宇宙兄弟賞|約束の山【エッセイプロジェクト】 | 『宇宙兄弟』公式サイト

宇宙兄弟賞|約束の山【エッセイプロジェクト】

2026.03.03
text by:編集部コルク
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宇宙兄弟はじまりの年を記念して、六太がミラクルカーを退社した5月15日に募集開始した宇宙兄弟エッセイプロジェクト みんなの心のノート

「約束」がテーマとなった第3回の入賞作品から、六太賞/日々人賞/宇宙兄弟賞の受賞作品をご紹介していきます!

今回は宇宙兄弟賞受賞作品。
受賞者の方には賞品として、小山宙哉サイン入り色紙を後日お送りします。

約束の山(30代/ちみ)

高校二年の夏、俺と健太は理科準備室で『岳』を読み終えた。

「やっぱ山っていいよな」
健太がそう言って、窓の外を見た。

「いつか富士山とか登ってみたいよな」
俺が何気なく言った言葉に、健太が振り返った。
「じゃあ、登ろうぜ」

「いつ?」
「30歳になったら」
「なんで30?」
「なんとなく。大人になって、余裕できてからさ」

その時の俺たちにとって、30歳は遠い未来だった。

「おう。絶対な」
俺は健太の手を叩いた。特に深い意味はなかった。ただ、その時は本気だった。

大学は別々になった。俺は都内の私大、健太は地元の国立。それでも最初の1年は、長期休みのたびに地元で会っていた。「富士山、いつ登る?」「30になってからだろ」そんなやり取りが、俺たちの合言葉だった。

でも、大学3年になる頃から、会う回数は減っていった。就活、仕事、それぞれの生活。LINEの返信は段々遅くなり、「また今度飲もう」が口癖になった。その「今度」は一向に来なかった。理由なんてない。喧嘩したわけでも、何か気まずいことがあったわけでもない。ただ、なんとなく疎遠になった。気づけば3年、会っていなかった。

30歳の誕生日は、平日だった。朝7時に起きて、スーツに着替えて、いつも通り満員電車に揺られた。夜、アパートに帰って缶ビールを開けた時、ふと思い出した。

「30歳になったら、富士山」
スマホを開いて、健太の連絡先を見つめた。最後にやり取りしたのは2年前の新年の挨拶だけだった。連絡する勇気はなかった。

「今さら『富士山登ろうぜ』とか送って、どう思われるかな」。
そんなくだらないプライドが邪魔をした。

でも、約束は頭から離れなかった。1ヶ月後、俺は決めた。健太に連絡する勇気はない。でも、約束を完全に忘れることもできない。だったら、ひとりで登ろう。

登山用品店で、安いリュックとトレッキングシューズを買った。初心者向けの吉田ルートを調べて、早朝のバスに乗った。5合目に着いたのは朝8時。週末だったこともあり、登山口は人で溢れていた。家族連れ、若いカップル、中高年のグループ。みんな、誰かと一緒だった。

登り始めて、すぐにきつかった。運動不足の体は、すぐに悲鳴を上げた。太ももが痛い。息が上がる。周りの人たちにどんどん抜かされていく。

8合目を過ぎた頃、空気が薄くなってきた。頭がぼんやりして、足取りが重い。

「健太、お前今どうしてんだろうな」
高校の時の健太の顔が浮かんだ。理科準備室で漫画を読んでいた健太。

頂上に着いたのは、早朝5時だった。空はまだ暗くて、星が見えた。風が強くて、体が震えた。御来光を待つ人たちで、頂上は混雑していた。みんな、誰かと肩を寄せ合って、寒さに耐えていた。俺は隅の方で、ひとりで立っていた。

スマホを取り出して、健太のSNSを開いた。最後の投稿は半年前。赤ちゃんを抱いた写真だった。
「無事に生まれました」

ああ、健太は父親になったのか。俺はまだ独身で、彼女もいない。仕事はそこそこうまくいっているけど、特に誇れるものもない。

「俺たち、もうあの頃の『二人』じゃないんだな」
そう思った。でも、不思議と、寂しくはなかった。

空が白み始めた。そして、太陽が昇り始めた。
「すげえ」
思わず声が出た。太陽は、ゆっくりと、でも確実に昇ってきた。その光が、雲海を照らし、山の稜線を浮かび上がらせた。

「健太、登ったぞ」
声に出して言った。誰も聞いていない。でも、確かに俺はその瞬間、健太と一緒にいた気がした。

約束は果たせなかった。二人では登れなかった。でも、約束があったから、今ここにいる。あの日、理科準備室で交わした言葉が、15年経った今も、俺を動かしてくれた。

約束って、きっとこういうことなんだ。一緒に果たせなくても、形は変わっても、あの日の言葉が今の自分を支えてくれる。それだけで、約束には意味がある。

下山して、5合目のベンチに座った。スマホを取り出して、健太にLINEを送った。
「富士山登ったわ。30過ぎちゃったけど。次は家族ぐるみで、また山登ろうぜ」

既読は、3日後についた。健太からの返信だった。

「おう。絶対な」

高校の時と、同じ言葉だった。そして、続けて、
「遅くなってごめん。子育てでバタバタしてて。でも、お前が登ったって聞いて嬉しかったわ。俺も行きたかったけど、今は無理そう。でも、息子がもう少し大きくなったら、今度は3人で登ろうな」

涙が出そうになった。健太は、覚えていてくれた。あの約束を、忘れていなかった。
「おう。待ってるわ」
俺は返信を送った。

高校生の時に交わした約束は、形を変えて、今も続いている。30歳で二人で登るはずだった富士山は、俺が一人で登った。そして、これから登るのは、健太と、健太の息子と、俺の3人だ。

約束は、ずっとそのままの形では叶わないかもしれない。でも、約束があるから、人は前に進める。約束があるから、また誰かとつながれる。

あの日、理科準備室で交わした「30歳になったら、富士山登ろうぜ」という約束は、俺の人生を確かに変えてくれた。

約束は、終わらない。形を変えて、ずっと続いていく。それが、俺たちの「約束の山」なんだ。


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