月に発売されると、まるでガソリンに火がつくようにたちまち世間の評判になり、批評家からも絶賛された。パリの夕刊紙Le Tempsは次のような書評を掲載した。

「作者は無名だが、彼の今後の成功について予想をする必要はないだろう、なぜならそれはすでに約束されているからだ。」

そしてベルヌは大言壮語した通り、「新しい種類の小説」をその後も書き続けた。ヒットに次ぐヒットだった。『地球から月へ』。『八十日間世界一周』。『地底旅行』。『海底二万マイル』。『十五少年漂流記』。聞いたことのあるタイトルが、きっとひとつはあるだろう。

たとえ作品を知らなくても、ネモ船長やノーチラス号の名を聞いたことはないだろうか。そう、日本のアニメ『ふしぎの海のナディア』の原案もジュール・ベルヌ作品なのである。ディズニー・ピクサーの映画『ファインディング・ニモ』のニモの名もネモ船長から取られている。(日本語では表記が違うが、英語ではどちらもNemoである。「ニモ」の方が実際の発音に近い。)彼は150年経った現在も、世界中に大きな影響を与え続けているのである。

ono8_4_4『海底二万マイル』の挿絵に描かれるネモ船長と潜水艦ノーチラス号。

 

■科学と技術の結婚、冒険との出会い

では、彼の小説の一体何が新しかったのか。そして、なぜそれは当時の人々を熱狂させたのだろうか。

たとえば、空を飛ぶ話ならば何千年前も前から山ほどあった。だが、彼の小説の主人公たちは魔法の力ではなく科学技術の力で空を飛んだ。気球によるアフリカ大陸横断や大砲による月旅行が可能な理由が、当時としては最先端の技術と正確な科学的知識に基づいて説明されていた。

たしかに19世紀の人たちにとって、科学技術は魔法だったといえよう。ワクチンは神も治せなかった天然痘を制圧した。蒸気機関車は名馬でも数日かかったパリからマルセイユまでの道のりをたったの16時間半で駆け抜けた。電信はニューヨークで起きた出来事をその日のうちに大西洋の向こうのロンドンに伝えた。そしてはるか東方の島国では、突然現れた黒い煙を吐く船に人々が仰天した。

科学自体は、17世紀頃より大きな進歩を遂げていた。ケプラーが1619年に惑星の運行を精密に解き明かし、カッシーニが1672年に火星までの距離をほぼ正確に測定し、ニュートンが1687年に万物を支配する力学法則を示した。しかし依然として、地上の人間は馬よりも速い速度で移動することはできず、経済は農業が主体で、人々は自然法則ではなく地主や絶対君主に支配されていた。科学の進歩は庶民の生活を何も変えなかった。科学は科学者のためのものでしかなかった。

技術は科学よりはるか以前からあった。遅くとも紀元前15世紀頃には、現在のトルコに住んでいたヒッタイト人により鉄の精錬術が確立されている。ロケットも13世紀には中国人によって発明され、兵器として使われていた。だが、技術の発展は長らく、科学的知識ではなく、職人の勘と経験や偶然の発見に頼ってきた。職人たちは鉄やロケットの作り方は知っていても、どうして砂鉄を炭火に入れて熱すると鉄になるのか、どうしてロケットが飛ぶのかは知らなかった。

産業革命期に科学と技術が手を結んではじめて、科学は庶民の生活に大きく寄与するようになった。そしてその結果として、それまでの時代では考えられなかったことが起きた。一般庶民が科学に興味を持つようになったのだ。

たとえば、現代日本の『ニュートン』に当たるような、科学を一般の人向けに解説する雑誌が登場した。1856年創刊の週刊誌Le Musée des Sciences、1873年創刊のLa Natureや、天文学者フラミリオンが1882年に創刊したL’Astronomieなどだ。ベルヌ自身もこれらの雑誌から知識や着想を得たらしい。

科学的知識を備えた19世紀の読者にとって、魔法のじゅうたんやほうきで空を飛ぶ話はもはや子供だましだった。ジュール・ベルヌの作品は、そんな肥えた読者の目を十分に満足させたばかりではなく、彼らの知的好奇心を存分に刺激したのだった。

一方で、ベルヌの小説は古典的な顔も併せ持っていた。主人公が幾多の困難を乗り越えて前人未到の地を旅し、誰も見たことのない風景や生物や種族と出会い、絶体絶命の危機を間一髪で逃れ、無事に故郷に帰還して大団円を迎える。彼の作品を貫くのは、そんなコテコテの冒険ストーリーだった。同様のストーリーは紀元前の昔から、フィクション、ノンフィクションを問わず、世界中で語られ、愛されてきた。オデュッセウス。ラーマーヤナ。ガリア戦記。東方見聞録。シンドバッドの冒険。桃太郎。西遊記。ドン・キホーテ。ガリバー旅行記。そして現代においても、スター・ウォーズや、ハリー・ポッターや、ドラゴンボールや、ワンピースや、宇宙兄弟に、同じ冒険ストーリーを見いだすことができる。いつの時代も冒険は人の心に訴える。冒険は人類の根源的な本能なのだろう。

古典的な冒険ストーリーと最先端の科学技術。この水と油のように対照的なものを、ベルヌは卓越したイマジネーションによって見事に結びつけたのだった。彼のイマジネーションは、人類が海底や、地底や、極地や、宇宙を冒険する未来を予言した。そして新時代の冒険者が旅路を切り開く武器は、剣と盾と魔法の杖ではなく、科学と技術なのだと、高らかに宣言したのだった。

ono8_4_52008年、ジュール・ベルヌの功績を記念し、
『地球から月へ』の本と直筆原稿が
国際宇宙ステーションに届けられた。
それを届けた欧州補給機(ATV)の初号機に与えられた名もまた、
「ジュール・ベルヌ」だった。(Image: NASA)

 

■「SFの父」から「ロケットの父」に渡されたバトン

スネかじりのモテない男が大言壮語した「新しい種類の小説」は、後に空想科学小説、SFと呼ばれるようになり、H. G. ウェルズやヒューゴー・ガーンズバックなど、後に続くSF作家が多く生まれた。そしてベルヌは「SFの父」と呼ばれるようになった。

すぐに消費され忘れられたベルヌの下積み時代の劇とは異なり、彼が残したSF小説は現代に至るまで150年間、世界中の子供たちをインスパイアし続けてきた。僕もその一人だった。中学校の図書館にあったベルヌ作品を読み漁ったのを覚えている。

19世紀後半から20世紀前半の何百万のジュール・ベルヌ・マニアたちの中に、三人の少し変わった少年がいた。数あるベルヌ作品の中でもとりわけて『地球から月へ』とその続編『月世界へ行く』に熱中した彼らは、大人になっても、人は月に行ける、などという夢物語を信じ続けていた。彼らの一人はロシアに、一人はアメリカに、そしてもうひとりは現在のルーマニアにあたるオーストリア・ハンガリー帝国領トランシルバニアにいた。

つづく

=参考文献=
1. Herbert R. Lottman, Jules Verne: An Exploratory Biography, St. Martin’s Press, 1996
2. Bensaude-Vincent Bernadette, Libbrecht Liz. A public for science. The rapid growth of popularization in nineteenth century France. In: Réseaux. The French journal of communication, volume 3, n°1, 1995


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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。

2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。


さらに詳しくは、小野雅裕さん公式HPまたは公式Twitterから。