大昔から現代に至るまで、月は人類の豊かなイマジネーションの対象になってきた。
古の人は月に神を想像した。日本人はイザナギの左目から太陽が生まれ、右目から月が生まれたと想像した。インド人はプルシャの目から太陽が生まれ、心から月が生まれたと想像した。中国の仙女・嫦娥は不死の薬を飲んで月へと昇った。ギリシャの月の女神セレーネーに愛されたエンデュミオーンは美しい永遠の眠りを授けられた。
17世紀、恐れを知らぬガリレオは神の面に望遠鏡を向け、月に山や平原があることを発見した。月は神ではなく星であり、そこには世界が広がっていた。
それ以降、人々はその世界の住人について想像を巡らせた。
どんな種族が住んでいるのだろうか?
彼らは地球人に友好的だろうか?
どのような植物が生え、どのような動物が地を歩いているのだろうか?
詩人やSF小説家だけではなく、高名な科学者さえも月の住人についてのイマジネーションを巡らせた。たとえば、ケプラーの法則で知られる17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラーは月についての短い物語を著した。タイトルは『夢』。月からいかに地球やその他の星々が見えるかなどについて、驚くほどに正確な考証がなされている。そこにはこんなことも書かれていた:
ここの土から生まれるものは全て怪物のような大きさだ。成長はとても速い。全ての生物の体は重たいため、寿命は短い。プリボルビアン(月の裏側の住人)は定まった棲家を持たない。日中、彼らは干上がり行く水を求め、ラクダより長い足を使って、また翼や舟を使って月世界を動き回る。
なぜケプラーほどの学者が、現代の我々からすれば荒唐無稽に聞こえる話を真面目に論じていたのか。二つの時代背景があったと思う。
一つは、19世紀後半まで生物の自然発生説が受け入れられていたことだ。自然発生説とは、親からだけではなく無生物からも生物がひとりでに生まれるという説である。アリストテレスは、アサリは砂から、赤虫は雪から、青虫は火から生まれると考えた。16世紀になっても、ƒシェークスピアはヘビとワニはナイル川の泥から生まれると書いている。ならば月の石から兎が生まれても、何の不思議があろうか?
もう一つは大航海時代の発見だ。地球の地図にまだ空白が多く残されていた時代、船乗りは競うようにその空白を目指した。そして太平洋のただなかの絶海の孤島にすらポリネシア人が豊かな文化を築いており、南極の氷の上にもペンギンやオットセイが住んでいるのに出会った。人と獣と草は、空と海と土と同じくらいに普遍的なものだった。
当時の人々にとって、たとえそれが天上の世界でも、人や動植物がいない土地を想像することは、空がない土地を想像するのと同じくらい不自然なものだったと思う。
20世紀になり、さすがに月に人や兎が住んでいるとは誰も信じなくなったが、微生物くらいはいるかもしれないと想像する科学者はいた。
アポロ計画では、万が一月に未知の病原菌がいた場合に備え、月から帰った宇宙飛行士を4日間にわたって検疫トレーラーに隔離した。大統領との面会も窓越しだった。気の毒に思うかもしれないが、2畳間ほどの広さしかない宇宙船に3人で1週間も過ごした宇宙飛行士にとって、トイレもキッチンもある検疫トレーラーは案外快適だったかもしれない。
(左)検疫トレーラーに隔離され、窓越しにニクソン大統領と面会するアポロ11号の宇宙飛行士。
(右)検疫トレーラーの中でくつろぐアポロ11号の宇宙飛行士 Image: NASA
月の生命についてのイマジネーションに終止符を打ったのは、アポロが持ち帰った月の石だった。そのどこを探しても命の痕跡は見つからなかった。そのためアポロ15号以降は隔離検疫は廃止された。
僕が物心ついて夜空を見上げるようになった頃には、月の地図に空白は残されていなかった。(正確に言えば、残されていないと思われていた。)
だがそれでも幼い僕のイマジネーションは踊った。父と一緒に東京の家のベランダから望遠鏡を半月に向け、400年前にガリレオが見た通りの月の山や谷や平原を夢中になって眺めながら、僕は想像した。
あそこを歩いたらどんな景色が見えるかなあ?
向こうからこちらを望遠鏡で見たら、僕の家は見えるかなあ?
今でも仕事帰りに月を見上げると、あるイマジネーションが心に湧く。それは若くして死んだ女神の、美しくも孤独な死に顔である。
孤独な月
月はもともと地球の一部だった。45億年前に火星ほどの大きさの星が地球にぶつかり、飛び散った破片が集まって月は生まれた。
なぜ月は地球から生まれたのに、現在は似ても似つかぬ姿になってしまったのか。小さすぎたからだ。重力が小さいため大気はすぐに宇宙へ逃げてしまった。大きな肉まんより小さなシュウマイの方が早く冷えるのと同じように、すぐにほとんど芯まで冷え切ってしまい、35億年前には火山活動もほぼ止まった。
もし地球が同じ大きさの二つの星に割れていたら、両方とも現在の地球のような星になったのだろうか。あるいは、両方とも現在の月のような星になったのだろうか。
ともかくも、月は10億歳の若さで死んだ。風もない。音もない。ごく稀に隕石が衝突する外は、動くものは何ひとつない。小さな石ころさえ何億年経っても1ミリも場所を変えない。35億年の静寂。35億年の孤独。
そして孤独な死者の亡霊は、青く生き生きとした兄弟のすぐ近くを嫉妬深くまわり続けながら、35億年間待ち続けた。誰かが弔いに訪れてくれるのを。
最初に彼女を訪れたのは誰だったのか?もしかしたら、太古の昔に地球外文明の船が月を訪れ、モノリスでも埋めていったかもしれない。もしそうでなければ、初の来訪者は1959年に月面に意図的に衝突させられたソ連の無人探査機、ルナ2号だった。衝突の瞬間までルナ2号は放射線や磁場についての貴重な情報を地球に送り続けた。
月を最初に訪れた生物は何だったのだろうか?それはニール・アームストロングではなく、無人探査機に付着したバクテリアだった。
1967年、アメリカの探査機・サーベイヤー3号が嵐の大洋に軟着陸した。その2年半後、アポロ12号がすぐ隣に着陸し、宇宙飛行士がサーベイヤー3号の部品を持ち帰った。それを調べたところ、バクテリアの一種が生存していることが確認されたのである。この結果には異論もあるのだが、もし本当ならば、バクテリアは2年半にわたって月面で生き延びたことになる。
1959年から1976年にかけて、25機もの無人探査機が地球からやってきて、月面に着陸または衝突した。そして 12人の宇宙飛行士が月を歩いた。月にとっては幸せな時代だったに違いない。
月と同じくらいハッピーだったのは、念願の月の石を手に入れた地球の科学者たちだ。アポロの宇宙飛行士は381 kgの月の石を持ち帰った。あまり知られていないが、ソ連も三度の無人ミッションで 326 gの月の石を手に入れている。
月の石の特徴は、とてつもなく古いことである。地球に持ち帰られた月の石は、もっとも新しいものでも31.6億年前、もっとも古い石は44.6億年も前のものだった。
一方、地球の石は新しい。日本に住むあなたの庭に落ちている石は、観光客や地質学者が海外から拾ってきたものでなければ、約5億年より古いことは決していない。 今まで地球上で見つかった最も古い石でも40億年前のものだ。つまり、人類が持つ最古の石は宇宙由来なのである。
地球に古い石が稀なのは、地球が生きているからだ。古い石は雨風に砕かれ、プレートと共に地球内部に呑み込まれる。そして火山から新たな石が生まれる。その新陳代謝は過去の記録を消し去る。
一方、35億年前に死んだ月には、太陽系の歴史が刻まれた石がそのまま残っている。月の石の研究は、月だけではなく、地球の過去についての科学的理解も大いに深めた。宇宙に行くこととは、自らの過去を知ることでもあるのだ。
月の幸福の時代は長くは続かなかった。1976年のソ連による無人探査機ルナ24号を最後に、人類による月探査は長らく途絶えることになる。 有人宇宙開発は地球軌道上の宇宙ステーションでの長期滞在が主となり、無人探査機は月を素通りして火星や金星、外惑星を目指すようになった。月はふたたび孤独の世界に戻った。
だが、ルナ24号が危難の海から持ち帰った石には、新たなイマジネーションの種が隠されていた。
重量比わずか0.1%だが、水が含まれていたのだ。
水は月に普遍的に存在するのだろうか?
それは月が誕生した時に地球から分け与えられた水だろうか?
それとも後に隕石によって運ばれてきた水だろうか?
あるいはそれは、月が流した別れの涙だったのだろうか?
穴と闇
近年、一度は忘れられた月にふたたびスポットライトが当たるようになった。そのきっかけになったのは2007年に打ち上げられた日本の月探査機SELENE(愛称は「かぐや」)だった。女神セネーネーは愛する男に永遠の眠りを与えたが、探査機セレーネは月探査を眠りから覚ましたのである。
セレーネは数々の科学的成果を挙げたが、中でもとりわけイマジネーションを掻き立てる発見がふたつあった。
一つ目は、「穴」だ。
嵐の大洋の中央部に、マリウスの丘と呼ばれる、直径300 km、高さ500mほどの非常になだらかな溶岩ドームがある。ここに直径80メートルほどの穴が、ぽっかりと空に向けて開いていたのだ。
縦穴はその後、月の各地で見つかった。
穴。これほど人のイマジネーションを掻き立てるものは他にはあるまい。
『不思議の国のアリス』も『となりのトトロ』も穴から冒険が始まる。ドラえもんはお茶の間に突然開いたタイムマシンの穴から出てくる。安部公房の『箱男』も三島由紀夫の『午後の曳航』も物語の中心に穴がある。『マルコビッチの穴』という風変わりな映画もあった。
穴とは日常空間に穿たれた非日常への入り口だ。穴とは馴染みある世界が否定される予兆だ。
セレーネが発見した穴も、まさにそうだ。アポロの時代に全てを知り尽くしたと思われていた月の大地に、新たな未知への入り口が開いた。月の地下にはまだ空白が残されていた。
どうしてこの穴はできたのか?
この穴はどこに繋がっているのか?
穴の中には何があるのか?
科学者のイマジネーションは踊った。
セレーネのもう一つの発見は「闇」についてだった。
月の南極に、シャクルトンという南極探検家の名を冠したクレーターがある。その中に、永遠に太陽の光が当たらない場所がある。
この場所から最後に太陽が沈んだのは20億年以上前。約36億年前にクレーターができて、少なくとも20億年前に月の南極がクレーターがこの近くに移動した。ここの石ころたちが知っている最も明るい星は、太陽でも地球でも金星でもなく、カノープスだろう。
闇は見えないが故にイマジネーションに自由を与える。そしてそれを見たいという欲求を掻き立てる。
古の人にとって闇夜はアヤカシやモノノケの世界だった。今でも子供は闇の中にお化けを想像する。カボチャの馬車は夜に迎えに来る。トトロの木の実は夜に芽を出す。エポニーヌは夜にオン・マイ・オウンを歌う。男女は夜に恋に落ちる。
20億年の夜はどれほど孤独だろうか?
あるいはロマンチックだろうか?
そこからはどのような星空が見えるのだろうか?
闇の中には何があるのだろうか?
この永遠の闇の中を最初に見たのがセレーネだった。クレーターの縁によって照らされるわずかな光を高感度カメラでとらえ、その中の三次元の地形図を作った。それにより永久影ができる場所も正確に判明した。
セレーネが撮影したシャクルトン・クレーターと地球 Image:JAXA/NHK
永久影は二つの点で科学者の興味を引いた。
一つは、ここに水があると予想されていたからだ。永久影の温度はマイナス170~180度を超えることがない。そのため、隕石が衝突すると、そこに含まれる水分は即座に凍りつき、永遠にクレーターの底に貯蔵されるだろうと予想された。まるで罠のように水を捕まえるのである。事実、その後のインドやアメリカの探査機の調査でシャクルトン・クレーターに氷があることが示唆された。他にも北極付近の40を超える永久影クレーターで水が発見されている。
もう一つは、ここが未来に赤外線天文台を建設する絶好の場所になるからだ。熱を持つものは全て赤外線を出すので、赤外線望遠鏡はキンキンに冷やす必要があるのだが、永久影の中ならば冷却の必要がない。
月の穴も闇も、軌道上から見下ろしただけで、人間はおろか、無人探査機すら訪れたことがない。そこにはどんな風景が広がっているのだろうか?
中国と民間企業の時代
セレーネ以降、月はふたたび多くの来訪者を迎えるようになった。
21世紀の月探査の主役は、中国と民間企業になるだろう。
中国の月探査機には月の仙女・嫦娥の名が与えられている。2013年、嫦娥3号は雨の海に軟着陸した。月への軟着陸は、1976年のルナ24号以来、実に37年ぶりだった。 また、嫦娥3号には玉兎という名のローバーが搭載されていた。玉兎とは嫦娥が月で飼っていた兎の名である。月に車輪の轍がつけられるのは40年ぶりのことだった。
2017年に打ち上げ予定の嫦娥5号は月の石を地球に持ち帰ることを計画している。さらに2018年には世界初の月の裏側への軟着陸、そしてローバーによる走行も計画している。
さらに中国は有人月探査や月面基地の建設も目指していると伝えられている。月の土を踏む13人目の人類は、中国人かもしれない。
一方、中国と競うように月を目指しているのが民間企業である。Google Lunar XPRIZEをご存知だろうか。月面で繰り広げられる賞金レースだ。ゴールはローバーを月に着陸させ、500mを走ること。これを純民間で一番に成し遂げた企業に2000万ドル(約20億円)が贈られる、というレースである。
34チームが参加したが、現在残っているのは5チームのみ。その中に日本のチームがある。ispace社が運営する、チームHAKUTOである。「SORATO」と名付けられた重さたった4kgのローバーは、2017年12月28日、インドから打ち上げられる。競合チームであるチーム・インダスの着陸船に相乗りして月に降りた後、静寂の月の大地を四輪で駆ける。搭載された360度の視野を持つカメラには、いったいどのような風景が映るのだろうか?
月面レースの次にispace社が狙うのは資源探査だ。資源とはつまり、水である。2020年代には毎月ローバーを送り込み、水が隠されている場所を探査するという。
また、ispace社は月の縦孔探査することを構想しており、そのために2輪の子ローバーを開発している。孔の外にある親ローバーから、蜘蛛の糸を垂らすようにテザーで子ローバーを吊り下げて穴の底に下ろす、という仕掛けだ。
僕はとりわけ縦穴探査が楽しみだ。理由はその科学的意義だけではない。そこから見える景色はどんなものなのか、想像が膨らむからだ。
今、あなたが穴の底に降り立ったと想像してみてほしい。
懐中電灯を消す。前後左右どちらを見ても完璧な闇。まるで視力を失ったようだ。だが、だんだんと目が慣れてくると、あなたの体がほんのりと青い光に包まれていることに気づく。ここは深海の底だろうか?足元にはあなたの淡い影が落ちている。ふと天を見上げる。漆黒にぽっかりと空いた穴。無数の星を背景に、青く輝く半分に欠けた地球が、洞窟の中のあなたを見下ろしている…。
もしかしたらこれは、将来の宇宙飛行士が本当に見る景色かもしれない。大気や磁場に守られていない月には、太陽や宇宙からの放射線が容赦なく降り注いでいる。それが宇宙飛行士にとっての最大のリスクとなる。それを避けるための最適な場所は、穴の中だ。月面基地や月面都市は地下の洞窟の中に築かれるかもしれない。
月面都市の住人
では、未来の月面都市の住人は日々どんな仕事をしているのだろうか?
科学者たちがいるだろう。シャロン月面天文台の赤外線望遠鏡で宇宙の果てを見つめる天文学者や、月の石に太陽系創成の記録を求める地質学者がいるだろう。
「水堀り業」も月面での重要な仕事になるに違いない。 極地のクレーターから水を採掘してきて月面各地の都市に売り歩く行商人だ。
彼らの中でもとりわけ裕福な者は、「宇宙ガソリンスタンド」も経営している。店を構えるのは地球と月の重力が釣り合う第一ラグランジュ点。ここに月で採掘した水を電気分解して得た水素を運び、火星行きの船や静止衛星に売るのである。月は重力が小さいため、地球から燃料を打ち上げるよりも安く上がるのだ。
観光業も盛んになるだろう。多くの地球人がハネムーンやバックパック旅行で月を訪れるようになるだろう。
月に降り立った旅行者は、どんな場所を訪れるだろうか。
月面最大の観光地は、アポロ11号の着陸地点になるだろうと僕は想像する。アームストロングの最初の一歩は観光客に踏み荒らされないようにガラスに覆われて保存されるだろう。着陸地点全体が博物館になるかもしれない。
観光ツアーを率いる陽気なツアーガイドは、月着陸船の前でこんなジョークを飛ばすだろう。
「みなさん、ご存知でしたか?20世紀末から21世紀初頭にかけて、アポロ計画は捏造だと主張していた人がいたんです。もしかしたら皆さんが乗ってきた宇宙船はシミュレーターで、ここは月ではなくハリウッドかもしれませんね!」
それを聞いた観光客たちはどっと笑う。
「ははは、まあ石油を燃やして電気を作ってたような時代だから仕方ないよな。」
「そうかしら。いくら21世紀の人でも、そこまでイマジネーションがなかったとは思えないわ。きっとツアーガイドの作り話じゃない? 」
赤い惑星へ
アポロが持ち帰った石により、月の生命についてのイマジネーションは絶たれてしまったと書いた。
だが、銀河には一千億の惑星がある。そのどこかにはいるはずだ。
月の次にイマジネーションが自ずと向かった先は、地球のすぐ隣にある、赤い惑星だった。
(つづく)
Takuto Ishimatsu, Olivier L. de Weck, Jeffrey A. Hoffman. “Generalized Multicommodity Network Flow Model for the Earth–Moon–Mars Logistics System.” Journal of Spacecraft and Rockets, Vol. 53, No. 1 (2016), pp. 25-38.
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〈著者プロフィール〉
小野 雅裕
大阪生まれ、東京育ち。2005年東京大学工学部航空宇宙工学科卒業。2012年マサチューセッツ工科大学(MIT)航空宇宙工学科博士課程および同技術政策プログラム修士課程終了。慶應義塾大学理工学部助教を経て、現在NASAジェット推進所に研究者として勤務。
2014年に、MIT留学からNASA JPL転職までの経験を綴った著書『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』を刊行。